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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第七章 兎大友皇子
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徳川家康、謙信の狙いを察する

「北条もしつこく支援するな」

「駿河のすぐ横は相模です。いくら山を隔てているとは言え小田原城の眼前まで葵紋を立てられるのは気味が悪いのでしょう。駿河を失えば甲斐が目の前に来る武田の気味悪さを共感できない訳はございません」




 長政が若狭や丹後などを攻めていた一方、家康はひたすらに駿河攻略に勤めていた。


 だが当初こそ天竜川の戦いの勢いに乗って一気呵成に攻め込んだが、途中から北条が激しく干渉し始めたために動きが鈍り、一年半以上集中しながらいまだ駿河の内三分の一程度が武田の支配地のままだった。



 家康の本拠である浜松城では、家康と酒井忠次・石川数正・大久保忠世・本多忠勝と言った四人の重臣が腕組みをして地図とにらめっこを繰り返していた。

 駿河には忠世の弟の忠佐がおり、三河の岡崎には家康の嫡子信康が控えている。



「海岸を押さえれば音を上げると思ったのだが、存外しぶといな武田も」

「北条が塩をやっているのだろう。それでも交易路がなくなるからゆっくりと衰えてはいるはずなのだが」

「北条が景気よく投資しているのだ」


 海から取れる塩がなくなれば山国の武田はすぐさま塩不足に陥って倒れるだろうし、さもなくとも海がなければ交易は出来なくなる。

 とは言えよく考えれば、駿河がなくなった所であくまでも武田の領国は十五年前に戻るだけだし、今度は北条がはっきりと味方に付いている。もし武田が滅べば次に徳川と織田を受け止めなければならなくなるのは北条である以上、よほどの事がない限り北条は武田を切れない。



「もはや内通者も使い尽くしてしまっている状態です」

「兵糧攻めにしてやろうにもまだ時期が早いですし……」

「このままでは徳川の面子が立たんぞ!」

「あわてるな、進んでいる事には間違いないのだから!そなたらがいればこそこうして着実に進められているのだ!」



 忠次も数正も忠世も、正直どうにもいらだちが収まらなかった。


 家康が成果を褒めていてくれているから士気も保たれているが、浅井と比べても戦果の上がっていない事が実に腹立たしかったのだ。


「浅井家はあれからすでに若狭・丹後・能登を支配下に収めているのだぞ!我々も織田様に何らかのそれと引き換えに援軍を要請すべきではないのか!」

「一年半も攻めておいてこの調子では、織田から見捨てられかねないぞ!せめて駿河だけは今年中に落とさねば徳川は浅井に比べて頼りない家だと思われる!そういう意味で危ないのだぞ!」

「やめい。その焦りこそ武田と北条の狙いだ。北条はまだともかく武田はやはりかなり弱っている、その武田が戦えているのはひとえに弱っているが故だ」

「弱いからこそ一体となっている、裏切り者など出ないと言う事でしょうか」



 人は城、人は石垣、人は堀。そんな言葉を徹底させ城など作らず躑躅ヶ崎館と言う場所に住んでいる信玄にしてみれば、裏切り者を出す事は絶対的な禁忌だったのだろう。そのくせお家騒動の多かった家だったが、それがないとなるとなかなか簡単に崩れる物ではないのもまた事実なのだ。


(その弱さを染み込ませ徹底させている人間がいる……高坂かと思ったが違うのか?)


 じり貧と言うよりどか貧と言うべき情勢の武田に、現状を認識する暇があったのかどうかわからない。武田四名臣の最後の一人の高坂昌信がやっているのかもしれないが、それにしてもあまりに急な方向転換だ。



「しかしもう時間が経ち過ぎたのか、それとも織田の同盟相手たる徳川には従いたくないのか」

「それでなびくような人間はもうとっくにこちらに付いたのだろう。ありがたくはあったがな、もう意味もなかろう」



 家康の後ろの一枚の書状を見ながら、忠次と忠世はため息を吐いた。




 一年前に信長から届けられたその書状の送り主を聞いた時徳川の家臣団は妙な顔になり、開いてさらに驚いた。




 送り主の名は、今川氏真。家康の旧主である。




 その氏真が信長の命により義兄二人(武田義信と北条氏政)についてそれぞれ適当な文章を連ねた文書が家康の元に送られた時は一瞬戸惑い、そしてその文書の存在を言いふらす事により武田・北条に反発的だった駿河の国人は次々と徳川に付いた。

 だが信玄は葛山家のように駿河の豪族を取り込んで久しく、既に武田家の一部と化しているそれも多かった。また先に述べたように今川に忠義心を持つがゆえに義元の仇である織田や、今川に反旗を翻したも同然の徳川に付きたくない存在もおり、もはや駿河でその書状になびく人間はすべて徳川の下にいた。




「少し気になる事があるのです」

「何だ平八郎」


 家康たちの会議が行き詰まり始めた所で、本多忠勝が手を挙げた。普段から長身で筋肉質の忠勝が動くとそれだけで迫力があり、わかっていた家康でさえも思わずのけぞりそうになってしまう。


「武田は本来ならば四つの敵を抱えているはずです。上杉、我が徳川、織田、そして浅井も飛騨の事を考えれば敵と言えなくはありません」

「だな。まあ浅井はかなり無理があるとしても上杉徳川織田、まったく気の抜ける情勢ではないだろうに」

「そうです。それにしてはやけに我が徳川に集中できている気がするのです」

「平八郎、見事だ」

「いえこれは、康政が教えてくれたのです。おい康政」

「榊原小平太康政でございます」



 忠勝が少し離れて手を振ると、ひとりの平侍が姿を現した。



 忠勝とほぼ同じぐらいの年のその男は忠次や数正からしてもかなり堂々としており、徳川の未来を切り開くのはこういう存在なのかと思わせるほどに立派だった。


 榊原康政は家康たちに向かって深く頭を下げ、そしてそのまま議場の隅に正座した。



「そこでは話が聞こえん、小平太、こっちへ来い」

「殿に名を呼んでいただけただけで十分でございます」

「わしはお主の話を聞きたいのだ」

「では…………」



 あくまでも忠勝に見い出されたただの平侍ですからと言う顔をしてゆっくりと家康に近づき、正確に五体投地してから首を上げた。



「言ってくれ、なぜ武田が我が徳川に集中できていると思う?」

「私が恐れているのは、上杉が武田と組んでいるかもしれぬと言う事でございます」

「上杉と武田が?あの両家は仇敵だぞ!」

「しかし武田信玄は既に亡く、そして跡目となった勝頼が上杉を何か害したのでしょうか」

「確かにな、だがそう簡単に謙信が義理を捨てるか」

「武田より、もっと大事な物に害をなしている存在を除くためならば」

「もっと大事な物に害をなしている存在……もしや上様か!」



 足利義昭が京から追われてから、もう二年近く経つ。

 それをやった織田信長が謙信から心底憎まれていても驚けない事に気付いた忠次が左手の拳を右手のひらにぶつけると、家康も数正も納得の表情になった。



 謙信謙信と言っているが、俗名は上杉輝虎である。


 私的に上洛して足利義輝から名前をもらい受けた事からしても、その結果それまで関東管領である上杉憲政からもらっていた政の字を捨てた事からしても、謙信にとって最重要事項は足利将軍家なのだろう。



「信州の国人や関東管領より優先すべきを織田と見たか……だからこそ武田がある程度自由になったとしても、それならこの駿河に全力を注ぎ込んでも良いのではないか」

「駿河は織田家と同盟を組む我々三家からしてみれば東の端です」

「……まさか、美濃か!」



 それでも食い下がる数正に対しさらに康政は弁舌を振るい、数正の腑にもすとんと落ちさせた。


 確かに美濃は織田浅井徳川の三国同盟の中点であり、織田家の本拠地である。

 いくら織田軍が強勢を極めているとは言え、西ばかりに領国を広げている以上美濃は死角になりやすい。駿河が西は丹後や播磨まで伸ばしている三国同盟の東端であるように、今や美濃は織田にとっての東端になっている。



「相分かった、まず岐阜城にいる岐阜中納言(信忠)殿にお伝えいたそう。上杉が武田と結んでいる可能性があると。ああそれと、おそらく景虎を仲介役にして上杉と北条が手を結んでいる可能性もありそうだと」

「それで我々は」

「忠世は忠佐を守るべく駿河へ入れ。忠次は三河へ戻り尾張美濃との連絡を取るのだ。数正と忠勝はここに残ってくれ。ああそれから忠勝、今度から康政を副将として配置するのでよろしく頼むぞ」

「わかり申した、では早速康政と稽古を付けたいので殿は石川殿と共に細かい所をお詰め下さいませ」

「わかった、しかと頼むぞ」


 上杉と武田に比べれば、景虎と言う存在がいる上杉と北条が手を組むのはたやすい。北条が美濃まで来るかはともかく、駿河を攻撃して徳川の手を止める事は十分考えられる。その可能性をすばやく口にした家康に対する信頼をますます高めながら、徳川の宿老たちは動き出した。







「それにしても、どうしてあそこまで考えられるようになった」


 いきなり注目の的になりそうになった康政を引き連れて廊下を歩く忠勝は、実は榊原康政と言う人間の事をよく知らなかった。

 駿河攻略に手こずり気味の現状を何となくぼやいていた所に物欲しげな顔をしていたので問うてみた所面白そうな見識を見せつけて来たので連れ込んだだけであり、あそこまで言えるとは思わなかったのである。



「二年前にとんでもない衝撃を受けたのです。初陣以来ずっと戦って来た武田がああもあっけなく崩れるのを見て」

「まさかとは思うがあの藤堂」

「あの恐ろしい武田信玄をも討ち取ったのがどんな人間かと思い、少し学問でもしてみようと思いまして、そうしたらこんな事を考えられるようになりまして」

「呂蒙かお主は」


 子三日会わざれば刮目して見よと言う言葉を残し、無学の徒から関雲長を捕らえるまでに成長した呂蒙のように学問に目覚めたらしい榊原康政だったが、だとしてもこの見識の広がり方は異常である。



「そういう才能でもあったのかお前には」

「わかりません。でもとりあえず怖いのです。武田がまた力を付けて来るのかと思うと」

「武田武田か、まあ無理もないがな」


 朝倉が本願寺の分隊と言うべき加賀一向宗としか戦って来なかったように、この数年間徳川の将の大半は武田かその友軍としか戦っていない。武田により家族を討たれた者もいれば、武田から恨まれている者もいる。

 康政はまさしくそれであり、武田を単純に恐れていた。


(お殿様は織田や浅井の協力を得るためにいくらでも辞を低くし、誠意を尽くす事を惜しまぬお方だ……なれば同じようにすべきじゃないか)



 また同時に、康政にとって家康は最高の偉人であり、それを守るためにはどうすべきか。その事に一生懸命なのもまた、康政だった。

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