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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第七章 兎大友皇子
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藤堂高虎、松永久秀と言葉を交わす

「まさかあなたは」

「そう、松永弾正忠よ」







 松永久秀。


 天魔の子などとか呼ばれている自分より、はるかに恐ろしいことをやってのけた男。もう七十近いと言うのにまったく老いの気配も感じさせず、多くの者を従えてじっと構えている。







「これはこれは、部下の不始末をお詫びいたさねばなりますまい」

「詫びと言っても色々あろう……何ならその駄々っ子の首でも」


 久秀に指差された佐吉が神妙な顔をして足を揃えて久秀に近づくと、久秀の手に握られていた脇差が佐吉の目の前に落とされた。


「人と言うのは危険な時こそ本質が出る物だな。皆よく見て置け、主のためなら平気で自分の命を差し出す、これがこの小僧の本質だ。あっぱれな小僧よ、取っておけ」

「……」

「そのような」

「まあ落ち着かれよ。私は使えると思った人間には優しいのでな……」


 久秀は目を笑わせながら、高虎が殴り飛ばした佐吉の頭をなでていた。ともすれば優しい優しい人生の大先輩様が子どもに対して慈悲をかけているように見えなくもないが、だとしてもあまりにもそれをしている人間が重すぎた。



 その手で大仏を焼き、先々代の将軍を殺した男の手は言うまでもなく節くれだってあちこちに胼胝ができており、その上に奇妙なほどきれいな個所がある。

 言うまでもなく血で汚れており、相当な人間をこの手で葬って来た高虎でさえもここまで赤くはないだろうと思うほどに赤かった。




「それで何故また」

「用件は貴公とだいたい同じだ、この堺に良き物がある故な」

「そうですか」

「それで天魔の子殿、この弾正と一献茶でも交わさぬか」

「お戯れを」


 高虎は速攻で逃げに入った。ダメだと見れば速攻で尻尾を巻くのもまた技術であれば得意技だと認識していた高虎にしてみれば、恥ずかしくも何ともない返事だった。


「何が惜しい?」

「浅井家もお館様も、ここに控える者も、四葩もお桂も、千福丸も若菜も全部惜しゅうございます!」

「まさかこの松永が、その茶席にかこつけ貴公を害せんとすると」

「思っております。貴公と違って私は公方様を殺めておりませんので」



 逃げながらも、言うべきことは言う。逃げるにしても万が一の時には最低限の役目だけでも果たせるようにしておかねばならない。


 その間にも高虎軍と松永軍が一触即発の空気を作りだし、一月の堺をさらに冷やして行く。



「なればよし」



 ここでいきなり久秀はいきなり服を脱ぎだし、白い姿になってみせた。


 肌着や下着と言うより、葬式の時に身に纏うようなそれを見せつける久秀の姿は、高虎のそれを幾十倍した存在感を誇っていた。


「わかりました!ですがお一人で来てください!」

「そちら側に来てくれとは……」

「そういう事だとお考え下さい!おい佐吉、その脇差は絶対に取り落とすなよ!」

「…………」




 高虎も佐吉も、誰もがかろうじて己が力で背筋を保ちながら白い服をまとう久秀を連れ歩いた。


 罪人を連れ回していると言うにはあまりにも力弱く、客を招くにしてはあまりに無礼なこの集団だったが、笑い物とする人間は一人もいなかった。













「茶の立て方など存じ上げませぬゆえ。供の者がいれば茶もたてられましょうが」

「それではなぜまた茶席など」

「客の意向に答えた結果です」


 とにかく直経が普段使っている屋敷に入り茶席を立てる事になったものの、茶席の作法に通じている正信はこの場にはいない。一応茶坊主の側仕えをしていた佐吉が浅井家の茶坊主と共に茶匠の真似事をしてはいるものの、いかにも拙劣である。


「何ならばもう一枚脱いでもよろしゅうございますが」

「結構です。庄兵衛に迷惑ですからね」


 長徳に久秀の服を守らせながらを外に立たせ、決して気を許していない事を見せつける。あまりにも情けない虚勢だが、そうでもしなければあっという間に持って行かれる気がして怖くて仕方がなかった。




「さて、時に若狭守殿」

「ずいぶんせっかちですな」

「いえ何、こうして出会えたのですから話は早くにと思いまして」

「そうですか、それで何を」

「内大臣様の事です」




 内大臣――――織田信長の事である。ほんの二年前まで美濃守だったのが急に上がり、今や内大臣にまで出世していた。あと朝廷では右大臣、左大臣、太政大臣しかなく、位人臣を極めるまであと一歩である。


「内大臣様が何か」

「内大臣様は四十二歳です。これをどう思われます?」

「まだまだこれからでしょう、いずれは毛利も上杉も武田も」

「私の見解はむしろ逆です。織田様はほどなく家督を手放すと思われます」



 いきなりの一撃に、高虎は思わず障子をにらみ付けた。確かに浅井久政が隠居したのは三十五歳だったが、それは家臣から迫られた結果であって常識的に考えて相当に早い。確かに嫡子の信忠は十九歳だが、まだこれほどの家を受け継ぐには早いのではないだろうか。


「藤堂家当主としてどうなのですか、このような任務を申し付けられて」

「腰も据えられず辛い物です、せっかく得た城なのに」

「そういう事です」

「家督を息子に渡した上で自由気ままに動こうと言うのですか」

「ええ、むしろこれから内大臣様の本領発揮かもしれませぬ」



 播磨や但馬を奪い、その先の毛利を滅ぼすだけではないさらなる欲望、さらなる発想があると言うのだろうか。

 浅井家に能登を与えさせた以上、望みは西にあるのはわかる。だがその西を行った先に一体何があると言うのか、高虎にはまったく及びもつかなかった。



「何をすると思われますか」

「この国を南蛮と呼ばれしそれと対等にするためでしょうな、いや南蛮と言うか異国ですな」

「異国、と」

「その上で、あくまでここまで来るのは異国の中の最上級の存在であるから、その事を弁えよと思っておられるそうだ。戦に一番強い兵を連れて行かないだなんて話がありますか」

「なるほど。つまり取り入れるべき所は取り入れ、そうでない所は捨てよと」

「言うは易く行うは難しだがな、それを内府様は本気かつ正確にやっておられます。その能力の高さには皆何も言えぬと言う具合で」


 何が必要で何が不要なのか、選り分けるのは非常に難しい。此度高虎がそれらの取引を長政や正信に丸投げしてこんな所で茶にふけりその仕事から逃避して許されているのは、まったく四葩と正信のおかげである。それを信長やその側近は非常にたやすくやれているのだと思うと、高虎は思わずため息を飲み込んだ。



「それでだ、南蛮人だなと思った所もある」

「何がですか」

「南蛮には厠がないそうだ、家の窓から下に投げ捨てていたとか」

「下って、まさか街路に!」

「どうだ、そこは取り入れたくなかろう。ああそれから上等な茶碗かと思ったら五百年前の貴族が使っていた樋箱おまるだったとか。遅れている所はちゃんとあるのだ」



 本来ならば笑い話の類かもしれないが、今の高虎にそんな余裕はなかった。信長が言いふらしたのか久秀自ら聞き及んだのかわからないが、どちらにせよ両者の存在の重たさを知らされるだけだからだ。



「それで、何か私に伺いたい事でもおありならば」

「それよりだ、茶はまだか、茶は!」

「それほどまでにのどが渇いておいでか、尿の話をした後に」

「否応なくのどは乾く物でしょう、水を飲まねばまず尿も出せません!」

「いかにも。お偉方とて出る物は出ます」



 単純にのどが渇いたし、その上に流れを変えたかった。案の定とは言え始まってすぐこうして叩きのめされている以上、反撃の糸口が欲しかった。




「ずいぶんとなみなみと注がれた茶だな」

「申し訳ございませぬ、少し急いでいて」

「構わぬ、それで良い」



 佐吉が少しあわて気味に出した二つの茶碗にはいっぱいに茶が注がれ、口を付けた高虎の胃に急速に染み込んで行った。



「ずいぶんと夏向きの茶だな。もう一杯所望したい」

「わかり申した」

「頼むぞ佐吉」



 高虎と久秀があっという間に空にした茶碗を佐吉が持って視界から消えると同時に、高虎は今しかないとばかりに反撃を開始した。




「それで、本願寺がなぜ動かぬのかと言う事について、弾正様はどう考えられます?」

「私がこうして若狭守殿の茶を飲み合っていると言う事ですよ」

「動いても弾正様を討てぬと」

「いずれはそのつもりでしょう、この堺の町が寂れた時に」

「すると、織田が暴政を起こすのを待っていると。いささか活性に欠ける発想ですな。保守的を通り越して自閉的と言うか」

「小乗仏教とそしられてもしょうがない話です」


 あまりにも他力本願だ。

 しかも上杉やら毛利やらの援軍ではなく織田の失態を当てにすると言うのは、あまり感心できる発想ではない。教えを大衆に広め衆生を救ってこその仏教のはずなのに、こうして信長と言う目前の脅威に対しじっとしているのはおかしい。


「やはり耶蘇教ですか」

「ああ、そうでしょう。顕如めは耶蘇教をひどく恐れている、内府様と同じようにここまで来た連中が最高級のそれである事を知っているからな。

 だからこそ本願寺はこの弾正めに贅肉を喰わせてやった。顕如め、なかなか容赦なき男よ」

「もしや、小谷城に送り込んだのも贅肉であると」

「いかにも。ただ」

「あるいは本願寺が一枚岩ではなく、誰か別の急進勢力があると」

「そう、教如と言う顕如の愚息よ」


 顕如がどのようにして耶蘇教の脅威を感じ取ったかはわからない。だがいずれにせよ耶蘇教と言う民の信仰を奪い合う存在はどんな俗人よりも脅威であり、禅宗や律宗のような仏教の他派どころの騒ぎではない。

 だからこそ耶蘇教の付け入る隙をなくすように綱紀粛正を図り、あわよくばと言う程度の狙いで浅井を攻めさせたのか。あるいは久秀にそうしたように教如や過激派の坊主たちが主軸として送り込んだのかもしれないが、いずれにせよ結果はまったくの惨敗であり、主戦派は無駄死にを増やしただけだった。


「これは朝倉殿から聞いた話ですが、四葩はかつて本願寺と婚姻を結んでいたとか」

「十前後でしかない娘が、いきなり婚約をさせられたのです。このご時世ありふれた事とは言え、それを貴公がかっさらったのですから。お医者様でも草津の湯でも治らぬ病にかかってしまったのやもしれぬな」

「そんな事になれば四葩は自決するでしょうね」

「ずいぶんと自信があるようで」

「家内では家内にかないませぬ」


 つまらぬ駄洒落をこぼしたのはまったくたまたまでしかない。もし教如が四葩を取り戻したくて動いていると言うのならばそれこそ論外でしかないだろう。


 四葩の心をつかむには相当に手間がかかる。高虎が四葩の心を掴めたのは一向宗の偽善と景紀・景恒父子の独り相撲に辟易して彼らが憎む自分に反動的に傾いたからであり、そんな敵失その物の状況に恵まれなければ長政にはともかく自分に回ってくるはずもなかった。

 まったくの奇跡であり、そんな事など度々起きるはずもない。今から自分がよほどの暴力男になりかつ長政が乱心した所で、四葩は次なる救いの手を待つ前に自決するか、せいぜい妹たちと同じように耶蘇教に走るかに決まっている。



「お茶をお持ちいたしました」

「今度はずいぶん少量だな」

「先ほどの反省も込めまして、では失礼」


 そこに佐吉が再び茶碗を置いて行った。

 今度は湯気を立てている。


「ずいぶんと自信があるらしいな、あの小僧は」

「飲ませていただきます」



 ずいぶんと渋くて苦い茶だ。だが先ほどのそれと根本的な味は同じであり、濃淡の差でしかない事がすぐわかる。



「なるほど、自信がある通りの茶だ。先ほどは第一にのどを潤す事を思い、今は落ち着いたと見て味を楽しむことを主としている。やはりあの小僧、使えるな」

「差し上げるつもりはございませんので」

「貴公の物ではありますまい、本多と違いましてな」

「本多はとおっしゃいますと」

「まあ、昔ほんの一時身を寄せていた事がありましてな、しかしなぜ越前守殿にお渡しなさらぬ?」

「諸事情がございまして」

「徳川殿の地位を汚すような真似をなさらぬ方がよろしいかと」

「皆まで言わせるおつもりですか」


 正信を高虎の配下にしているのは、家康自らからの要請である。自分のような人間の下にいるより長政に使われた方が良さそうなのにそれをしないのは単純にすごく役に立つのと共に高虎なりの家康への配慮であり、それをないがしろにすれば最悪浅井と徳川の仲にも響きかねない。


「いえ、私はもし徳川殿がそれで文句を言うようならば、内府様がいつまでも徳川を大事にしては置かぬと思ったまでの事でございまして」

「徳川殿とて何もかも徳川家内の事を決められる訳ではございますまい。ましてや今は駿河攻略中らしく余計な事を持ち込んで士気を乱すような事は」

「たかが浅井家内の人事異動で乱れるとは、徳川殿をいささか軽く見ているのでは」

「やめられい!」



 中身のない茶碗を握りながら高虎をもてあそぶ久秀に向けて、いきなり別の声が割り込んで来た。


「おやおや、久しいな正信」

「どうしてここに!」

「取引を済ませたので参ったのでございます」


 高虎にとっては味方と言うべき存在の乱入に高虎は胸をなでおろし、同時にまるで動じていない久秀を見てすぐさま緊張の糸を張った。


「大丈夫ですか殿」

「大丈夫だ、かような論戦にも少しは慣れたので」

「論戦?何を気が逸っておいでなのか、私はあくまでも茶でもすすりながら閑談をしたいだけだったのだが。おい本多、今度の若い主人はずいぶんと気が張っているようだな」

「それがよろしい所でもあります」

「フッ、もう十分話は付いた。若狭守殿、実に有意義な時間でしたぞ。その方が越前守殿に寵愛されている限り、浅井はたやすく崩れまい。あと本多、あの小僧に伝えて置け、茶は実にうまかったと」



 久秀は言いたい事だけ言って長徳から先ほど脱いだ服を受け取り、着付けを終えてほどなく屋敷から去って行った。


「ったくなんてえお人だ……」

「庄兵衛、とりあえずこれを開いてくれ」

「わかりました」


 そして、一枚の書状を残して。




「またですか」

「またか……」




 ずいぶんと紙を無駄に使った松永弾正(久秀)宛のその書状の中身は、わずか五文字だった。







 そう――――兎大友皇子。

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