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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第七章 兎大友皇子
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藤堂高虎、明智光秀と会う

「明智十兵衛でございます、若狭守殿」

「藤堂与右衛門でございます」







 五年近く会っていない羽柴秀吉と比べても、光秀の笑顔は硬い。これが秀吉ならばもう少し人好きのするそれができるのだろうが、光秀のそれはどうにも好感を抱けない。



「丹波守殿は此度何故」

「本来ならばもう少し早くお話したかったのですが、何せ丹波と言うのは美濃以上に雪が多く……また国内平定の件もありまして今の今まで長引いてしまいました」

「それは大変ですね」

「まあ、必死になって身を粉にすればその分報いてくれるのがお館様です。外様も譜代も関係なく」

「素晴らしいお方です。実は今度、雪が本格的になくなり次第堺の町を見に行きたいと思っておりまして、いやそう越前守様より命を受けておりまして」

「それは大変素晴らしい事です。堺の町は今のこの国の最先端と言うべき町です。私も美濃や越前でそれなりに卓見も積んだつもりでおりましたが、堺を歩いてみるとまったくの田舎者であることをいかんなく思い知らされました」

「義妹たちの心の救いもまた堺から発しているようで」

「そうですね、いずれはこの地にも南蛮寺をお建てになるつもりで?」

「別にそこまでとは思っておりません。あくまでも義妹たちのためですから」



 光秀は作り笑顔のまま、高虎に向けて堺の魅力をぶちまけた。

 その町に行くまでの自分を田舎者だと叩き、その上で今の自分は違うのだと見せつける。そんな光秀に対し、高虎はいささか子どもっぽく行っていなくても影響は受けられるのだとうそぶいてやった。


 実際、浅井軍の装備はこの二年間でますます強化されていた。今では二線級の兵士の装備が五年前の親衛隊のそれ以上になり、鉄砲も九百丁近くにまでなっている。藤堂家にも五十丁ほどあり、高虎も幾度か使用して四葩にその才能はないと笑われていた。



「聖書と耶蘇教徒が呼ぶ書物によれば、神はこの世にひとりだとの事です。それを聞いて私などはさじを投げてしまいました」

「合う合わないがあるのは仕方がない事でしょう」

「そうですね。それで私は此度土岐源氏の末裔として丹波守になった訳ですが、丹波守とは丹波守護職の事であり、丹波の民全てを守らねばならぬと言う事です。これならいっそ筑前殿の方が気楽だと思います」

「織田様は実利を重んずるお方です。我が君に越前守と言う名を授けてくれたのもまったくそういうことなのでしょう。そして私はそのやり方を好んでいます」

「その点は同意ですが、それにしても若狭守と言いながら領国は一万八千石、若狭の四分の一にもならぬようですが」

「分不相応な所得は身を滅ぼします。ただでさえこの石高でも振り回されているのですから、ただでさえ一万四千石だったのが昨年増えたばかりなのです」



 柴田伊賀守勝家、丹羽山城守長秀、滝川伊勢守一益、明智丹波守光秀、そして羽柴筑前守秀吉。

 秀吉は本来ならば近江守かもしれないが、北近江が浅井の本拠であるためか筑前守などと言うまったく現実から外れた所の肩書きを受け取っている。だとしても数年前まで雑兵だった自分と農民だった秀吉が従五位などと言う、天皇とさえ会えるほどの身分を得たのもまた事実だった。




「私はただの土豪の次男坊でした。そしてご主君である越前守様が物部氏の末裔である事も知りませんでした」

「知る事ができたのは良かったではありませんか。いろいろな事を知るのは楽しい物です。そう言えば若狭守殿は」

「中原氏の末裔だそうです」

「その中原氏の初代をご存知でしょうか」

「存じ上げませんが」

「十市県主大目とおっしゃられるお方で、今は大和の国に祀られてございます。その初代様からおよそ百五十年後に中原姓を名乗られ、今では押小路家と改姓して続いておられます」

「まったく初耳でございます」




 中原氏が学問を事とした家である事自体、系譜を調べて初めて知ったのである。四葩に比べればまるで学のない自分が、宮廷で学を教える家の末裔などまったくつまらない冗談に過ぎない。先祖があそこまで殺戮を好むような子孫を見たらどう思うかとか、そんな事を考えてどうすると言うのか。

 それより浅井家と四葩とお桂と千福丸たちと家臣と若狭の民と、心配すべき存在は山とあると言うのだ、そのためならば殺戮者でも何でもなってやるまでだろうに。それが戦国乱世のはずだ。



「で、その中原氏の末裔とやらに、一体何をお望みですか」

「中原氏、さらに振り返れば十市氏となりますが、十市と聞いてこのような物があったと思い返し、此度友好の証としてお持ちいたしました」



 うんざりした様子で声を上げた高虎に対し、光秀は相変わらずの笑顔で一冊の書物を差し出して来た。

 写本ではあるが決して荒い作りではなく、相当な腕の職人が丹精を込めて良い紙良い字を持って作り上げたそれである。いかにも丹精込められたと言った感じのあふれ出る書物であったが、なぜこれを渡したのか高虎にはわからなかった。



「これはどんな書物ですか」

「壬申の乱でございます」

「えっと……」

「今から九百年前、皇位を巡り行われた大乱です」




 光秀は笑顔を崩し、真顔になってその書物の内容を話し始めた。


 かつて蘇我蝦夷・入鹿親子を殺し天皇の政権を確立した中大兄皇子こと天智天皇は、死に際に実子で母親の身分の低い大友皇子を後継者に指名した。だがそれは紛れもなく天皇を母に持つ実弟の大海人皇子こと天武天皇を無視した行いであり、それに反発する貴族も現れて朝廷が二つに割れ、二人の皇子による戦乱になってしまった。その戦いは天武天皇の勝利に終わり、そこからいわゆる奈良時代へと突入した。




「ですが帝を決して悪し様にののしる意図はございませんが、天武帝は野心により事を起こし、結果として息女の十市皇女様を寡婦にしてしまいました」




 ようやく十市と言う名前を口から出した光秀は、さらに口を動かす。むしろここから本題と言わんばかりに目を輝かせるものだから、高虎もまた光秀の顔を真っ正面から見据えるしかなくなってしまった。



 とにかくそうして天武天皇が皇位に就いた結果、天武天皇の嫡子と言うべき草壁皇子は即位の前に死にそれにより彼の母が持統天皇として即位せざるを得なくなり、草壁皇子の子で次の天皇候補である文武天皇も二十五歳で夭折。

 それで二人の女帝を経てようやく即位した聖武天皇の代はと言うと長屋王の変に藤原広嗣の乱、そして天然痘の蔓延。

 しかもその次の孝謙(称徳)天皇の代は、玄昉や道鏡と言った僧の跳梁、さらに藤原仲麻呂の乱と、まったく政権は安定しなかった――。


 これほどの事を、光秀はまったく舌を休めることなく高虎に述べた。




「ずいぶんと情熱的なのですね」

「ええそうです、私は若狭守殿にこの書物を渡したくて今日来たと言っても過言ではないのです」

「なぜまた単純に送らなかったのです」

「十市と言う言葉に奇縁をお感じ頂ければ幸甚だと愚考いたしまして、それでこうして丁重にお渡しいたす事を選んだのです。時の流れがどうなろうとも、私も土岐源氏の末裔として清く正しく生きねばなりませんからね」




 下らない語呂合わせを言いに来たにしては、恐ろしいぐらい情熱的で真剣だ。




(斎藤龍興、内藤昌豊、山県昌景、そして武田信玄に信虎……)




 戦場で対峙して来た、強き武士たちの顔。これまでは適当に数であしらって逃げて来たつもりだが、今は文字通りの一対一。逃げる事など出来はしない。







「ですから、私は織田と共に浅井の永遠なる繁栄を願っております。なればこそ、主上様にもお目にかかれる身として一体何が重要か今一度お考えいただき、その上でそれにふさわしい行動を起こしていただきたいのです!」

「お桂の事はお気に召しませんか」

「はぁ?」







 そのはずなのに、逃げた。いつものように、臆面もなく逃げた。

 畳を殴り付けた光秀に対し、まったくとんちんかんな事を言い出してみせた。







「いえ、丹波守殿は奥方様一筋のようで、四葩とは別にお桂と言う側室を囲っている事がお気に召さないのかと思いまして。そう言えば越前守様も奥方様一筋で、私でさえ側室がいると言うのにもう一人か二人娶ってもよろしいはずなのですがね、奥方様もその点には寛容なお方だとうかがっておりますが何故なのか困りますよ。ああ私の場合は四葩が娶れ娶れと言う物でね、まったくあれほど強い嫁はいませんね」

「それはその、先にも述べたようにあくまでも合う合わないと言う物がございまして」

「父上などはもう還暦を過ぎているにもかかわらずまだ盛んらしく、母上曰くまだ時に夜を女性と共に過ごしておいでのようですよ。まだ丹波守殿も四十代なのでしょう、一人ぐらい奥方様も許していただけると思うのですが、駄目ですかね。ああ堺に行くのならば四葩やお桂、それから義妹たちや母上にも何らかの土産を買って帰らねばなりませんが、お勧めがあったら教えていただければ幸いです」







 逃げながらも、圧倒して見せた。



 先ほど光秀がこちらの顔なんか見ないで言いたい事だけを言ったのに対抗するかのように、こっちだって言いたい事を全部言ってやった。



 九百年前の歴史より、目の前の家族の方が重要なのですとはっきりと叩き付けてやった。







 中原氏と言うのが何者かであるかなど、どうでもよかった。系図など官位をもらい受けるための道具でしかなく、知っているのは虎高と言う父と孝則と言う兄とそれから母の存在だけだった。


 官位を求めたのは朝倉家の健在ぶりを日の本に示すため、極端に言えば景紀と景恒に示すためだけに過ぎないし、それとて四葩の後押しありきだった。



「堺は京ではございませんので、ご婦人方のお目に叶う物があるか否か」

「そうですか、まあ私が以前京に行った際に織物でもと言って見事に拒否された程度の男です。手ぶらで済ませざるを得ないでしょうね」



 醒めた目付きと小さな声で答える光秀を前に、高虎は額に手を当てながら後ろへとのけ反ってみせる。実際、既に堺行きの話を四葩にして何もいらないと言われたばかりであり、その分だけ高虎の挙動は真に迫っていた。



「とりあえず、千福丸殿や若菜姫殿がご壮健な様で何よりでございます。堺へと向かう際にはあるいはまたお話できる事もあるやもしれませぬが」

「その時を楽しみにしております。では」

「ああそれはお取り置きください。いずれ読んでいただければ幸いです」


 光秀はまた笑顔になりながら、持ち込んできた本を置いて本丸から去って行った。













「水を一杯くれないか」

「明智様とはそんなに鋭いお方でしたか」

「鋭いわけではない、どちらかと言うと暑苦しいお方だ」

「あら、冷静沈着で理知的なお方だとうかがっておりましたが」

「そうだと思ったのだがな」


 早速四葩に水をねだりに行きながら、高虎は光秀の事を思い返していた。理知的で自分の知らない事をたくさん知っている人間だと思っていたが、あの時はひたすらに情熱的で今が一月だと言う事を忘れたくなるぐらい体温が上がってしまった。


「それで、その様子ですと」

「ああ、どうにも話が合わない。必死なのはわかるがそれが伝わって来ない。どうにもこうにも独り相撲を見ている気分でな」

「そうですか。織田様がその事にお気づきにならないはずもないのですがね」


 普段の鬱屈を晴らそうとするにはあまりにも明るく和やか過ぎたし、それにしては話題が重すぎる。



 あまりにもちぐはぐで歪な男、それが高虎の見た明智光秀だった。



「では好かれると言う任務については不首尾であったと」

「残念ながらな。だが正直、好かれて良いのかと言うと……」

「それだけで十分わかります。ですが堺で野垂れ死になどなさらぬようにしてくださいね。そういう訳で今晩は」

「わかった……」


 一応の答えを得た高虎は、千福丸のおしめを換える四葩の全身を拝む夜に向けて精を蓄えるべく、この後の稽古を控えることを決めた。

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