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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第七章 兎大友皇子
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藤堂高虎、歌に四苦八苦する

 天正三年一月十五日。正月も明け、ようやく落ち着きを取り戻したかに見えた大倉見城であったが、それでも高虎はなかなか腰を据える事は出来なかった。




「今度は堺ですか」

「ああ、その通りだ」

「もう二万石の重臣であり従五位の身分なのですから、そのような使い走り同然の用件など断ればよろしいのに」

「私はまだ二十歳なのだ、そんな新参が石高だけで言えば六番目の地位になった。ああそれから次妹はおそらく阿閉家、そうかつての主人の家に嫁がせる事になりそうだ」

「家の頂点にいる人間にはわからぬ苦労でしたね、これは失礼をいたしました」



 従五位下になろうが、若狭守になろうが、結局はまだ若造なのである。

 長政の命とあらば、どこへでも飛んで行かねばならぬ身なのだ。



「それでだ、今度こそ何かそなたやお桂にも」

「私はよろしゅうございます」

「またか」

「ですが千福丸や若菜のために」

「そうだな、この辺りとは物が違うだろうからないろいろと。個人的な興味もあるしな」




 四葩は、決して多くの事を求めようとしない。

 ただその代わりのように、口を出す事を好む。

 お姫様だからの一言で片すにはいろいろと違う。お姫様と言う事で言えば、お市の方だってお姫様のはずだ。だが長政にどの程度政治向きの事に関して口を挟んでいるのかは知りようもないにせよ、あそこまで迫って来る女性は珍しいかもしれない。その点でもお桂とは正反対であり、だからこそ二人は仲が良いのかもしれない。


 いずれにせよとりあえず京の都は文化の粋と最先端が詰まっている事は既に知っているが、堺には見たことのない商品があるのだと言うだけで十分に面白い。年ゆえの立場の弱さゆえに押し付けられた役目とも言えるが、同時に世界を広げる好機だとも高虎は理解していた。



「父上は表を飾る事はお好きでしたが、中身までは見ようとしない方だったようです。まあ箱入り娘でしたからよくわかりませんが、京の都の伝統の品には深い興味を持ち、また堺での珍品には多少の興味も持っておりましたが、実用的な物にはと言うお方でした。ですがそれでとりあえず大過なく治められて来たのが越前でした」

「治世であればそれで良かったのかもしれんがな」

「ですがあなたに堺の商人との道を開けなど無茶です」

「その点は今の所遠藤様と正信が何とかしてくれているはずだ、あくまで見て来いと言う事なのだろう」

「主人だから部下より上回ってなければならないと言うのならば部下は要りませんわね」


 堺と浅井家をつないでいる浅井側の窓口は遠藤直経であり、石高が一万石に満たない直経に長政が正五位下の官位を求めて与えられたのもそのためだった。また本多正信も堺で商家の主となっている茶屋四郎次郎とのつながりがあるために藤堂家の職務を離れてそちらに携わる事も多くなっている。と言っても直経は金ヶ崎城でずっと長政の側におり離れる事は出来ない以上、正信の主人である自分にお鉢が回って来るのはわかる。


 だが高虎はしょせん、近江や越前、若狭と言った所からほとんど出た事のない田舎者でありお上りさんである。一度天竜川の戦で遠江まで行ったがそれは見聞を広めると言う点では何の意味もなく、ある意味一番進んでいるかもしれない尾張にもほとんど滞在しなかった。京に行った事など、何の助けにもなっていない。

 なればこそこうして堺を見る事により何かをつかめるかもしれない、そんな淡い期待を四葩は簡単に叩き折りながら笑い、負けじと背筋を伸ばして高虎は四葩に覆いかぶさる。




「そうだな。今回の目的は、明智殿との仲を深める事だ」




 若狭から京や堺に行くに当たり、越前、近江、山城と大回りするぐらいならば丹波を通った方が早い。いくら山地の多い丹波とは言え直線距離がと言う現実には敵わないのだ。



 その丹波を治めている明智光秀が自分に持つ印象が良くない事を、高虎は知っている。







 あの天竜川の戦いにて自分は光秀を、陣の守りと言う名の囮役、負ければそれまでの立ち位置に使わせた。そして自分勝手に暴れ回り、好き勝手に功績第一の座をもぎ取った。

 戦後のあいさつをまともに済ませたのは、二日後の事である。


「瞬間的に硬軟を使い分けるやり方、まことに見事な物でございます」


 極めて平板なほめ言葉、いらだちを無理矢理に覆い隠したのが見え見えのそれ。


 そして丹波を信長と共に奪取した際に使者をやっても、やはり定型文の繫文縟礼めいた文章しか返って来なかった。



「織田中納言、いや今は」

「織田様で十分でしょう、肩書にこだわる方でもないでしょうから」

「まあそうだな。とにかく織田様は私をそれなりに買ってくれている。だが明智殿はおそらく私の事を好いていないだろう。なればこそだ」

「なればよい方法がございます。織田の若君様から受け取ったのでしょう、大殿様の辞世の句を」

「ああな、綺麗に飾り付けたのと生々しいのをな」

「あなたも詠んでみればよろしいではございませぬか。父上はそういう事には熱心な方でしたから」



 確かに繫文縟礼と言うべき長たらしい文章だったが、それでも字は綺麗だったしそれぞれの単語に知性は感じられた。間違いなく、明智光秀はずっと自分より教養がある。その人間に付き合うには歌を学ばねばならないと言うのだ。


「辞世の句まで妻任せじゃ困りますからね。付け焼き刃でもせぬよりましです」

「一首頼む」

「では……」



 わかさから 前を思いし 時はなく 高き爪牙に 千々に委ねる



「どうでしょうか、あなた様」

「えーとだな、わかさと言うのは若狭の国と老いていないと言う意味での若さをかけた物であり、この若狭にいる上にまだ若い以上と言う事であり、前と言うのは越前と前の時代、つまり過去を思う事はないと言う事だな」

「こんな物ですよ、まあ下の句については自分でお考えくださいませ」



 ほんの数分でひねり出されたその歌の歌意に気付いた高虎の顔が紫色になり、四葩の顔は白いままだった。


「高」き、「委ねる」、そして「千」福丸。そして「爪牙」のある生き物はおそらく「虎」だろう。


 

 あらゆる意味で、あまりにも恥ずかしかった。

 丁重に掛詞を突っ込みながらきちんと歌を作り、その上にこうもはっきりとあなた様を頼りにしております千福丸共々今後もお守り下さいなどと言われると、技量的にもまったく真似できる気がして来ない。




「これほどまでに歌意が分かるのであればすぐさま詠めるでしょう」

「作法などまったく知らないぞ」

「知った事ですか。ですがただ一つ、歌を受け取ったら返歌をするのが礼儀と言う物です」

「初めて聞いたぞ!」

「ではしばらくお待ちいたしますので」




 二、三分で詠まれた歌の出来がこれでは、詠み返す側もその気を失ってしまうではないかと抗議をする気にもなれない。四葩が頭の中でそらんじるだけでこんな物を出して来た以上、自分だって同じようにやるしかない。

 そう考えながら足を組み直し、体を起こして畳なり刀なり外なりを見るが、最初の五文字すらまともに出て来ない。待ってくれと止めなかった自分を悔やみながら、今からでも教わるべきだと思い部屋を出ると同時に、頭に衝撃が走った。


「ああ殿様!」

「ああすまん、お桂か!」

「大変申し訳ございません!」

「き、気にするな……!そ、そうだ実家の両親は元気か」

「ええ元気です。お殿様のおかげで」


 倒れているお桂の手をつかみながら、彼女の前ぐらいではいい所を見せたい。そのためになんとかお桂から四葩のための歌をひり出そうとした。


「ああ、大丈夫だ…………………………」



 大丈夫だと言ったきり二分ほど立ち尽くし、なんとか形になったのを感じた高虎はお桂の手を握りながら、深く頭を下げた。





「ああ!」

「延々四半刻(三十分)かかってそれですか、私の気持ちはどうなるんです」

「はあ……」




 白雪の 滅びしのちに 稲生りて 白の輪廻が 面白きかな




 白い雪が溶けて滅んだ後には稲、つまり白い身を付ける植物が生り、その白の繰り返しが面白いと言うだけの歌。


 中身もさることながら、四葩が恋の歌を思いっきり投げて寄越したのに、これはただ自然を詠んだだけのそれだ。まったく独り善がりである。



「すみません、少し気が逸りました」

「四葩……」

「自分の間抜けさに呆れかえるぐらい許してください。自分の事ぐらい勝手でしょう」

「やっぱり、一から教えてくれないか。どうか頼む」

「頭を下げないでください。まあやってやれない事もございませんが、どうせ明智様と会うまでには間に合いませんよ」

「わかっている!その先でも必要だろ」


 みっともなく吠える高虎にまあそうですよねと言う顔しかしないまま笑う四葩を見るだけで、二人の力関係は明白だった。

 侍女たちの間に失笑が漏れ出し、それが広がって行く。






「申し上げます。斎藤内蔵助殿が参られました」

「えっ?」


 そんな気まずい空気を叩き割るかのように現れた山崎長徳のある種の死刑宣告に、高虎は四葩や女官から逃げるように客間へと走り込んだ。


「若狭守様、何か」

「いえなんでも、一刻も早くと思いまして!それで何故また明智殿は」

「そちらの城に参り、直に若狭守様にお目にかかりたいと」


 まさか女房から逃げて来たとも言えぬまま息を荒げて座った高虎を怪訝な顔で見つつ、高虎たちの予想通りの言葉を吐き出した。



「明智丹波守殿自らが!」

「ええそうです、我が主人自らそちらにお伺いしたいと」

「しばしお待ちください!確かにほどなく堺へと向かいたいと思っておりますしその際に丹波を通る事になり明智殿の助けを借りたく思っておりますが、その際に道中で合流すれば十分かと思っておりましたが」

「我が主人は自ら若狭守様の事を知りたいと仰せになられたのです。上様もご承知、いや大歓迎のご様子で」


 信長自らの意向があるとなると、もはや断る訳には行かない。


「期日は」

「それがしが殿の元に戻ればすぐです」

「わかり申した、では……」



 目前に迫った死刑宣告を聞かされた高虎の顔は、雪とまったく同じになっていた。


「あら、もう手遅れですか」

「もういい、その際は不如意ゆえと断る。逃げるのは卑怯でもあるまい」

「まあそれがあなたの持ち味ですけどね」

「しつこく迫って来れば迫った方が損をする、そうだろう?」

「ええそうです。ああ言っておきますが私は助けられませんよ?あと本多殿も」

「わかっている……」


 正信は正月祝いが終わってほどなくして金ヶ崎城へ入り、藤堂家の事情の報告と堺への取引作業を進めている。徳川家との約束があるのであくまでも藤堂家の家臣扱いだが、それでもこの場にいるのといないのでは大きく違う。長徳や直基はおそらく論外だろう。


 こうなったら自分なりに開き直るしかない。そう心に決めながら、改めて出立の準備を整える事にした。







 果たしてわずか四日後、本当に明智光秀はやって来たのである。


「明智十兵衛でございます、若狭守殿」

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