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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第七章 兎大友皇子
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上杉謙信、三国同盟を組む

 本多正信が大倉見ではしゃいでいた頃、春日山城の上杉謙信はおよそ一年半ぶりに酒を口にしながら鋭い眼光を放っていた。



「お館様、本日は正月です。その上にお館様の大好きなお酒を召し上がっておいでなのですから少しはお笑いに」

「与六、わしとしては笑っているつもりなのだぞ」



 樋口与六と言う景勝の小姓に酒を注がせながら、中身をどんどん空にして行く。重臣たちがやはり謙信はこうでなくてとは感心した表情で眺める一方で、遠くからひとりだけ不安に包まれた顔をして謙信を眺めている男がいた。




「それで……」

「おお景恒か、武田との和を象る存在よ。わし自ら佳酒を授けよう」


 朝倉景恒が震えながら手を上げようとすると、謙信は口元を緩ませながら景恒を手招いた。半年前と同じ事をまたやろうとしている謙信にあらためて本気を感じた群臣が道を開ける中、景恒はゆっくりと謙信に歩み寄り、謙信が口を付けた杯の中身を一挙に飲み干した。


「これがお館様の本気と言う物だろう。朝倉殿、雪辱の時はまもなくですぞ!」

「その通りだ。今年はいよいよ、あの不埒者どもを討つ時だ……」



 謙信の言葉が、春日山城に響く。全てはこの時のために、この一年半を過ごして来た。後は雪解けと、その上での農作業を待つのみ。



 そのために、何百単位のわら人形を据え物切りにして来たのが天正二年の謙信だった。





「しかし上杉様はどこまでわかっておいでなのか、実に恐ろしゅうございますな」

「お館様は軍神よ」


 この宴席の後、上杉の重臣・斉藤朝信は景恒の肩を叩きながら笑った。


 一乗谷から加賀に逃げ込んで一年間、さらに北飛騨から信濃に入り込んで三年あまり過ごし、そして此度上杉・北条・武田の三国同盟結成にあたり上杉家へ仕官する事になって半年あまり、景恒にとって越前はどんどん遠い国になって行く。


「お館様もその事について嘆いておられた。だがそれと同時にますますやる気にもなられたようだ。単身で勝てぬのならば、とお覚悟もお決めになられた。お館様の軍勢は百戦百勝の軍勢よ、気にする事はない」

「それでも、駄目なのですか」

「お館様はな、まだ浅井にはかすかに期待しておられるのだ。何が善であり何が悪であるかわかる程度にはな」

「無駄だと申し上げたはずなのですが」

「万が一と言うのもあるからな。期待しないでいれば逆に嬉しいだろう」



(確かにその通りだ。だがこれでは、越前に再び朝倉の旗を立てるのにどれだけかかるのか……)



 朝信の物言いは全くの正論ではある。だがその上杉謙信が越前ではなくどこへ向かうのか、景恒はとっくに知っていた。




 そう、美濃である事を――――。




※※※※※※※※※




 天正二年の北陸の情勢は、上杉に取り実に不愉快だった。


 まさかこちらが武田や北条と接近している事を察された訳でもあるまいが、秋口に織田が丹羽長秀とか言う男を寄越して能登の畠山家を抑え込み、親上杉派の家臣はあっという間に全滅させられた。そして能登はそのまま実質浅井領と化しており、今では浅井家に近しい長一族が我が物顔に振る舞っている。

 当主の義春は乳飲み子であり、畠山家の当主候補も上杉家は確保していたからそれを理由に能登出兵できたはずだが、通り道の越中が問題だった。


 越中の守護である神保氏はかなり威が衰え上杉がその領国を侵食できていたが、西側は圧迫していた一向宗が三年前に実質消えた事もありある程度落ち着きを取り戻している。そしてその一向宗を吹き飛ばした浅井が接近していた事もあり、神保家は今や浅井寄りである。神保家を下手に潰そうとすればその時点で浅井との戦いになり、しかも南の飛騨から織田の援軍が出て来ないとは限らない。そして加賀は一向宗の支配が虎よりも猛だった事もあり浅井家に簡単になついており、おそらくは上杉になびかない。小田原城を攻めた時だって、謙信が引くや簡単に氏康は元の領国を取り戻している。そんな地域を攻められるはずもないのだ。




「徳川は既に駿河を蚕食している。このままでは織田と徳川に武田は破れ、その次は北条である旨を必死に兄上に説きました」

「景虎よ、実兄たちは優しかったか」

「ええ、少しばかり派手に振る舞いましたが」



 なればこそと生まれ故郷の小田原城へと入っていた景虎は氏政を必死に説いていたが、武田と組んでいた氏政は上杉の人間でもある景虎の言葉になかなか首を縦に振らなかった。

 元より北条にとって徳川はともかく織田は遠く浅井はまったく視野に入っていなかったため、謙信が浅井に悩まされていると聞いてもまるで相手にされなかったのである。


 そこで景虎は居候を決め込みながら連日連夜北条家初代の早雲の子である幻庵の元へと通い、必死に説得を試みた。その上で氏政の弟としてのそれから雑兵程度にまで待遇を落とさせ、四六時中小田原城内で雑兵たちと共に過ごした。

 その間に小田原の将兵にゆっくりと景虎の存在が認識され、その景虎の唱える浅井の脅威もまた改めて浸透して行った。


「幻庵様も兄上を説いてくれまして、ここにこうして約定を取り付けました」


 そして昨年神無月上旬、白くなりつつあった春日山に景虎は意気揚々と帰って来る事に成功したのである。




一.北条は再来年一杯、上杉やその庇護下にある大名を攻めることはしない。

二.北条は三者同盟挙兵の際には間違いなく兵を派遣する。

三.北条は挙兵の際の総大将を、不識庵(謙信)公である事を全面的に認める。

四.北条は上杉景虎を不識庵公の甥御(景勝)の弟と認める。だがあくまでも養子であることに変わりはなく、それ相応の扱いをする事を願う。

五.万が一武田と上杉との関係が悪化せし暁には、北条は旧来よりの好を重んじ武田方に付く。




 最終的に氏政はここまでの約定を景虎に持たせて帰し、それにより同盟を結んだ。上杉の面目を立てつつ挙兵の際に本気で協力する旨がある事を示し、さらに景虎を景勝の弟とする事により上杉家の円滑な家督相続さえもある意味後押ししている。

 無論景虎に「景勝の弟」なりの扱いをする事や武田との関係が破綻すればその時は牙を剥くぞと言う北条の主張は入っているが、いずれにせよ謙信にしてみれば百点満点に近い答えでありその機嫌をよくするには十分だった。







 そして景勝もまた、武田との仲を取り持つことに成功していた。


「ご当主様の弟君である仁科様自ら美濃への出兵を行われるとのこと、それもおよそ八千の兵を引き連れてと。武田は二年前の大量の戦死者による領国の荒廃や徳川の攻撃もあり昨年中は内政に専念していたようです。そのおかげである程度国は立ち直っておりますが何せ人が減っておりこれが限界であると幾度もおっしゃっておりました」

「仁科と言えば北信の領主ではないか、そんな人間を寄越すとは武田の次期当主はなかなかの将器だな」

「そのようですが、それ以上にまた別の存在の大きさもありました」

「別の存在?」

「真田昌幸殿です」



 今の武田は弱者であったから上杉は要求を呑ませやすかったとは言え、武田にしてみれば駿河さえもまともに守れなさそうな状況で美濃への出兵などできないのもまた事実だった。

 だから景勝自らの来訪にも最初勝頼は首を斜めに傾け続けたが、そのような勝頼の背中を押したのが武田四名臣最後の一人である高坂昌信であり、真田昌幸だった。


「真田昌幸とは」

「元信玄公の小姓で天竜川の戦で兄二人を失い、それにより真田家を継ぎました。信玄公の小姓と言う事でその才能は推して知るべしです」

「相当に知恵の回る人物だと言う事か」

「天竜川の時も彼が手綱を引き締めていれば信玄公討ち死にはなかったとか」


 その縁もあり勝頼は昌幸を頼っている。その沼田城主であり上杉や北条とも近かった存在の働きと高坂昌信の後ろ盾はかなり大きく、武田は武田なりにまとまっていたのだ。




「ああそれからご存知の通り北条は以前からの武田との関係もあり、現在進行形で伊豆から駿河に侵入している徳川勢に攻撃をかけているようで、徳川軍をよく凌いでいます」

「非常にありがたい働きだ。それで北条は」

「五千ほどを出すと」

 

 上杉はこの時越後に佐渡、上野と越中の一部を抑えおよそ百万石である。二万五千人まるまると言う訳には行かないにせよ、二万ぐらいは持って行ける。それで武田が七千、北条が五千となれば合計三万二千である。


「勝利と正義の美酒は近いやもしれぬな」

「そうですね。ですが義兄上はよく武田殿や真田に上杉がその気になればいくらでも領国を奪えるような道筋を通らせるなどと言う条件を飲ませたものです」

「ですが一つだけ、武田殿から条件を付けられました」

「何だと言うのだ」

「朝倉景恒と言う男を、この戦に参陣させるなと。どうしてもさせたいのであればお館様自らひも付きにして、何があっても軽挙妄動させる事なかれと」

「浅井への大義の存在として連れて行かぬわけには行くまい、わしの本隊に加えさせる」

「よろしいのですか。真田殿は」

「まあよかろう、それだけ武田も必死と言う事であろう。覚えておけ、死なんと戦えば生き、生きんと戦えば死するものぞ」


 嫌味とも取れなくない景虎の口ぶりだったが、謙信は依然としていい笑顔をして素直に首を縦に振っていた。確かに上杉が美濃に行くには信濃を通るしかないが、だとしても美濃への最短距離は文字通り街道であり、当然交通の要所である。それこそ家の中身を見せつけるような物であり、今後武田は上杉のみならず北条にも頭が上がらなくなる。

 それを飲み込んだ事を大義の力なのだとか景勝の働きはあっぱれだとか素直に喜ばない訳でもないが、同時に織田の恐ろしさとそれを滅ぼし切れない自分の不甲斐なさをも謙信は感じていた。


(景勝も景虎も、己が役目を見事果たして見せた。この戦で散ろうとも問題はなかろう。わしには最後までできないだろう正義のための戦い、そなたらならばやってくれるはずだ)

 

 上杉謙信、四十六歳。男盛りとも言えるが、同時に酒を浴びるほど飲むにはいささか年を取り過ぎているとも言える。出来れば足利将軍家に逆らう者をすべてなで斬りにし、正しき秩序の溢れる世の中になった時、日の本の民全てと酒を酌み交わしたい。それが謙信なりの野心だったが、もうそれをするには時間が足りない事もある程度自覚していた。

 なればせめて、彼らの首魁たる織田信長と、その信長が寵愛すると言う藤堂高虎だけでも取り除かねばならぬ。その思いが一年以上謙信に酒を断たせていた。それだけで上杉家は一体となり、早く謙信に酒を飲ませたいと願うようになっていた。それに伴ってかますます強くなって行く上杉家に、謙信はいたく感激していたのだ。



「最後に聞き忘れておったがやはり北条殿も武田殿も」

「はい、紛れもなく兎大友皇子であると」

「兄上もそうおっしゃっておりました」

「やはり、古の皇子様の無念を感じ取ったか……」





 大友皇子。

 壬申の乱にて、義父である天武天皇に敗死した天智天皇の愛子。親兄弟で争いを繰り返す戦国時代と同じ事が、九百年前に行われた際の犠牲者。無論これまでも政治闘争により数多の犠牲者が生まれていたとは言え、皇族同士の戦役による皇位争いとしてはおそらく歴史上最初の悲劇の犠牲者。

 そして兎と言えば、因幡の白兎に代表される国産み時代からの古代神話の象徴である。


「それで兎大友皇子と言いますが、美濃を攻めるか、春日山を出るか」

「美濃を攻める。弥生半ばに兵を興し、信濃へと入る。織田は警戒するだろうがそれでもたやすく破れよう。その勢いを持って岐阜城を落とし、織田と浅井を分断する」

「わかりました!」

「それでだ、翌年の正月まではわしは酒を控え続ける」

「すなわち、それから先はと言う事ですね!」

「ああ」



 ――――兎大友皇子、それは一色のみならず上杉と北条に武田、全てをつなぐ言葉になっていた。

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