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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第七章 兎大友皇子
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藤堂高虎、娘をも儲ける

 天正三(1575)年、一月一日。




 若狭の大倉見城は正月騒ぎに浮かれていた。




「千福丸様も若菜姫様もずいぶんとお元気で」

「まだ私の顔などわからぬようだがな」


 高虎以下、重臣たちから雑兵に至るまで皆が新たな年に浮かれ上がり、酒色にふけり歌い踊っている。

 そしてその規模は、昨年より数段大きかった。



 昨年の秋、この大倉見城に入城した藤堂高虎に、千福丸に続き側室のお桂から娘が生まれ、若狭の国で生まれた事から若菜と言う名が付けられた。


 当主の後継者が誕生してから初の正月にみんな浮かれ上がっていたのだ。



「……素晴らしいですね、実に素晴らしい」

「ああ、本当に立派な妻だ、私よりずっとな!」

「まったく、そんなにしんみりせずとも!ささ、もっと行きましょう!」


 普段は背の曲がった本多正信だが、酒を飲む時は背筋が伸びる。普段は一文単位で財政を守る頼れる家宰らしからぬ飲みっぷりは、長徳や直基と言った高虎の重臣をも圧倒していた。




 男には、産みの苦しみはわからない。無責任に種をまくのがせいぜいである。実際、四葩の腹が大きくなってもなお、高虎は側室との子作りをしていた。

 四葩がやれと言っているからだが、だとしても心地の良い物ではない。その結果若菜を得られたのも事実だが、どうにも申し訳なさが先に立つ。


(城主、と言うか当主だなんて大変だと思いきや存外退屈だな。仕事はほとんど丸投げ状態だしな、本多正信と言うのもまったくとんでもない人物だ)



 目の前で酒を呷る男を見ながら、高虎はさしたる苦労も味わわなかった今までを振り返っていた。



 一年前この大倉見城を与えられたことをきっかけに虎高は隠居して高虎に藤堂家の家督を譲り、自分は金ヶ崎に残って母と暮らしている。



 そんな中、若狭と言うまったく未知の地で、今までただ長政に付いて行くだけだった行政と言う存在に、高虎はいよいよ向き合わなければならなくなった。それだけでも戦々恐々であり、内心では足がすくんでいた。


 だからこそ比較的平野が多く海にもほど近いというもっともらしい理屈をつけてこの大倉見城を求めたが、本当の事を言えばいつでも越前に逃げられるようにしたかっただけだ。



 だと言うのに、高虎が事実上行政を丸投げした本多正信はあっという間に若狭の領国の実情を把握し、半年足らずでその領内を把握して見せた。無論その大半は藤堂家領ではなく浅井家の直轄領だが、いずれにせよ藤堂家のためにも浅井家のためにも大きな成果である事に変わりはない。


(だからこそ備前守様からのご命令にもすっと対応できたのだがな)


 この一年間で一万四千石だった領国はまたさらに一万八千石に膨らみ、七千石に加増された景鏡と合わせれば二万五千石となった。この加増に対して家中に文句を唱える者は誰もいないが、だとしてもいちいち急な出世だ。


「若狭の次は丹後、自然な流れですからな」

「やめてくれ、さすがに浮かれ上がり過ぎだと言われたではないか」

「何もかもうまい話はございませんな」


 正信が口の締まりをなくしながら言ったように、昨年浅井家は若狭に続き丹後も領国に収めた。


 その戦いの先鋒は言うまでもなく高虎であり、その結果加増されたのだからまったく正しい話ではある。

 だがこの浅井の独断での領土拡張に対し信長が待ったをかけ、丹羽長秀率いる織田勢六千を金ヶ崎へと派遣して来た。その長秀の請願と言う名の実質強談判により浅井の西への領土拡張は丹後で止められ、その代わりのように丹羽軍と磯野員昌軍の力により能登は浅井領となった。


 そして但馬も播磨も、今年中に織田軍が攻め込む事になっている。



「援軍として但馬に行く事になるかもしれんがな」

「また戦ですか、まあ田中様共々やってやらなきゃいけないのかもしれませんけどね。なあ直基」

「そう言えば愛王様は未だに夜尿癖が」

「何を言っているんだよおい!」

「おやおや、真柄殿には酒は禁忌のようでしたな。誰か、真柄殿を寝所へお連れせよ」


 いきなり訳の分からない事を言い出しながら倒れ込んだ直基を、正信が笑いながら回収させた。そしてその上でさらに酒を飲み、また笑った。千五百石と二千石を取る藤堂家の重臣たちのこの共演は、集まった市民たちの顔を和ませた。










「新年だと言うのに茶を飲むのですか」

「酒より高いのだ。当主たる物多少の贅沢はしても良かろう」

「まだ千福丸には早いかもしれませぬがね」

「戦も控えた方が良いだろうな」


 やがて正月の宴がひと段落つくや、高虎は四葩と共に茶を飲んだ。小雪のちらつく中に立つ湯気は美しく立ち上り、窓から漏れ出して雪を少しだけ雨に変えていた。


 若狭は越前よりはましだが、やはり冬になれば雪が積もる地帯である。正月は雪に埋もれ、皆熱い物をすすって体を温める。雪が溶け次第耕作を始め、戦はその後になる。もっとも浅井家の場合兵農分離がある程度進んでいるため、藤堂家直属で八百の兵を常備軍として用意できている。

 だとしても、二年連続の出兵はいろいろまずい。単純に民が戦死して減少したり負傷したりするし、戦に取られている間他の事は出来なくなる。夏場は草取りや害虫駆除もできないし、冬の間の手工業は出来なくなる。その分だけ産業がやせ細り、国もやせ細る。加賀などはまさしくそれをやられていたせいで石高相応の米がまるで獲れず、磯野員昌がひどく苦労していた。


「あとでお桂とも茶を飲みたい。せっかくの正月だからな」

「よろしゅうございましょう。千福丸や若菜などと言わずもう少しいても一向に構いませぬから。なんなら私めも、ああ胸が苦しゅうございます」

「ずいぶん張ったな……しばらくは千福丸に集中しても良かろうに」

「私が構うのです」

「お前も相当だな、妹たちが戸惑っているのではないか」

「私は彼女たちの姉です、彼女たちが生まれた時からずっと一緒なのです。妹たちには妹たちの道がございます。まあそれまでは決して死なぬように守っていただければ幸いでございますが、いずれは離れる身です」



 四葩は千福丸を産んでからも実に元気で、さらに千福丸に乳を飲ませるためか胸も膨らんでおり、それに乗ずるかのように体全体がふくよかになって来た。二年前まで生娘だったはずなのに妻になり、母になっている。その上にさらに二児の母になってやろうなどあまりにも強欲ではないだろうかと言う野暮な疑問を吹き飛ばす程度には母親となった四葩は余裕があり、その上でお桂にも優しく接している。

 それが若菜の育児と第二子以下の出産と言う側室としての最大の意義を果たさせるのが目的である事はわかっているが、また一段と大きくなったように思えて来る。


「妹が作ってくれた雪うさぎは実に可愛らしい、こういうことをしているのがまだお似合いではないか」

「末妹はともかくすぐ下の妹は十四歳です。私が十四で嫁に行ったのですからそろそろ本格的にいずれにするか考えるべきかと」

「母上が花嫁修業をしてくれればいいのだが、まあそんな事を言っても詮無いが」

「なればこそ武田様より女中をもらい受けたのではないですか。私がまだ教えられる腕でないのが悔しいですが」


 四葩の下の三人の妹の内すぐ下の妹は、既に阿閉・磯野・赤尾のいずれかとの縁組をする方向で進んでいる。だがまだ細かい部分については詰める必要があり、藤堂家の娘としてそのまま嫁がせるのかあるいはいったん長政の養女にしてその上で嫁がせるのかなどまだまだこれからなのもまた事実だった。


「そなたは千福丸を見ておれ」

「私にとっては千福丸も子ですが、妹たちも子どもも同然です。それを守る事こそ私の役目です」

「妹たちとて同じ人だぞ。せいぜいそれぞれの生涯を見守ってやれ」

「わかっておりますが、その上でなお心配なのです」

「先ほどいずれ離れる身だと」

「男は自分を勝手だと言いますがね、女だって勝手です。千福丸にはあなたやお館様のように立派な武士になってもらいたいと思うと共に、戦場に巻き込みたくないと思ってもおります」


 どんなに離れようが、どんなに年を取ろうが母親は母親である。金ヶ崎城を出る時には虎高より母の方が長く手を振り、その上に厳しい事があればいつでも書状を出して来いと言い出したのも虎高ではなく母である。


「それでだ、愛王もいずれは元服させるつもりだがな、その後はどうするか」

「姉としてはどこか遠くで平穏に過ごしてもらいたいですがね、まだあの二人がいる限り平穏は来ないかもしれませんね」


 男に出来るのはその嫁き先を考えてやる事だけだと思いながら四葩のただ一人の男兄弟である愛王の事を口に出すと、四葩は相変わらずの口調のまま毒を含ませた。


「あなたと言う立派な朝倉家当主がいるのに、まだ六つの幼子を立てようなど。それなら看板の方が数段ましです」

「立派だけ余計だ」

「私と婚姻してから千石を実質二万五千石にしたお方が立派ではないと?この調子で行けばさらに五年後には六十二万石ですよ」


 いつものように不意打ちでぶつけて来る冗談か本気かわからないこの四葩の物言いは、高虎への愛情とと共にあの景紀親子への憎しみも含まれていた。




 朝倉景紀と景恒は、依然として野放しである。どうやら二人は加賀で別れ、信濃と丹後へと逃げ込んだらしいことまではわかっている。だがその先はわからず、毛利なり武田なりが抱え込んでいるのかもしれない。



「私があなたを好きな理由の一つは、あなたがいざとなれば平気で逃げられる人間だと言う事です。だからこそこうして生きていられるのでしょう」

「まあな」

「逃げるのもまた勇気が要ります。その点あの親子はどこまでも臆病者であり、卑怯者です」

「しかし男には立場と言うのがある。あまりあの親子を貶めると織田様の沽券にもかかわって来るからな」

「山中殿の事ですか、私はあのお方も好きません。ですから織田様のやり方には感心しております」


 景紀も景恒も朝倉家再興とか銘打って、自分たちを連れ出した。その大義に酔い続け、肝心要の自分たちの事はかけらも考えていない。愛王に景昭などと言う名前を与えて高虎たちの前に突き出した信虎の姿はまったく醜悪であり、その上で他家の将兵を用いるなど命の無駄遣いであった。

 おそらくそこにいたら同じことをしていたと思っていた四葩は野垂れ死にしろとまでは思っていないが、逃げ込んだ先の家で適当に仕官してそのまま死んでくれればいいのにとは思っていた。


「やっぱりそなたは強いな」

「ただの揚げ足取りを真に受けないでください。個人的な好き嫌いを戦に持ち込んでは勝てる物も勝てなくなります」

「難しいものだな」



 高虎は逃げるように茶を飲み干し、器をゆっくりと畳に置いた。土器の茶碗から鉄瓶のように重い音が立ち、正月の空に響き渡った。

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