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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第七章 兎大友皇子
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藤堂高虎、若狭守になる

 結局この場での洗礼は見送りと言う事になったが、それでも高虎の義妹たちは来訪者を喜び、起き残された写本の聖書を読んでいた。




「ずいぶんお気に召されたようですね」

「そなたは興味ないのか」

「殿だってそうでしょう、本多殿は正直好かぬようですし」

「まあそうだな、結局四葩の芸術的な毒見ぶりを見せられただけだからな。そなたできるか」

「わかりませんね、多分当たって砕けるか飲まれるかのどちらかでしょうけど」




 本丸で高虎は、若狭武田家が寄越して来た扇子で自分の頭を叩いた。



 あれはある種の毒見だったのだ、高虎は四葩のあの挙動に付いてそう考える事にした。高虎にとって加賀一向宗の醜さはただ好都合な失態でしかなく、だからこそ越前や加賀を手に出来たのだからむしろ感謝しているぐらいだった。


 しかし四葩に取っては羊頭狗肉とか言う言葉で片付けられないほど醜い存在であり、自分たちをまるで顧みないどころか本来守るべき存在である百姓をこき使って自らの富を貪るような輩だった。

 だからこそ妹たちはまた別の神である耶蘇教に期待している、もしそれが駄目ならば妹たちはいよいよ精神の平衡を失うのではないかと言う危惧を持ち、真っ正面から向き合ってその存在を確かめに行ったと言う訳だ。



「しかしこうも仏教、いや一向宗が荒廃しているとなると義妹たちのような話は増えるだろう」

「本多殿がおっしゃられるには、本願寺はずいぶん耶蘇教を気にしているようで。最近では本願寺自ら耶蘇教を研究しておられるようで」

「仏教の頂点と言うべき存在がそれとは、相当やる気らしいな」

「おととし一敗地に塗れて以来、よほど応えたんですかね。どうやら顕如殿はぜんぜん関わってなかったって評判ですけど」

「織田様の援軍が到着する前に松永軍が本願寺勢を圧倒した、それで過激派と云うか急進派は本格的に一掃されたらしいな」

「仏敵である松永久秀って人間の名前はこの若狭でも知られてますけどね、とんでもない人だって」

「その戦振りを見る限り衰えなどあるまい。しかしもう七十に近い、もはやそれほど長くは生きられないだろう。とは言えそれを気にするお方とも思えまいがな」

「おととしの小谷城の事ですが、あれもまた参加した坊主のほとんどが教如と言う顕如の息子寄りの僧だったようでして。かなり若い僧兵が多かったですね、血の気の多い若い僧兵が」

「まあ後方から味方によって踏み潰されたがな」



 扇子でもう一度頭を叩きながら、長徳に苦笑いを投げかけた。


 信長は将軍を放逐したし、寺も焼いた。だが久秀は将軍を殺し、大仏を焼いた。過激さと言う事で言えば信長以上である。その上で今は織田の配下になっているとは言え本来筒井家の物であるはずの大和一国を立派に治め、あるいはこのまま勝ち逃げと言う形でこの世を去るのかもしれない。

 確かに腹立たしいかもしれない。しかしその後、地獄へ落ちないはずはない。それだけで十分に溜飲が下がるはずだ。

 もちろん大和と言う織田領と化した地を手に入れると言うのもあるが、どこか本願寺の判断は拙速で唐突にも思えた。仏敵であるはずなのだからいつ兵を興しても大義名分は十分にあったし、信長についても同じ理屈が効いたはずだ。


 しかし顕如は、まったく積極的に動いていない。越前や加賀にて大量の僧を殺し天魔の子と呼ばれた人間がこれほどまでの富貴を得ていると言うのに、未だに高虎は仏敵扱いされていない。公表していないだけかもしれないが、だとしてもそれをする事に何のためらいがあるのか今一つ高虎には理解しかねた。


「今の織田を崩す事はできるのか」

「できないでしょ、浅井と徳川が裏切り、その上に本願寺や毛利や上杉がいっぺんに攻撃をかけなきゃ」

「浅井と徳川はともかく、一斉攻撃は可能性がある。その場合織田様は」

「毛利ってのはどの程度の相手なんですかね」

「相当に強い事は間違いないだろうな。それに上様がいるからな」

「本願寺を動かせないお方がですか」



 足利義昭は丹後を通り、毛利領に入っていた。一応毛利領で亡命政権を作っている事は間違いないはずだが、盛んに出しているはずの織田討伐令が実効性を持ったと言う話を高虎は一度も聞いていない。本願寺と言う反織田の中心勢力の存在をしてこの有様である以上、毛利とて動きにくいのだろう。







「しかしな、いよいよ五日後だな」

「登城は明後日ですぞ」

「やれやれ、また四葩頼みか……。ああその際に本願寺の動きが全く乏しい事も伝えておかなくてはな」


 その毛利に圧力をかける事になるかはわからないが、宣教師が去るのと同じ日にはこの大倉見城を出て金ヶ崎城へ向かわねばならない。




 いつも経済的と言うより安物の小袖を着て羽織袴すらまともに身に纏わないような存在が、事もあろうに衣冠束帯をせねばならなくなったのだ。たかが土豪の高虎に、衣冠束帯の経験などあろうはずもない。正信とて元鷹匠であり、直基も長徳も身分は知れている。



「一応、城内では侍女の皆様がきちんと整えてくれるとは思いますが」

「私はまったく着せ替え人形だな」

「ご自分一人でも着用できるようになっていただかねば困るのですがね。しかも二度目ですよ」

「そうだな……」



 大名の娘である四葩から烏帽子の正式な被り方や着付けまで教えてもらってはいるが、着るだけで肩が凝る。これでじっと構え続けているのは、戦場よりも難しいかもしれない。



「まあ戦場に立つ時の気持ちでいればよろしゅうございましょう、似たような物でございますから」

「確かにそうだな。にしても、貴族と言うのはやはり強い物だな」

「あなたは何でも強い強いと」

「相手は強いと思って臨んだ方が楽だしな」

「此度もですか」

「ああそうだ、強いと思ってやっぱり強かった」

「戦場ではこの上なく強いのに、本当に家の中の事は私と本多様がいないと何もできないのですから」


 反論しろと思っているのかいないのかわからないような顔をして高虎の服を仕込んだ四葩は鏡を突き付け、それでまったく不似合いな自分の姿を見せられて笑うしかなくなってしまった。


「これでずっと座っているのかと思うとな」

「まあまだあなたには年と言う免罪符がありますから、頑張ってくださいね」

「やってみせようではないか、そなたのためにもな!ああとにかく、一旦しまってくれ」


 一応鼻息を荒くしては見たが、自分でさえだから何と言う気分しかして来なかった。










「与右衛門、いや若狭守」

「久兵衛殿、まだ上総介でいいだろう」

「この雪の中お互い大変だな」

「一生に一度だからな。この後はそれこそ単独でとなるかもしれないが、今回は特別だから、まあそのつもりで行こう。にしても着付けは難しい物だな」

「着付けをしてくれるだけありがたいと思わなければな。俺の妻はそういう事には疎くて、一応年かさの侍女が教えてくれたがまるで自信がないよ」


 四葩から逃げるように大倉見城を出て金ヶ崎に向かう道中で田中久兵衛と合流し、慣れぬ舞台に不安を感じながら愚痴り合った。


 数年前まで小袖が正装だった足軽が、今や衣冠束帯を身に纏う。そんな時代の最先端を行っているはずの成り上がりのお上りさんが、傷をなめ合いながら金ヶ崎城に入ると、すでに長政のみならず浅井の重臣がずらりと並んでいた。


「遅くなって申し訳ございません!」

「気にするな、まだ二日ある。それまで改めて着付けの用意をせねばならぬからな」




 あわてて叩頭した二人に向かって温かい言葉が投げ付けられ、それから二日間、長政たち浅井の重臣は着慣れぬ衣冠束帯の着付けに四苦八苦した。


「しかしお前は本当にうまいな」

「四葩には勝てない、いや勝たねばならんからな」

「実に様になっているな!」


 それでも四葩の指導である程度こなせていた高虎であったが、その頭にいきなり棒が落ちて来た。



「阿閉様!」

「ずいぶんと偉くなりおって、わしは旧主として淋しかったのだぞ!その点久兵衛はわしの元を離れてからもあいさつを欠かさず」

「平身低頭するより他ございませぬ」

「なればお主の娘をわしの子と」

「それはその、まだお話が早いかと」

「言うだけならばただだからな」


 烏帽子を直しながら貞征に向かって平謝りしようとしたが、貞征の目は全く笑っていなかった。淋しさなどと言う感情ではなく、どちらかと言うと敵意。

 生意気な小僧に対する敵意を感じ、急に背筋が寒くなった。


「これからは前ばかり見ている訳にはいかんぞ」

「ああ、そうだな……久兵衛、頼むぞ本当。都合の良い男で済まないが」

「ああ、こっちだって自分の事しか考えてなかったからな、お互い様だ」


 着慣れぬ衣冠束帯のまま両手を組み、二人は深く頭を下げた。







 そして二日後、自分たちよりずっとその一張羅の衣冠束帯が似合う姿の人間が金ヶ崎城にやって来た。




「皆々様、誠に武勇名高きお方ばかり!その働き、主上は大変お喜びである!よってその功績により、官位を与えることといたす!」




 使者に仕える侍、高虎よりずっと細身のそれの口上は普段の高虎の喋る速度の半分以下の速度であり、天皇に対する緊張以上にその侍の口上に対するおかしさが先に立ってしまった。



「ああそうか、武家は速きを貴ぶ物であったな。では早速始めよう」



 その高虎の様子に気付いた訳でもあるまいが、普段からそういう口上に慣れていたはずの使者がずいぶんと早口—―ただし高虎らからしてみれば通常の速度であるが――で口上を読み始め、そのままゆっくりと書状を開いた。







「まずは浅井殿。貴殿の祖先は飛鳥朝廷が重臣物部守屋にさかのぼり……」


 長政さえもまともに意識していなかった先祖の名が出され、その功績うんぬんが述べられて行く。



「浅井新九郎長政、そなたに越前守の役職と従四位上の官位を与える!」

「恐悦至極に存じます」



 そして最後に長政に頭を大きく下げさせ、書状を渡す。


 浅井長政は物部氏の末裔として、越前守の役職と従四位上の官位が与えられる事になった。










 その後も同じ事が四度続き、六人目に呼ばれたのが高虎だった。



「さて、藤堂殿」

「はっ!」



 高虎は一歩ずつゆっくりと着実に歩き、勅使の元へと近づく。戦場にて突っ込むか逃げるしか知らない自分を戒めるかのようにゆっくりと歩み、長政の事を思い浮かべながら頭を深く下げた。



「藤堂与右衛門高虎、そなたは大和の中原氏の血を引き……」


 そこから聞いた事もない先祖の名前が読み上げられていく。大した感慨も持たないまま口上が終わるのをじっと待ち、そしてその終わりを見極めるや顔を上げて見せた。


(まったく、戦場であれば一番手柄かもな)



「そなたに従五位下の官位と若狭守の称号を授ける」


 ちょうどぴったり顔を上げ、そして目の前に差し出された書状を受け取った。




 中原氏の末裔として、高虎は正式に従五位下・若狭守となったのである。




 他に浅井家では加賀で十五万石を取る磯野員昌が加賀守、今浜六万石の赤尾清綱が近江守と呼ばれるようになった。

 また越前で十万石の阿閉貞征には従四位下左衛門督、佐和山四万石の海北綱親、丹後で一万石の田中吉政、長政の側近である遠藤直経にも五位相当の官職が与えられた。







(同じ官位でも自称と公認ではまるで違うからな……これからは朝廷に、と言ってもやる事が急に変わる訳でもないがな……)


 長政の備前守だって、信長や自分の上総介だって、元々は自称である。

 本名をうかつに名乗れない以上、みんなして官位の自称などやっていたし恥ずべき事ではないと思っていた。だがこうなってみると、自分が特別になった気がする。


「おい若狭守」

「ああこれは阿閉様」

「阿閉殿で良いわ、あまり嫁にばかり頼るなよ」

「はい……」


 四葩に驕りを正してもらおうと思おうとした高虎を、再び貞征は扇子で叩いた。高虎の額から戒めの音が鳴り、衣冠束帯の重みが増した。

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