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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第七章 兎大友皇子
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藤堂高虎、宣教師と会う

 天正二年十一月十日、どんなに北陸であろうとも若狭が加賀や越中とは違う所だと言うのを雪の浅さによって感じ、また別の話題によって浮かれ早すぎる春を感じていた高虎の義妹たちを目当てに、数人の男がやって来た。



「火鉢と白湯を丁重にお渡ししろ」

「私も行きます」

「山﨑殿ははっきりとご覧になっていたのでしょう、その南蛮人とやらの事を」

「まあな、私は見ていなかったが」

「私も見たいのです」

「あくまでも客としてだぞ!」



 高虎はその雪道を通って来た客を迎えるに当たり必要な物を用意させると、義妹たちに会いに行く四葩に付き従って城の中を歩いた。


 言葉は通ずるのか、本当に肌の色が違うのかだの、一体何を食べているのかだの、四葩はこんな時に限って十六歳の少女らしくギリギリ失礼にならない速度で廊下を歩いている。



「言っておくが、これは織田様からの配慮だ。昨年の事を覚えていよう」

「ああ若菜が生まれた頃ですか」

「そうだ、ずいぶんと遅れてしまったがな。妹たちもずいぶんと義兄っ子になってしまったからな」







 一年半前に信長に会った際に、高虎が求めた物。



 それは、聖書と呼ばれている耶蘇教の経典だった。



 あれほど坊主を殺しまくったとは言え、高虎自身は仏の教えを軽んじている訳ではない。一向宗だから駄目とか言う訳でもなく、それが自然に染み付いていた。


 しかし、四葩と妹たち、そして愛王は違う。それこそずっと仏教の最も醜い所を見せられ続け、それ以上に狂信的な仏教徒と戦い続けて来た朝倉家の人間だった。

 宗派が違うと言う程度の理由で今後どれほどその教えになじめるか否か、非常に疑問だった。無論その上で支えて行くのが義兄としての務めではあったが、また別の拠り所も考えねばならなかった。







 それが、耶蘇教だったのだ。


 四葩は元からかなり強い人間であったが、妹たちは良くも悪くもしょせんお姫様であり、仏に縋れない分だけ義兄や侍女、景鏡と言った人間たちに縋っていた。一人きりでも縋ろうとすれば縋れる神と言う存在は、どうしても必要だったのだ。



「そなたが言うように、さすがにいい加減義兄様義兄様では困るからな」

「そうですね、でも自立するために縋る物が必要とは」

「面白い話だな。だが」

「越前守様はそのようなこだわりを持たぬお方です。万が一の時はそれを教えた方に責任を取ってもらうまでですから」


 相変わらず大胆な事を言う四葩を先導しながら、高虎は義妹たちと合流し客間へと向かった。四葩より足取りの重い義妹たちを少しだけ訝しみ、すぐに四葩の足取りが軽すぎる事に気付いて軽く笑った。





「ずいぶんと背が高いなあ!」

「静かに。ようこそお越しくださいました」


 客間では二人の男性が座り、見慣れた姿をした男性が火鉢に手のひらをかざして暖を取り、一番下の義妹から嬌声を受けていた男性は静かに座っていた。



「貴殿は」

「それがしは耶蘇教徒で、高槻城城主の高山右近、洗礼名はジュストでございます」

「聞いてはいたが、城主様までもが」

「別に個人の自由と言う物ですから」

「どの程度こちらの言葉が分かりますか」

「一応、最低限の会話は出来ます。ですがやはりここはそれがしが主となって話したいと思います。どうかここはお任せください宣教師様」




 黒い外套をまとい、十字架と二冊の書を持った、まったく高虎たちと外見の違う男性。


 これが宣教師、いわゆる耶蘇教の坊主なのかとなるべく失礼にならないようにしながら高虎は座っていても背の高いその男性を観察した。




「ジュスト様や織田様と言う方から聞きました、そちらのお嬢様たちは寄る辺を失い道に惑っているとか」

「いえ寄る辺を全く失っている訳ではないのです、ですが今はこの家のみが寄る辺と言う状態で、いずれは他の家に嫁ぐ事が定められし身としてまた別に寄る辺を求めているのです」



 噓偽りを糊塗しても無駄どころか逆効果に過ぎない、割り切って対応すべきである、高虎は最初からそう決めていた。

 

 はるか遠く、名前も知らないような国から来た人間。この信仰を広めるためだけに来たような人間が敬虔な信者でない訳がない。かつてあまたの高僧が海を渡って来たように、その彼もまたそういう人物なのだろう。偽りがばれればすぐさま不信を買い、天罰と言う名の祟りを受けるのは目に見えている。今まで自分が殺めた僧の中に高徳の僧がいなかったとは思っていないが、だとしても誠実なる人間を欺けるほど高虎は豪胆でもなかった。



「それこそ、我々の役目です。ですが見た所、ご当主様はさほど神を求めていないようですね」

「目当ては私の三人の義妹ですから。あくまでも義妹と、その半ば保護者となっている妻の頼みです」

「耶蘇教の教えをどうか、お聞かせくださいませ」



 四葩は三つ指を付いて体を伏せ、妹たちに追従させた。

 それだけで自分たちの立場を理解した宣教師が四人の体を起こさせると、手元の十字架を鳴らして一冊の本を開いた。



「それがいわゆる聖書と呼ぶですが」

「そうです、今から読み上げます。ジュスト殿」

「わかりました。時々私が説明を入れますのでご清聴下さい」




 宣教師は聖書を手に取りながら、高虎と四葩、その妹たちに読んで聞かせた。右近が時々通訳を入れながら、これこれこういう事なのですと咀嚼して吐き出している。


 高虎はと言うと、あまり真摯に聞いている訳ではない。適当に聞きながら、四葩たちの方ばかり見ている。四葩は右手の指を折りながらじっと座り、義妹たちは話を聞いたり聞かなかったりしていた。


 その義妹たちの動きを見た宣教師は、彼女たちが面白そうに耳を傾けていた部分がいかなるものか突き止めたかのようにわかりやすい説話をいくつか持ち出し、義妹たちの耳を引き付けて行った。あまり真摯に聞いていなかった高虎さえも感心し、四葩だけは真顔のままだった。







「……さて、とりあえずはここまでです。後はこの国の言葉に訳された聖書をお読みになり、そして洗礼を受ける事によりゼウス様に認められます。何なら今すぐこの私が施してもよろしいのですが、何か伺いたい事はあるでしょうか」

「では……」



 半刻余りの説教が終わった所で宣教師の次に声を出したのは、四葩だった。高虎がえっと言う声を出すのも構う事なく、四葩はわずかに体を前に倒した。



「どうしても気になる事があるのです」

「何がでしょうか」

「耶蘇教では絶対神を拝まぬ者は地獄へ行くとおっしゃられたようですが、それではこの国の人間は全て地獄へ行っていると言う事になります。ご存知かと思いますがその点については」

「…知らぬ者は救われます。無知と言う罪をゼウス様はお許しになり、天国へと導いてくれます」

「しかし知らぬ者がすべて行くのでは天国はあふれ返るのではありませぬか」

「無論、その際に罪をお裁きになり行い正しき者のみが天国へと向かいます。いずれにせよ無知の罪はすべての人間にとって共通の罪であり、それを請け負うべくイエス、この国で言う耶蘇はこの世を去ったのです」

「そしてこの国には仏の教えとは別にあちらこちらに神がおります。神社と言うそれの存在を存じ上げているのでしょうか」

「それは無論です。ですがゼウス様にも妻があり子があり、言うまでもなく彼らもまた神です。絶対神と言っておりますが、それは仏教における御仏と言う存在のような物であるとお考えいただければ幸いかと」

「話が違います、神社に祀られている神は仏の教えとは関係ないのです。そのような信仰についてどう考えるのか伺いたいのです」



 四葩がまるでためらいなく口舌を動かす姿を見て笑顔のまま首を縦に振る右近を見ながら、高虎は自分の妻に感心しながらも脅えていた。


(決して猪突猛進している訳じゃない、これは立派かつ本気の論戦だ。私にはとてもできない、知識があってもとてもできない!)


 自分ならば突っ込んでも無駄だと思った時点でとっとと逃げている。勝てないからではなく、勝てる見込みがあったとしても損害が大きすぎるとわかれば平然と背を向けられるのは自分の個性であり強みであるとすら最近は思っている、と言うか四葩にそう言い聞かされている。


「おいあまり喰ってかかるな」

「いえ、私が求めたのです。それにしても日本と言う国では女性は強く、それでいて頭もよく回るのですね。そしてその上で、あくまでも家族の事を考えていらっしゃる。ああそれであなたの言う市井の神ですが、我々の教えではそれらは既にゼウス様やその親族の選別を受け、選ばれた物が神となっています。つまり、民にご利益をもたらす物を神とし、そうでない物を悪魔と呼びます」

「ああそうですか、わかりました。それで四葩。そなた万が一」

「いえ、いささか退屈しておりました故」


 だからこそ退却を進めた高虎に対し退屈していたと言ってのける四葩に高虎と右近は同時にお互いの顔を見やり、笑いをかみ殺したような顔になったのを確認して渋面を無理やり作った。

 退屈しのぎで遠い国から来た宣教師に論戦を吹っ掛け、そして互角以上に渡り合う女性がどこにいるのか、日本は無論この宣教師の地元にもめったにいないであろう。


「このような妻で申し訳ございません」

「いえ、先ほども申し上げたように家族のために自らその存在を確かめに行こうなど、かなり見事な女性です。ここまで来た甲斐がありました」

「ですからそういう意味で、妻をこの国の女性の代表と思わないでいただきたいと述べているのです」

「そして旦那様も実に妻思いですな。まあ、あくまでも私の役目は導く事、その導きを受けるも受けぬも、あなた様次第です」

「若狭守殿、あなたもずいぶんと面白いお方ですな。無論、奥方様もですが」

「これは高山殿……」

「ゼウス様の求めるのは皆が笑い合う楽園、でしょう?」




 宗教の利益が何なのか、それについて高虎が考えた事はない。


 だが一応信じない不利益として来世で地獄へ落ち責め苦を受けると言うのがある事は知っているし確かに非常に重いそれだが、利益がそれがないと言うだけなのは今一つ弱い。


(これだけでも利益と言う物だな、なるほどこれは腐敗していた坊主たちにはかなり重たい打撃になるぞ)


 豊作だの健康だの長寿だのと言った不幸になる人間が出ないような願い事を叶えてくれるのならばいくらでもお願いしたい気持ちはあるが、最近の僧には自分たちも、いや自分たちだけがその役得を独り占めしたいと言う気持ちがにじみ出ていた。なればこそ信長はそういう僧を正すために比叡山を焼き、自分はそういう僧を越前や加賀でなで斬りにした。


 しかしそれによって幸福になる人間は出たのだろうか。功績を上げ出世したとしてもそれは一代限りであり、その功績によりいずれは押し潰されるかもしれない。




 しかしこの宣教師と高山右近は、少なくとも誰一人損をしないでこの場にいる人間全員を笑わせている。

 それだけでも意味はあったと言える。



「それでこの城には幾日か」

「彼女たちのためにも三日ほど滞在いたします。ジュスト殿」

「本願寺の攻撃もまるでありませぬゆえ、この地にてしばし世話になりましょう」



 そして本願寺が一年前の敗戦以降、まったく動かずおとなしくしていると言う情報もまた別の意味で素晴らしいそれであり、高虎の機嫌を良くさせた。

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