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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第六章 本願寺の落日
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松永久秀、未だ生き続ける

「雑賀衆とて仏門の徒。なればこそ耶蘇教の伸長や私がこうして息を吸っている事に不満が溜まっていよう……だが、雑賀孫市という男、侮りがたいな……」


 久秀は河内から大和への国境へと逃げながら、笑っていた。





 織田が援軍を実際に寄越すかどうかはともかく、いざという時に備え後方に残ると言う判断を速攻で下せるなど孫市はなかなか侮れない人物である。



 だが、教如と下間頼廉はどうだろうか。

 自分と言う最悪の存在を破壊すれば全てがうまく行くのだと言わんばかりの調子で、まるで前後を顧みることなく進んで来る。



(確かに私は大罪人だ。だがその大罪人一人を殺した所で次はどうなる?比叡山を焼き討ちした当主の断罪ができる訳でもないと言うのに浮かれ上がり過ぎだぞ)



 織田信長にその家臣、そして浅井長政に藤堂高虎。まだまだ「仏敵」と呼ぶに値する人間は山といる。自分を殺した所で文句を言う人間はほとんどいないだろうが、だとしてもそれが仮にも大和と言う国を実効支配している以上、それを殺すために一体何人の人間を殺せば良いのだろうか。



「さてと……この陣も今夜一晩眠ったら撤収する。ほどほどに戦った上でな」

「よろしいのでしょうか」

「左近……何か不服でもあるのか」

「雑賀衆が気になります。失礼ながら」

「左近よ、雑賀衆は織田を恐れて動けん。あくまでも敵は本願寺だ。将を見れば軍が分かる。敵将は孫市ではない。あの小沙弥と猪坊主だ」


 島左近の意見を、久秀は笑い飛ばした。教如と頼廉がいる限り、その二人によって軍は動く。自分でさえ二年近く手を出せなかったような軍勢なのだからその二人でなくとも前に進む事以外許さぬとばかりに同じ事をしたかもしれないが、だとしてもあまりにも拙劣だ。


「敵を侮る事は愚だという気持ちはわかる。だが顕如があそこまで派手に渋っている以上、雑兵の単位ですらその気満々だろう」

「おっしゃる意味がわかりかねますが」

「教如はやる気のある所をこの戦に全部持ち込んだのだよ。あるいは顕如が厄介払いしたのかもしれんがな、小谷城に続いて」

「小谷城もまたう、いやあ厄介払いの地であったと」

「はっきり言えば良い、姥捨て山だとな」




 ずいぶんな物言いだが、本質はその通りであると久秀は確信していた。



 小谷城に入るとか言った所で、孤立無援の地で一体どれだけ戦えるのか当てがあった訳でもない。浅井の内乱待ちと言うまったく人頼みの状況で戦を仕掛けても、とてもうまく行くはずもない。結果としてその五千人はまったく無駄死にとなり、文字通り姥捨て山に捨てられた格好になった。



「それでもなお懲りない連中がこうしてやって来ているのだ。それを止めれば臆病者、下手すれば背徳者だ」

「……」

「押し黙ってしまう事もあるまい。雑賀衆は今頃置き捨てられている。あるいは手柄を横取りする気かと言われているかもな」

「それでは」

「さあ、早速準備を整えよ、また逃げるためにせいぜいゆっくりしておこうではないか」


 左近の不安を適当にかわしながら、逃げるために張っておいた陣で久秀は眠りに就いた。










 こんな事を二晩繰り返し、城へと逃げ込んでさらに一晩寝た久秀は、城内での二晩目にて笑いながら敵陣を見下ろしていた。




(天罰の二文字などこの私には通じん。そしてそれに付き従っている連中も、この松永久秀を付き従えている人間にもな。それを取っ払えばただの坊主に過ぎん。それが浮かれ上がってどうなるか、わからぬ訳でもあるまい……)


 ほんのわずかだけ哀れみを持ちながら、たっぷり一晩休養させた兵士たちに向かって酒をふるまう。


「この一杯を空けたら一挙加勢に攻め落とす。私が先鋒軍を率いてな」


 久秀はその言葉通りに兵たちに酒を飲み干させると、その言葉通りに自ら先陣を率いて門を開けた。




 酒には酔っていないが勝利の快感に酔っていた教如と頼廉、昼間から久秀の首を差し出せば助けるとか勝者気分に浸っていた連中はあっという間に逃亡兵と化し、かろうじて得物を握った者は容赦なく斬り捨てられて行く。




 連戦連敗の軍勢とは思えないほどの活気を持って、信仰と連戦連勝に溺れた軍勢を打ち砕く。

 三日間で失った三つの陣が、一刻もしない内に奪還されて行く。あらかじめ渡しておいた物資以上に、本願寺が運び込んだそれが松永軍の手に落ちる。


 見事なまでの、驕兵の計だった。



 もっとも、誤算がない訳でもない。


「おいおい、何のつもりだ」


 まず一つに左近が先鋒の久秀より先に猪突し、たくさんの僧兵を斬り捨てて行く。夜襲とは言え侵攻方向がわかっていたからこその行いであるが、久秀の苦笑をも産んだ。


「貴方ばかりに活躍させる訳にも行かないのでしてね」

「そうか、そなたはそれで良い。そなたはな」


 本来なら筒井家の家老たるべき存在を自分が家老同然に扱っている事が気にくわないのはわかるが、それは別に構わなかった。







 構うべきなのは、二つ目の問題だった。


 三つ目の陣、大和と和泉の国境の陣を奪還しいよいよ石山本願寺へ向けて迫ろうと言う段階で、別の本願寺軍に出くわした。



「雑賀孫市が本願寺に使者をやったと思われます、おそらくは勝手に」



 これまで姿を見なかった雑賀衆が鉄砲を構え、その上にまた数千の軍勢が逃亡兵を守るようにこちらをにらみ付けている。


「さすがにそこまで甘くはないか……もうこれで十分だろう。引き上げよ」


 左近の言葉が正解だろうと判断した久秀が手綱を握って馬を止めると同時に松永軍の進軍は止まり、本願寺もまた逃げて来た兵を救う事が優先と判断したため戦は終わり、そのまま両者とも退却した。


 とにかく孫市の好判断と雑賀衆の鉄砲のおかげで教如と頼廉はなんとか逃げ切ったものの、一万四千を数えた本願寺遠征軍の内帰還できた者は一万を切り、一万人の織田・松永連合軍が受けた損害は死傷者合わせても千人にも満たなかった。


 本願寺の大惨敗であり、松永軍の大勝利である。




 この戦ののち信貴山城にて、松永久秀は今回の戦功第一である島左近と共に笑っていた。


「これで顕如に抗える者は本願寺にいなくなる……」

「はあ……」

「どうやら我々は顕如の独裁体制を確立してしまったようだな」

「それなら好都合だと思いますけどね」

「甘いぞ、左近……独裁でも統治者が立派であれば良い方向に進む可能性がある。今の顕如はかなり敬虔な坊主だ。今回のようにむやみに他者を攻める事はないだろうが、攻めるのはかなり難しくなるぞ」


 独断専行をなして成果が上がればまだしも、失敗すれば重たい責任がのしかかって来る。今回の出兵はおそらく顕如はまともに関与していない。頼廉と教如の独断だろう。

 それがこのような結果に終わりしまいには弱腰呼ばわりした顕如と孫市によってやっと命を守った終わった以上、顕如の権威はますます高まる。



「織田美濃守と言う人物、決して何もかも滅ぼそうとはしていない。もし本願寺がこれからは信仰を専一にすると言うのであればそれまでにするかもしれんぞ」

「え!」

「政を自由に為し、その上でこの国を良い国にしたい。それが美濃守の希望だとすれば、政を邪魔しなければ別に良いのだろう。ただそれの邪魔をするのであれば話は別だ、浅井や徳川すらな」


 信長の政策を横滑り的に取り入れている大和の景気は比較的良い。戦争景気でもあるまいが伊賀攻略戦の際には大和側からもかなりの物資が供給された事もあり、民はかなり潤っていた。この状況で信長に逆らえば自分の身すら危うくなるのを、久秀はよく理解していた。

 そしてその生活を破壊する者は、信長だけでなく民百姓が許さない。それがわかっているからこそ、民百姓を味方に付けるために顕如はああしているのだろう。


 今度のそれにより絶対者と化した顕如は、ますますその方向へと動く。民百姓が真に味方になれば、簡単に折れる物ではなくなる。できるかどうかはともかく、耶蘇教と言う大敵を前に仏教界の重鎮である本願寺が団結して当たる以上、仏教界もそれに連鎖するかもしれない。そうして戦果を上げれば、顕如の面子は立つ。



「左近、茶でも飲むか?案ずるな、まだこの仮初めの栄光を楽しみ切れるほど私は長生きしていない……この言葉で全てを察しろ」

「はっ……」


 高級な茶器を片手に茶を立て、左近へと差し出す。左近が戦場に立っていた時かのようにその茶を飲み干す様を見て、自分がどう思われているのか改めて確認し、そしてその後左近が口を付けた茶碗に同じ鉄瓶から入れた同じ茶を注いだ。



(こんな人間に未だに逆らおうとしないのは、まったく民百姓のせいだ。いずれこの潤いを日常と思い、澄み切った君主を求めるかもしれん。だがそれはそれでよいではないか、せいぜいそれまで国主の真似事でもさせてもらうまでよ)



 織田信長に逆らえるのは、よほどの身の程知らずか、自分のやっている事が正しいと信じて疑わぬ狂信者か。自分はその狂信者になるつもりなどない、気付けばなっているかもしれないが、どうせもう六十六歳と言う年の上に罪に罪を重ねた身であり、地獄へ行くのはわかっている。それまではせいぜい、自分の栄耀栄華を楽しむまで。



「左近、戦勝の勲章は素直に味わっておけ。それが身のためだ」

「はっ……」


 誰からもらおうが恩賞は恩賞であり、どこで獲れようが米は米だ。美味い不味いや多い少ないの差はあれど、それだけの話ではないか。

 ――もしそれを阻もうとする身の程知らずや狂信者がいたのならば、その時は民の力を借りて戦ってやるまで。



 そんな柄にもない事を考えながら、久秀は茶を口の中で転がしていた。

これにて第六章終了。次回は十月一日からです。

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