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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第六章 本願寺の落日
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宇喜多直家、足利義昭と山中鹿之助を比較する

「面白くなって来たではないか……」




 謙信が怒り狂っていた頃、はるか西の備前の国では一人の男が笑っていた。




「忠家、毛利はどうすると見る?」

「そう簡単に動かないし、動けないでしょう」

「あの男、ようやく誰が強く誰が弱いか見極めたようだからな……」



 宇喜多直家は、居城で唇を動かさずに笑っていた。



 時には西の大勢力である毛利の味方に付き、また別の時には東から織田家の救援を受けて浦上家内での勢力を拡大し、今や備前一国をその手に治めようとしていたその男を恐れない者は備前の国にひとりもいない。



 もちろん彼にとって、幕府など政治の道具以上の何の意味合いも持っていない。


「そうでしょうか。まだ浅井と接触していないようですが」

「浅井はほどなく若狭にその旗を立てる。次は丹後に但馬だ、両者ともその力は浅井に比べれば知れている。我が宇喜多だけでも直接対決ならば何とでもなろう」

「兄上からそのような言葉を聞くとは」

「正直な力関係だ。一色だの山名だの、そんな肩書きに力があったのは百年前の話だぞ。かろうじて細川だけはそれなりの力を持っているが、それはあくまでも織田家と懇意だからだ」


 それを攻めて児の字の旗を立てる事ができないのは残念だったが、そのおこぼれをもらいに行くぐらいの資格はあるのではないかと言う事は常に考えているのが直家という男だ。一色も山名も織田にも浅井にも、毛利にも接触したという形跡は今の所なく、ある意味非常に攻めやすい家である。


「丹後と但馬が崩れれば次は因幡だ、そこまで来る事が分からん男ならばただの悪あがきで終わるだろうし、その前にあそこまで奮戦してはおらん。浅井にどれだけ毛利に対する悪意があるかわからんが、毛利は絶対にあの男を放置できんぞ」

「つまり山中鹿之助を巡り、浅井と毛利は対立すると」

「織田がどこまで山中や尼子に関わるかはわからん。だが毛利にしてみればあれほどまで実力も意思も備わった男を生かしてはおけないだろう」

「あの、ちょっと待ってください。兄上、すると何ですか、鹿之助と公方様はある意味同じであると」

「ああそうだ。だが鹿之助はしょせんただの没落大名の家臣、何の権威もない分だけ浅井と織田の方がやりやすいだろう」





 山中鹿之助と言う毛利によって滅ぼされた尼子の遺臣が東の巨大勢力である織田や浅井と接触し、毛利を討たんとする可能性は非常に高い。だが毛利に言わせれば自分の傀儡として据えた尼子家の当主に反逆する者であり、抱え込む事により織田や浅井を攻撃する大義名分を与えるのもまた事実なのだ。

 

 いずれにせよ、義昭も鹿之助も相手を絶対に殲滅したいと願っているのは間違いない。敵方に取ってはいるだけで大義名分を与える、ある意味どこまでも荷厄介になりかねない存在である。征夷大将軍とただの牢人では訳が違うはずなのにこうなるのはまったく乱世のせいであり、そして鹿之助の方がむしろましなのがとことんまで乱世の宿命である事をこの乱世に浸り切った男は簡単に看破していた。




「まあ一杯飲め。私が先に飲んでやるから安心しろ」

「はぁ……」



 茶碗に酒を入れ、自ら口を付けて半分ほど飲んだ上で器を回して自分が口を付けた所を忠家に差し出す。その間忠家はまるで気を散らすことなく兄の茶碗をにらみ続け、器を回した事を確認するや安心して口を付けた。


「私が事前に毒消しを飲んでおらんといつ確信した?」

「兄上、戯れが過ぎますぞ!」

「ああそうだ戯れだ。だがな、世の中はすべて誰かが笑い誰かが泣く物だ。酒も程度をわきまえれば実に良い物だ、だが程度を過ごせば身を滅ぼす」

「それがしとて聞いております、上杉謙信は相当な酒飲みであると」

「それだけではない、忠義心もだ。お前が言ったように上杉謙信と言うのは相当な酒飲みであり、同時に相当な忠義者だ。だがそれがむしろ命取りになる。

 幕府のため、関東管領のため。ああ、美しい事だ。だがその美しさを極めた先に何が残る?堺の小西とか言う商家の小僧をお前はどう思う?」

「兄上がお気に召しているという事はそういう事なのかと」

「まあ、そうなるな。だがあれは織田により楽市楽座の令が強く敷かれ、また無駄な関所が撤廃されたからこそ浮かび上がって来た存在だ。上杉はそれを受け入れるか?」


 忠義心と酒を一緒にする直家の物言いを謙信が聞けば、それこそ信長や長政と同じように一刀両断にしてやろうと意気込んだかもしれない。だが直家はそんな謙信の遠い刃を気にする事もなく、平気でしゃべり続ける。


 幕府のために、正しき秩序のために謙信は戦うだろう。そしてそれは言うまでもなく、三官四職を始めとしたあるべき幕府の姿を取り戻す事につながる。おそらくそれは、旧態依然とした支配体制。室町幕府が出来上がった頃の、尊氏・義詮・義満の頃の様な政。


 だがそれをやるには、あまりにも時が経ちすぎている。応仁の乱から百年以上が経っており、もうその時代の記憶を持っている人間は一人もいない。義満の頃に理想的だったからと言って、今も理想的なそれであるなどと言うのはある種の暴論である。


「では毛利が勝ったとしても」

「毛利はそのやり方を飲み込むだろうな。だが毛利を当てにしている勢力がどう動く?」

「……でしょうね」

「顕如としても結局自らに従う坊主たちには抗い切れない。あるいはこの前小谷にひそかに僧兵たちを送ったのは口減らしか綱紀粛正かもしれんな。血の気の多い連中を弾き飛ばして仏道修行に専念する気かもしれん」




 丹後は一色、但馬は山名と言う三官四職の四職の家である。いくら乱世でそれ相応にはすれているとしても、やはり幕府の栄光を取り戻しかつての地位を取り戻したいと考えるのは全然不自然ではない。


 そして坊主と言うのは、本来清らかな物である。最近日本にやって来た耶蘇教の宣教師とやらも、まあ遠い国から上澄みをすくって持って来たような存在なだけに清らかである。

 だが清らかなだけで暮らせるのは、それこそ神に近づかんとするために生きられるようなある種特殊な人間だけであり、それ以外の俗人にはとてもできない。欲望に屈し、神からどんどん遠ざかって行くような俗人が世の中には圧倒的に多い。その俗人に不興を買っておいて神の教えを広める事などできるはずもない。だからこそ出来得る限り汚い事も行うのだが、しょせんは戒律に逆らえない範囲でしかそれを行う事は出来ないから膨らみ続ける俗人の欲望を抑えきる事は出来ない。


 ましてやこの乱世、俗人よりもずっと恐ろしく醜い坊主など山といる。武田信玄だって上杉謙信だって坊主であり、多くの人間を殺して来た。ましてや浅井が対峙して来た下間頼照や七里頼周などは、坊主の権限を振りかざして加賀で好き放題して来た最低の程度の存在だ。顕如は破門宣告を出しているが、それでも任命責任は消えようがない。だからその噂を織田や浅井の人間たちが京や堺などで振り撒いているようだが、いずれにせよ本願寺にとって消しようのないすねの傷である。


「そんな暇があるのですか」

「無論綺麗と汚いでは綺麗な方がいいに決まっている。だが最初から汚いと分かっている人間が汚い事をするのと、綺麗な看板を掲げている人間が汚い事をするのでは意味が全然違う。大義名分もいいが、羊頭狗肉の輩に百姓は従わん。と言うか、大半の人間にそんな余裕はない」

「しかし余裕があれば反抗し余裕がなければ話を聞こうとせず……気の毒な物ですね」

「余裕がある者にその余裕を認め、ない者には作ってやればよい。たったそれだけの話のはずなのだがな」

「しかしそれはできないと」

「ああできない。織田に妥協すれば自分の身が危うくなる。信長めは自分から泥沼に足を突っ込んだと本願寺の連中は思っていただろうが、本願寺だって泥沼に引きずり込まれたのだ」



 そして、現在畿内で羽振りがいい人間の大半が織田か浅井、さもなくとも徳川の関係者であり、それを反織田勢力が圧力ではなく口舌や利益によって組み込むのは非常に困難である。

 ましてや現在の畿内最大の反織田・反浅井勢力である石山本願寺が政権を握れば、織田や浅井のやり方を肯定する事はびた一文出来なくなる。比叡山焼き討ちの時点で織田か本願寺が負けを認めるまで戦うは終わらない関係になってしまった以上、少しでも妥協すればそれは弱腰とか怯懦とか言われる類のそれになり、内部崩壊の危険性さえ生む可能性がある。最近なぜか顕如は織田と浅井の隙を付くためか異様なほどおとなしいが、だとしてもいつ顕如が余人に代えられて強硬策に出るようになるかわからない。



「詰まる所宇喜多はどうすべきかと」

「公方様にどれほど毛利が深入りするかだ。もし飼い殺しにするようならばしばらくは付いて行く。今の段階で動くようならば織田に接近する」

「本願寺や浅井は」

「本願寺は当分動くまい、動くのならばそれは口減らしか内部分裂かだ。その場合はその動きが成功すれば距離を置き、失敗すれば傍観する。浅井はまだしばらくは気にする必要はない」

「しばらくはおとなしくせよと」

「まあ、そうなるな。だがこの備前の地盤を固め、その上で美作や播磨の方を向きできれば力を蓄えておきたい。織田にも毛利にも、この身を高く売るためにな。その旨、皆に伝えて来い」







 話が終わった事をくみ取った忠家が視界から消え失せると、直家は懐から一通の書状を取り出した。粗末な紙で作られた粗悪な墨で書かれた雑な字の書状だが、それでも字を読む事は出来る。


 そんな何もかも粗雑な書状には、どうか越前にて一族皆殺しにされた私の仇を宇喜多様の智謀を持って取ってくださいませと書いてある。




「そして、まったく雑な工作だな!」




 直家は永禄八年と言う文字の書かれたその書状を便所紙に転用するべく、厠へと向かった。

 永禄八年と言う事は八年前、つまり今は数えで九歳と言う事である。身寄りのない九歳児が寺で修行するのは珍しくはないが、それがわざわざこんな所にまで書状を届けられるのは珍しい。



 何より備前や美作ならともかく、越前となるとあまりにも珍しい。




「宇喜多直家もなめ切られた物だな、こんなので動くと思われるとは……これをやった人間もまた、忠義心と言う名の怪物に支配された化け物だな……」




 九歳児が書くであろう字を、精一杯模倣した上で、どうすれば心を動かせられるか必死になって大人が考えている。いじらしいを通り越して、ただただ腹立たしい。


 こんな事をする人間は想像が付く。だがそれをひけらかせば、宇喜多の進む方向を決定してしまう事になる。そんな人間に付いて行かせないようにするのが上策だなと、直家は確信しただけだった。


「浅井長政に藤堂高虎……面白い男が二人も揃った物よ。どちらもただまっすぐに生きている、歪み切った魂を持ったこの直家とは全く違う世界の存在……天魔の子と自ら名乗るような器である事、その意味が分からぬわけでもあるまいて……」



 まったく逆効果なこんな文書を平然と送れる程度には感覚の悪い人間の顔を想像しながら、直家は便所紙を一枚増やすついでに膀胱の中身を空にした。

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