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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第六章 本願寺の落日
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藤堂高虎、織田信長と再面会する

「お二人とも何をやっておいでなのです!」




 光秀が言い咎めたその目線の先では、織田木瓜の旗を掲げた二つの集団が言い争っていた。


「ああこれは藤堂殿、是非とも」

「上総介様、是非こちらへ」


 集団の先頭に立つ高虎とさほど年の変わらなさそうな二人の男が、我先にとばかりに高虎の手を取ろうとする。その上でもう片方の男には鋭い視線を投げかけながら、もう一方の目で高虎に向かって馴れつきたそうにしている。







「十兵衛、ここより先はわしに任せよ。長兄が父上と共に忙しい以上やはり次男であるこのわしが」

「何をおっしゃいます、兄上は北畠家の人間。神戸城は田丸城よりは近江越前に近い家。ここはどうか私にお譲りを」

「何だと、三男が次男に逆らうのか三七」

「もう立派に元服いたしました、いつまでも幼名で呼ばれる筋合いはございません!」

「さあとにかく、この無礼な弟は捨ておいて、どうか藤堂殿我々と共に」

「兄上はお疲れなのでしょう、少しお休みください、この役目は私が兄の代わりに引き受けます」

「そんな事言って手柄を横取りする気だな三七!」

「そんなつもりは毛頭ございません!だいたい三七三七と、三介兄上こそいつまでも子供呼ばわりして私の邪魔をする理由でもおありなのですか」



「やめられい!京の町でそのような騒ぎなど、上様や兄上様に知られたらどうなるとお思いなのですか!」

「……」

「……」


 光秀が一喝するまで二人の男は言い争いをやめず、口を閉じてなお視線の質を変えないままそっぽを向いて去って行った。

 長徳も直基も町衆と同じように半ば呆れた目でこの口論を眺め、高虎は苦笑いを浮かべ、光秀は左手を胸に当てながらうつむいた。


「誠に申し訳ござらん。あのお二人は顔を合わせるたびにああで……」

「いえいえ、そのような対象になっていたと思うとある種の誉れです。それで」

「上様の次男の三介様と三男の三七様でございます。二人とも長男の奇妙様とは折り合いが良いのですが、お二人同士はどうもあの調子で……」

「天下の織田家のお方がただ一人の存在を巡ってここまで、いやあ上総介様はすごいですね!」


 織田三介信雄と織田三七郎信孝の兄弟が共に、浅井の使者であり、天魔の子と呼ばれる猛将であり、上総介と言う父親の名乗りを受け継ぐことを認められた、旭日の勢いを持った藤堂高虎と言う人間を取り合っている。

 確かにある意味名誉な事ではあり、長徳のおべんちゃらはおべんちゃらとしての力を簡単に失い、ただの冗談に消化されて消えた。


「それで宿の方はこちらです」


 それにより一応ただのお上りさんからそれなりの人物に昇格した事を感じた高虎がわき目もふらず歩いた光秀に連れられて付いて行ったのは、南禅寺と言う織田家がよく宿舎として使っていた寺である。


「こちらは上様が藤堂殿に案内した南禅寺、普段上様が使っている寺です」

「このような!」

「それでは順に……」




 高虎がその厚遇ぶりに驚いていると、光秀の舌が急に止まった。何事かと思い高虎が振りむくと、藤堂軍の半数近くが半里ほど離れた場所で止まっていた




「おいこら!」

「いやすみません、ついその、鼻の高く顔の白い男を見て何事かと」

「何だそれは」

「ああそれは耶蘇教の宣教師だそうです」



 自分はさして興味がありませんがとか言いつつすでに九州などではそれなりの人間が加わっていると言われる存在を適当に解説しながら、光秀は高虎たちを南禅寺に連れ込んで行く。


「ではまた明朝に上様の元へご案内いたしますので、ゆっくりとお休みください」


 明智光秀が作り笑顔を崩さないまま去って行くと、高虎は兵たちの寝床を割り当てて行った。


 家宰である本多正信はここにはおらず、自分の手での作業である。







「しかし改めて信じがたい話だないろいろと」

「遠い遠い所から来たんでしょう」

「おい何の話だ」

「明とか朝鮮よりもずっと」

「ああなんだ、耶蘇教の宣教師の話か。ああ殿、これは失礼」


 やがてひと段落した高虎は床に座りながら幕府が事実上なくなった事について重臣である長徳と直基と共に語り合おうとしたが、いきなり二人の噛み合わない話を聞かされて兵たちの関心が別の方向に行っている事を察した。


「いや、いいんだ。確かにそれもまた十二分に驚くに値する。遠い世界の向こうには全く別の顔をした人間が存在する。何を食べ何を望んでいるか、そんな事は全く分からない」

「そうですな……ああでは殿は」

「将軍様が追放され、幕府が事実上なくなった。このことについてどう思うかと」

「申し訳ございませんが、正直何かと言われても」

「ああ私も同じです、一応最初の主君様は京のお偉いさんとはちょくちょく交わっておりましたが、幕府の方を向いてたかっつーと……なんで」

「だがこれを機に上杉や毛利が動き出す可能性があると正信は言っているが」

「上杉はいずれ動くでしょう、その時はまた戦うだけですよ」

「そうですよ、それに対して動かなきゃ徳川様も男がすたりますよ」


 正信が軽く冗談で流したように、二人もあまり深刻に考えていない。上杉の名を持ち出しても直基さえもそれほど重大に考えておらず、天竜川の戦いのそれと同じようにするだけだと実に呑気だった。長徳に至っては家康が絶対に助けてくれると信じ込んでいる、ごう慢を通り越して実に幸福な発想だ。


「それでだ、幕府はなくなったと言っても将軍様は健在だ。その将軍様はいったいどんな政をして来た」

「……さあ……」

「その通りです」

「私も正直わからぬのだ。そして織田様の政には今の所不満はない。幕府がなくなったと言う事はあるいは織田様こそ天下人ではないのか?」


 名目的にはずっと、室町幕府の将軍が天下人だったはずだ。それが事実上いなくなった今、誰が天下の頂点だと言うのか。まさか天皇でもあるまいし、では信長なのかと言われると違う気もする。


 その場合、長政の立場はどうなるのか。


 信長の妹婿と言う名の親族として織田政権の中枢に押し込まれる、とならないのはもうだいたいわかっている。羽柴秀吉と言う存在を寵愛、桶狭間以前からの譜代の臣をさほど重く見ていない時点で、信長は血筋など気にしていない。


「とにかく織田様に会って来る。そうせねば織田様のお気持ちはわからぬ。会ってもわからぬかもしれぬがな」



 真剣になった高虎に付き従うかのように、直基と長徳も口を閉じた。


 織田信長と言う、新たなる日本の最高権力者となろうとしている男の事を知らなければ何にもならない。その決意を固めながら、高虎は食事を取り、眠りに就いた。













 翌朝相変わらず愛想笑いを浮かべる光秀に付き従いながら高虎は、本能寺の信長の元を訪れた。


「どうか上様に粗相のないように」

「ははあ」


 ここまで愛想笑いを貫かれるぐらいならいっそ真っ当に不機嫌になってくれよと思うぐらいには、光秀の顔は変わらなかった。天竜川の戦の事を言っているのならばもうあれは他に方法がなかったのだと居直るしかないのだが、だとしてもその機会すら与えないのかと少し暗い気持ちになった。



 とにかくその本能寺と言うさほど広くもない寺の仏像もない片隅の部屋、と言っても信長にしてみれば寝所である場所で信長の小姓と共に、高虎は信長の前に正座を組んだ。




「久しいな、上総介」

「織田様、でよろしゅうございますか」

「美濃守とでも呼べばよい。ああそれから、奇妙の事は尾張守と呼べ」

「えーと……」


 美濃守に尾張守、いずれにせよ五位ぐらいの官位であり現在の織田家の権勢とはまったく釣り合わない。自称するにしてももう少し盛って良いはずであり、その上に二人がその名前で呼ばれていたという記憶は高虎にはない。


「朝廷が寄越した、と言うより余が求めた官位だ。尾張も美濃も我が織田の本国だ、実によく実情を表しているだろう」

「虚名はお好みになられぬと」

「名より実を取るのだ、従五位あれば天子に目通りできる。それで今は十分だ。無論いずれは実に伴ったそれを得る予定だが」


 長政がまったく関係ない備前守を名乗っているのは、見栄とあと保身以外の何でもない。


 諱を他者に知られるのは呪われるからまずいと言うのがこの時代の常識であり、高虎を高虎と呼ぶのは目上の人間か敵方ばかりである。下の人間は「藤堂様」のように姓に敬称を付けるか、役職名や「与右衛門」のように通称で呼ぶ。


「そうですか……私といたしましては、一刻も早く官位が欲しい物ですが」

「官位?上総介では駄目なのか」

「大変申し訳なき事ながら、できれば朝廷よりいただきたいと、無論我が主君や宿老の皆様よりは後で、より低いのでよろしいのですが……」

「何ゆえ官職を求める?」

「朝倉をまとめたいだけでございます」

「官職がなければできぬと申すのか?」

「できませぬ。はっきりとした墨付きを得てこそ、世間は私をはっきりと認識します」


 天竜川の時は官職などどうでもよいと思っていた高虎だったが、浅井家の親子騒乱は経てやはりそれが必要かもしれないと思わせる程度には彼の心を変えていた。


 朝倉家は足羽川の戦い以降の戦乱で崩れた家だが、一応名門だという意識は残っている。だいたい朝倉義景のように歴代当主は左衛門督と言う四位相当の官職を名乗っており、織田や浅井とは訳が違う。

 その上に、まだ若年の高虎はいくら戦いの経験と勲功を積んだ所でまだ浅井や織田、徳川にとっての戦果でしかない。だからこそ満天下に、無論本願寺や武田のように敵対勢力だけではない何かが必要なのだ。


「そうかなるほど、だが肩書きはすぐさま重荷になるぞ」

「そうでなければ家など背負えませぬ」

「さすがよ、いざと言う時は実に果断なる男だ。無論最優先は我が義弟であり、そなたはかなり後になるだろうが、いずれは現在の浅井の領国にふさわしき官職が与えられるように取り計らってやろう」

「ありがたきお言葉」

「それでだ、その為にも織田としては浅井にもう少し元気になってもらう必要がある」

「とおっしゃいますと」

「若狭だ」

「若狭とは、よろしいのでしょうか」

「わかっておる。だが正直今の若狭はどうにもな」



 若狭は越前の隣国であり、織田と手を組んでから初めて獲得した金ヶ崎周辺とも接している地である。その点では浅井領と言っても全く過言でもないのだが、信長は義景の死後すぐ元若狭守護で朝倉に下っていた武田元明を保護して若狭に復帰させ、以後武田元明領として扱っている。


 そういうわけで接するのが浅井領しかないとは言え事実上織田の配下であったが、最近領内の統治はまったくうまく行っていない。元から反武田であった国人たちが元明の言う事を聞かず、幾たびも謀叛を起こしては制圧しきれない状態がだらだらと続いている。


 もちろん信長や長政も援軍を送ろうとした事はあったがその度に国人が急に息を殺してしまい、元明も決定的な手を下さない物だからいつまで経っても事態が前へと進まない。



「武田殿も自分で何とかせねばと背負い込んでしまっていてな、もちろん余には彼を罷免する権利もあるが」

「やはり、奥方様の」

「ああ織田でも、嫁の実家の浅井でもすがる事は恥ではないと言い聞かせておるのだが耳を貸そうとせぬ。自らの国が大事なのはわかってやらんでもないのだがな」


 高虎が近江を離れてから、もう一年以上になる。信長に至っては岐阜城を本拠地と定めて以来だから六年になる。だというのに信長は無論、高虎にも故郷を懐かしむ気はほとんど起きない。

 自分の場合あっちこっちに振り回されまくっていて腰を落ち着ける暇もないのもまた事実だが、いずれにせよ元明のように先祖代々の土地にこだわる感覚と言うのはあまり理解できないのもまた本音だった。



「では……」

「若狭は切り取り次第とする。武田殿の扱いについても好きにせよと備前守に伝えておけ」

「はっ」

「その戦にもまた立つのであろう?これを乗り切ればようやく浅井の重臣もその方の力が本物である事を認めるはずよ」

「そうなる事を願います」



 もし四葩ならば、単純に張り切ったり喜んだりしてくれるかもしれない。身重かもしれないのに平気で自分の側室探しに奔走し、その上で自分に発破をかけまくるこの女性、あるいは自分より戦国大名の素質があるかもしれない女性ならばもっときれいに笑ったかもしれない。


 その四葩のために、何ができるだろうか。


「もし自分の城を手に入れた暁には余からも祝いの品の一つでもやろうと思っているのだが、望みはあるか?」

「では……」



 高虎は、願い事を素直に述べた。

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