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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第六章 本願寺の落日
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藤堂高虎、四葩に完敗する

第六章開始。当分おとなしめの進行になります。

「改めて思いますが、ずいぶんとたくましゅうなられましたね」

「ああ、それでまた変え地になるかもしれん。今度は万石取りだ」

「まあそんな!ずいぶんとまあ、お早い事で」

「それでつわりは」

「残念ながら、ございません……」




 およそ三ヶ月ぶりに顔を合わせた四葩の手は、順調に節くれ出していた。


 白魚のようだった手は加賀の二年間でくすみ、越前に戻って来てからの花嫁修業で庶民のそれに近づいていた。




 それで無粋だとわかっていても、ついその言葉が口をついてしまう。


 高虎が四葩と肌を合わせる事はもう幾度もあったが、それでもまだその兆候はないらしい。


「まだ焦るような話でもございますまい」

「まあな、とりあえず食事を頼む」

「はいそうですね、結局また私は家事から離れるのでしょうか」

「家事は好きか」

「はい、あなたの次に好きになりました」



 万石取りともなれば、侍女の数は増える。夫の石高が桁一つ増えるように、従者だって桁が一つ増えるのはまったく不自然ではない。

 それこそ妻として当然とか言う大義名分を振りかざした所で、万石取りの重臣の妻と言う立場と言うのがと言う別の大義名分を振りかざせられれば抵抗はしにくい。



「まあその日が来るまではしばらくゆるりと過ごすしかないだろう。織田様を真似られたわけでもないがお館様も実に素早いからな」

「ややこを孕むまではせいぜい家事に従事させていただきます。道楽の一つや二つあってもよろしいでしょう、女子とて」

「あるいは城持ちになるかもしれん、と言うかなるだろうな」

「一乗谷に比べれば小城でしょうから」



 朝倉の姫としてぜいたくな暮らしを送っておきながら零落したと思いきや、結局万石取りの将の嫁と言う立場に戻ってしまう。

 この事態を全て長政のせいにする権利を持った自分の妻は、和やかに笑っている。



(土豪と大名の違いと言うのはこういう事なのだろうな、自分は藤堂家の当主にはなれても朝倉家の当主にはなれないかもしれぬ……)



 旭日のごとき出世と言えばきれいに聞こえるが、実態はただの成り上がりである。それもかなり強引な物であり、ひとつの立場に落ち着く事もできないまま次々と高い山に乗せられているだけ。


 まだ十八歳だからいくらでも変われるという理屈などきれい事であり、しょせん自分はまだ一機駆けの足軽であり将などではない事を思い知るには十分だった。




 内藤昌豊も山県昌景も、そして武田信玄も非常に小ずるく手柄を追い求めた結果の産物。確かに結果は良かったが、それでも犠牲は大きい。

 真柄直基はこの戦いでとりあえず五十石、いずれ数百石に加増する事にしているが当分は戦えないだろうし、長政に傷病兵や死者の弔慰金や医療費などの負担を強いている事には変わりない。戦が終われば確実に出る物だとは言え、今回のそれはあまりにも規模が大きすぎる。



「あなた何か元気がございませんが」

「いや……今度の戦の事を思い出してな。大殿様と呼ばれる人間を討ったのもさることながら、その前との武田との戦いもあまりにも犠牲が多すぎた。もう少し、少ない犠牲で勝ちをつかめたのではないかと」

「それは勝者の特権だと思います。武田にはそんな余裕などないでしょう。それともあまりにもうまく行きすぎたので、この程度の事でご動揺なさったと」



 二千近い死傷者を出しておきながらこの程度———―ずいぶんな物言いだなとも言えるが、大名の思考と言うのはそんな物だろう。


 この犠牲により、徳川は浅井に頭が上がらなくなる。織田だってしかりのはずだ。次に浅井が大敵に襲われた時には、堂々と徳川に援軍を乞いに行ける。

 ましてや高虎の存在は下手をすれば長政以上の重みを持つようになる。



「結局、姫は姫であり土豪は土豪だと言う事だ。そなたには勝てそうにない」

「何をおっしゃるかと思えば、私はただのあなたの妻ですよ」

「朝倉は何にも滅んでいない。立派な武家の魂がここにあるじゃないか、私にはそんな物など」

「あなた、どこ触ってらっしゃるんですか」



 深くため息を吐きながら膝を折りほんの少し膨らんだ胸に手を当てる高虎を、四葩は温かく抱きかかえる。

 これまでほぼわき目もふらず走り回って来た、あまりにも多くの死を背負って来た血生臭く大きな肉体を、まるで喧嘩で負けて帰って来た母親のように温かく包み込む胸。


 母親とも早くに死に別れ侍女たちも一人減り二人減りと言う環境で自然と妹たちの母親役になって行ったゆえに身に付いた技量かどうかはわからないが、四葩の言葉も胸もやたら温かい。


「しばらく甘えさせてくれないか」

「ええ、それが妻の役目ですから」


 天魔の子の姿などどこにもなく、ただ四つ年下の女に甘える一人の男。


 それが、三ヶ月ぶりに屋敷に帰って来た藤堂高虎だった。













「落ち着きましたか」

「ああ、ありがとうな」


 やがて気を取り直した高虎は四葩から少し離れ、なおも申し訳なさそうに首を横に向けた。


「それで、浅井様は愛王をどうせよと」

「その事なのだがな、実はな」

「実は何なのです」

「その、なんだ、お館様の……」

「側室を取れとおっしゃっておられるのですか」


 ああまで派手に甘えておきながらよその女の話をするなど図々しい、と言う自分の不安を飛び越して平気でそんな事を言ってくるお姫様にああそうですかと言わんばかりに首を縦に振ると、またお姫様は笑い出した。



「よろしいではございませんか、たかが一人や二人。大名ともなればその程度の事」

「一刻も早く男児を作れば、その子が朝倉の正当後継者となる。さすれば愛王の重みはなくなるとな」

「愛王はしょせん第五子、第一子の私とは十も年が違います。長子相続に一体何の問題があると言うのですか」

「だが女子で良かったではないか、男子だったら今頃生きていないぞ」

「その通りです。愛王とて同じ目に遭っていてもおかしくはありませんでした。とは言え、私は決して景紀と景恒の親子を許す気はありませんけど」



 自分自身、二面性があるのはわかっている。平気で幾千もの敵に突っ込んだりしておきながら、ひとりの猛将を前に逃げたりする。

 しかしこの四葩もまた、先ほどまで自分を平気で甘えさせ、同時に側室などと言う自分の競争相手になりそうな存在を提示されておきながら大歓迎と言わんばかりの器の大きさを見せておきながら、自分を振り回したあの重臣気取りの親子についてはまったく気を許していない。



「とは言えだな、もしそなたの妹ではない女性を側室としてしまった場合、生まれてくる子は藤堂のそれではあっても朝倉のそれではなく」

「何をおっしゃいますか、私は藤堂四葩ですが同時に朝倉四葩でもありますし、ある意味あなたは朝倉高虎でもあるのですから」

「なるほどな……まったく、私はこういう事はてんで駄目だな。家の外に出る事は出来ても家の中の事はまったく及ばない」



 娘婿だろうが何だろうが、今の高虎は朝倉家の当主なのだ。その当主の子どもであれば、家を継ぐには全く不十分ではない。無論正妻の子には敵わぬかもしれないが、理由付けとしては十分である。当主と言うのは、そういう事ができる存在なのだから。


「まあ、ずいぶんと偉そうな口を利いてしまいましたが」

「いや実際偉いんだからしょうがないだろう」

「本多正信がですか」



 この数時間ですっかり四葩に打ちのめされた気分だった高虎だったが、そこでいきなりまた別の名前が出て来て眉を吊り上げた。



「彼はあなたが小谷城にいて不在の間、私に手紙でそう言い聞かせてくれました。愛王様を守るためには愛王様の価値を削るしかないと。なるべく励め、その上で側室を囲う事もお認めになってもらいたいと」

「見事過ぎないか」

「徳川様はなぜ手放したのでしょうね。あるいはあなたを引き出すための条件として」

「そういう事だろうな」

「論功行賞も初仕事だからと張り切ったのかあっという間に済ませ、その上にこのような事も言い出してくれるのです。これはともすれば徳川様に恩を売り損ねた可能性もございますよ」

「あ、ああ……」


 高虎は昨年にも四葩の妹たち、景鏡の元にいた少女たちに幾度か会いに行った事もあるが、会う度に肌の色つやが良くなって行った。故郷に戻れてようやく安堵したおかげとか簡単に思っていたが、あるいは正信がいたせいかとも今の高虎には思えてしまう。


 米粒を数えさせていたとか言っていたが、何事も物は言いようで米粒の品質や量を正確に把握して責任者に報告していたとすればそれだけで能吏と言う称号を得ることができる。あるいはこの能力を使い秘かに景鏡家の財布を潤させ、その結果ああなっていたのかもしれない。


「なあ……」

「何か」

「本多正信にどれだけの報酬を与えたら良いと思う」

「加増はさほど要らぬと思います。ですがその代わりにあなたの側に置けば」

「そうか、そうしよう……」


 結局家内の論功行賞すら、まるっきり四葩に依存している。

 父親ならまだともかく、こんな年下の嫁に好き放題されている。


「ご自分の意見は?」

「夫たるもの、妻を尊重せねばならぬ。妻や家臣の意見を聞いた上で慎重に思考し、断を下さなければならない」

「その上で私の意見を取ったと」

「ああそうだ、その通りだ。私は妻の意見を取る。()()()()()とその妻が取った意見を誰が覆せると言うのか。まあ父上は反発するかもしれんが、それだからこそな」

「やはり初孫ですか」

「それを先に言うな!」

 

 目いっぱい取り繕って夫たる貫録を示そうとしても、まったくうまく行かない。正信に吹き込まれただけとは思えない物言いで、自分の前を行こうとする。




「大丈夫です、義母上様から手ほどきを受けてまいりました。あなたが命がけで戦っているのに、何もせず引っ込んでいるなどそれこそぶしつけですからね」

「今日はな、思いっきり攻めさせてもらうぞ!」

「どうぞ、ご自由に」


 まったく仕様もない理由でこの笑顔を曇らしてやろうと思いながらも、同時にそれが叶いっこない事を理解できた高虎の顔が歪み、四葩はますます笑う。


(大殿様ももう少し万福丸様や茶々様、初様と触れ合っておれば……いやそんなのはこの際どうでもいい!武田信玄すら食った天魔の牙を見せつけてやるまでだ!)


 第四子誕生まで時間の問題と言われているお市と長政の事を思い浮かべながら、夜の戦いへと目を輝かせる高虎の顔は、天竜川にいた時とまったく同じだった。










「ここ数日、ずいぶんと夜が長うございますが」


 だが、天魔の子ともあろう物が、毎日毎日戦いながらまったく陥落できない。いつもいつも敢闘しながら、先に弾き返されてしまう。敵より先に睡魔に負け、ある意味みっともなくきれいに整えられた装束で寝ている事もある。


 その相手の言う通り自分の家宰に据えた正信の嫌らしくない笑顔に癒されたり傷付いたりしながら、高虎は目の下に隈を作りつつ歩く。


「それでだ、おそらくほどなくこの屋敷も出る事になるだろう。その上で側室になりそうな女性を探してくれ」

「わかっております。しかし個人的な好みと言う物を反映なさっても」



 高虎自身、女性の好みと言うのがよくわかっていなかった。だがああして四葩と肌を合わせていると、情けない自分を受け止めてくれるような強い女性が好みだなと思う事も増え出していた。

 しかし四葩と同じような女性を側室にするのは問題だとなると、あるいは真反対の守りたくなるような女性の方がいいのかもしれない。



「四葩は正直強い、強すぎる。もちろんだからこそありがたいのだが、だからこそ側室はもう少し保護欲を掻き立てるような女性がいい」

「わかり申した。その方向で探しておきますよ」

「頼むぞ」



 もう今日一日、その方向の腕前も上昇した四葩の朝飯を食べた後は何も当主らしい事などせず裏庭で刀を振ってやろう。


 そう高虎は決めながら廊下を歩いた。

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