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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第五章 過去からの逆襲
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藤堂高虎、万石取りになる

「本当によろしいのですか」

「ああ」







 二人の死から数日後、小谷城と言う一つの城郭の歴史は終わりを告げようとしていた。



 すでに遺体の収納は終わり、建物以下供養の目途もついている。久政たちが血を流して倒れた床は既に血天井として納めるべき寺も決まっており、次々と城は破壊されて行く。


 使える木材は金ヶ崎城や今浜城に運ばれ、高虎たちが暮らしていた屋敷もまたこの戦いで犠牲となった庶民に払い下げられる事になっている。

 小谷は山城であり要害であるが、その分だけ利便性は低い。元々北近江の三番手に過ぎなかった浅井氏の居城であり、地理的に今浜には及ばない地であった。







 そして今、残った建物もまた火に焼かれようとしている。




 この戦を最後に、小谷と言う地名その物が過去の物になるかもしれない。




「あるいは華々しい最期なのかもしれませぬ……」


 信忠の側で、羽柴秀吉はどこかふてくされたように流用できない土台の部分だけが残った小谷城を見上げている。


 信長の長男信忠と共に浅井久政との戦いを制したこの元農民だと言う織田の重臣の言葉は、高虎の胸を確かに付いていた。


「精一杯自分たちの理想のために動き、そして勝手に散って行く。その姿は一目美しく見えますが後に残るのは、と言う事ですか」

「ああ、だいたいそういう事ですな。若殿様、浅井久政は」

「最期には武士の棟梁らしく目を覚ましてくれたさ。知っているだろう、辞世の句を」

「いやまあ、もうちっとばかり早く目を覚ましておればなおよかったのですがな」


 秀吉は、久政への憎悪を覆い隠そうともしない。愛想の良い男だと言う評判が虚報であるかのように、嫌味その物の物言いを連発する。







「おうみから 出ずる我が身は 追われては おいも追われも なき美空へと」







 信忠からもらった「辞世の句」を思い返しながら、高虎はため息を吐いた。


 近江から出た自分は、それこそ敵を追うべき身であったのがいきなり家督を追われる身となり、そして最期には老いる事も追う事もない美しい空へと旅立っていくのだな――――と言う実に美しい歌だった。

 その上に「近江」と「追う身」、「老い」と「追い」をかけるなどの遊びもある。



(信虎殿……あなたならもう少しましな歌を残してくれていたでしょうに……)



 信虎だってずいぶんとよそ様の城に来て迷惑をかけてくれたが、それでもまだ武士らしく戦って死んだ。

 このような洒落が効いたそれかはともかく、もう少しは聞ける歌を残しただろう。




 だがすでに、高虎は織田の兵士から「本当の久政の辞世の句」を聞かされている。そのあまりにも憎悪に満ちた歌を聞かされて、高虎はただただ嘆息した。

 信忠が武士の情けのように作ってくれたきれいな歌も、おそらくは有難迷惑どころか死体蹴りとしか取っていないだろう事がすぐわかってしまう。

 そんな自分が少し嫌になった。




「秀吉、そこまでにせい」

「わかっております、つい熱うなってしまいまして」

「気持ちが分からぬとは言わぬ。だがわざわざ死体を蹴り飛ばす趣味もあるまい。ほれ見ろ、義理の大叔父の居城が今私の命令によって焼かれて行くぞ」


 小谷城から木材を撤収するのはもちろん浅井軍の役目だが、最後に火を点けるのは織田軍の役目だった。信忠が命じた兵が点火すると共に、紅蓮が城を覆う。




「やはり複雑な気分です、まるで縁がなかったとは言えこうして主君の本城であった城が灰燼に帰すのを見るのは」

「藤堂殿、此度の事は叔父上(長政)にも貴殿にもどう詫びても詫びられる物ではない。本来ならば捕らえて差し出すべきであったのだが、どうしてもここで死ぬとな」

「いたしかたのない事です。最後にはやはり、武士としてお亡くなりになりたかったのでしょう」

「下野守様から見れば私も親類です。その男にまで裏切られたのですからな、お気の毒極まるお方でした」


 まだ二十歳にも満たない二人の男が、まったく心のこもっていない言葉を垂れ流し合う姿の痛々しさはどうしても消えない。



(まさか愛王が一体何を望んでいるかなどどうでもよろしいなどと、そこまでおうぬぼれになれるとは。ずいぶんとまあ、幸福なまま死なれた物よ……)



 高虎もまた、秀吉と同じように久政に向かって心の中で毒付いた。



 あの時血と刃と怒声により失禁した愛王は元家臣である長徳により保護され、浅井の侍女たちにより体を洗われ金ヶ崎城へと運ばれていた。

 今頃は姉たちとも再会し、ようやく年相応の笑顔を取り戻しつつあるらしい。




 で、その愛王を保護していたつもりだった久政は愛王が小谷城に入るやただただ平身低頭しながら長政と高虎をなじり、その上で朝倉家の摂政を自称していた。その自分の正当性を信じて疑わないゆえに非協力的な一般住民を平気で斬り、そしていつか自分たちが内部分裂を起こすと信じて当てのない籠城で住民に飢えを強いていた。


 だからこそ初戦で高虎の虚を突いた物のそれ以上追おうとせず、まったく不十分な勝ちで高笑いしていた。もしいきなり初戦から全軍で小谷城から突撃されていたら、あるいはこっちが全滅してもおかしくはなかった。信虎はそのつもりだったらしいが、久政がかたくなに止めていた。







 とまあ、小谷から逃げ出した人間が持ち込んで来た情報が、何もかも情けなさすぎた。



 最後の最後まで欲に塗れることなく恩のために戦った勇敢なる武者、という名誉欲と自己満足のために、一体何人の人間を巻き込んだと言うのか。


 土田御前ですら最近は信忠たちとそれなりには触れ合っていたそうなのに延々十年近く茶々や万福丸たちとまったく接せず、最後の最後まで長政が織田家と共に二十万石から百二十万石にした栄光から目を背け続け、親である自分に逆らったと言う一点だけでへそを曲げ続けた男。


 それが、浅井久政だった。



「かつては戦場で鳴らしたお方だったそうですが……」

「ええ、そういう事なのでしょう。個人的には何者かが手を引いている事を願います」


 四方どこにも敵のいない小谷城、中心と言えば体はいいがもはや閑地と化した小谷城に置き捨てられての死と言う結末。

 あるいは去年、長政も重臣たちもほとんどその存在を無視して金ヶ崎への本城移転を飲み込んだせいだとすれば哀れかもしれないが、だとしてもこれだけ多くの民を巻き込んだと言う事実だけはもう絶対に消えない。


 おそらくは信忠がしたのと同じ余計なお節介なのだろうが、それでも高虎は久政を惑わせた男を探してやりたかった。主君の父親に、ひとかけらでも良心が残っている事を信じていた。


「無論です、私も父と共に武田信虎を久政殿に突き合わせた人間を探してみます」

「ありがたきお言葉……」

「いやー、これで織田も浅井も安泰にございますな」


 信忠の了解と秀吉の能天気な声でようやく気持ちを落ち着かせた高虎は、火がゆっくりと残った小谷城の残骸を飲み込むのを見ながら、ゆっくりと両手を合わせた。







 総大将として小谷城整理の件でずっと留まっていた高虎が金ヶ崎城に戻る事ができたのは、久政の死から一週間後の事だった。


「こちらが武田信虎の御首でございます」


 塩漬けにして保存していた信虎の、最後まで武士らしく戦った事を示す老将の首はある種の芸術のように美しく、貞征や清綱たち重臣や景鏡や正信なども感心した表情を浮かべていた。


「うむ、よくやってくれた。あの甲斐の虎を討った上に、その親まで討つとはな。そなたの功績はまったく莫大だ。

 五千、いや一万石を与えよう」

「そんな!」


 その中で長政は信虎の存在感を打ち消すかのようにとんでもない事を言い出し、高虎以下全員をひっくり返した。




 一万石。高虎にとってはまったく夢のような数字だ。



 と言うか浅井家内部でこれ以上の禄高をもらっているのは、長政と高虎をのぞくと一族の浅井政澄込みでも五人しかいない。ほんの三年前まで雑兵だった人間が、宿老たち一歩手前の地位になるのだ。

 ちなみに田中吉政も天竜川の戦いの功績により四千石を取る事になり立派な重臣となったが、だとしても高虎単独で一万石とはあまりに重すぎる。

 言いたいことはわからんでもないがいきなり十倍にするとは何事だと言わんばかりに宿老たちがざわつき、正信すら顔を伏せてしまっている。


「今度の武田軍に対する援軍の任務をこなして来た暁には五千石を与える予定だった。それが武田信玄をその手で討ったとあらば五千石は安すぎる、本来なら二万石でもいいぐらいだ。とりあえず今回はこれで勘弁してくれ」

「そのような事を言われましても、私のような若輩者が一万石など」

「何を言うか、これは愛王のためでもあるのだぞ」

「石高が増えればよろしいという物では」

「既に兄上から了解は得ている、もはやこれ以上愛王を血生臭い環境に身を置かせるなとな。なあ、側室を娶ってみないか」


 当然のように首を横に振りまくった高虎だったが、側室と言う単語で首の動く向きが変わった。重臣たちもまた高虎に釣られるように口を閉じ、長政の方を向いた。



「まだ側室のないわしが言うのもなんだが、四葩からでも側室からでも男児が生まれればその子が朝倉の後継者となる。そうなればもはや愛王はただの一親族男子。だが側室を抱えるとなればどうしてもそれぐらいの領国がなければなるまい」

「しかし万石はさすがに、五千石で勘弁してください」

「いやまだ他にも理由はある。いずれ、兄上ともども朝廷に正式に願い出てな、いつまでも備前守などと言う遠い国の名前を名乗る訳にも行くまい。その際に阿閉、赤尾、磯野らと共にそなたにも官職を願い出るつもりだ。その為にも、どうか正式に朝倉家の当主となってもらいたい」



 朝廷から官職をもらうという発想自体、浅井にはまったく異次元のそれだった。だが信長は既に朝廷と幾度も接触しており、今はまだ無位無官だが何らかの地位が与えられるのは間違いない事は知っていた。

 それに浅井も乗っからない手はないし、ましてや朝廷から官位をもらったとなればそれだけで名前の重みは桁外れのそれになる。

「朝倉家当主」の高虎が官位をもらったとあれば、もはや愛王を立てる者は朝廷に反する事にもなりかねない。そして朝廷から色よい返事をもらうためにも、どうしても一万石と言う単位は必要だと言う訳だ。



「義弟を守るためにはそんな物が必要なのですか。」

「信虎を見よ、いかに老いに負けぬ知恵と力があろうがな」

「わかり申した、どうか皆様今後ともこの若輩者の身の程知らずをお諫め下さいませ」



 力なしでは何もできない。



 久政を押しのける権力も膂力もないゆえに、信虎は目的を達成できぬまま敗軍の将として死んだ。愛王と言う新たなる家族を守るべく、高虎はこの出世を受け入れたのである。

ここでいつものように一日お休みをいただきます。次は十八日からです、お楽しみに。

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