表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第四章 天魔の子vs甲斐の虎
43/137

武田信玄、浅井を狙う

「浅井から一万三千の援軍だと」

「その上に徳川軍はおよそ一万、織田軍は三万……」

「わかっておるわ」



 家康が書状を受け取ったちょうどその日に本拠地の躑躅ヶ崎館から出陣し、信濃で兵を集め南下しようとしていた武田信玄は不機嫌そうに間者の報告を聞いた。



 捨て台詞めいた単語と共に本陣に立てられていた風林火山の旗が揺れ、武藤喜兵衛も目を白黒させる。



「それで敵将は誰だ」

「浅井政澄に朝倉景鏡、しかし実権を握っているのは藤堂とか田中とか言う若武者だとか」

「田中だと」

「来おったか」




 田中と言う名前は、かなり武田にとって不愉快な名前になっていた。



 二年前、手塩にかけて育てて来たはずの武田軍があまりにも簡単に敗北したのを知った信玄は本来ならば昨年の冬にするはずだった出兵を先延ばしにし、静養も含めて軍備をさらに整えて此度の出兵にこぎ着けた。


 その元凶は徳川と織田であり、同時に田中とか言う浅井の男だった。



「彼奴のせいで武田は待たねばならなくなった。念には念とか言うが、それだとしても程度と言う物がある」


 出兵を先延ばしにした結果必要な農作業を終わらせてからにせねばならず、元々枯渇気味だった金山と相まって資金力の不安もより顕在化してしまい、その点でも武田にとっては面白くなかった。


 もしこの出兵で戦果が上がらなければ、武田は一気に弱体化する危険性すらある。




 ただでさえ信長が四十歳、家康が三十二歳、長政に至ってはまだ二十代なのに対し自分は五十三歳。


 もはやどれだけ自分の人生が残っているかわからない中、四ヶ月でも出兵を先延ばしにするのは大変腹立たしかった。


 二年前に浅井からやって来て兵を率い武田軍を織田徳川ともども打ち砕いた田中久兵衛を名乗る若武者に対し百両の賞金を懸けていたのも、半ば信玄の腹立ちの産物だった。


「それにしても五万三千とは……」

「何を落ち込んでいる、五万三千が何だ五万三千が」


 喜兵衛が動揺する雑兵をたしなめるが、五万三千と言う数は信玄にとっても予想外だった。多くても四万五千、おそらくは四万と言うのが信玄の事前の予想だった。



「じっくり構える訳にも行くまいな。長引けば長引くだけ、こちらが不利になる」

「食糧の問題は向こうの方が深刻かと思いますが」

「この戦は敵を倒して終わりではない。少なくとも浜松城に風林火山の旗を立てるぐらいでなければならない。問題はどこが弱く、どこが強いかだ。喜兵衛、お前はどこが弱いと思う」

「浅井でしょうか」

「なぜだ」

「浅井は一万三千と号しておりますが、その一万三千の兵の大半は加賀や越前から駆り出した物のはず」

「であろう、無理矢理かき集めてきた兵たちに大した忠誠心がある訳でもない。水ぶくれの浅井ごとき簡単に呑み干せるわ」



 喜兵衛の冷静な分析に、信玄はようやく機嫌を取り直して首を縦に振った。



 織田は信長直属軍の上に数が多い。その上に上洛を果たしてからまだ三年足らずとは言え、その前に尾張・美濃二か国及び伊勢の大半を領する百五十万石以上の大名であり、地力がないとは思えない。


 徳川はもともと三河一国から立ち上がりここ数年で遠江を占めるようになったとは言え、元々の規模からすればそれほど急激に膨れ上がった訳でもない。



 それに対して浅井は、近江半分の国主からわずか二年間で越前加賀を奪い取ったような家である。

 越前は浅井の主人のような存在だった朝倉家、加賀は浅井の同盟相手である織田家の宿敵。

 確かに両国合わせれば百万石、つまりだいたい二万五千の兵力を動員できるとは言え、人心が浅井になつき、戦により荒廃した領国が従前の形を取り戻して額面通りの石高を供給できるようになるまで一体何年かかるのか、信玄はまったく及びもつかなかった。


 現在の浅井の旗の前になびくのは浅井の譜代のみ、あくまでも北近江二十万石、五千人でしかないはずだ。

 それが一万三千と言うのは逆に問題ではないのか。



 その上にそれを率いる将たちの中に長政はいないし、実権を握り込んでいるらしい田中やら藤堂やらはまだ若輩者。清綱や政澄、景鏡に多少警戒こそ必要かもしれないが、その程度とも言える。お義理なのか、本気なのか、信玄には浅井のやり方はどこかちぐはぐに感じた。



「浅井は相当無理をしてこの数を集めた、と言う事ですか」

「まあこの大事な戦、油断は大敵だからな」

「ですが五万は五万です」

「こちらが五万ならば話も別なのだがな」


 武田軍の二万で、連合軍の五万を打ち砕くのは難しい。だがだからこそ、勝つ方法をひねり出すのが総大将の役目であり、その手腕を見せ続けて来たのが信玄だった。だからこそ甲斐一国の守護大名から信濃、駿河を手に入れ上野にも手を伸ばし、越後の上杉謙信とも互角に戦えているのである。


(浅井を一挙に突っ切るしかなかろう……)


 慎重派を気取って来たつもりの自分らしくないやり方であることはわかっている。その上で浅井は動けないと見た自分の甘い見通しを恨み、歯噛みもしている。

 とは言え、目の前の敵を何とかせねばならないのもまた事実でありその上で何とかするのも自分の役目だった。










「この戦は絶対的な勝利が必要となる。少なくとも徳川家康の首を取るか、さもなくば再起不能にするまで退く事は許さん。無論織田も、浅井の援軍にも武田の恐ろしさを刻み込ませねばならない」

「はい……」

「どうした喜兵衛、ずいぶんと弱気だな」

「いえその、五万と言うのが予想外でして……」

「やはり数の差は恐ろしいか。だがな、五万三千とは言え全てが強兵な訳ではない。古今東西、その程度の兵力差を打ち破った戦など山とある。むしろ二万である方が動きやすいと言う物よ」

「しかし」

「此度の戦は領国を得ると共に、黄泉への旅路を開く戦でもある。

 皆の者に伝えよ、この戦、敵を斬っても首を拾う事まかりならぬと。ひとりでも多くの敵兵を黄泉路に送る事を最優先とせよとな」



 信玄が苛烈とも言うべき指示を伝えると、喜兵衛以外の小姓は一斉に各方向に向けて飛び散って行った。二万の兵を殺戮集団へと変えるたった一言の指示、その重たく響く指示が改めて信玄の覚悟を示していた。




(この戦で辛酸をなめて大きくなるはずだ。だが少なくとも徳川だけでもその辛酸を消化できぬ内に冥土に旅立ってもらいたい、できれば織田もだ)


 先ほど浅井を水ぶくれと口では言って見せた信玄だが、信玄に言わせれば織田も徳川も浅井も苦労知らずの成り上がりだった。


 自分が信濃一国を切り取るのに延々二十年かかったと言うのに、信長は美濃を手に入れてから三年足らずで上洛を果たし、家康もどさくさ紛れで独立してから数年で三河と遠江の主となり、長政に至っては二年で越前加賀と言う二ヶ国を手に入れている。


 なぜ自分ができずに、その三人ができるのか。単純に悔しかったし、しかもその後の時間がまだ十二分に残っているのもまた気に食わなかった。


 ここ数年の出兵もありかなり弱っていた肉体の療養のため温泉に浸かっていた時でさえなぜ自分が尾張に生まれなかったのかとか考えてしまった日の後には、謙信の真似をするように小寺に三日間こもって普段まともに向き合わない仏にすがりつきもした。

 人殺しを生業とする武士のくせに、嫉妬と言う煩悩の退散を願った。



 疾きこと風の如く、静かなる事林の如し。侵略する事火の如く、不動なる事山の如し。



 その風林火山の旗を掲げるだけで相手をひるませられるようになるまでは、それこそ何千単位の兵を犠牲にして来た。その幾倍の敵兵の屍を作って来たとは言え、いずれにせよ多くの屍の上に全ては成り立っている事に変わりはない。


 その事に三人が気付けば、ますます恐ろしい敵になる。だからこそ、この戦では領国と共に多くの将の首が必要だった。死人に口なしを体現するかのように、二度と教訓を生かせないようにしてやらなければならない。




(あるいはこれを悟って自らは出ない事にしたとでも言うのか?だとすればまったく忌々しいわ、浅井の小僧め)


 天台座主とか言っていっぱしの宗教家を気取り石山本願寺と同盟状態になっている手前、一向宗の敵は自分たちの敵であり、その名前や力はいくらでも利用してやるつもりでいる。

 だが織田は割り切っている可能性が高い、徳川も一向一揆との戦いを思うにつけさほどためらいがあるように思えない。


 やはり弱いのは浅井ではないか。



「ちっ、また浅井か……」



 浅井に兵を向けさせられているような気分になって来る。正直気に食わない。うますぎる時は注意せよとか言うが、いくらなんでもあまりにもそうしてくださいと言わんばかりに誘導させられている気がする。



「それでだ、浅井の将はどんな男だ」

「田中久兵衛とか言うのは長政が配下将から厚賞と引き換えに引き取った子飼いの男です。遠江での戦いを見る限り武勇には長けていますが策には忠実で無理はしません」

「それは織田の指示ありきだろうな、その織田の指示のない所での戦いについては」

「あまり詳しくはわかりません。ですがわざわざ援軍として派遣されたと言う以上はその程度の信頼は受けていると考えるべきでしょう」


 なればこそ相手を知りたいのだが、その相手についての情報が正直少なすぎるのもまた確かだった。


 歩き巫女やら何やらに偽装させた間者の手により、信玄は高い諜報技術を誇って来た。

 だがそれらは多くが当初信濃や上野、武蔵や相模に向かい、最近では駿河や三河遠江、尾張や美濃に向かっており、越前や加賀にはほとんど入っていなかった。たまに美濃より奥に行っても京が限界であり、近江にとどまった者もごくわずかである。

 どんなに高い技術を持った精鋭がいた所で、使う人間の目が向いていないのではしょうがない。今川義元が生きていた時からすでに情報網を張っていた三河尾張と、朝倉滅亡の報を受けてようやく本格的に調べ出した越前加賀では訳が違いすぎる。





「そう言えば浅井の指揮を執るとか言う藤堂とか言う小童は何者だ」

「織田の腰巾着です。それこそ織田の下に脱走して浅井の許しを必死に乞うたとか」

「その上に最近嫁を娶ったとか言う話もあるようで」

「なれば早速後家にしてやろうではないか」

「できるのか、越前でも加賀でも相当な武勇を振るったと聞くぞ」

「何、今度の相手は武士だ。武士相手に何ができると言うのか楽しみではないか」


 田中久兵衛ですらあの程度でしかなかったのだから藤堂高虎については推して知るべしであり、信玄の側近ですらこんな程度の情報しか入って来ていない。


 政澄や景鏡についてもさほど大差はなく、長政から冷遇されているだのすっかり朝倉の誇りを失い浅井に跪いているだのどうでもいい情報しかない。ふたりとも子が既に成人済みでありその子に後を託せるから死に物狂いで来るかもしれないと言うのがせいぜいだった。清綱に至ってはただの「浅井の重臣」でしかない。


 確かに越前が落ちた際に離散した将兵の内大半が一度織田に仕えようとした上で一揆勢に襲われて零落し、そしてそのまま新領主となった浅井に鞍替えしている。

 また加賀の一揆の上に君臨していた本願寺の僧たちの内上層部は加賀で客死し、下層部はどさくさ紛れに石山に逃げたか恥を捨てて浅井に膝を折ったかのどちらかである。


 その両方の国での戦において、藤堂高虎が武勇を振りかざした事は間違いない。だが、それがどの程度の物なのか正確に伝わって来ていない。




「天魔の子か……」




 越中をくぐり抜けて信濃に入った僧からわずかにそんな二つ名を受ける程度には恐れられている事は分かったものの、いずれにせよそれが肩書きだけなのか実を伴うのかまるでわからなかったし、ましてや高虎の嫁が朝倉義景の娘である事など信玄は全く知らなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ