丹羽長秀、嘆息とともに出陣する
「すべては、丹羽様の模倣です」
「どの辺りがだ?」
「氏家様は最後に坊主たちを狙って突撃し、それにより坊主たちは崩れて逃げ出した。そう考えたのです」
ほんのわずかな時間の間に、かつての本拠地とは思えないほどに単なるひとつの城と化した一乗谷城にて、ほとんど見栄も外聞もなく浅井にすがった自分をこの男は平然とほめたたえて見せた。
員昌も深くうなずいている所からして、まったく高虎の言葉が本音でしかないのが長秀にもすぐわかった。
確かに一揆衆における坊主は自分たち武家における武将と同じ役目である。
武将は、敵に立ち向かう最強の戦力でなければならない。
だが仏道の修行はしていても武道の修行などしていない坊主は、単純な戦力としては最低に近い。なればこそ念仏を唱え仏罰と言う名の心理的圧力によって抵抗を試み、またそれが破られたとしても目の前の殺戮者に向かって泰然と振る舞い、仏教本来の目的である極楽浄土への旅路につく事を喜ばねばならない。無論そのために他の衆生の安全を乞い願うと言う善行を為すぐらいは当然である。
そういう坊主がまるっきり理想の産物だとしても、高虎が一乗谷の戦いで対峙したそれは理想からまったく外れた存在だった。
念仏を唱える事すらせず、農兵たちを盾にして自分の身を守ろうとし、挙句とっとと逃げればまだ高虎たちが自分を追ってくれるから他の人間は助かるかもしれぬと言う方向にも考えが向かず、みじめったらしく戦場にしがみついて余計な犠牲を産み出した。
「とは言ってもしょせんは一勝です。まだかなりの余力を敵は残しているはずです、問題は次の戦でしょう」
「いや、それが一揆衆はかなり派手に後退している」
「収穫間近だからでしょうか」
「これは一乗谷やその周辺の城に逃げ込んだ住民からの報告だが、彼らは相当な量の金穀を周辺の村々から奪い取ったらしい。当然それらの村にまともな物資は残っていないし、いたとしても米一粒の単位で守ろうとするだろう。それらを使って冬まで耐えきろうとする事はしない、と言うかできない。何せ三万の軍勢だからな」
当たり前だが三万の兵には、五千の兵の六倍の食糧が要る。もちろん五千の正規兵を動かすにはそれ以上の人間が必要だが、一揆衆と言うのはそういう存在を駆り出しているような軍勢である。食糧を調達したり管理したり、武具を整えたりするような人間などまったくいないで戦を仕掛けた所で長続きするはずがない。
あるとすれば勢いだけだろうが、それを坊主自らが止めてしまった。そうなれば残るのはただ脆弱な装備しかない未熟な兵と、水膨れした大軍とに当てられる物資の不足と言う事態だけである。
「すると今は好機であると」
「気を付けてください、ひとり一揆勢の中に強い男がおりました。間違いなく武士です」
「心当たりはあるのですか」
「ございます。断定はできませんが、おそらくは斎藤龍興です」
斎藤龍興と言う名前を聞いた時には長秀も驚いた。信長からしてみればかつての敵であり義理の甥とも言うべき男がなぜ一揆衆に参加しているのか、織田と戦うのはまだともかく一揆衆にいる理由はまるでわからなかった。
「投降した農兵からうかがった所によると、織田の前に二度現れた面頬をした武者、それが斎藤龍興だったようです」
「なぜまた一揆衆に」
「朝倉家に身を寄せておりましたが、それが滅んだ所一向宗に拾われたとか」
「その斎藤殿はこの戦いで何か」
「前波殿、魚住殿と言った元朝倉の将二名を討ち、さらに氏家殿を討ったのも斎藤龍興です」
「なるほど、すさまじい戦果ですな」
おそらく、朝倉領に入った事には美濃の隣国だったから以上の意味はない。それでも信長と戦おうとしている間に朝倉が滅ぼされ、それで行き場をなくしている内に北へ逃げ込み一向宗と出会ったのだろう。
そして潜り込んだ一揆衆からしてみれば、それこそ守り神と言っても差し支えないほどに敵を殺している。足羽川以北の領国を確保できたのはまったく龍興のおかげであり、坊主たちのおかげではない。
血筋と経験から言えば一国の当主にふさわしい上にまだ若い龍興に手柄を持って行かれてはそれこそ本末転倒だったのである。
「その斎藤龍興がまた立ち上がって来れば攻略は難しいかと考えますが」
「立ち上がって来られればな。丹羽殿、地元の一向宗徒は何人ほどいるとお考えですか」
「朝倉家はもとより一向一揆と戦っていました、と言うか他の方向への戦いに関心を持たない家でしたので、布教は困難でしたでしょう。義景の統治が比較的ぬるかったのでそれなりの数は入っていたようですが、あくまでもそれなりです」
「後続はないのですか」
「ああ、暴徒と化して略奪を繰り返した集団になつくはずもないからな。減る事はあっても増える事はない」
元より身一つで逃亡した龍興に今さら従う譜代の臣はいないか、いてもごく少数である。確かに三度の戦勝でなついた一揆衆もいたが、一乗谷の戦いで討ち死にしたり龍興より坊主を選んでそのまま加賀へ帰ったりした人間も多い。
その上に同じ一向一揆の旗を掲げる連中が蛮行を働いた以上、一向宗と言うだけで今や肩身が狭いはずである。参加したことを隠して平然と百姓に戻る人間もいるはずだ、何せ税率が三公七民なのだから百姓と武士では百姓の方が圧倒的に楽である。そして長秀には一揆に参加した百姓の顔を覚えたりわざわざとがめたりする趣味はない。
「とりあえずは明日か明後日にでも足羽川以北の領国を奪還し、さらに加賀の国境まで迫る事になるのでしょうか」
「ああその事についてですが、お館様から伝言なのですが」
「何でしょうか」
「これは氏家が討ち死にしたと言う報を受けて出した使者がもらった返事なのですが、朝倉の当主たる景鏡殿を金ヶ崎城へ送れと」
「えっ」
員昌の間抜けな声にうなずきながら、長秀は懐から信長の書を取り出して高虎の手のひらの上に乗せた。
越前の領主を信長は決めていない。長秀はあくまでも代官であり、その上で朝倉家の当主として景鏡を据えている。だが朝倉の一族である手前景鏡が越前を支配する正統性は高く、それを浅井に引き渡す事は織田が越前支配を放棄したと考えてもおかしくはなかった。
「一向宗を破った暁には、誰彼の功績であるかなど構う事なく朝倉の当主と越前を備前守に渡せ。五郎左には替え地として南近江に十万石を与える故その地で力と忠義を振るってもらいたい」
「それで、織田様のお言葉通りに」
「ええ、越前は備前守様にお任せいたします」
書状を読み終わった員昌が鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしながら長秀の方を向くと、長秀は御意と言わんばかりに頭を深く下げた。
氏家卜全が死んだ時は崖っぷちの危機であり今とは訳が違う、考え直せと信長に言う事だってできたはずだったが、長秀はこの条件を丸呑みした。
「しかし越前を全て渡せば」
「お館様は一向宗に手を焼いております。此度も浅井家の援軍があって初めて一向宗を押しのけられたような物、今後ともその戦いに手を貸してもらいたいと言う真心を領国の大きさで表すとこうなるのでしょう。ああ無論、他にも敵はございますが」
加賀の先は能登・越中であり、越後である。越後の南は信濃であり、そのまた南は甲斐である。
その三ヵ国に巣くう上杉謙信とか武田信玄とか言う存在を食い止めさせるためならば、浅井や徳川を多少太らせても全く惜しくない。織田は西へ西へと向かい、両家に東を担当させる。それが信長の計画だった。
もちろん長秀もその事は心得ているが、それとは別に浅井にはよくしてやりたいと言う気持ちもある。
何よりこの危機を救ってくれたのは員昌と高虎だし、二人を寄越した長政でもある。それに三河に援軍を送りながら自分たちの方にも兵を向けるなど、まったく誠実極まるとしか言いようがない。
「一乗谷の歴史はほどなく終わるでしょう。金ヶ崎か越前の中心になる」
「そのような」
「一乗谷は確かに越前の中心ですが、もはや戦争に巻き込まれ過ぎました。防衛の拠点ではあっても行政の拠点にはなりえません。そして何より海より遠すぎます」
だからこそ、これから一乗谷が閑地となり既に浅井領となっている金ヶ崎の重要性が増すなどとわざわざ教えた。
尾張の南は海であり、熱田港にはそれこそ各地から物資がやって来る。今川が強かったのも港があるからであり、海運は確実に織田家を富ませ躍進の原動力となっていた。
近江には海はない。琵琶湖はあるがせいぜいが陸路と別の道としかならず、貿易に使える物資の量はたかが知れている。
「ではなぜまた金ヶ崎を」
「それは運と言う物でしょう」
信長とて、本来ならばもう少し山の方を長政に与え、金ヶ崎辺りは自分の領土にしたかった。だがあまりにも浅井領に近いこの地を織田が占めるような事になれば浅井は不満だろうし、最悪浅井が離反したかもしれない。金ヶ崎周辺の割譲案を出した際に表には出さなかった物の悔しがる信長の顔を、長秀ははっきりと覚えている。
「一応備前守様にお伝えいたしますが」
「どうかそうして下され。では我々は足羽川以北の領国を奪回すべく動きます」
それをもって、自分の越前での役目は終わるだろう。
年貢をまともに取る事もなく、越前を出て美濃へと帰る。その上でまた元通り浅井や徳川との付き合いも始まり、さらなる敵とも戦う事になる。
全く浅井を太らせるためだけの戦だったとは言え、それでも有意義な時間であったと思いたいと考えるのは未練だなと思いながら、長秀は職人も商人もすっかり減ってしまった一乗谷城から出陣した。




