表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第二章 「天魔の子」、命名される
20/137

藤堂高虎、天魔の子と呼ばれる

大変お待たせ致しました、いよいよ「天魔の子」の登場です。

 加賀一揆軍は七里頼周を大将に既に足羽川を渡り、東から一乗谷へと進軍していた。




「織田信長は、伊勢の仲間たちを無下に踏みにじり、そして今もなお多くの民たちを爪牙にかけている!その織田の眷属たる浅井にもまた、御仏の名の下に天罰を下さねばならぬ!」


 頼周は馬上で鎧も付けず得物も持たず、ただ数珠と袈裟だけで声を張り上げていた。他の取り巻きの坊主たちも同じ状態で、頭以上に目を輝かせながら農民たちをにらみつけている。


「これは、織田や浅井のための戦いでもある!彼らに謝った道をたどらせる悪しきくびきを打ち砕き正しき道を歩ませるのだ!かつて加賀の民が、民自らの力でそうしたように!今度は越前、いや近江や美濃尾張の民もそうするのだ!そして朝倉のために!」




 まったく現金な口上である。朝倉宗滴と言う男のせいで幾度も幾度も越前侵攻を阻まれて来たと言うのに、こういう立場になったら平然と救い出すとか言い出すなどずいぶんと丈夫な面の皮と手首だった。


 実際問題、義景の遺児である愛王が行方不明である事は織田と浅井の懸案事項であり、両家はその所在を未だに必死に探っている。一応親族の景鏡が織田と浅井の手元にあり景鏡に名目的な当主を名乗らせてはいるが、やはり愛王と比べると正当性は薄い。


「越前守を詐称する浅井長政を討ち取りし暁には、必ずや極楽浄土への道が切り開かれよう!いざ、進め!」


 頼周のその言葉と共に、農民たちが各々なりの得物を高く掲げながら、前進を開始した。


 そして頼周たちはいつものように、最後尾からゆっくり進んでいく。




(まったく、あんな連中とじかに当たるのは御免だ。その点農民と言うのは実にやりやすい)

(そうですな、御仏のためにと言えばたやすく転ぶのですから軽い物です)

(その力をあの浅井にも思い知らさねばなりませんな)


 頼周と下間頼照は、下卑た笑みを浮かべていた。それこそ石山本願寺と言う施設から派遣され、その宗教的権威をもって本願寺の本領と言うべき摂津河内並の領国である加賀を実質手にする事ができたのである。


 名目的には名代、つまり代官であったがその権威は大きかった。



 言う事を聞かねば地獄へ落ちる――その言葉だけで、多くの人間は震え上がった。仏に帰依し仏の世界を見て来たはずの坊主が言うその言葉は、人心をたやすく縛り付けた。




 もしその言葉に力がないのであれば、武田晴信や上杉輝虎がわざわざ武田信玄や上杉謙信になどなるはずがない。個人的な信仰心以上に、形だけにせよそのように僧となる事によって本願寺のご機嫌を取りに来る。甲斐の虎とか越後の龍とか言われている大名たちがそうして自分たちに向かってひざまずくも同然の真似をしている。

 それだけで、本願寺の僧たちはいい気分になっていた。



 だが逆に言えばそれだけに、自分たちにまったく屈しない織田やその同盟相手である浅井と徳川がうっとおしくて仕方がない。


 取り分け二人の心をさいなんでいたのは浅井である。自分たちの本領である摂津河内とも武田信玄領の信濃とも織田領を挟んだせいか接敵しておらず、上杉謙信の越後とも越中を挟んでいる。だから自分たちの手で何とかしてやらねばならない訳だが、正直戦には自信がない。斎藤龍興の手で名目的には三連勝しているものの、それでも将はともかく兵の損失は大きい。


(それにしても、確かにどうしても屈したくないのならば肥えさせるしかないのはわかっているが、にしても……)




 だとしても織田めここまで浅井を太らせる必要もあるまいだろと毒づいてみたが、それでどうこうなる物でもない。


 当初は金ヶ崎までの十万石前後だったはずが、いつの間にか越前全土になっていたらしい。半ば撤退行為の果てとは言え、とてもたかが朝倉の属国であり越前全体の三分の一の石高しかない家に治められる土地ではないと言うのに。


「織田め、そこまで至れり尽くせりしてまで立てた男がどれほどの物か、天に代わって見定めてやろうではないか!ハハハハハハ、ハハハハハハ……!!」


 別に自分が刀剣を振るう訳でもないのにすっかり大将気分になっていた頼周が笑うと同時に、頼照も笑った。







 やがて一揆勢は、かつての朝倉の本拠地である一乗谷城へとたどり着いた。織田と共に浅井の旗が翻り、いかにもさあ来いと言わんばかりに兵たちが弓矢を構えている。


「朝倉を滅ぼしておきながらみっともなくその抜け殻にしがみつくか、ああみじめな物だな。それでいかほどだ」

「旗の数からして六千と見受けられます」

「フン、たったのそれだけか」


 どうせ越前を手にしたとか言っても織田も浅井もにわか領主に過ぎない、まだ人心がなついておらず、まともに兵を増やす事も出来ないのだろう。信長も長秀も長政も実にみじめに思えた。


「素直に御仏に縋りつけば良い物を、無駄に背伸びなどしおってからにあの若造め」

「おい待て、浅井長政はご門跡様とふたつしか違わんぞ」

「おおすまんすまん、この不信心者の間違いであったな」


 既に勝ったも同然だと思っている頼周と頼照の口はやたら軽くなり、二人だけで笑っていた。それに釣られるように周囲の坊主たちも笑うが、それが農兵たちに丸聞こえかもしれないと言う発想には誰も至っていなかった。


「では早速攻撃をかけさせますか」

「とりあえず御仏の慈悲を見せましても」

「いやいやあの織田の仲間です、そんな物はもう無用でしょう」

「わかり申した頼照殿、全軍に一乗谷への総攻撃をかけるように命ぜよ」




 三万の農兵たちが進軍を開始すると同時に、頼照と頼周は陣を構えた。


 もっとも陣と言ってもまともな陣張りなどはされておらず、ただ平野で車座になっていただけである。そこに坊主たちだけで集まり、後方で督戦するのが役目だった。


「一乗谷にはいつごろ入城できましょうか」

「何、この数です。一刻(二時間)もあれば簡単でしょう」


 頼照と頼周のみならず、彼らの側にいる農兵たちすらそんな気分になっていた。

 この時、両名の側にいた農兵は極めて信仰心の強い、逆に言えば本願寺の絶対的な味方である層が大半だった。彼らは本当の本当に、ここで魔王を名乗る男の眷属である浅井と戦って死ねば極楽浄土へ行けると信じて疑わない人間たちだった。










「ん?」


 そんな訳で勝利を信じ西ばかり見ていた頼照と頼周の耳に、いきなり地鳴りが鳴り響いた。一瞬地震かと思い身を引き締めながら下を見たが、地面には大した変化はない。

 頼照が何事かと思ったのとほぼ同時に、農兵が顔じゅう汗だくにして駆け込んで来た。


「南から敵襲です!」

「何!」


 その言葉を共に一斉に南を向いた一同が見たのは、浅井の旗を刺した兵士たちだった。その全てが騎馬隊と思われ、地鳴りもはや一刻の猶予もない事を雄弁に物語っていた。


(しまった!)


 頼照も頼周も、何も言えなかった。三万もの兵を擁していながら、自分たちの護衛には三千も割いていなかった。確実かつ速やかに一乗谷を落とすために、そして何より確実に自分たちの味方になる者をより集めた結果、本陣がこれだけになってしまったのだ。




「坊主だ!坊主を討て!」


 その先鋒に立つ男は、身の丈と同じぐらいもある太刀を振り回しながら護衛兵たちを馬で弾き飛ばす。護衛兵と言っても農兵たちばかりで、まともな甲冑を付けている兵などほとんどいない。しかも横っ腹からの奇襲であったため、あっという間に軍勢は乱れた。


「は、はよう軍勢を呼び戻させよ!」

「そう申されましても」

「なぜだ、なぜ誰も警戒しなかった!」


 一乗谷に攻撃をかけている農民たちを率いる坊主もいたが、基本的に坊主たちは後方に固まっていた。そんな中にいきなり来たと言う事自体、完全に自分たち狙いだと言う何よりの証拠である。

 奇襲の警戒をしなかったつもりはない。だが浅井への敵意を煽りに煽った以上、臆病者扱いされてしまうため守備的な行動を取る事ができなくなっていた。


 そして何より、頼周も頼照も仏教の専門家ではあっても戦争の専門家ではない。


 ましてや直に命のやり取りをした事もないし、そんな装備など身に着けていない。


(くそっ……あっという間に手なずけてしまったとでも言うのか……)


 頼照たちにしてみれば、地元の一向宗徒に対する期待もあった。彼らがいざとなれば立ち上がってくれるのではないか、さもなくとも浅井を何らかの形で妨害するのではないかと言う希望的観測がこもっていたことだけは間違いなかった。だがそれがこうなっていると言う事自体、何も期待するべき事象が起きなかったと言う何よりの証左だった。

 龍興と正信のそういう人間は既にこの前の戦で使い果たしたと言う危惧など耳に入る事もない人間たちは、勝手に絶望していた。




「大丈夫だ、敵は少数!戻ってくるまで耐えればこちらの勝ちだ!」

「そう言われましても!」

「我々には御仏のご加護がある!不埒者の浅井の刃など届くわけがない!」


 この事態を理解した上でとりあえずそれっぽく吠えてみるものの、恐怖心がどうしても先立つ。声が上ずり、汗で数珠も滑る。


「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……!!」

「浅井に天罰を!浅井に天罰を!」


 坊主を気取っていながら、念仏を唱える事も出来ない。天罰天罰と甲高い声で安易に連呼し、威圧するのがせいぜいだった。その間にも、遠慮なく敵は迫って来る。



「ぎゃあ!」

「得物を捨てて逃げれば追わん!破戒僧たちを討つのだ!」

「おめえらなんかに!」

「どけ!それは大地を耕すための物だろう、人殺しは我らの役目だ!」


 騎馬隊たちは農兵たちを薙ぎ払いながら、自分たちに向かって突き進んで来る。


 数はともかく、武士の力を最大限に誇示しながら動くその姿そのものが集団に恐怖を与えた。たまに勇気を奮い立たせて殴りかかって来る人間がいた所で、得物を弾き飛ばされるのがオチである。



「はやくお逃げくだせえ住職様!」

「黙れ!もう少しだけ、もう少しだけ耐えれば援軍が来る!何をする!あっコラ!」

「さあ、もう大丈夫ですだ!早く加賀まで逃げるのです!全ては御仏のご慈悲です!」

「馬鹿者!お前たちから先に逃げろ!お前たちは後について来ればいい!」

「いいえ、大丈夫ですから!」



 ほどなくして二本の足で体を支えながら敵軍をにらんでいた頼照が農民たちによりお神輿のように強引にかつがれ、馬の上に乗せられた。

 馬上から精一杯吠えてやったものの、それでもまったく言う事を聞こうとしない。字面だけ見れば実に素晴らしいが、その言葉の意味が「お前が先に逃げろよ」である事を誰よりもよく頼照はわかっていた。


「ええいもういい!拙僧は勝手に後退するぞ!」

「さあ、お早く、お早く!」


 それでも頼照はみじめったらしく、浅井軍に背を向けまい背を向けまいとしながら歩くより遅い速度で北東へと下がって行った。援軍を待つにしても覚悟が足らず、逃げに回るにも中途半端だった。

 その間にも次々と農兵たちは刃にかかり、故郷から遠く離れた地で土となって行く。


「何をやっている!御仏がご覧になっているのだ!しのげしのげ!ここで死ねばそれこそ極楽浄土へ行く事ができるのだ!」


 頼照が後退を強いられている中、頼周は必死に吠えていた。馬にも乗らず数珠を振り回し、死ね死ねと連呼する。坊主が敵どころか味方にさえ言っていいはずのない単語を振り撒きながら、袈裟を振り乱す。


 その眼前でひとりの坊主が血まみれで入滅してなお、頼周は叫ぶ事をやめられない。その坊主を斬った男は頼周の前に立ちはだかる農兵たちを馬で蹴散らし、どんどん接近して来る。



「浅井家家臣、藤堂与右衛門高虎見参!貴殿が大将か!」

「黙れ、貴様のようなば」


 頼周が罰当たりと言い切る前に、高虎の太刀が頼周の頭の上に落ちていた。両断された頼周の肉体から真っ赤な鮮血があふれだし、坊主たちの袈裟を染めた。


「ああっ七里様!」

「おのれ何たる事を!ゆけ、ゆけぇ!!」

「俗人に用はない!我らの狙いは仏の思いをはき違えた輩のみだ!」




 そして高虎は表情も変えないまま次はお前だと言わんばかりに巨躯を振るわせ、頼周の血が滴る太刀を振りかざした。その風圧と気合だけで農兵たちは逃げ出し、足がすくんだ坊主たちは二の太刀で不帰の旅人となって行く。



「藤堂高虎とか言ったな!その名、二度と忘れぬぞ!」

「先刻承知、そうでなければこんな所に来ぬ!」

「討て、頼周の魂を極楽浄土へ導かせるべく、あの男を討て!!」


 頼照は無理矢理顔を赤くして大声で吠え掛かるが、既に馬に乗りながらゆっくりと後ずさっているような状態で吠えた所で説得力はない。

 それどころか馬の方が人間によって押されている状態で、力づくで下がれ下がれと言われているのと同じだった。


「おのれ、藤堂に天罰!藤堂に天罰を!」

「その視線の先にいるのが藤堂なのか?」

「ふざけるな!貴様」


 頼周の悲惨な死に様を見て腰が抜けた坊主がそんな風に唱えた所で、高虎たちがひるむはずもない。逆に挑発に乗っかって足を止め、わざわざ入滅しただけだった。


「誰か、誰かあの男を討て!誰かおらんのか!」


 頼照が大声で叫びながら農兵たちを集めるが、ことごとく逃げ腰になっていた上に技量でも圧倒的な差のある軍勢が何人かかった所で結果は同じだった。

 一人、また一人と得物を弾き飛ばされ、時には血潮に染まる。




(何という男だ……)


 藤堂高虎と名乗る六尺以上の背丈を持った人間は、大ぶりの太刀と脇差、そして農兵から奪い取った粗末な槍や棍棒を投げ付けたり振り回したりして戦果を重ねて行った。


 口では坊主だけが敵であるように言っているが、実際には聖俗どちらも関係なく平然と手にかけて行く。殺せば殺すだけ、自分の存在を世に知らしめられると言わんばかりに得物を振るう。勝つためには何でもすると言わんばかりに振るう。


「天魔……まさに天魔の子ぞ……天魔の子め……!」


 頼照の全身が震え、動かなくなった。かろうじて動いていた右腕を上げて人差し指を突き出し、天魔の子と連呼しながら目を見開くのが精一杯だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ