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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第二章 「天魔の子」、命名される
14/137

阿閉貞征、一揆に苦悩する

 柴田軍の敗報を金ヶ崎城で聞かされた阿閉貞征はまず腰を抜かし、そして頭を抱えた。




「やっぱり一揆と戦わねばならないのか……!」


 自分が越前侵攻に賛成したのは、金ヶ崎周辺の十万石で済むと思っていたからである。自分がその辺りを治めるとか治めないとかではなく、織田が一向一揆を食い止めてくれるから浅井は楽ができるとか簡単に考えていた。

 久政寄りだったくせにずいぶんと調子よく信長を信じていた事に気づかされると同時に、伝聞でしか知らなかった一揆衆の存在の大きさを改めて知らされた。


 その衝撃の上にこの戦で三万石もの禄高を与えられ、浅井家の家臣としては一番の知行取りとなった身分がのしかかる。主君の長政はすでに小谷城へと帰っており、越前の裁量権はほぼ自分の手にある状態だった。


 しかし金ヶ崎周辺の十万石から集められる兵は無理をしても四千程度であり、とても援軍の役目が果たせるとは思えない。浅井全体でも目一杯出し尽くして一万が限界だろう。




「なるべく多くの人間を集めよ、発言の自由を許すと申せ」


 いい年をしてとか言う見栄も外聞も命には代えられないとばかりに、貞征はすぐさま人をかき集めるように命を下した。

(まったく、どうせいと言うのだ…………)

 急変した状況と近江以上の暑さにぐったりしそうになった貞征がなんとか命令を言い終わるまで足を踏ん張ったが、目が離れると同時に半ば力尽きたように倒れ込みそのままいびきをかいてしまった。










「……一昨日、織田軍の柴田殿率いる軍勢が九頭竜川で一向一揆軍の奇襲を受け撤退を強いられた。

 現在、九頭竜川の北方は完全に一揆軍の物と見なして良い状態だそうだ。織田勢は足羽川を確保しているがその中間は不透明な状態である。

 それで、この話を聞いた上で何か申し述べたき儀がある物があれば好きなだけ申せ」




 不意に始まった昼寝を終えて何とか身なりを整えて大広間に向かおうとし、その際にあまりにも人が多すぎると言われた際にはもう一度眠りたくなった。


 どうやら自分がなかば朦朧とした状態で命令を下したせいか平侍の単位まで収集をかけられ、大広間に人が入り切らず結局本丸屋敷の庭で会議は行われる事になったと聞いた時には自らの不覚を思い、何とかこうして気合を入れて家臣たちに向けて声を張り上げた自分が滑稽で仕方がなかった。


「殿は大変お疲れゆえ、また」

「何を言っておる!時は一刻を争うのだ!つべこべ言っとらんで誰か何か申せ!」

「…………」

「ああもう、誰か何かないのか!」


 侍女の余計なお世話によってようやく我を取り戻し叫ぶ事ができたものの、今度は誰も何もしゃべらなくなってしまった。

 単純にああやっぱり一向一揆は強いんだと打ちひしがれているのか、おいおい阿閉様は大丈夫なのかと不安がる者もいれば、と言うか柴田様って誰なんだよとか世間知らずそのものの事を考える者もいる。


 しかしいずれにせよ、自分たちよりずっと強大であるはずの織田軍がこうも簡単に後退させられたという事実が貞征以下ほとんどの者の心をさいなみ、口を塞いだのは間違いなかった。




「恐れながら申し上げますが、犠牲は三十対幾百とか」

「お主は黙っておれ久兵衛!」



 ようやくその沈黙を破ったのは、久兵衛と言う平侍だった。


 この席でも最後方にいて貞征からはまともに見えなかった存在が声を上げると、これまで何も言えなかった重臣が急に元気になった。


「この報が流れて誰が得をするかは明らかなはずです!」

「うるさい、こんな風にご当主様が下々の者までかき集めて話を聞いたのはそんな悠長な物言いを聞くためではない!本願寺と言う次なる大敵を目の前にどうすべきかと言う意見を集めるためだ!」

「ですから、むやみに敵を恐れる必要はないと言っているだけです!」

「誰でも意見を求めて構わぬと言ったのはわしだぞ」

「は、はあ、ですが!」

「ですがなんだ」

「殿は肝心な事を言い忘れておるのではございませんか!

 その戦、大将は下間何とかと言う坊主ではなく騎馬武者であり、その武者により旧朝倉の二将が討ち取られたのです!

 その上既に九頭竜川の向かい側に伏兵が配置されており、もしその伏兵に気付かずにいたらそれこそ全滅もあったとの事です!これは敵が決して数任せの軍勢などではなく秩序だった兵士の集まりであるという証拠です!」




 小生意気な平侍を言い負かすが為だけに、貞征の重臣は独演会を開始した。


 貞征自身、戦のいきさつについては柴田軍の使者である村井貞勝なる男から聞いて知っていたが、ここで全てを話せばなおさら恐怖をあおるだけだと思い黙っていたのに、この男は堂々といきさつを述べ出した。




「そうでしたか……これは無知の致す所、申し訳ございませぬ」

「わかったらその上でどうすべきか考えろ」

「それが、えーと……」


 素直に頭を下げた久兵衛に対し得意満面で重臣は歯を見せたが、すぐまた沈黙が場を覆った。その重臣が感情に任せて吠えて目先の勝利を得た所で、次に打つべき手などまったくないのは久兵衛と同じだった。


「あの、一揆衆は大軍ですよね。大軍にはたくさんの兵糧が要ります」

「一揆衆は正規兵ではない、それこそ何か武器になる物を持たせれば即完成だぞ」

「むやみに恐怖心をあおるな、対策を考えろ」


 一万石とは一万人の人間が一年間過ごせる米の事だが、兵を動かすにはそれだけでは足りない。


 将ともなれば武器、鎧、馬などなどいろいろな道具に関わる仕事をする人間が必要だし、雑兵にしたって自前の具足を持っている訳ではないし得物などもっとありえない。

 他にも食事を作る人間やその資材を運ぶ荷駄隊など、それこそ一万人の内三百人も戦えないぐらいには戦と言うのは人が必要である。



 だが一揆衆とは、それこそ武器になりそうな農具でも持たせればそれで完成と言う軍隊である。力が弱かろうとも武器さえあれば人間を殺す事は簡単であり、その上に数が加わる事により正規兵たちとも互角に戦える。具足も要らないし、兵糧すら相手のそれを奪えば良いと来ている。何せ仏敵のそれなのだから、何もかも奪っても罰は当たらない。


「おいどうした、人の意見を封殺しておいて何もないのか」

「封殺などめっそうもない、それがしはあくまでも現状を把握させねばならぬと」

「だから、どうせよと言うのか聞いているのだ」


 二度も沈黙を破ろうとした存在を本人にしてみればあくまでも正当なる理屈をもって論破したと言うのに、貞征は不機嫌そうだった。



「とりあえず浅井領にいる一向宗の取り締まりをより徹底すべきかと」

「それでは敵が増えないだけで迫ってくる敵の対処法にはなっとらんぞ」

「それよりも一向宗以外は優遇するという政策を立てれば」

「まだこの地の住民はなついておらん、そんな中で民心に疑心暗鬼を生じさせる策を取れと」

「では軍備を増強して」

「そんな事はとっくにやっている」

「越中や能登と連絡を取れば」

「越前からそれらの国にどうやって使者を送る。武田も上杉も彼らの味方だぞ」



 なればとばかりに付け焼き刃そのものの案を投げまくるが、貞征にことごとく打ち返される。


 そして他に誰も案を出す者はいないまま、多数決にすらなろうとしないまま時ばかりが流れた。暑苦しいはずの夏の城が、湿気が多いまま急激に冷えて行く。













「もう良い、わしが決める。とりあえずこの地の軍を鍛え、その上でとりあえずは織田の次の戦いを詳しく調べる。誰か、丹羽殿の所へ向かい、戦いのより詳しいいきさつを聞いて来てくれ」


 やがてまったく投げやりな調子で貞征が決定を下すと、一気に将兵が退散し始めた。

 ほとんど何にも決まらなかったと言う事だけが決まったこの無駄な時間を取り返すかのように、みな走り去って行く。




「本当に参りましたな、それで」


 残った重臣と近習たちを尻目に、寝起きだったはずの貞征は疲れた顔をして屋敷の奥へと引っ込んだ。


 長秀に向けての書状でもしたためているのかと思いじっと待っていると、貞征は一本の刀を握り込んで持って来た。



「おい、誰かあの久兵衛とやらにこれをくれてやるように言ってやれ」

「それは!」


 久兵衛の一年間の給金にも匹敵する刀、阿閉家の家宝と言うべき刀をたかが平侍に渡そうと言うのか。

 先ほどまでの論議の際にも出なかった大声で重臣も近習も叫び、そのまま顔が動かなくなった。


「いくらわしが発言の自由を謳った所で、あの場において最低級の身分であった事に変わりはない。そこに切り込むとはなかなか天晴な男ではないか」

「とは言え」

「なあお前、またこの阿閉家の領国が増えてもいいのか」

「それは!」


 もしこれが知れれば、また自分の禄高を増やして久兵衛とやらをもらいに来るかもしれない。さすがに現状のままやれば他の家臣から不平が上がるが、新たなる領国を得た際に多量に加増される取引材料としてとなると断りにくい。


「備前守様は本気なのだ。あるいは織田殿の影響を受けたのかもしれんがな。何より三万石もの領国は、まったく備前守様に与えられたのだぞ」


 長政が織田や徳川と手を組んで得たのがこの十万石であり、その内三万石を貞征に渡したのは長政である。主人から領国を受け取ってしまえば、家臣は逆らいにくくなる。

 御恩を与えられておいて奉公がなしでは不義理と呼ばれるし、何より家中第二位の地位まで与えられているとなるとなおさらである。


「買いかぶりだと言うならそれでも良い。だが今の時点でのわしの評価が間違っているなどとはゆめゆめ思っておらぬぞ」

「わかり申した……」

「すぐさま呼んで来い、なるべく丁重な礼を尽くしてな」


 これでも足りないかもしれないのはわかっている。

 それでも藤堂高虎に去られた以上、あの男だけでも繋ぎ止めなければならない。


(柴田殿との戦いの話、あれだけでも只者ではない事が分かる……)


 勇敢な所はとことん勇敢であるくせに、臆病な時は実に臆病。これが才能でなければ何だと言うのか。その男に逃げられた己が失態を悔い、手元に残った人材を囲い込まんとした訳である。










 だがその田中久兵衛は、いきなり貞征の手元を離れる事になった。




「徳川殿曰く、遠江を攻めるので援軍を出してほしいと」

「この状況でか?」


 刀をくれてやった次の日に、徳川家康と織田信長が長政に連名で書を寄越して来た。


「ずいぶんと調子のいい話ですな」

「とは言えその越前を手に入れられたのは誰のおかげだと言うのもまた正論でもある。で、殿は」

「援軍を送ることを決めました」



 この前の朝倉との戦の最大の功績者は徳川家康であり、信長は万石単位の金穀を家康に渡しているのに対し浅井はまだ何もやっていない。



「武田は一見強大ですが織田徳川のみならず上杉北条まで敵に回している状態、おそらく全力は出せないはずだと」

「とは言えなぜ久兵衛を呼ぶ。それで、援軍を出すと言ってもいかほどだ」

「目標は五千でしたが、三千で決まりました」

「まあそんな所だろうな」


 確かに徳川がこの前五千を出した以上、同じ数を出したい。だが絶対的な兵数もさることながら遠江まで連れて行けるような強兵は少なく、農兵が今から行って帰ってとなると収穫期その他の農作業に間に合わない危険性もある。この前は田植えが終わってある程度めどがついた時期だったからこそ家康も無理ができたのだろうが今度は難しい。

 そして久政がまだ何かやらかさないとも限らない手前小谷城にも兵を置き残さねばならないし、もちろん浅井領内部にも西側や越前に備えておくための軍勢が要る。この点でも、東さえ警戒していればいい徳川に比べると損なのだ。


「それで大将は誰だ」

「海北様です。ですが遠藤様がおっしゃるには仮にも相手は武田、将がもう一人ぐらい必要ではないのかと」

「赤尾殿や磯野殿を出せる余裕がないのはわかるが、藤堂与右衛門は駄目か」

「それがしも申し上げたのですがまだ十五の幼年だと。確かに個人的には年下の出世頭に仕えて戦場に出るのはあまり面白くありません」


 単に副将と言ってもあまり年長では綱親との上下関係がわかりにくいし、かと言って伝令となった長政直属兵の言う通り高虎ではいくら何でも若すぎる。この時高虎は富田長繁を討った功績で四十貫(約百石相当)の禄を得ていたが、この飛躍的な出世をこころよく思わない者が家中に多いのもまた事実であった。


「なるほど、それで田中久兵衛に目を付けたのか……言い出したのは遠藤殿か?」

「さようでございます」

「だか久兵衛の禄は与右衛門以下だぞ」

「平侍であれば足軽の上司としては十分との事で」


 負の意味ではないにせよ、足軽からしてみれば高虎と言う存在は敷居が高い。久兵衛ならばそれほど身分も変わらず足軽たちにも受け入れられやすいと言う訳だ。


「殿様も遠藤殿も大したお方だ。お言葉通り久兵衛を遣わすと伝えよ。ああそれと同時に、久兵衛の給与はあくまでも阿閉家が出すと伝えて置け」


 伝令兵がいなくなると、貞征は長政に挑戦するかのように南門へ向かった。


(悪いですが備前守様、買いたければなるべく高く買ってください。あの男は安く売りませんぞ)


 長政はまた、自分の領国を増やしに来るかもしれない。三軍は得やすく一将は求め難しでもあるまいが、しょせん有能な人材の数は有限である。


 自分が有能だと思えばいくらでも抵抗する、家宝同然の刀を与えてやっても。

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