表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第十章 山崎の風
134/137

明智光秀、天魔の子に呪詛を吐く

 馬の鼻息以上に荒い声を出しながら、光秀は高虎に向けて迫る。








「逃げるのか……また逃げるのか……!」

「もはや敵の数が知れている以上味方に頼る事の何が悪いのかわかりませぬ」

「敵の数だと!?朝敵めが、貴様の敵はこの国の良民全てだ!!」

「織田や浅井、徳川の民は良民ではないと?」

「織田信忠、徳川家康、浅井長政、そして貴様!彼らが死ねば良民たちも目を覚ます!そして真なる徳政の元で笑顔に満ちた暮らしを!」

「それができるのは貴殿ではありませぬ!」







 逃げながらも、問答はやめない。


 あくまでも、礼儀正しくありたかった。戦においても礼節を忘れぬ武士でなければ、いずれはこの光秀のように崩れる。


 虚礼と過去ばかりにこだわり、決して前を見ようとしない。自分が考える正義以外の全てを排除し、その実現のために伊勢貞興さえ殺した人間と一緒の次元に、高虎は落ちたくなかった。







「あなたの政は堺も京も壊す政だ!」

「馬鹿を言え、良民と伝統を守って何が悪い!」

「あなたが守っているのは旧弊、いやあなたの自尊心だけです!」




 乱世に傷つくのはどこまでも勝手だし、自分だって相当に傷ついて来たつもりだ。

 だが傷ついたからと言って主君を殺したり、京や堺の民を自分の自尊心を満たすために苦しめたり、ましてや藤堂高虎とか言うたかが一部将に朝敵などと言う烙印を押す事など許されるはずもない。


 いくら佐々木導誉を望んだ所で、信長は佐々木導誉ではない。理想と現実とのすり合わせができない光秀は、もはや人間として破綻していた。




「わしはな、すべては天下万民のため!天下万民を」

「あなたにより堺の民は大きく傷ついたのですが」

「欲望に取り付かれた人間など傷ついて結構!」

「あなたはもうこれ以上しゃべらない方がいい!」

「朝敵めが、朝敵めが!!」




 やたらめったら得物を振る光秀にはもはや理性の二文字はなく、藤堂高虎と言う目の前の敵を斬る事しか考えていないただの獣と化していた。






 駿馬二頭での追いかけ合いは続き、兵たちは置き去りにされる。



「一対一ならば、一対一ならば!わしはこんな卑怯な男に負けはしない!私は正義だ、正義は私にあるのだ……わしは、この手で天魔外道たる藤堂高虎を滅し、主上様と公方様から歓呼の声を受け、その上で極楽浄土へと行くのだ……」




 自分こそが絶対正義と信じ、それにそぐわぬ男を排除せんと欲する。

 そんなただの殺戮者に背を向け、高虎は逃げる。




「もはや戦の帰趨は見えている!」

「ここで、ここでここで貴様を殺せば我らの勝ちだ!貴様さえ、貴様さえいなくなれば!」

「たかが浅井の一武将を倒せば勝ちとは、そんな戦が世の中にあるか!」

「ここにある、いやここで始める!室町幕府の栄光、正しき将軍様による統治の時代を、この手によって、いやここで死んでも構いはせぬ!貴様がいなくなれば、浅井も織田も目を覚まし勤王の志に目覚める!くだらん術で主君をも惑わすとは、この天魔外道め!ハハハハハハハハ、ハハハハハハハハハハハハハハハハ……!!」




 もしこの明智光秀から狂気を感じられないのならば、それはよほど感覚が鈍化しているか、それとも逆に見慣れてしまっているかのどちらかだろう。




 もはや、光秀に知性は残っていない。けだもの、いやけだものよりもっと恐ろしい何かになっていた。



 自分こそ正義、自分だけが正義。天魔天魔とか言うが、それこそ文字通りの悪鬼羅刹ではないか。




「誰があなたなどと心中するか!」

「幾十万の民を地獄へと送り込んでおいて何を言う!すべては、そうすべては何もかも貴様のせいだ!貴様がそもそも、そうそもそも生まれておらなんだら!なぜだ、なぜ天は貴様などこの世に産み落としたのだ!」

「この期に及んで天を呪うのか!」

「天は不当だ、なぜ正しき者に味方せず、悪しき者に味方するのだぁぁぁぁ!!」

「もし公方様が諦めてもか!」

「公方様は、公方様は貴様の術により精神の平衡を失っているのだ!貴様さえいなくなれば何もかも!何もかもうまく行き、元の公方様にお戻りになられるのだぁ!」




 足利義昭の事すら頭になくなってしまったのか。




 足利義昭はずっと前から、尊氏や義満のような勇敢な君主ではなかった。元より権力の道具としてもてあそばれ、激しく主張できる環境にある人間ではなかった。

 ましてや実兄の義輝が松永久秀に殺された時点で、もう派手に主張できる立場ではなかったはずだ。それがもし尊氏や義満のようになれるのならば、それこそ術か奇跡である。




「公方様さえ見えていないあなたなどにもう付き合えるはずがない!御免!」

「逃がさん、逃がさんぞぉ!!」




 二頭の騎馬武者が駆け回り、馬蹄の音を山中に轟かせる。


 最後の最後まで諦めてなるかとばかりに走らせる。高虎もそうだが、馬の負荷などまるで考えていない。


 それこそ信長から賜った馬だと言う事など完全に忘れて、生物の限界の速度まで出させようとする。




「来ましたよ!」

「陸奥守!」


 理性が残っていた高虎には、もはやそんな光秀は敵ではなかった。


 ごく単純な、味方の所へ逃げ込むだけ。そんなありきたりの、いつもの戦法で光秀を捕まえる事ができた。




「行けーっ!!」




 高虎が自分たちを通過したことを確認した長徳の口から放たれたその声と共に、百発近い銃弾が光秀一人を狙うべく飛び出した。







「ハッハッハッハッハ、わた、しは……不死身だ!幕府を再興するまで、死にはせん!」




 四発の銃弾をその身に受け、落馬しながらも光秀は生きていた。



 だが所詮、武将としては盛りを過ぎた四十八の男だった。



 いかに悪鬼羅刹として振る舞わんとしても、所詮はただの人間はただの人間だった。



 天魔の子に術が使えないように、光秀にも数百の藤堂軍を殺す手立てはなかった。



「天下の逆賊明智光秀を討て!」

「待て、俺が手柄を取る!」

「俺がやるんだ引っ込んでろ!」



 その兵たちがやる気満々となれば、なおさらどうにもならない。


 わずかな見込みとして同士討ちもあったが、それを期待する前に前と右前から斬られて光秀は大きく吹き飛ばされ、必死に体勢を立て直して斬りかかろうとした所で、光秀の刀は宙を舞った。




 高虎の太刀が、光秀の右手首を斬り落としたのだ。




 光秀の右手首が宙に舞い、愛刀を地に叩き付ける。地に刺さった光秀の刀から、透明な液体があふれ出していた。




「もはやこれまででしょう。おとなしくお縄を」

「だまれ、朝敵…………」



 隻腕になってなお、光秀は呻き続けた。左腕で吹き飛ばされた刀の柄を掴まんとするが、高虎は手首をつかんで無表情で配下の兵にその刀を渡す。光秀はなおも脇差を抜こうとするが、高虎はやはり無表情のまま三列ほど下がるだけだった。





「まだ、逃げるのか……!!」

「逃げられないあなたの責任です」

「貴様のような、逃げてばかりの……」

「あなたは逃げられない、逃げられないから、こんな事をなさったのだ」






 高虎が手を振ると共に、いったん引いていた兵たちが一挙に襲い掛かる。






「西引けど 爪牙は迫り 光喰い 吉報去って 末法の世へ…………!」










 光秀は最後の力を振り絞って叫び終わると共に、不帰の旅人となった。







(それが貴殿の全てですか、明智光秀殿……………………)







 長徳たちがはしゃぐ中、高虎はあまりにも聞き苦しい光秀の辞世の句に心底がっかりしていた。




「西」は「にし」で二と四、そして「引く」と合わせれば二つ引と言う足利将軍家の家紋。「爪牙」はおそらく自分、高「虎」の武器。




 後の十九文字は多分、高虎が光を食い尽くすことによりもはや誰にとっても吉報はなくなり、末法の時代が来ると言う嘆きなのだろう、光秀にしてみれば。










 だがおそらく吉報は吉法師こと信長の事であり、光喰いの光とは明智「光」秀本人なのだろう事を、高虎はあまりにもよく理解していた。






(確かに貴殿は室町幕府を支える最後の光だったかもしれぬ……だがいくら己が名前の一字から取ったとは言え、よくもまあ……)






 吉報と信長をかけたのはまだいいとしても、いくら自分の名前からとったとしても自分の事を「光」とか呼ばわるなどよほどうぬぼれてなければできる事ではない。


 まるで上杉謙信と変わっていないではないか。


(もし上杉謙信にまっとうな野心あらば、今頃は出羽や陸奥をも占めていただろうに……いやその前にとっくに越中や能登に進出して浅井を止めていたな)


 そんな狂信者と言うべき行いに国全体を付き合わせていては国が持たない。実際ほんの三か月余りで、堺の町は相当にその理想の統治とやらのひずみを受けているではないか。




「ききょうなる 京の都に 苦を超えて ひと世の光 朝ぞ輝く」




 歌を詠みかけられたら返歌をするのが常識であり礼儀、その事を高虎は四葩から聞かされていた。その妻の言葉通りにしてみた高虎の目には、明らかなまでの光秀に対する蔑みと憐れみが込められていた。




 桔梗、すなわち光秀が京の都に生り、全ての苦を超えて人の世界を輝かせ新しい朝をもたらす――—とか言う敗者に対するあまりにも虚しいよいしょなどでは、もちろんない。




 あまりにも現実と乖離した奇矯ききょうなるやり方で京の都に、を超えて降臨した明智十兵衛光秀。彼一人の世(ひとよ)のなかでは輝いているつもりだった光だが、実は朝の太陽が照っている最中に光るあまりにも無意味なそれに過ぎないのだ。




 そんなあまりにも容赦ない高虎の糾弾に、歌道の心得のないはずの兵たちさえ震えていた。




「さて……あともう一人。そのもう一人を取るまで、この戦は終わった事にならない」


 高虎は長徳から渡された光秀の首を抱えながら、最後の目標に向けて馬を飛ばした。

「ぼっちを極めた結果、どんな攻撃からもぼっちです。」→https://ncode.syosetu.com/n4852gp/


連載中です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ