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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第十章 山崎の風
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藤堂高虎、明智光秀と対峙する

「藤堂若狭守、見参!」




 太刀を突き付けながら格好良く言ってみたが、その瞬間四葩から突っ込まれそうな気がして内心苦笑した。


 実際阿閉貞征の犠牲と共に斎藤利三と朝倉景紀から逃げ切り、その後長政の許しを得て天王山攻撃に回ろうとした所で逃げ延びて行く桔梗紋の旗をなんとなく追いかけ、なんとなく発見しただけだったからだ。




「これはこれは……ずいぶんと好機だな……」




 明智光秀の面相は、まったく歪んでいる。


 冷たく端正で引き締まった理知的な部分はどこにもなく、まるで都から流されて幾十年も経った公卿のような顔だった。だがそれでいて諦めや嘆きはなく、あくまでも都に帰って栄光を築き上げてやろうと言わんばかりのすさまじい執念がにじみ出ている。




「しかしだ、呪術を使ってまで首を取りに来たか、まったく恐ろしき男だ!」

「呪術など、そんな物があれば内大臣様を害した段階で、いやもっと早くあなたを呪い殺しております」

「そんな事をすればすぐばれるからだ。それでは民百姓も騙されん!そのせいで、あの上杉謙信公も砕け散ったのだ!」



 ただの人間に向かってずいぶんな物言いである。もし本当に呪術が使えるのならば今口にした通りとっくに光秀などこの世にいないはずなのに、今こうして光秀は高虎を前にしてろうそくが燃え尽きる直前かのように吠えている。



「やはり、上杉を兎大友皇子なる書状をもってたぶらかしたのは貴殿か」

「半分だけ正解だ。たぶらかしたのではなく、目を覚まさせたのだからな」

「たぶらかされたとも言えましょう、その結果上杉はとんでもない不利益を被ったのだから」

「被らせた張本人がよくもぬけぬけと」


 急に整った顔になって、まったく憚る事なく光秀は嘯いてみせた。


 光秀の中では自分が兼山城の戦いにおいて相当に暴れまわったことにされているが、実際はいつものように弱い者いじめの後、強い者から逃げ回っていたにすぎない。

 そのどさくさ紛れを織田軍や清綱、徳川軍が付いてくれたからこそ勝利できただけで、自分の功績など布切れの端っこ程度でしかないと思っていた。


「だいたい、朝敵の分際で何を笑っている?今すぐ自ら腹を斬るか、それとも首を差し出すかするのが正しい道と言う物だろうが」

「朝敵を守るために一体何人の人間が味方しているのか、それが全てでしょうに」

「ふざけるな!せっかく八方手を尽くして正しき道を歩むことの意味を教えてやろうと思ったのに、なぜことごとく逆らう!」

「だいたい、なぜ私なのです?織田中納言様でも、我が主浅井越前でもなく。それが精一杯なのでしょう、今のあなたの」

「朝敵がしゃべるな!」

「人の得意技を奪わないでもらいたいですね」

「減らず口を叩くな!」

「逃げるのが得意なのは私だけで結構なのに」


 朝敵などと言う汚名を投げて寄越された所で、痛痒を感じるほど今の高虎は弱くなかった。今の高虎が恐れるのは浅井と織田と徳川の没落、そして四葩・お桂・千福丸・若菜たちの死と病のみだった。

 自分を差し出してその間に体制を整え、あるいは最後の頼みと言うべき毛利や本願寺をも説き伏せてこの状況を確実にすると言う案もなくはなかった。確かに弱腰の極みではあるが、だとしても無理矢理仕掛ける必要もなく返事を伸ばし伸ばしにして……と言うやり方も十分可能だったはずだ。

 それをしなかったことが、朝敵の二文字の重みの程度を示していた。その上に朝敵が朝敵がとわめくばかりの光秀のせいで、その重みはますますなくなって行った。


「八方手を尽くしたとか言いますが、貴殿は私に何をしました?まさか大倉見にやって来て先祖である中原氏についてべらべらと好き放題に述べた事ですか」

「私はそうして主上様と公方様の家臣であることに自覚を抱いていただきたかった。だがそなたはまったくそれを自覚することはなかった!」

「好き放題に思いの丈をぶつけるだけで人を変えられるのならば誰も苦労いたしません」


 確かにあの時光秀の熱意は感じた、だがその熱意が高虎に伝わる事はなかった。かつて夜伽に来たはずの侍女に向かって信長の自慢話をした自分のように、ただ言いたい事を言っているだけにしか思えなかった。


(もしそれで私が勤王家になるようであれば手の平を返したかもしれないとでも言うのか…………)


 光秀の目が高虎と言う餌を目の前にして、飢えた獣が活力を取り戻したかのように元気になって行くのが恐ろしかった。


「ここで私を斬ったとしてもこの戦の帰趨はすでに見えております。毛利家は去り、本願寺は我々に付きました。他の幕府方勢力は浅井と織田と徳川に滅ぼされるでしょう。もはや公方様を守る人間はほとんどおりません」

「なればすぐさま首を寄越せ!」

「逃げるのは私の得意技ですので」

「また逃げるのか!そうやって逃げ癖を直さなかった結果、一体何人が犠牲になった!」

「柴田殿については気にする事はない、そう前田殿から聞かされました」




 逃げ続けると言う自分のやり方について、高虎が後悔したことは一度もない。




 天竜川でも決して山県昌景や内藤昌豊と言った武田の猛将に正面から当たらなかったせいで信玄を討ち取る事が出来たのだし、兼山城の戦いではそれこそそのやり方を信忠と清綱がうまく利用してくれたせいで上杉軍を破る事が出来た。むしろ誇りに思っているぐらいだ。


 もし柴田勝家と本気で立ち会っていたらとか考えた事がない訳ではなかったが、それでも落ち込んだ自分を励ましてくれた前田利家と四葩のおかげで自分のやり方により一層自信を持てるようになっていた。




「これまでも、これまでも幾度となく勤王の志に励む機会を与え、それを拒めばどうなるか身をもって教えて来たはずだと言うのに!その耳も目も何のためにあるのだ!」

「いつ何時です!」

「主君の父親を殺したのはいつだ」

「殿が討ったのは武田信虎だけだ!」

「主君の父親に刃を向けたのはいつだ」

「謀叛人に刃を向ける事の何が悪いんだよ!」

「親に刃を向けられると言うのは、よほどの不始末があると言う事だろう。長政はなぜそなたなどを取りおとなしく加賀に引っ込んで信長の妹を斬ろうとしなかった?」

「まさか貴様か!」

「やっと気が付いたのかこの朝敵の犬どもめが」




 光秀が得意げに高虎に対する糾弾を続ける中、腹を立てて割り込んで来た長徳に対しても得意満面で言葉を紡ぎ続ける。その上で久政の妄言だと思っていたあの時の条件をすらすらと述べ出した事に気付いた長徳がさらに吠え掛かるが、光秀はなおさら元気になるばかりだった。




「すると武田信虎を小谷城へ送り、下野守様をそそのかしたのは」

「私だ」

「まさかとは思うがあの朝倉景紀に愛王をさらわせたのは」

「私だ」

「どうやってそんな大それた真似をしたんだよ!」

「すべて、流浪の時代に使った人脈と幕臣としての権力によりやってみせたのだ。

 すべては室町幕府のために、その頭にどうなるか思い知らすためにな。まったくの無駄だったようだが……ああ残念だ、実に残念だ!」







 足利義昭が武田信玄に上洛を促していた事は高虎も知っている。


 その理屈で行けば信玄を動かしたのも光秀であり、要するにこの四年間の織田・浅井・徳川を襲った災厄はすべて光秀から出ている事になる。







「だったらなぜ織田に仕官したのです!」

「佐々木導誉の匂いを感じたからよ。

 だが信長は佐々木導誉ではなく、平清盛だった。

 どんなに破天荒な真似をしようとも決して幕府への忠義心を失わなかった導誉と違い、信長は自分の権力に溺れ全てを破壊する男だった。

 比叡山を焼いた時、私は心底から恐怖した。もはやこの人間に天下を任せることはできないと判断した。次の日からその身柄を織田に置きながら、なんとかして目が覚める事を願いながらひそかに計画を実行した」

「まさかその一環として公方様を一度放り出したとか」

「ああその通りよ、あらかじめ公方様と示し合わせておいたのだ。武田の役立たず親子が揃って倒れたせいで計画が無許可に前倒しになり、公方様にさんざんそしられたがな。あの時はもう、本当に悔しくて仕方がなかった!」


 北近江の守護である京極氏の先祖である佐々木導誉は、バサラ大名の代名詞と言われるほど破天荒な振る舞いが多い男だったが、それでもほんの一時南朝にひざを折りながらも最後まで足利家のために動いたと言う点だけは変わらなかった。


「ですが結局のところ、佐々木導誉と言う人物も新しい世のために動いたのでしょう。今ここにいればおそらくは自分が盛り立てたはずの将軍家の有様を見て滅ぼそうとするでしょう」

「浅井にそんな言葉など期待していないがな、しょせんは佐々木導誉の末裔を」

「でないとしても、尊氏公のように自ら前で戦い幕府の威を取り戻して欲しいと思うかもしれませぬ。今の今まで引っ込んでいるような真似などさせなかったでしょう」

「朝敵がさかしら気に語るな!」

「朝敵と言う単語は人の口をふさぐ護符ではございませぬ!」

「勝手に先人の行動を現代に当てはめて推測し、それで人の頭を叩きに来るなど、だから下賤なのだ、この朝敵は……!」







 こんな光秀について来た人間はあまりにも不幸である、そんな考えに高虎が至ったのは別に不思議でも何でもなかった。


 自分が佐々木導誉をああだこうだ言うのは許されても、高虎には許されていないのか。

 それこそ何様だであり、差別でしかない。まったく威張りくさった態度である。これで慈悲とか徳政とか抜かした所で説得力はない。自分について来る、と言うか自分が認めた人間以外にはまったく冷たくなるような人間がだ。










「残念ながら、貴殿に正義はない!」







 高虎は太刀を光秀に突き付け、高らかに叫んだ。




「幕府の復活か、実にきれいだ。けどそのために貴殿は何を犠牲にした?」

「我が身だ」

「違う。数多の命と、そして富だ。

 加賀一向宗のあの二人も、上杉謙信も、己が大義を貫かんとして数多の犠牲を出しそして叶わなかった。加賀はすっかりやせ細り、越中は今や完全に浅井領と化し、遠からず弱り切った越後に攻撃が加えられよう。

 そして最初は己が野心と共に動き、次は上杉に引きずられて動いた武田家はもはや余喘を保つのみ。さらに言えば、浅井の先代もただ父親と言う権限にのみしがみ付き、その威を最後までまったく信じたままひとりの幼児と多くの小谷の民を苦しめた。

 これが大義名分にしがみついた人間たちの末路だ!」







 まともな大名であれば、領国を守るためにその国を豊かにせんと奔走する。それにより国は富み、住民は安寧と富を楽しむ。それにより住民は大名になつき、大名も豊かになり強くなる。まさしく正の循環だ。







 だが大義名分、思想信条のために動く人間は違う。

 ましてやその大義名分が、富貴を否定するような物だったりすると非常にまずい。

 一向一揆などは御仏のために死ねば極楽往生などと言う現世利益から真逆の位置にいる団体だ。実際一向一揆が支配していた加賀はかなり荒れており、国を立て直すためにかなり浅井家と磯野家は苦労を強いられている。




 また幕府再興とか言っても、結局は幕府と言う政権の中核に立つことにより甘い汁を吸いたいだけである。

 そしてその甘い汁は、決して富貴とは限らない。幕府再興の士、忠義の臣。そんな幾百年単位で受け継がれる名前もまた、甘い汁である。


 だがその甘い汁は、やっぱり現世の人間には役に立たない。







「残念ながら貴殿のやっているのは独り相撲だ。自分の中で理想の幕府を作り、理想の政を作り、それに当てはまらない現状を変えようとしている」

「誰だってそのために戦うのだろうが!」

「近衛様のような公卿や堺の町民たちが、なぜ懐かぬか考えた事はありましたか!」

「応仁の乱により弛緩した幕府の統治がまずかったのだ、百年かけて緩んだねじをこれより百年かけて」

「耶蘇教と言う遠い国から来た教えが入っている時点で全く違うのです!」




 百年前に正しかったからと言って今正しいとは限らない。戦場だけでも鉄砲が普及して久しく、百年前と同じ戦い方を許さなくなっている。商売だって百年前に利益を上げたやり方がまた通用するなどと言う法はどこにもない。

 光秀のやり方で肥えたのは旧弊勢力と言うべき寺社や地頭ばかりで、本願寺さえも庶民が光秀になついていない事を知って利益を光秀に内緒で商人たちに還元していたぐらいである。圧倒的多数の光秀のやり方を歓迎していなかった中立の人間たちが、松永久秀たち「織田方」勢力を支援し始めたのはまったく光秀の責任だった。



「誇り高き兵士たちよ、朝敵を」

「朝敵朝敵と言うだけで人を動かそうなど、もう大概にしてもらえませんか」

「主上様と公方様のために」

「主上様や公方様はいつからあなたの道具になったのですか!」

「おうとも!殿、こいつをぶった切っていいですか!」

「構わぬ、だが命を無駄にするな!」

「……朝敵め!!」


 耐えきれなくなったように山崎長徳が駆け出すと共に、光秀軍も高虎軍に衝突した。



 この戦の勝ちはともかく朝敵藤堂高虎だけでも討ってやろうとする明智光秀の意志が乗り移った明智軍は一斉に襲い掛かるが、光秀を取れば戦は終わりだと見ている藤堂軍もまた激しくぶつかる。そんな風に共に強い意欲を込めた軍勢同士のたたき合いとなると、どうしても数の多い方が有利になる。




 多少の犠牲はあったものの、二千五百の藤堂軍が五百の明智軍を押し出すには大した時間は要らなかった。




「武器を捨てよ!さもなくば命は助ける!」

「ここで逃げればおぬしらは朝敵となるぞ!」

「明智光秀を討てばそれでよい!」




 高虎も光秀も得物を振るい、敵兵を斬る。


 いつものようにおこぼれ拾いに徹する高虎に対し、光秀は高虎の方を狙って強引に進んでくる。もちろん高虎のそばにいる軍勢はその親衛隊であり、練度も装備も雑兵たちに勝る。いくら光秀の軍勢の中で残っているのも親衛隊に近いとは言え、やはり兵を減らすには非効率である。




「そうだ、そもそもだ!そもそも貴様がかような事をするから!」

「かような事とは」

「なぜだ、なぜかつて織田の元へ走った!さもなくば織田と浅井は仲違いし共倒れになっていたはずなのに!貴様のせいで、貴様のせいで!!」

「たかが一人の雑兵が暴走した程度で壊れるのならば、その程度の存在だったのではないですか」

「それにより数多の犠牲を作ったことに付いて何か反省はないのか!」

「何もございません」




 一発逆転を狙う乱暴なやり方で無駄に犠牲を増やす光秀、もはや雑兵と変わらないやり方で功績を漁る光秀に、高虎は初陣を思い出した。


 あの時も富田永繁に襲い掛かった上司や同僚たちは討ち死にし、満身創痍になった永繁を自分が討ち取ったのだ。




「貴殿と打ち合うほど私は命を無駄にする趣味はない。ごめん!」







 だから高虎は、これまでと同じように踵を返した。まだ死にたくないからだ。







「また、逃げるのか!」

「もはや貴殿に味方する者がどれだけいるのか。我々に味方する数多の者たちがあなたを討ちましょう。長徳、もう構う必要はない」

「まあそうですね。今なら武器を捨てて付いてくれば投降した事にするぞー」


 長徳の呼びかけと共に疲れ果てていた雑兵たち、それこそ今度の戦で山城や丹波からかき集められた雑兵たちは次々と武器を捨て出した。




 止めるべき親衛隊は、光秀自ら高虎にぶつけて潰してしまっていた。










「たぁーかぁーとぉーらぁー!!」










 光秀は山崎中に聞こえる声を上げながら、自軍の兵をも弾き飛ばし出した。




「貴様、貴様だけでも!朝敵藤堂高虎め、この主上様の使徒たる明智丹波守光秀の手によって、貴様だけでも殺してやる!!」

「ぼっちを極めた結果、どんな攻撃からもぼっちです。」→https://ncode.syosetu.com/n4852gp/


こっちもどうかご覧くださいませ。

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