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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第十章 山崎の風
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山中鹿之助、明智光秀となる事を恐れる

 毛利が背中をむき出しにしている。こんな好機を、わざわざ見過ごす手もなかった。



「天は我についに好機を与えた……!小早川隆景か吉川元春、どちらかは獲れる!」




 幾年越しの悲願。尼子家を滅ぼした憎き毛利元就の次男と三男。


 そのどちらかだけでも獲れば、毛利は一挙に傾く。




(明智光秀に肩入れしたとあれば毛利を討つのは容易い。堺でも毛利は不人気だと言う事ぐらい、この私だって知っている!)




 小早川軍が上陸料を取られ兵を降ろせなかったと聞いた時には思わず笑ってしまい、その上でこうして二万もの兵を持って来たと聞いた時には闘志もみなぎった。


 だと言うのにずっと本陣に留め置かれ、先の見えない明智勢との戦いに辟易していた。



「明智光秀もまもなく崩れる!我々には織田や浅井、いや徳川はおろか本願寺さえ付いている!」



 天下無敵、勇気満々だった。

 その本願寺をして崩れない明智軍を崩せば、その次に待つのは毛利だ。




 忌々しい一文字三つ星の旗はまだ視界から消えていない。


 明智も、足利さえも毛利を討つための道具であり踏み台である。そう割り切っている鹿之助と彼に率いられし部隊は、明智陣に一挙に飛び込んで行く。


 整然と動いていたはずだった明智軍が、この予想外の突撃により崩れた。



「藤堂高虎を討て……」

「そこをどけ!毛利を討つ邪魔をするな!」



 鹿之助の頭に、藤堂高虎の文字はなかった。


 そんな相手に高虎は悪だ、高虎を斬れとか言われても通じる訳がない。本願寺勢や浅井本隊でさえ予測できない方向から出て来ただけで対処しきれなくなっていたのに、更なる勢力の登場でもはや耐えきれなくなった。


「ここで引けばこの国に平安はなくなるぞ!」

「道を開けろ!道を開けて毛利を討たせろ!」

「ならまず藤堂高虎の首を持って来い!」

「友軍の将の首を切る奴がどこにある!」

「あんなのを友軍と呼ぶ方が間違いだ!」

「貴様こそ毛利の友軍なのが間違いなのだ!」


 お互いがお互いの都合を、まったく関係ない第三者の名前を使って押し通しあっている。


 この戦は本来明智光秀と藤堂高虎の都合の問題のはずなのに、大した関係のない第三者が勝手にもめているのだから実に滑稽である。




 そんな風にくだらない喧嘩をしている内に、明智軍はいよいよ瓦解していく。戦場はどんどん北へと押し上げられ、しかしその度に毛利の背中は遠くなる。










「早くどけ、京まで逃げられたらおしまいではないか!」

「落ち着かれよ山中殿!この戦の目当ては明智であって毛利では!」

「そういう事だ」


 明智軍に強引に穴を開けて突き破った鹿之助に向けて、一本のなぎなたが振り下ろされる。将と思しき立ち姿をしたそのなぎなたの主を、なまなかな存在でないと見抜くのは本来ならば簡単だったかもしれない。


「邪魔だどけ!なぜ毛利を討つ邪魔をする雑兵めが!」

「明智左馬介秀満だ、藤堂の使徒山中鹿之助め覚悟せい」

「早くどけ!」




 明智秀満。


 光秀の従兄弟にして斎藤利三と並ぶ明智軍の将、ついでに言えば阿閉貞征をも討ち取った男に向かって雑兵と呼ばわりながら、槍を叩き付ける。




「いい腕だ、だがあの男の下ではその刃も歪む。我々の仲間になり、清らかな刃として尼子を盛り立てよ」

「黙れ毛利の味方!」

「毛利は公方様の味方だ。毛利と共に繁栄すればいいではないか」

「どこかへ消えろ!」



 毛利は毛利、尼子は尼子。



 織田に降ってからと言うもの、信忠を含めありとあらゆる人間から言われてきた科白だった。

 天下人と言っても過言ではない織田、その織田に次ぐ国力と言っていい浅井、そしてその両者から強いと言われている徳川。その力をすべてぶつければ毛利など粉砕できるはずだ。

 ましてや武田は滅びかけ、上杉は惨敗、北条も大きく動けない今が絶好機のはずだと言うのに、信忠も信盛も決してその方向に進もうとしない。



「貴様も、貴様も毛利のしもべか!」

「私は公方様のしもべだ」

「尼子一族の無念を思い知れ!」



 信忠に腹を立てるかのように必死の思いを込めて突き出した槍は、しかし自分に向けられた明智軍の刃がそうであったように的外れな相手を射抜くことはない。


 毛利への憎しみで焦燥に駆られて出された刃は自分の体勢を崩しただけであり、その隙を突かれて秀満のなぎなたを叩き付けられてしまった。あわてて身を逸らして返す刃から逃げたものの、それでも兜の前立てが犠牲になってしまった。



「惜しいかな山中鹿之助、目が藤堂高虎めに曇らされておらなんだら……」

「何を言うか、こんな所で……!」

「おのれ藤堂高虎め!」



 藤堂高虎の名を連呼しながら、秀満は鹿之助に襲い掛かる。体勢を立て直す事もできないまま押され続け、一撃も打てなくなってしまった。



「今からでもまだ間に合う。公方様のために」

「この野郎!」



 その秀満の右側から、また別の二本の槍が飛んで来た。


 他の誰よりも鹿之助を勇気づける存在が。


「これは前田殿、田中殿!早く毛利めを!」

「今は面前の敵に注力しましょう!」


 前田利家とも田中吉政とも、本能寺の変以前からも以後もほとんど会っていない。だがそれでも毛利により大事な人物を失ったことは同じであり、仲良くできると思っていた。


 誰よりも共感してくれそうな人物の登場は一挙に鹿之助の魂を再燃させ、槍の輝きを取り戻させる。

 さすがに三対一では分が悪かったはずだが、それでも秀満はなかなか死んでくれない。




 結局四十合ほど打ち合った末に、鹿之助の槍が明智秀満の喉を貫いた。





 その間に明智軍は本願寺軍や徳川の本多忠勝らによって討たれ、秀満の供をする人間はもはやこの世にはいなかった。







 そして、毛利軍も視界から消えていた。






「その首は貴殿が取られよ」

「私は……!」

「それで此度の戦は十分であろう。貴殿には、生きてすべき事がある」

「前田殿は!」




 勝利の感触も何もない中精根尽き果てたように馬上でへたり込み、そうして頭が冷えた途端にああこれは主将である信忠の命を無視した無断突撃だったなと自分の行いを悔やむ鹿之助の前で、利家は秀満の首をもいで鹿之助に手渡した。




「親父殿や成政の事はもうあきらめている。二人とも戦場で死んだのだ、こちらだって毛利の兵を相当に斬った。もうこの辺で良いのではないか」

「この辺で…………」

「尼子家を立てる志、半ばで終わらせる気か。貴殿の役目は毛利を滅ぼす事ではない、尼子を盛り立てる事が役目であろうに!」

「……逃げろと」

「ああそうだ、逃げられよ!その功績、織田中納言殿にも浅井越前守殿にもとくとお伝えいたす!正直てこずっていたからな、なあ前田殿!」



 田中吉政と言う若き英傑ですら逃げろと言う。


 確かに、毛利軍はこの戦いでかなりの打撃を受けた。


 明智光秀などと組むことにより上方での評判を落とし、村上水軍の維持すらも怪しくなるかもしれない。本願寺から上陸料をふんだくられたような事が起こると思うと、それはそれで非常に面白くなる。


(ああいかんいかん、武士らしくもない……しかし、確かにそうだ。もうこの辺でいいのかもしれない。何より…………)


 もしこのまま突っ込んで行ったその先に、何があるか。


 たった今自分が殺した、明智秀満と言う堺の町を荒らした男。その主人の光秀もまた、幕府こそ絶対と信じてあんな事をさせた。




「わかりました……織田中納言様に無断出撃を詫びねばなりませぬ」

「その時はそれがしも弁護いたしますので」




 鹿之助は明智秀満の首を抱えながら、ゆっくりと本願寺軍らと入れ替わるように後退していった。その顔におよそ悪鬼羅刹の迫力はなく、前田・田中・本願寺軍の中をゆったりと下がって行く姿は勝者のそれになっていた。




 ※※※※※※※※※










 鹿之助が勝者の顔をする中、この男は敗者の顔をしていた。







 五百ほどの手勢と共に、天王山から北西へと逃げ惑う一行の主は、もはや武士の体をなしていなかった。



 得物こそ握っているが目は虚ろ、口はだらしなく半開きであり、髪は乱れ桃尻になっている。



「殿、どうか丹波まで」



 兵たちに声をかけられるが反応はない。




 桔梗紋を掲げた部隊の大将こと、明智光秀はもはや別人のような顔になっていた。




 何もかも信じられなかった。




「なぜだ、なぜ誰も幕府に従おうとせぬ……」



 うわ言そのもの調子で、ずっと馬上でそう言い続けている光秀の顔は、もはや真っ当な人間のそれではなくなっていた。



 自分は公方様と共に、正しい道を歩いて来た。確かに少し急だったかもしれないが、それでも本来の道に戻るのであれば別に問題もないはずだった。

 自分の手によって織田信長によって乱れた世を正し、良民だけでなく古き良き勢力からも歓呼を受ける予定でいたと言うのに。



「顕如殿、いや顕如はなぜに織田の、いや藤堂の尻を舐めるような真似を……また焼き討ちをされたいのか……!」



 古き良き勢力の筆頭のはずの顕如からの裏切りはすべての希望を絶望に変え、その分だけ本願寺に対する言葉を荒れさせた。



 漏れ聞こえる話によれば顕如が送った三千は破門済みの破戒僧であり、ある種の囮だったと言う。すなわち、捨て駒。

 坊主がそんな非道な策を取るのもさる事ながら、完全に織田、いや藤堂高虎を取ったのが未だに信じられなかった。




 おかしい。何もかもおかしい。


 やはり藤堂高虎は呪術を使うのだ、天魔外道なのだ。そのせいで本願寺すら操られ味方になってしまったのだ。

 解放してやりたい。でも出来っこない。毛利はどうやら逃げた。


「島津……」


 そんな名前がいきなり口を突いて出て来る。かつて足利尊氏が九州まで落ち延びたように、義昭にも薩摩まで行けば立ち直れるかもしれない。



 だがまずその義昭の姿がない。あの本願寺の裏切りと共に明智軍本隊はあっという間に四散して、自分でさえその動向がわからない。

 斎藤利三の死の報が入っている以上既にこの世の住民ではないのかもしれないが、とにかく少しだけでも会いたかった。



「公方様……公方様……」




 定まらぬ目つきで歩き回るこの集団に、一本の矢が飛んだ。







「蔦紋です」

「何!」







 そして、その矢を放った男たちの掲げる旗が、生ける屍たちに活力を与えた。







「まさか……!」

「藤堂若狭守、見参!」

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