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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第十章 山崎の風
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本願寺顕如、決断を下す

「馬鹿な……!」



 他に何も言いようのないと言わんばかりの光秀の叫び声に構う事なく、下間頼廉自ら数珠を振りながら馬を走らせる。



「馬鹿なも何もない!明智光秀、この主君殺しの上に民を苦しめる逆賊が!仏罰を当てるべきはそなただ!」

「なぜ、天魔の子に味方する!この国を亡ぼす気か!」

「天魔はそなたであろう、このうぬぼれ男が!」



 光秀の叫び声など知った事かとばかり、僧兵たちがなぎなたを振るう。





「これは何かの間違いだ!」

「天魔外道め、顕如様まで惑わすのかぁ!」

「ああ、もうこの世界には夢も希望もない!!」





 高虎に惑わされた阿閉貞征を討ちいよいよ高虎を討つも他の軍を討つも自由だと思っていた所に現れたまったく予想外の敵軍の前に、あれほどまで統率の取れていたはずの明智軍はいっぺんに崩壊した。


 光秀をして絶対に裏切らないと思い込んでいた存在のこの行いは、光秀の手駒と化していた兵士たちの心を叩き折るには十二分過ぎたのだ。



 ある者は逃げ出し、ある者はやけくそになって突撃して僧兵の刃にかかり、ある者は絶望して自害し、そのいずれでもない者は投降しようとして無惨に斬られた。







「武士も幕府も坊主と同じだ、結局それの存在を望む百姓がおらぬ限り成り立つ物ではない。それが住職様のお言葉だ」



 頼廉自らの声に駆られるように、疲れていない僧兵が一挙にやって来る。



 一人、また一人、明智軍の兵士が次々と刃にかかって行く。



「なぜだ……なぜこのような!天魔外道になぜ与する!」

「天魔外道でないからだ!」

「朝敵だぞ、朝敵、主上様の」

「主上様から言われぬ限り知った事か!!」

「本願寺顕如よ、天魔外道を」

「天魔外道とは明智光秀の事だ!」



 わずかに整然とした兵たちが残ってこれまでと同じようにどのように言葉を振りかざした所で、次々に僧兵たちは襲い掛かる。

 織田や徳川を惑わし、浅井の重臣を飲み込み、毛利をも傾かせたはずの口上が全く通じない。


 そのせいか知らないが崩壊する明智軍に向けて、顕如は悲しみを込めた目で見つめながら手を合わせていた。



(織田や浅井から人心が離れなかったはずだ、対立していた勢力がこれほどまでにひどい真似をして来たのだからな……)



 反宗教改革とでも言うべき幾度に亘る綱紀粛正、そしてその上で起きた本能寺の変とそれ以降の光秀の政。




 その全てが、こうして本願寺に浅井の味方をさせていた。




※※※※※※※※※







 謙信の敗戦後、顕如は織田・浅井・徳川の三家の事を考えていた。



 顕如とて上杉謙信を当てにしていたのは変わらなかったし、大敗を喫したと聞いた時には絶望もした。だが同時に、ある程度敵の正体を掴めた気もした。



 織田は巨大勢力だが信忠はまだ若く信長ほどに恐ろしくはない。ともすれば何とかなりそうな気もするが、やはり信長の所業がある以上こちらからは踏み込みにくい。長政もまた話の分かりそうな気配はあるが、高虎に関して信忠と同じ事が言えた。

 しかし家康にはそのどちらとも違ってこれと言った障壁はない。一応独立時に一向一揆とやり合っているが、責任者と言うべき本多正信が浅井に仕官してほぼかたは付いていると言っていい。



「その気になれば話は通じるかもしれない」



 それが顕如の見識だった。もちろん本願寺内部から反発の声が上がりまくったが、それでも顕如はその見方を変えるつもりはなく、なおも静観を貫いた。




 やがて時が経ち、織田・浅井・徳川連合軍が大和に入ったと言う報が届いた。




「今こそ我々は出陣し、比叡山の無念を晴らし仏罰を加えるのです!」

「もう少し待て」

「待てと申しますが!おそらくあの三家はあの松永を味方にしております!それを討つ事の何が悪いのです!」

「どうやって勝つ?」

「どうやってとは何ですか!」



 気色ばんで迫る僧に対し、顕如は首を横に振る。


 松永久秀に対する恨みつらみ憎しみがあった所で、それがいったいどれほどの力になると言うのか。

 二年前に久秀に挑んで負けたのはなぜか。

 幕府軍をもってしても久秀を破れないのはなぜか。


 それらの問題の答えも出せないような人間たちが、まったく弱っていない松永軍にどうやって勝つのか。その問題が頭からそっくり飛んでいる彼とその取り巻きたちを見る顕如の頭は、どこまでも冷えっぱなしだった。



「どうやっても何も、幕府の力あらば!」

「そなたらはまだ分からぬのか!確かに仏法を貶めるつもりはひとつもない!

 だがだとは言え、それに耳を貸さぬ者を悪として規定する事が一体何を呼ぶのか、いい加減理解するべきであろう!

 それもわからぬのであれば、本願寺から今すぐ去れ!」







 この最後通牒に、三千名ほどの僧兵が立ち去った。







 教如は去り行く僧たちの行列に目を白黒させたが、顕如は無言でじっと座るだけだった。


「ち、いや住職様は織田に味方するのでは」

「……織田にはせん。だが幕府にも味方はせん」

「日和見などできる訳がございません!彼らは間違いなく幕府側に付きます!さすれば世間は本願寺は幕府に付いたとみなしますぞ!」

「だから、藤堂若狭守に馳走してやるのよ。頼廉、準備を整えよ!」







 あまりにも突拍子もなかっただろう自分の言葉に教如が愕然とするのも構う事なく、顕如は側近の下間頼廉に出撃準備を整えさせるべく命を出した。







「織田ではなく藤堂など、ぶしつけながらそれは屁理屈と言う物では」

「この戦は、織田・浅井・徳川対幕府・明智・毛利ではない。藤堂若狭守対明智光秀よ。

 それで光秀がこれまで何をやって来たか知らぬとでも思っているのか。若狭守がこれまで一度でも、主君を裏切ったか?」

「あ、朝倉を……」

「たかが一雑兵が反感を抱いた所でそれは裏切りとは言わん。若狭守はあくまでも浅井のためだけに動いている。明智とは違う」

「ですがその、天魔外道、いや天魔の子を…………」

「それこそ屁理屈だ、明智がいったい堺の町に何をした?今若狭守に抗う事は、堺の町衆に抗うも同じだぞ」



 僧たちが駆けずり回る中ようやく口を開いて抗弁しようとした教如に対し、顕如は丁寧に説いてみせた。



 顕如は当初よりひそかに自分の息のかかった小寺を使い関銭を事実上無効化し、それによりある程度堺の町の機能も保てていた。だがその小寺の住職が明智秀満により織田の間者として磔にされてから、堺の町は急速に景気が悪化していた。


 明智による過酷な収奪と恐怖政治、効率の悪い流通が一挙に町を弱らせ、同時に明智の評判も蝕んでいた。




「京でも堺と同じく明智の手の者が織田方と見なした商家を襲っている。言っておくがこれは金銭欲に駆られているからではないし、朝廷や幕府を動かすための資金を貪っているからでもない。自分たちがやっている事が絶対に正しいと思っているからだ、そうでなければあのような事はできん。教如、お前は今の明智光秀に正義があると思うか?」

「しかしその、藤堂に……」

「藤堂などどうでも良い、そうどうでも良いのと最悪のどちらを選ぶか、それだけの事だ。人間界と地獄があるのにわざわざ地獄を選ぶような人間は普通ではないぞ。普通の人間、俗人がこの世界の大半であり、彼らに好かれてこそ我々は成り立つのだ」

「…………はい」

「かの者たちには悪いが、これで拙僧が負けても言い訳は立つ。せいぜい、石山本願寺が残るように戦おうではないか」




 ほどなくして三千の脱走者を破門する命令をひそかに出し、その上で教如に守りを任せて一万の僧兵で石山本願寺を出撃。

 松永久秀とは顕如自ら交渉を行い、松永軍二千を旗を伏せて同行させ連合軍を追跡。


 そうして、この山崎と言う戦場にたどり着いたのである。




※※※※※※※※※




「まさか本願寺がこの私に頭を下げて来るとは……実に痛快な置き土産だ」

「そなたに下げるつもりはない、あくまでも御仏に下げるのだ」


 そのたった二千の先遣隊に平然と混ざる松永久秀に、顕如は改めて奇妙な感心をしていた。一万対二千、今すぐ斬られてもおかしくないほどの真似をしたはずだと言うのに、どこまでこの男は恐ろしかった。


「三千を斬る役を私がやってもいいが」

「それは止めぬ。だがせいぜい彼らの面子だけは守ってくれ」

「まあな、一向一揆が潰れたのもこれが全てだと言う事だ。こんな男でも明智が勝つぐらいならば生かしておく方がましだなどと思われてしまった以上、もはやどうにもならないだろう」


 三千もの脱走者を出したのもまた、顕如なりの策略だった。


 本当に誰も幕府方に付かないのであればそれでよし、仮に幕府方についたとしても明智を欺きやすくなるし万が一負けたとしても彼らが何とかしてくれるはずだと言う訳である。


 だがもし一向宗に限らず御仏の信仰が揺らいでいなければ、とりあえず耶蘇教が入り込む隙間はなかったはずだ。幕府と言う俗人の起こした戦乱が原因とは言え、それに対し何もできなかった事が確実に寺社への信仰心を削ぎ、隙間となってしまった。


 武士がいくら暴れても、真っ当な僧を殺す事はできない。織田や浅井がいくら僧を殺しても百姓の心が離れなかったのは、単にその時の僧が堕落しきっていたからに過ぎない事を顕如は理解していた。

 拙僧が文字通りの愚かな僧であり、仏と言う存在に縋るばかりの自分がまるで仏のようにふるまう権力者になってしまった以上、信長でなければ長政、長政でなければ家康がやっていたかもしれない。武田信玄だって本願寺があまり乱れているようならばいずれは断を下したかもしれないし、だいたいあんな乱れていた頼照やら七里頼周やらが民に本当に受け入れられたはずもない。

 もちろん、この松永久秀などとっくに殺されていたはずだ。




「彼らは一向宗と同じだ、もちろん一番悪い所のな」

「言われるまでもないわ!」


 明智のやり方は一揆衆をよくわかっていなかった毛利や、長らく離れていて感覚を失っていた織田・浅井・徳川には有効だったかもしれない。だがかつて同じやり方で勝利を掴み、その上でそのやり方から抜け出した本願寺には全く通じなかった。



 久秀の軽口にも構う事なく、顕如は次々に兵を繰り出す。その度に明智の旗が倒れ、さらに三好や六角の旗も交り出す。


「丹波にでも逃げるつもりか」

「まあそうだろうな」

「毛利についての意見をもらいたいが」

「本願寺は毛利とは敵対するつもりはない。だが悲しき事に信仰にも金は付き物でな」

「堺の町衆ににらまれたくないからと言えば良いのに。中納言殿も越前殿も三河殿も、それから若狭殿も同じなのだから」


 京にでも籠城すれば政治的に少しは抵抗できるかもしれないが、それでも守りにくい京よりは丹波の方が守るのにはましである。京の町衆たちは明智を好意的に思っておらず、岩村城に入った武田軍以上に針の筵である。ましてや、京の町を守っていた毛利輝元が裏切らないと言う保証はどこにもない。

 堺の町衆は町を破壊した光秀を恨み、同盟者である毛利を恨んでいた。少しでもその毛利に痛撃を食わせるような真似をしてやらなければ、むしろこちらが不利になるかもしれなかった。


「まったく、征夷大将軍の名に二番底があったとは驚きだな」

「まあ、私は少し明智の残党を冥土に送って来るので失礼いたす」

「皆の者、敵はあくまでも明智と足利だ。後の者に手を出すな」


 顕如の嫌味に対し久秀が適当な事を言っていなくなると、顕如は改めて明智軍攻撃を命じながら手を合わせた。




(本願寺の信仰だけは絶対に手を出させぬ……わかっておるな藤堂若狭守!)




 その奥底に厚い信仰心を秘めながら、三十三歳の僧侶は強く天魔の子を思った。

新作です。


「ぼっちを極めた結果、どんな攻撃からもぼっちです。」→https://ncode.syosetu.com/n4852gp/


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― 新着の感想 ―
[一言] 主人公はもちろん高虎であるんですけど、もう一人の主人公は、現世の実と信仰の間に悩む人間である顕如なのではと思う次第で。作中の経緯を見てそうなるだろうなとは思いながらも、そうなるに至った話にあ…
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