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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第二章 「天魔の子」、命名される
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柴田勝家、一向宗に敗れる

「加賀から一向宗が侵入!?あまりにも早すぎる!」






 一乗谷城にその報が飛び込んだのは、景鏡が落ち武者となった魚住軍の兵を見つけてから半刻後だった。

 情報網が出来上がっていない織田家に取りこの報はかなりありがたかった事は間違いないとは言え、まだ朝倉家が倒れて半月しか経っていない時点でのこの攻撃は予想外だった。




「一向宗とはおそらく一揆軍の事でしょう。早速備前守様に支援を」

「猿、何を怯んでおる!わし自ら破戒僧たちを叩き斬ってくれるわ!で、どのあたりに出たと言うのだ!」

「敵の数もわかっていないのに出て行くのは危険でしょう」

「朝倉は北陸道を渡り、九頭竜川を渡った所で報を受けた!その辺りまで行けば出くわせると言う事だ!」


 織田にあらがう者を、確実に次の敵となる一向宗を叩き斬るのが自分のなすべき事。


 自分の役目はそれしかない。ここ数日そうしたように襲えば斬り、抗えば捕らえ、従えばそのまま連れ帰る。その三択のいずれかをもって越前を静める矛を振るって来た。


 長秀や秀吉にも役目がある事はわかっているが、それでもなお自分にしかできない事があるしそれをこれまでもやって来た。


 桶狭間でも、美濃でも。そしてこの越前でも。




「それで、この戦いにおける勝利条件とは」

「もちろん、目の前の敵を叩き潰すのみよ!」

「朝倉は数年間戦い続けて勝てなかったのですぞ」

「数日で潰れた朝倉と織田は違うと言う事を見せつけてやらねばなめられるわ!織田が、織田家が一国の当主足り得る所を越前に手で見せてやるのだ!」

「出るって一体どれほどの兵でですか、とりあえず備前守殿にも連絡を」

「手勢の三千もあれば十分だ!もののふと言うのがどういうものか、軟弱な朝倉しか知らない坊主頭たちに教えてやる!どうせ北陸道を進む間にその朝倉とも合流できるだろう、それで十分だ!」




 勝家は秀吉に対して言いたいだけの事を言うと、秀吉も長秀も置き去りにして一乗谷から飛び出した。


 勝家の率いる軍の姿は武家の出撃にある程度慣れていたつもりだった一乗谷の民をして凄まじく、半町(五十五メートル)先の住民たちすらひるんで勝手に道を開けようとした。その際に転倒してまったく意味のない喧嘩を生んでしまったが、もちろん勝家の知った事ではない。


(戦と言うのはどうやるものか、見せてやらねばならない)


 民百姓はそれこそ、新たなる領主を鵜の目鷹の目で見ている。織田も朝倉と同じように一向宗に屈するようならば、いよいよ武家など当てにならないと見て進んで一向宗を迎えに来るかもしれない。


 惰弱な朝倉などと桁違いの武勇を見せる事により、ようやく越前の民は武家と言う存在に本当の信頼を抱く事ができる。それができるのは信長であり、信長がいない今では自分だ。


 長秀はまだともかく、秀吉とか言う小ずるい知恵ばかり働かせてまともに戦もできない小男、だいぶ前実際に手合わせしてやった所数回もしない内に得物を弾き飛ばされた男が自分と同格同然にしている事自体勝家には面白くない。その上に最近は明智光秀とか言う、元々美濃出身ではあるが流浪の将に過ぎなかった男を寵愛し出している。


「織田の尻は織田が拭く!者ども、さらなる外敵を討つだけだ!容赦は要らんぞ!」


 佐々成政、前田利家ら部下と共に勝家は一乗谷を飛び出す。

 あえていささか下劣とも覚える物言いをする事によりあえて気合を入れさせるのもまた無意識のうちに身に付いた勝家の兵法の一環だった。







 その上で普段より一段と気合の入った、と言うより殺意に満ちた顔で足羽川を渡らんとする勝家の頭には、信長や長秀とはまた別の人間が巣喰っていた。


(どやつもこやつも逃げ回りおって……逃げれば逃げるだけ後が苦しくなることをわかっておらん!あのような小僧を、なぜにあの男は寵愛する!わしは、そのような男を認める訳には行かんのだ!)



 あらぬ疑いを吹っ掛けてまで腕前を見てやるつもりだったのに、ひたすら逃げ回るばかりでまともにやり合おうともしない。それでほんの少しだけ猶予をくれてやったら、まともに槍も振れやしないでまた逃げ出そうとする有様と来た。そんな弱虫のくせに織田陣に入り込みいきなり助命嘆願を願い出るなど、あまりにも分不相応すぎる。


 その上にその主である人間もまた彼の直接の主から半ば強引にその身柄をひったくり、後払いだと言わんばかりに三万石もの大禄、全体の十分の一の石高をくれてやっていると来ている。




「なぜすぐ浅井などに頼ろうとするのだ藤吉郎め……お前はそれだから世の中から蔑まれるのだ、お館様の寵臣を気取るならばお館様の家を信じてみろ……」


 馬を飛ばしながらも、勝家は漏れ出る愚痴を抑えようともしない。ほぼ自分の家臣しか周りにいないのをいい事に言いたい放題になっていた。


「何が浅井備前守だ……あんな軟弱な男が……あれは、あれはお館様の甥も姪も不幸にする男だ……この乱世を渡れる器量など持たぬ男だ……」


 そしてついに、同盟相手である浅井家当主の事を蔑み出した。信長の甥とか姪とか言う単語で何とか最小限糊塗してみせたが、そんな言葉が何の役に立つ物でもない。







 勝家は、ただ単純にお市を奪った長政と言う存在が憎かった。







 最大限の欲望をむき出しにして許されるのであれば、長政など叩き殺してお市とその領国を諸共に奪い取ってやりたかったぐらいだ。

 だがそれができる訳もないし、仮にやったとしてもお市はよほどの事がない限り良くて出家、おそらく自決する事もわかっている。それだけになおの事長政への憎悪が募って行く。

 自分だってお市のことを好いていたくせに平然とそんな存在に頼ろうとする秀吉の事も、普段の振る舞いと相まって腹立たしい存在になっていた。




 もっとも、利家や成政からしてみれば、とっくのとうにわかっていた本音である。

 勝家本人からすれば隠していたつもりの恋心も家中には筒抜けであり、その点もまたご愛嬌とまで思われていた事を勝家だけが知らない。




 満天下に叶わぬ恋心をぶちまけた勝家が足羽川を渡ると、汚れとほつれが目立つ朝倉の旗を掲げた一団が南下して来た。


「柴田殿!」

「朝倉か!」

「朝倉景鏡でございます!」

「どうしたのだ!」

「一揆衆により魚住景固、討ち死に!前波吉継も生死不明!」

「何だと!」

「敵はいくつだ!」

「一万五千はくだらぬかと」


 長秀の命により北越前を見回っていた両名が襲われ、片や戦死片や生死不明。

 しかも数は一万五千。


「そなたは早く一乗谷へと戻れ!」

「ですが」

「うるさい、わしらに任せておけ!」



 ある種絶望的な状況ながら、それ故にかえって血がたぎるのが柴田勝家と言う男だった。景鏡を半ば厄介払いのように後退させると、勝家は五倍の敵をどうやって血祭りにあげるかと言う事ばかりを考える男になった。


「進め!」


 一切の雑念を断ち切り途上で敗残兵と化した朝倉の兵を横目に兵を進め、やがて九頭竜川の河原で勝家は敵軍の姿を発見した。










 南無阿弥陀仏の旗を掲げた大軍。

 先ほど告げられた一万五千と言う人数以上にいるかもと思わせるほどには迫力のある鋤や鍬を持った農民たち。




 その代表らしき一人の坊主が、共に不敵な顔で自分をにらみつけている。




「貴様らが一向一揆の将か」

「そう、拙僧が下間頼照ぞ」


 馬上で数珠を手にかけながら両手を合わせる袈裟姿の坊主、下間頼照は自分にまったくひるむ様子もない。


「ここに来るとは仏法に帰依しに来たと言う事か、実に殊勝な心がけである」

「黙れ破戒僧!」

「拙僧を何故破戒僧と呼ぶ?」

「僧侶の職分に人殺しがあったとは聞いておらん!お前たちは加賀の大名を滅してその地を治めたのだろう!そんな事は武者に任せておけばよい!」

「任せられぬからこそ立ち上がったのだ、まあ任せられるのもいるがな」



 頼照が数珠を鳴らすと、面頬で顔を覆った一人の騎馬武者が農民たちの中から姿を現した。

 右手になぎなたを持ち、左手に二つの袋を提げた武者は、頼照を守るかのように九頭竜川へと馬を踏み入れさせた。



「織田にひざを折る者がどうなるか、こうして示してやったぞ」

「かの者はかつて仏敵朝倉家に身を寄せていた者。だが今は我々に共感し御仏の爪牙となり、仏敵を討つべく戦ってくれておる」

「魚住も前波も、まったく選択を誤ったものよ」


 二十代半ばほどの声をした武者は面頬から笑い声を漏れ出させながら、左手で二つの首が入った袋のひもを叩いた。


「しょせんは不意打ちと数の暴力に過ぎんだろう!」

「そんな事はどうでもよかろう、ここで死ぬのだからな。アッハッハッハ……」


 面頬をかぶった男は二つの生首、魚住景固と前波吉継と呼ばれていた男たちの首が入った袋を川に投げ捨てると今度は大声で笑い出した。




「親父殿、完全に誘っております!」

「わかっておる!」

「犬千代(利家)!貴様はすっこんでおれ、俺が親父殿の先鋒となる」

「あの者らに目に物見せてやれ!突撃!」

「親父殿!!誰か、親父殿を止めろ!!」


 別に二人の旧朝倉将に何の思い入れもない勝家だったが、それでも一人の武者として将であった者をあそこまで無為に扱う面頬男と、それを黙って楽し気に見ているばかりの頼照が単純に腹立しかった。

 制止する利家をおしのけ成政を先鋒に立て、勝家は一挙に九頭竜川を渡り始めた。


 だがそれと同時に、頼照も騎馬武者もまったく見栄も外聞もなく向きを変えて逃げ出した。農民たちもそれに追従し、きれいに向きを変え出した。


「おい犬千代!」

「犬千代何をぐずぐずしておる!」

「しかし!」

「しかし、も……」







 しかしも何もあった事か、と言おうとして後方を振り向いた勝家の目に、また南無阿弥陀仏の旗が映った。




 挟撃されていた――――。




「この者たちだけでも討て!これでこの戦は勝ちとする!」


 この危機的状況に際し、利家は後方に回っていた一揆軍に向けて突進を開始した。ひそかに渡河したのか、あらかじめ伏せていたのかなどどうでもいい、ただ目の前の敵を討たねばならぬとばかりに槍を振るい、農兵を討ちにかかり出した。


「今日はな、一向宗がどの程度の物か見聞しに来ただけだ!次は容赦せんぞ!全軍、さかしい小勢の連中を討て!成政、殿軍を任せたぞ!」


 全てを悟った勝家は首尾を切り返し、後方で逡巡していた利家を先鋒、成政を殿として南へと突撃を開始した。

 奇襲軍だけでも自分たちとさほど大差ない人数を揃えられている事に少しだけ戦慄しながら、どかねば殺すとばかりにかつて高虎に持たせた槍を振るった。




(これでは五郎左と藤吉郎に笑われるわ……)


 怒りと憤りに任せて前進した時を上回る速度で突っ込み、幸い二重三重とはなっていなかった敵軍を突き破る事の出来た勝家だったが、その顔に勝利の笑みはない。屈辱の血の味だけが、勝家の口の中にあふれ返っていた。













「追いかけては来ないようですね」

「だがこれで、九頭竜川までは奴らの勢力圏に入ってしまったか……」

「至急丹羽殿に報告いたしましょう」


 ようやく逃げ切れたと言える程度には引き離せた時には、九頭竜川どころか足羽川近辺まで後退していた。

 幸い付け馬を許す事はなかったものの、それでも一向宗にしてやられたという印象ばかりが残る戦いとなってしまった。


「坊主どもめ、笑っておろう……!」

「次は足羽川であり、その次は一乗谷でしょう……」

「いずれにせよ、早期に攻略せねばなるまい…………」


 北の九頭竜川と南の足羽川の中間。東越前のおよそ北半分に当たる地域が勢力争いの圏内となるのは間違いない。このまま一乗谷や足羽川にとどまっていれば一向一揆はどんどん図に乗って攻撃を重ね、やがては北越前を食い尽くしてしまうだろう。




(まったく、感情に任せてあわや命を落とす事になるとは……敵の未熟さに救われるとは情けない!これではお市様も認めてくれんわ……)


 そしてもしこの時、一揆衆が十二分に訓練されていた兵であれば向きを再び変えるのに戸惑う事もなく柴田軍に逃げる暇を与えなかっただろうし、伏兵がもう少し遅く出ているか精巧に隠れているかしていれば利家も渡河させて一網打尽になっていた。

 あの騎馬武者以上に戦に通じた者がいないゆえに逃げ切れただけであり、いずれ彼やその他の武者が兵を鍛えたら大きな障害になる。



 ちなみにこの戦犠牲者の数で言えば柴田軍が三十なのに対し、一揆軍は死傷者合わせて三百である。だがその数字を知らされた所で、誰も笑ったり泣いたりする事はない。


 それほどまで、この「敗戦」は柴田勝家の心を打ちのめした。


「犬千代、まったくよくやってくれた。この戦の功績第一はお主ぞ」

「ありがたきお言葉……」


 勝家は経文を読むような調子で功を称え、利家は消えるように謝意を示し、成政は疲れ果てた顔で利家を眺めた。


 そして兵士たちは成政について足羽川のほとりに陣を築く者、利家に付き従い北の警戒に当たる者、勝家に従い一乗谷へと帰還する者の三つに分かれたが、いずれも悄然とした顔で体を引きずっていた。




 とにかく、柴田勝家が犠牲こそ少ないとは言え前進できず撤退を強いられたという事実は、織田の支配力に大きな影を落とそうとしていた。

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