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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第十章 山崎の風
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藤堂高虎、最大の危機に陥る

「ここが、ここがお前の墓場なのだ!!」


 三人の男が、馬上で並んでいた。

 一人は天王山守将であったはずの明智秀満。もう一人は信長を殺した明智光秀。

 そしてもう一人は、背中に三つ木瓜の旗を挿した見た事のない老人。



「朝倉景紀……!」


 朝倉家、朝倉義景家の最後の重臣。もう七十を超えているとは思えぬほど、気迫に満ちた男。



 かつて織田・徳川軍により朝倉が大敗を喫した戦いにも参加し、その上で一乗谷に逃げ込んだ後義景の五人の遺児を連れ出した男。

 加賀では仇敵のはずの本願寺軍にひざを折り、四葩たちをまるで顧みず農兵たちを私兵扱いしていた男。

 その上加賀から逃げる際に愛王を連れ出し、小谷城に送り込んで結果的に浅井久政の死因を作った男。



「若狭で見たのは……!」

「その通りよ!わしはあの後加賀から丹後に入り、山城に入って公方様と面会した。その際にひそかに明智殿の臣となって身をひそめ、若狭攻めの際にその存在を見せてやった」

「四葩が言っておりましたよ、私は景紀と景恒の親子を絶対に許さぬと」

「姫様を!姫様に対しそのような!」

「私は、情けなくも妻に勝てない男だ!」

「単に貴様などに呼び捨てにされたくないだけだ!」



 話の通じない事など元よりわかっていた。

 だがそれでも四葩さえ見えていない朝倉景紀と言う人物に改めて失望し、そして子息である朝倉景恒の最期を思った。

 自分を求めてさまよう悪鬼羅刹と化し上杉を恨む美濃の村人によって殺される――――そのあまりにも虚しく悲しい最期を思うにつけ、景鏡の人生と比べてしまう。


 景鏡が朝倉家でどの程度の存在であったか詳しいことは知らない。だが今景鏡は紛れもない万石取りの重臣であり、主家である浅井も朝倉義景家の数倍の大きさに膨れ上がっている。それの一体何が悪いのか。


 ここで浅井が倒れれば景鏡はおそらく持たない。七十一だと言う景紀に子供が作れるとは思えず、それこそ朝倉家はおしまいだ。

 実に馬鹿馬鹿しい。



「まあそうだ、老い先短い年寄りの望みをかなえてやれ朝敵」

「断ると言ったら」

「ならばこれを見ろ!」



 光秀は懐中から一通の書を取り出し、開いて見せる。



 本願寺顕如による、自筆の書。



「間違いなく山崎に兵を送る、しかも一万とある。本願寺の兵がどこから来る?」

「確認など取れていない!」

「本願寺の信仰の力をもってすれば、悪逆非道なる松永久秀などたちまち崩れる」


 本願寺軍が来ることは覚悟していた。だがその上で松永久秀が崩れるとか言い出すなど、一体どういうつもりなのか。困惑するばかりの高虎に対し、光秀は見苦しく笑った。


「天王山より総攻撃がかけられている。公方様も毛利も、本願寺も一体となってな。さて、その時どこへ逃げる?」

「何を考えている!私など討ち取っても戦は終わらないぞ!」

「いいや、終わる。貴様は無間地獄に落ち、貴様により操られていた者はすべて目を覚まし泣いて幕府に許しを乞う。もちろん、温かく迎えるつもりだ」


 こんな自信満々に物が言えるのはなぜなのか。何が支えているのか。


 あまりにも連続される茶番劇に先ほどまで胸の中にあふれていた憎しみがすっと消え去り、高虎は急に元の保身家に戻っていた。


「これ以上、あなたに付き合うほど暇でもありません。それでは」

「それではとは何だ?朝敵の分際で」

「朝敵朝敵とうるさいですね、そんな単語で誰が殺せると?」



 適当な事を言いながらゆっくりと後ずさり、向きを変えんとする。その瞬間敵がかかって来るのならばそれでよしと割り切らんとした高虎であったが、その高虎の耳朶を裂くよう天王山から届く声は激しさを増す。


 明智軍本陣一帯の不思議な静寂の中で流れるその大音声は、光秀に言わせれば地獄への使者のそれなのだろう。



「たかがこんな若造を殺して何になる?」

「大方、武田殿にもそう言っていたのだろう。老人の事を考えておらん若造が。朝敵風情が口をはさむ事なくとっとと死んでいればこんな事にはならなんだと言うに……」


 噓偽りのない嘆き節。こちらの士気を削るに十分なほどの策に構う事もあるまいと、高虎は一挙に馬を飛ばした。

 もちろん、逃げるためにである。


「あな悲しや!藤堂高虎に操られし者をすべて討て!!」

「すべては公方様のために!」


 全く上から目線の号令と共に、明智軍がついに動き出した。



 前と右から軍が迫る。



 一斉に、一糸乱れぬ攻撃が飛ぶ。



 すべては公方様のためにと叫びながら。




 その姿は、かつての一向宗と同じだった。



 だが今度は兵が本物なら、将は本物の武士だ。突っ込んで行く兵法はない。

 と言うかすでに踵を返している以上、答えは撤退よりない。


「貴様はそれでも武士か!」

「三十六計逃げるに如かずだ」

「己が身を守るために何人殺す気だ!」

「明智軍の兵数十名ほどか」



 ようやくいつもの調子を取り戻した気分になった高虎だが、そんな甘い話を許す敵ではない事はとっくに知っている。




「天王山から来ます!」

「ああ、やっぱりな」



 先ほど深入りしすぎたせいで、天王山からまっすぐ降りれば十分後方を囲める距離を与えてしまっていた事に気付いたのはほんのついさっきだった。


 もし自分が「藤堂軍」をどうしても包囲殲滅したいのならば降りて来るだろうと思っていたら、案の定やって来たと言うだけの話だ。


(人選は予想外だったがな……)


 彼だけはありえないと思っていた存在の到来に対する動揺を覆い隠しながら、高虎は敵を睨み付ける。

 当然のごとく向こうも高虎をにらみ返し、そのまま得物を高虎に叩き付ける。



「殿、天魔外道の御首はこの斎藤利三に!」



 斎藤利三。

 明智秀満と並ぶ光秀の側近の到来。ある意味幕府軍の最も強い軍勢の襲撃だ。


「どんな兵法だよ!」

「こんな兵法だ」


 確かに、藤堂高虎を討ち取るためだけならば何も間違っていない。だが三千のために一万五千を注ぎ込むのは非効率だし、何よりそのために七万近い軍勢を三万五千で足止めさせるほどに攻撃させるのはもっと無茶苦茶である。


 だがそんな長徳の正論にもまったく耳を貸さず利三が斬りかかる。


 真正面から受け止めることになったのは予想外かもしれないと思ったが、それでも兵士たちは動揺していない。


「将軍はどうした」

「公方様はもう安全だ。そうでなければわざわざ来るか」



 斎藤利三の襲来を予感していなかったわけではない。

 だが、高虎の後方に入った斎藤軍はおよそ五千。ほぼ義昭軍と等しい数であり、それこそ総大将を丸裸にするも同然ではないか。


「すべては公方様のために!」


 天王山から駆け下りて来たと言うのに、斎藤軍の体勢は完璧だった。

 これまでと同じ言葉の合唱と共に、藤堂軍を後方から突き回す。


 整然と動き、一糸乱れぬ戦いぶりを見せる。技量が少し不足していたせいか一撃でやられる兵はいないが、それでも隙間がなくなって行く。


「粘るだけでお前を殺せる。こんなに率の良い戦もない。今から自決してもいいんだぞ」

「もう少しまともな事を言え」

「やはり朝敵に言葉は通じんか。その力で主上様の口をも塞いでいたのだろう。皆の者、天魔外道を祓え」


 利三の言葉にはやはり、抑揚がない。嫌味ったらしさもなく、ただ純真なだけ。


「天魔外道を祓え!」

「山崎長徳を救え!」

「浅井長政を救え!」

「織田信忠を救え!」


 倒れてもなおやめようとしない。馬耳東風を気取って来たが、いい加減耳障りになって来る。天魔外道とか言うのならば、こんなみっともない事などするわけがない。


 本当の天魔外道ならば、浅井長政や織田信忠を操るのではなくそれこそ若狭にいるだけで光秀を殺すぐらいの事ができていいはずだ。

 それがなぜわざわざ、こんな風に身を危険にさらさなければならないのか。



「無知蒙昧とはこの事か……!」

「無知蒙昧とは何事だ!」



 そのくせ無知蒙昧と指摘すると途端に平静さを失い、怒り狂って突撃を始める。


 清廉潔白と智者を気取っているはずの人間の率いる軍勢とは思えないそれであり、この斎藤利三が伊勢貞興の処刑を主導したと言うのも実に合点が行く話だった。



「口に惑わされるな!すべては公方様のために!」

「す、すべては公方様のために!」


 その上で利三にはしっかりと従い、頭に上った血を下ろせる程度には訓練されている。そこの隙を突く事もできない。


「道を開けろ!」

「今すぐ自害すれば開けてやる」


 利三と高虎の刃が重なる。膂力では高虎が勝っているようだが、今の目的はこの敵を倒す事ではない。



 もはや時間がない。



 元よりまともな距離などない中で向きを変えた以上、明智軍本隊との間にまともな距離はない。


 既に後方は食われている。一秒遅れる度に十人以上喰われ、このままでは全滅だ。




 全滅はいい。それでも浅井は勝つのはわかっているから。



 だが、四葩に会えないまま死にたくない。


 女子供を思って生きる事の何が悪いのか。生かす事の何が悪いのか。



「生きて大倉見へと帰るのだ!」



 叫びながら太刀を振り、利三を弾き飛ばす。素早く距離を取り、少し弱そうな方角に兵を向ける。


「そうだ、大倉見で四葩様が待ってるんだぜ!」

「大丈夫だ、やってみせる!」


 長徳に釣られるように兵たちが陽気に騒ぎだす。その途端に討たれた兵もいたが止まる事はなく、それでも走り出す。


 皆四葩を慕っていた。成り上がりの高虎にはない気品、それでいて庶民的な力強さ。

 さらに、戦場では天下無敵な夫に負けないその振る舞い。


 浅井家におけるお市の方の地位を、四葩は手に入れていた。



 ほころびが見えない中、兵たちは突っ込む。己が命を的として、数人の兵が体当たりをかける。それでも穴は空かない。


「ぐぅぅ、貴様、貴様ら……なぜだ、なぜに藤堂高虎などに……」


 利三の泣き声を力に変え、高虎も敵を斬る。




 そして、ついに穴が空いた。




「後はわしに任せよ!」


 穴の向こうから、ひとりの男の声がする。それと共に、斎藤軍に乱れが生じた。


 逃すわけには行かない、一気に突っ込む。既に百人単位の、いやこれまですべての戦の事を考えれば二百人単位の敵を斬って来た太刀で最後の敵をなぎ倒す。


「ここに突っ込め!」


 悔しくも先頭に立って包囲網を突き破った自分たちと入れ替わるように、声の主が率いる部隊がやって来た。


「何をする!せっかく天下の逆賊藤堂高虎をここまで追い詰めておきながら!」

「浅井軍を浅井軍が救って何が悪い!者ども、若狭守を救い出せ!」

「ええいやむを得ん!阿閉貞征、その罪、万死に値するぞ!!」



 阿閉貞征。かつての主人。この戦いにおける浅井軍主将の一人。そんな存在が今自分を守りに来ている。自分の命と兵を犠牲にして。


 本人の姿は見えない。


 その本人の部隊にかつての同僚や上司が何人いるのか、そんな事はわからない。だがその彼らの主人、自分が昔盛大に背いたくせに構ってくれるような人間たちを、自分はまた踏みにじらなければならない。



 全てわかっていながら、高虎は、逃げた。




 多くの犠牲を生む事を知りながら、逃げた。




 初めて、泣きながら逃げた。




「ひとりでも多く逃げるのだ!」

 生まれて初めてかもしれない悲痛な叫び声と共に、高虎は逃げた。



 阿閉貞征が助かるとは、とても思えない。逃げた所で敵は自分目当てにやって来るので、止まる事はできない。



(阿閉様……ご子息様は私が守りますぞ!)







 高虎は、兵たちと共に走った。貞征を信じ、長政を信じ、そして長徳と四葩を信じて。

「ぼっちを極めた結果、どんな攻撃からもぼっちです。」→https://ncode.syosetu.com/n4852gp/


藤堂高虎「お別れするのはつらいがな……」

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