表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第十章 山崎の風
126/137

浅井長政、決戦への決意を固める

 その夜、長政・信忠・家康の三人は再び座を囲んでいた。


 敗戦気分こそないものの空気は軽くなく、松明の火もやけに仰々しい。




「毛利は幕府軍に対してそこまで入れ込んではおりませぬ。毛利は幕府に物資を供給しておらず、あくまでも毛利のためだけに使っている模様」

「なぜわかるのです」

「小早川軍が堺より上陸した際に我々に通じる者から安房守が得た情報です。毛利もまた明智に肩入れしていると見なされたせいか堺では不人気で、その反動のように情報が勝手に入って来るのです」

「公方様の名前を相当に乱用しているようですからな」




 この重い空気を晴らすかのように、総大将である長政がまず口を開いた。



 堺の商人は言うまでもなく三者連合軍の与党であり、物資はともかく情報は山のように売ってくれた。

 中には毛利寄りであったはずの商人もおり、長政をしてその変わり身の早さに感心していた。武士の変節は責められるが、商人と言うのは目ざとくなければやっていられない。



 元より三者連合軍寄りだった商人は別だとしても、本来ならば幕府の味方になるべき毛利よりのそれまで味方に付いたのは、ひとえに明智の印象が悪すぎたからである。



 織田や浅井、徳川と言った誠意ある客とは違い明智の信用、とりわけ現場責任者と言うべき明智秀満の信用は落ちる所まで落ちていた。

 抵抗して逆賊と言われ首を取られた話は四件や五件ではなく、堺の町では秀満軍が居なくなることが三者連合軍の最初の戦果であるなどと言われもしていた。




「それで明智は今日、天王山から昨日にもまして激しい攻撃を仕掛けております。これをどう考えますか」

「火を点けて柵を燃やした事からすると、明智秀満に脇腹を突かせたかったかさもなくば若狭守を救援させまいとしたかのどちらかだと思われます」

「前者、と言い切れないのが今の明智です……」


 続いては家康が口を開いた。


 小早川軍まで注ぎ込んで天王山から激しい攻撃をかけられ、とても攻め切る事は出来なかった。秀吉に加え手空きになった織田軍本隊も攻撃をかけていたが、それでも引き分けになりそうな所で柵が業火に包まれ、判定負けのような形で戦は終わってしまった。


 高虎と言う存在を叩くためだけに数日前から用意していた柵を燃やすなど、あまりにも非効率だ。本来ならばもっと引き付けて浅井本隊とまでは行かないにせよ赤尾軍や阿閉軍まで入れ込んでから退路を断つべきだろう。

 それをしないほどにまで高虎への憎しみに取り付かれている理由が、三人ともまるでわからない。



「いずれにせよ、この戦の勝ちとはどの程度の物なのです」

「明智光秀の死と見ます。幕府軍は明智軍とほぼ同義語であり、足利義昭は光秀に引きずられているだけの存在。毛利も光秀が死ねば幕府に肩入れする理由はなくなるでしょう。と言うか肩入れすればそれこそ武田の次かもしれませんがね」

「ハハハ……」



 信忠の意地悪な笑い声に、家康も長政も笑ってごまかすしかなかった。


 この戦の後、来年にはもう武田家にとどめを刺しに行くことは既に決まっている。いくら北条が肩入れしようとも、まったく徳川のために織田も浅井も手を貸す。


 善良でありながら冷酷でもある信忠に、長政も家康も信長の姿を感じていた。


(あるいはこの岐阜中納言殿の成長を恐れ、また精神的にも支柱となっている高虎を狙おうとしたのかもしれない……)


 長政は自分の中でそう勝手に結論付けていたが、それとてあくまでも推論に過ぎない。



 いずれにせよ、明智軍の内情はわかったが肝心の明智光秀の狙いが何なのか正確に把握しきれないまま、軍議は終了した。








 得体の知れない敵と対峙する事ほど恐ろしい物はない。


 光秀が率いる軍勢、光秀の意のままに動く軍勢見るにつけ一向一揆と似た物を感じるまではわかるが、それでもあまりに気味が悪い。


 長政は本陣に高虎を呼び付け、器に酒を注いで押し付けてやった。


「明智光秀は一体何を望んでいるのだろうな」

「本当の本当に、私さえ殺せばすべてうまく行くと信じているのかもしれませぬ」

「不幸な発想だな」

「左衛門督(貞征)殿にも言われましたよ、お主が朝敵ならばわしは何なのかと」

「義兄上は実の伴わぬ名を嫌がった。だから美濃守となり、最終的に内大臣になってなお岐阜の二文字を冠する事を求め続けた」




 位は従五位上、官位は若狭守。

 領国は朝倉景鏡と合わせて三万五千石。越中や能登を含む浅井領全体二百万石少々の五十分の一。明智光秀の丹波一国と比べても十分の一以下である。


 石高の多寡で影響力が決まる物でもないとは言え、長政はおろか旧主である阿閉貞征から比してもあまりに小物のはずだ。





 天魔外道とか朝敵とか言う単語より重みのある悪口を、長政は知らない。


 それをこうも簡単に使ってしまったと言う事は、もはや次の相手を何と言えばいいのかわからないと言う意味でもあるはずだ。まさか藤堂高虎の魂が乗り移っていたとか、まだ術が解けていないとか言うつもりか。


「明智光秀の死をもって、幕府は瓦解しよう。もはや足利義昭と言う存在、わざわざ命をどうこうする理由もない。出来得るならば何とか平穏に余生を過ごしてもらいたいがな」

「光秀を討て、ですか。無論わかっておりますがそれではこの戦いは」

「ああ、藤堂高虎対明智光秀だ」


 たった二人の喧嘩、いっそ一騎討ちでもやればいいだけの話について十二万以上の兵を巻き込むと言うのか。

 天竜川の戦いを見ればわかるように、戦とはもともと二人以上の人間の欲がぶつかり合って起こる物だが、それでもただ一人の首を求めて行う物ではないはずだ。織田信忠の首を取りに来るにしたって、信忠の死によって織田家を崩したいと言う欲望ありきで動いているだけのはずだ。


「もちろん応じる理由もありませんが、そんな男のために死にたくないので。何より四葩に叱られたくありませんので」

「無事でも叱ると思うぞ、どんなに浮かれ上がろうとしても正しく叩いてくれるのが四葩だからな。まったくいい嫁をもらったものだ」

「四葩は言ってましたよ、自分は父が死んだと聞かされても泣かなかった、その暇がないからと。だがその分だけわが父の亡くなった時には泣きたいと。藤堂家を守り、いざとなれば馬上の人となって戦うなり家族を守って走るなりしたいと」


 自分だってお市に感謝している。五児の母となり、まだ二十九にして子育てにその身を粉骨砕身するその姿はもはや女神であるとさえ金ヶ崎城で言われている。そのお市も四葩を高く評価しており、長政も高虎も良妻を抱えているなと信長から言われた事もある。



「配置転換してもらいたい。最後方に構え、旗だけを借用させて欲しい。明智光秀が旗を見れば本気で少ない牙で食らい尽くしに来るだろう」

「旗を見ただけでですか」

「ああ、わし自身どうして明智光秀がおぬしを憎んでいるのかはわからない。だが光秀がそなたに対してすさまじい敵意を抱き、全てを食らい尽くそうとしている事はわかる。だからこそ、その牙を無駄に折らせたい。おそらく、明智にもうそれほど継戦能力はない。そなたもかつてそうしたように、影武者を立てるのが良かろう!」

「しかし明智光秀は私の顔を知っています」



 その彼女のためにも、出ない方がいいのかもしれない。

 後方に控え続け、あくまでも光秀を誘い続ける方が良いのかもしれない。

 上杉謙信を騙したように、影武者を立てれば事足りるはずだ。


 実際、謙信を騙すのに使った影武者はあまり高虎に似ていない。ましてや、加賀にいたそれは口上を唱えるだけの役どころで顔どころか背丈すらだいぶ違った。


 それでも、騙される人間は騙される。高虎への敵意や恐怖で凝り固まっていた人間を相手にするには、その程度で十分なはずだ。




 だが、臆病な時は臆病なくせにいざとなると無謀なほど勇敢な部下は首を縦に振らない。


 確かにその通り、光秀は二年前に大倉見城に訪れて堺まで送った際に顔も声も知っており、今日の段階ではっきりとその面相を見てしまっている。


 加賀の坊主や百姓は戦に慣れていない上にすさまじい戦果を挙げた高虎と言う名前その物におびえており、謙信は高虎の顔など知らなかった。似ているのは背格好ぐらいの上に武勇があったから騙されていたにすぎない。



「わかっている、だが明智光秀はおぬしを狙っていても他の者には手を出さない。その分だけ攻撃も甘くなる」

「甘くなれば引き付けられなくなりますが。それに聞き忘れておりましたが明智軍に継戦能力がないとは」

「明智は京でも堺でも相当な不興を買っている。毛利も自分の分しか持って来ていない。丹波はともかく遠からず山城の民は明智に反抗する。足元がぐらつけば戦どころではなくなる」

「私はできると思います。我々だって遠征軍です、安房守はその辺りをきちんとしているのですか」



 それでも、高虎を引き留めたかった。


 ひいき目を吹っ飛ばして見たとしても今の高虎一人には、光秀何十人分もの価値がある。武田信玄と上杉謙信の名声をまとめて手に入れるだけの働きをした高虎と、自分の思うがままに謀叛人となって民を苦しめる男。どちらが上でどちらが下か、答えは明白なはずだ。




「私はやはり行きたいと思います!」

「行くのか……わしはまだおぬしを失いたくない。織田中納言殿もそう言うぞ」

「命を捨てる時と言うのはあると思います。それが今かもしれませぬ」

「五度も捨てに行くのか……いくら武士とは言えな……」


 金ヶ崎、一乗谷、天竜川、兼山。



 最初の金ヶ崎はともかく後は皆生還の望みの薄い戦いに自ら乗り出して行った。


 その四回と今と何の違いがあるのか、長政にはわからなかった。


 全てを悟り切った男の、覚悟。自分のために死のうとしている人間の覚悟。



 その無言の闘志の前に、長政はあきらめのため息を吐くしかなくなった。



「わかったわかった、明日も先鋒を任せよう。総大将の権限でな」

「ありがたきお言葉!」

「だがためらわずに逃げろよ、四葩に褒められるようにな」

「もちろんでございます!」



 それがいいのか悪いのかわからないまま、長政は高虎の要求を呑んだ。


 高虎が豪語すると共に松明の火が高く上がり、そして天からの干渉により急速に縮んで炭化していく。水が騒ぎ出し炭たちが沈黙を始めると共に、長政と高虎もまた沈黙の時間に入った。


 明朝までの天候の回復を祈りながら、長政は高虎の陣を後にした。










 夜に泣きたいだけ泣いて去って行った雨雲、この二日間山崎に立ち込めていた雲が地面にいささかのぬかるみを残して去って行き、再び秋の太陽が主役を張るようになった七月十三日。




 長政も信忠も家康も、そして高虎も、この日が決着をつける日だと感じていた。



「敵もやはり今日が決戦だとにらんでいるな……」



 先鋒はやはり藤堂高虎軍三千、次鋒はやはり昨日と同じく赤尾清綱と阿閉貞征の五千ずつ。

 次鋒は滝川一益と池田恒興合わせて九千、その脇を浅井系諸侯五千が左右を固めている。


 徳川家康は酒井忠次以下全軍で天王山と向かい合い、織田信忠は最後方で信雄と信孝と共に一万四千で陣を張っている。


 遊軍として前田利家の三千と田中吉政の二千がおり、最後に総大将として浅井軍が九千の兵で待機していた。



 そして敵先鋒は、これまでと同じく明智光秀直属軍五千。真後ろには毛利勢二万が控え、義昭軍は見えない。天王山には相変わらず明智秀満が陣を構え、三好や六角などの明智系諸侯が徳川の前に立っている。



 配置だけ見るとあまり変わらないが、これでも戦場には幾度となく出て来た。その度に敵の気配を感じ、殺気も覚えて来た。


「貞征も言っていた……これこそもっとも戦争に近い雰囲気だと。もはや犠牲なしで勝とうなどとても無理だと言う事だな」

「わかり切った事です」


 遠征を決めてからずっと裏方の仕事を任せきりにして来た本多正信に言われるまでもなく、この日の戦いはこれまでのような馴れ合いじみた物にはならない。

 死ぬまで終わらない戦い。


 いくら乱世とは言え、幾度あるかわからないほどの決戦。それが、目の前にあった。



 全てを決めるのは自分。その事を自覚した長政は、ついに命令を下した。



「藤堂軍、攻撃をかけよ!!」

「天魔の子・藤堂高虎」もいよいよ佳境、そしてその次は……


「ぼっちを極めた結果、どんな攻撃からもぼっちです。」→https://ncode.syosetu.com/n4852gp/

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ