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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第十章 山崎の風
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明智光秀、柵を燃やす

 初戦は勝利と言えなくもなかった。




 だが、人的犠牲はこちらの方が多い。元より五万三千対七万だから、一対一で殺し合っていてはこちらが負ける。



「決着はこの二日間です」

「確かに昨日はよくやってくれた、だがあれでは五分五分かせいぜいぎりぎりでの勝ちにすぎん。負けとらんだけではないか」

「おっしゃる通りでございます。ですが吉川殿からおうかがいになりましたでしょう」

「それはそうだが……松永久秀とてかなりの手練れだぞ。単独でも勝てる公算がなければ危ういぞ」



 悲観主義に染まってしまっている義昭に戸惑いながらも、光秀は必死に明るい声を出す。



 本能寺に信長を焼いた時、いや比叡山焼き討ちの時から、もう止まるつもりはなかった。幕府のために全てを投げ出す事を決めてここまで持って来た以上、勝利か死しかない。



「案ずることはございませぬ!藤堂高虎と言うのがどういう男なのか、今日お見せいたしましょう!」

「今日、今日にはその首が見られるのか!?」

「予定では明日です。ぶしつけながら公方様や毛利殿を含め皆々様に、藤堂高虎の為し様と言うのを生で見ていただきたいと」



 光秀は義昭に向けて深く頭を下げながら、一枚の書状を懐から取り出した。



 書状を目にした輿の中の義昭は目を見開き、光秀の顔を二度見した。



「公方様と言えども他言無用でございます。読まれてしまっては柵の意味が薄れますゆえ」

「そうか、誓って他言せぬ。光秀よ、どうか勝利をこの義昭にくれ」

「もったいなきお言葉でございます」




 生まれた時からこうして忠義を誓うのは当たり前の存在に向けて、そうしているだけ。


 息を吸うように、そして飯を食うようにそうしているだけの事。




「栗も鮑も昆布もおいしく召し上がっていただけたようで何よりでございます」

「余ばかりが食べていて良いのであろうか」

「構いませぬ、それもまた総大将の務めでございますゆえ」


 打ち鮑、勝ち栗、そして喜ぶである。平安時代より続く戦の前の食事であり、実際出陣の際にも光秀は義昭に食べさせていた。

 それと二度も食べさせることより、一度も食べさせて来られなかった事の方が光秀には心痛の種だった。


 正しき世界、正しき秩序。正しき者が富貴を得るべきだ。そのためならば、何もかも耐えられる。



(天魔の子が……)



 自分の中の絶対の秩序を踏みにじる藤堂高虎を討つ。その事を思いながら、光秀は義昭に別れを告げた。










 辰の刻(午前八時)。


 光秀は直属軍五千を引き連れて、吉川軍一万と共に柵の前に立った。


 昨日の攻撃で壊れた柵を挟みながら、目前に立つ男に向かって吠えかける。




 天魔外道、藤堂高虎。自分の信ずる全てを狂わせた、恐るべき存在。




「見たか、あれが天魔外道の藤堂高虎よ。かの者を撃てば越前一国は保証しよう」

「一体人をなんだと思っている?」

「浅井の者よ、天魔外道を討ち正道に生きよ!」

「黙れ謀叛人!」



 謀叛人とか軽々に言うが、織田信長を主と仰いでいたのは比叡山焼き討ちまでであり、それからはずっと、いやその前からずっと心は足利義昭にあった。

 と言うより将軍に忠誠心のない事が人として信じられなかった。




 野蛮なる浅井の鉄砲隊が火を噴き、柵を痛めつける。


 明智軍本隊に五十挺しかない鉄砲の威力をいやらしく見せつける。実に悪趣味だ。



「どうやら雑賀衆も幕府を見捨てたようだな!」

「残念ながら紀州とここは遠すぎる。それだけの事だ。だいたいが何だ?銃弾だけで幕府を滅ぼせると言うのか?」

「それもまた尊氏公の時にはなかった物だがな」


 銃の力を信じていない訳ではないし、実際雑賀衆の事も少しは当てにしていた。


(まったく、誰も彼も織田に飼い慣らされおって……)


 しかし顕如からは最近どうも冷たく、その上で通り道の河内和泉が織田方勢力が強く反織田勢力である雑賀衆はどうにも動けなかった。それだけの事を喧伝する高虎に改めて殺意が湧いてくる。



 とりあえず柵の後ろに板盾を作って兵の損耗を補ってみるが、とても精巧なそれではない野戦用の間に合わせでしかない以上防御力は知れている。


 だが、兵たちが倒れて行くとは言え数は知れている。結局は刀剣こそ全てなのだ。



「秀満が攻撃をかけているか……流石だ」



 明智秀満が動き出していた。もちろん狙いは昨日と同じく徳川家康をくぎ付けにする事である。おそらくあの天魔外道がやって来る時を見極めての攻撃だろう、実に正確だ。


(これだから秀満はいい、いやこれが正道に則った軍勢の力なのだ)




 丹波国主となってから、じっくりと自分の政策理念を叩き込んで来た。そのために一年かけて国内の豪族とも膝を突き合わせ辞を低くし、自分なりの最強の軍勢に仕立て上げた。




「もういいだろう、行って来い」

「行ってまいります!」

「逃げてもいいんだぞ」



 そんな軍勢をこんな噴飯ものの事を抜かすような軍勢とぶつけて壊さなければならないのかと思うと、それだけで胃が痛くなる。逃げる事を前提で作戦を組むなど、と言うかそれをばらすなど正気の沙汰ではない。



 とは言えこの高虎さえ討てばこの織田信忠も浅井長政も徳川家康も善性を取り戻してくれる以上、放っておくわけにもいかない。



「さあ明智光秀、この太刀の錆にしてくれる!」



 思惑通り壊れた西側の柵から突っ込んで来た藤堂高虎を狙い、手勢をぶつける。

 藤堂高虎を討てばすべての報酬は望みのまま、それこそ幾十万石単位の領国と幾千年に渡る名声が約束される。


「逃さんぞ!さあ皆、天魔外道めを討ち取れ!」

「やって見せよ!」



 その意欲と義侠心にあふれた兵たちが、次々に高虎の太刀に前に死体になって行く。


 

 七里頼周、内藤昌豊、山県昌景、武田信玄。数多の武者やその忠臣、良民たちを錆にして来たその呪わしき太刀を前にして、兵たちはなすすべなく死んで行く。



 それでも、勝利を疑う者は明智軍の中に誰もいなかった。


 最も頼りになる援軍の到来を知っていたからだ。



「おのれ、貴様が天魔外道の藤堂高虎か!」

「殿、公方様ですよ!」

「永遠に口を閉じておれ、この天魔外道が!公方様、この斎藤利三の武勇をご照覧あれ!」

「これは公方様、お初にお目にかかります」



 東北から突っ込んだ自分に対し、正々堂々と真正面から突っ込んだ軍勢。



 この重大な役目を請け負ってくれた征夷大将軍と、その守りを任せた股肱の臣。



 京に入ってから堺を秀満に、自分の政策を補強する役目を利三に任せ、堺と京を支配して来た。あの伊勢貞興の処刑を実行したのも利三であり、彼は京である意味光秀以上に恐れられる存在となっていた。




「貴様が幕府を壊す天魔外道か利三」

「さようでございます!」

「私は明智秀満の方がいいがな」

「貴様など左馬介(秀満)殿を出すまでもない、この斎藤利三で十分だ!だいたい、貴様ごときに相手を選ぶ資格などないわ」

「秀満はなあ、堺の町を荒らした野郎だろ!殿はそんな男を許せねえんだよ!」

「天魔外道に許せぬと言われるとは実に名誉!だが貴殿は救いたい、道を開けるか天魔外道を斬ってくれぬか」

「真顔で下らん冗談かますんじゃねえ!殿、やらせてください!」



 効くだけで反吐が出そうになるのをこらえながら、光秀は軍を散らす。


 堺に一体何をしたと言うのか。単に幕府を主と仰ぐようにと言い、その上で織田や浅井などと取引しないように、した場合はそれなりの罰を貸すようにしただけではないか。

 汚い金は消えてしまえばいい、きれいなやり方で得た物こそ美しい。それだけのはずだ。

 ほんの少し、その汚い金をきれいに使おうとしただけではないか。一体何が悪いのか。


 改めて、高虎の感覚がわからなくなった。

 高虎に洗脳されている山崎とか言うかつての朝倉の家臣、高虎に飼われて利三に吠え掛かった男もまた、救えないかもしれない自分の非力が少し腹立たしくなった。




「天魔外道の藤堂高虎を討て!」

「天魔外道の藤堂高虎を討て!」

「共に藤堂高虎を討て!」

「共に藤堂高虎を討て!」


 兵たちは必死に戦っている。

 そのためにも彼らを犠牲にしなくてはならない自分が嫌いになって行く。その自己嫌悪を高虎への悪意に変え、勝つために動く。




「どうした!兵力はこちらのが上なのだぞ!高虎の取り巻きどもも討て!秀満は何をやっている!」

「徳川と羽柴が激しく攻撃をかけており横撃をかける暇がございません」

「ああもうこの好機に!」



 義昭の悲鳴が耳朶を打ち、心を打つ。

 二年半前信長の目から隠すために柴田勝家のしもべとなって御所を追い払った時よりも苦しみながら、光秀は小声で指示を飛ばした。



 しかし、利三はまだ山崎なる藤堂軍の将を討てない。欲の皮が突っ張った藤堂軍の兵士たちと高虎以外に目の向いていない明智の兵の激突した結果、明智軍が押されている。

 神も仏も恐れない事がわかっていても、それでも高虎軍がうっとおしかった。



「このままでは公方様に刃が届くぞ!誰かおらんのか!」

「我々にお任せを!」


 自分でさえつい耐えきれなくなってしまう所だった以上、義昭や利三が耐えられないのは仕方がなかった。その段になってようやく動き出した吉川軍に少し腹を立てながらも、いずれにせよ動き出した事には感謝していた。


(まったく、毛利は実に良き家だ、さすがは大江氏の末裔だ。今後は源平藤橘に大江が加わるかもしれんな)


 足利義昭の亡命先を用意し、その上で二万二千の大軍を送って来てくれる。まさしく忠臣のそれであり、紛れもない名家の行いだった。武田が滅亡寸前、上杉が大打撃を受けている以上もう他に明智以外で幕府の中心となれる家もない。


「一文字三つ星、毛利か!」

「吉川元春だ!天魔の子の力とやら、見せてもらおう!」

「兵が足りませんのでお断りいたしたいのですがね」



 だがその毛利の名将たる吉川元春をしてこんな恥知らずと相対するのは初めてであったせいか行動が遅れ、後退を許してしまった。



 それと共に利三に雑兵たちが取り付き、気が付くと一騎討ちも終わらせられていた。



「斎藤利三め、お互い現世にもう少ししがみつこうな!」

「待て、藤堂高虎のしもべめが!」



 どこまでも逃げ足だけは速いなと切歯扼腕しながらも、とりあえず今日の勝ちを得る事を決めた。どうせ明日になれば正体のばれる策だ、今しかなかった。




「燃やせ」






 その一言と共に、柵と言う名の木が一斉に燃えて行く。






 炎が列となり、壁となる。真っ赤な炎、やがて消えて行く炎。

 織田信忠の赤い旗、平家の正統を気取る旗が消えて行くのと同じだ。


「なんだこれは!」

「さあやってしまえ燃え尽きてしまえ!天魔外道め地獄の業火にやられろ!」


(織田は消えろ、明智が天下を支えるのだ)


 煙と熱が立ち込め、藤堂軍を焼かんとする。


 点火完了した自らの手で高虎を狩りに行くべく、馬上の人となり兵を横に向ける。

 炎の勢いが強すぎたのか動きの悪い吉川軍を横切り、正義の刃を振るう。



「お前ら何のつもりだ!」

「何のつもりも何も、貴様を地獄へと送り返すためだ!さあ燃えろ燃えろ、燃えてしまえ!」


 高虎めがしんがりに回ったのを好機とばかりに義昭の兵も元気を取り戻した。


 焼け落ちた柵が傾き、火の粉が宙を舞う。敵がやけどを負う事を期待し、それが叶わぬ事を知って失望し、すぐさま敵へと向かう。


 忌々しき蔦紋の旗にも火が回って焼け焦げが回り、水色の桔梗紋の旗には傷はない。



「公方様のために死ね」

「主上様のために死ね」

「公方様のために死ね」

「主上様のために死ね」


 全ては神聖にして犯すべからざるふたつの存在のために。


 そのために戦う事がここまで気持ちが良くなれるものかと自分に感心しながら、光秀は藤堂軍の兵を斬る。しぶとく逃げ回る軍勢をなかなか斬れない自分にいら立ちながらも、その上でまた別の死体を作り上げる。






 そんな至福の時間を終わらせたのは、梅鉢だった。梅鉢の旗がやって来るや高虎は脱兎のごとく逃げ出し、炎の壁によってなくなっていた隙間に前田軍が入り込んでしまった。


「逃げ足の速い奴め!」

「てめえらこの野郎!」

「前田殿!」

「俺だって、俺だって親父殿の恩を受けてるんだよ!」


 前田利家とか言うあの柴田勝家の配下。毛利の手から逃げ切った男。

 粗野なくせに知識人ぶったり、愛妻家気取りのくせに妻に頭が上がらなかったり、織田家にいた時から相性の良くなかった男。


「おのれ前田利家……!名前通りの犬めが!犬の犬の犬めが!」

「犬だろうと何だろうとな、俺は戦うんだよ、恩人のためにな!」


 謙信が高虎を犬の犬、織田信長と言う主人に従う犬の浅井長政の犬と呼んでいた事は光秀も知っている。

 今の貴様はその犬の犬に飼われている犬だと言う力の限りの糾弾にも、利家はああそうかいとばかりにふてくされるだけだった。


(これが……これが天下を簒奪せんとする武者の程度か……)




 前田軍と共に下がって行く藤堂軍を見るにつけつくづくまで敵の低能さを思い知り、同時に涙をこらえている自分に気付いた。


「殿……」

「いや何、あんなのが相手なのかと思うとな……」



 利三と抱き合って泣きたくなるのをこらえながら、炎の壁をただただ眺め続けた。








「見たであろう!あの男はすぐ逃げる!その事を恥とも思わず、現世にしがみ付き続ける!しかしそれは絶対に勝てないと言う事でもある!逃げ続けた所で行きつく道は袋小路のみ!諸君らの勇猛果敢にして忠実至極な戦振りあらば必ずや戦勝は叶う!

 そなたらに公方様は感謝を示しておるぞ!」


 今日これ以上戦いが起こる事はないと判断した光秀は義昭と共に勝利を強調する演説を行い、兵たちの士気を高揚させた。


 それと共に歓声が上がり、兵たちの士気が高揚するのがはっきりとわかった。



「すべては公方様のために!」

「すべては公方様のために!」



 利三の声と共に兵たちの声が続き、皆手を天高く上げる。負の連鎖ならぬ正の連鎖が起こり、士気がますます高まる。何せ二連勝中なのだ、士気が上がらない方がおかしい。

 戦勝を祝う声が天王山からも鳴り響き、確実に高虎を打ちのめして行くのが何よりも嬉しかった。







「織田も浅井もある程度の打撃を受けました。明日はいよいよあの天魔外道です」

「それで、本当にうまく行くのか」

「公方様も心配性ですな。ささ、どうかどうか」


 そんな中なおも暗い顔をする義昭に対し、光秀は上機嫌でひざまずく。手酌で酒をあおろうとする義昭の器を握り、丁重に丁重に注ぐ。


「たとえ駄目でも退路がなくなると言うのは事実です」

「そうだな、ずいぶんとまあ敵も遠回りをしたものだからん」

「明日こそ、天魔外道めの最期の日です。この国が真に争乱から解放され、新たなる時代が始まる日となるのです…………」


 その日の事を思うと、疲れが全て取れた気分になる。



「おい、今度はこちらが注いでやろう」

「そのような!」

「余が良いと言っておるのだが?」

「で、では……」



 光秀は義昭に注がれた酒に口を付けながら、これまでの一四人の将軍を思った。



 思えば室町幕府が出来てから二三七年。そんなにある物を何故壊さねばならないのか。

 壊してどうしようと言うのか。そんな素朴な疑問に全く答えられない連中が光秀は許せなかった。




「今日この日は生涯の自慢となりましょう!」




 光秀は、義昭より賜った佳酒を一気にあおり、義昭に深く頭を下げた。




 義昭と光秀はともに笑い、そして明日の勝利の美酒を求めるかのように、ゆっくりと各々の陣で横になった。

新作の異世界転移ファンタジーは↓です。

「ぼっちを極めた結果、どんな攻撃からもぼっちです。」→https://ncode.syosetu.com/n4852gp/

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