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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第十章 山崎の風
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藤堂高虎、明智光秀の執念をその身に受ける

 七月十二日早朝。


 前日に引き続き太陽は姿を現さず、かと言って泣くこともせず、じっと雲の上にいた。




「それにしても、明智光秀もずいぶんと頑張る物だな」



 長政に一枚の書状を突き付けられた高虎の顔が歪んだ。



「藤堂高虎はあの松永久秀を味方に付けている。その事だけでもいずれが是でいずれが非かは火を見るよりも明らかであり、即刻天魔外道の朝敵たる藤堂高虎を討つべし」



 光秀が、昨日に引き続き高虎をしつこく責め立てている。しかも今度は松永久秀と言うある意味はっきりとした傷を脛に持つ身であり、高虎よりずっと責めやすい相手である。


「逆に何故、ここまで明智はそなたにこだわるのだろうな」

「聞いてみねばわかりませぬ。ただ単純に、私の事が気に入らぬだけかもしれませぬ」

「気に入らぬで朝敵にされては身が持たぬな」


 松永久秀が朝敵にされるのはわからないではない。おそらくは本人ですらその事は先刻承知であり、その上で動いているのだろう。だが高虎に朝敵などと言うほど罪があるはずもない。もし本気で好き嫌いでやっているのだとしたら、それこそ真っ当な政庁ではない。


「あるいは明智光秀にしてみれば、本気だったのかもしれぬがな」

「私を斬れば皆足利幕府になびくと」

「違う、わしが思うに明智光秀は相当に焦っているのだろう。お主は安房守や佐吉から幕府の話を聞いておらんから知らぬだろうが、幕府の財政は正直底を払っている」



 正信が言うには、元より義昭は無一文同然で因幡まで逃げ延びて来て、そこから京へと戻って来た。毛利は深入りしていないだろうし明智とて素の四十数万石では雇える兵は知れている。そこで堺や京から無理矢理金をかき集め、その上で反抗的な京の貴族から金をむしり取って強引に傭兵をかき集めた。


 おそらく相当な厚賞を約束した上のそれであり、それを破れば傭兵はたちまちにして矛を自分たちに向ける以上、何としても速攻で特大の戦果を挙げねばならなかった。

 松永久秀や宇喜多直家、播磨の織田勢では足りないほどの戦果となると、それこそ浅井か織田しかない。なれば、浅井の家臣で織田信忠にも受けの良い高虎と言う存在を標的にするやり方は悪くないと言う訳だ。


「それにしては兵が整然としていたと言う評判ですが」

「光秀は巧みな演説と厚賞で兵たちの心をつかんだらしい。一説にはそれで丹波も楽に落としていたと言う話だ」

「すると何ですか、丹波の段階からこの時を待って動いていたと」

「かもしれんな」


 あまりにも大きな計画を振りかざして、する事が事もあろうにこれとは。

 この後も自分だけではなく多くの人間に同じことをやるかと思うと、それだけで高虎は背筋が寒くなった。



「なればこそ、今日はそなたに出てもらう。逃げて、引き付けてもらいたい。そなたを見れば明智は追うしかなくなるからな」

「わかりました!」



 逃げると言う芸を披露するには、あまり良い舞台でもない。上杉謙信のように我を忘れて追ってくれるとは思えず、それでいてすさまじい執念を持った軍勢。それが、明智軍だった。


 いずれにせよ、やらねばならない。それだけは変わらない真理だった。







 辰の刻(午前八時)。


 浅井軍一万五千が前面に立ち、その脇に前田利家軍三千が遊軍として控える。


 その先鋒は、言うまでもなく藤堂高虎だった。




「見たか、あれが天魔外道の藤堂高虎よ。かの者を撃てば越前一国は保証しよう」

「一体人をなんだと思っている?」

「浅井の者よ、天魔外道を討ち正道に生きよ!」

「黙れ謀叛人!」




 昨日もあったような口上の言い合いから、戦は始まった。


 高虎がいったん下がると共に、赤尾清綱・阿閉貞征軍による銃弾の雨が降り、明智軍を殴りにかかる。



 十発や二十発ではなく、二百発三百発単位の援護射撃。味方としては勇気を掻き立てられ、敵としては怯えて当然のはずだった。

 この戦場全体で三者連合軍には浅井だけで千挺、徳川にも四百挺、織田には二千挺の鉄砲があり、幕府軍のおよそ四倍である。

 ちなみに幕府軍の銃の八割は毛利の私物で、幕府軍には二百挺しかない。


「どうやら雑賀衆も幕府を見捨てたようだな!」

「残念ながら紀州とここは遠すぎる。それだけの事だ。だいたいが何だ?銃弾だけで幕府を滅ぼせると言うのか?」

「それもまた尊氏公の時にはなかった物だがな」



 圧倒的なほどの銃弾が、明智軍をなぎ倒す。あわてて用意した板盾も多数の銃弾を受けて次々に壊れ出し、その破片が凶器となって犠牲者を生み出す。


 高虎と光秀が吠え合う間に、明智軍は二百近く兵を減らしていた。西側では明智秀満が昨日と同じように天王山から攻撃をかけているが、徳川軍がきっちりと対処している。



「もういいだろう、行って来い」

「行ってまいります!」

「逃げてもいいんだぞ」



 普通なら誹りにしかならない言葉をかけられながら、高虎は全速力で前進した。


 三千と言う数は光秀軍の五千より少ないが、その分だけ動きも良くなる。

 元より若造で小者に過ぎないと考えている高虎にとって、この数ですら身の丈に合っているか怪しいと思っていた。


 だがここにいる兵たちはあの武田信玄や上杉謙信との戦いを泳ぎ切って来た人間たちだった。


(確かに明智軍の統制は見事なものだ。だがそれだけで戦を勝つには無理がある。安房守が寄越して来てくれる情報に誤りはない。庶民の不人気は統治者にとって大打撃となるはずだ。誘っても誘っても捕まえきれない私を捕まえてみるか?)


 何ならのんびり戦っていてもいいぐらいの余裕が自分たちにはあるはずだ。敢えて大回りして山崎で戦う事になったとしても、予想以上に悪政をためらわない光秀の人望は地に落ちており、いずれ物資が足りなくなるのは幕府軍のはずだった。


 となれば一発逆転の手段しかない。自分だけではなく、長政や信忠、あるいは家康。

 その三人を討ち取らなければこの状況をぶち壊す事などできないはずだ。


 自分などに執着するのならばむしろ好都合、そういうとまた四葩に叱られそうな気がするがそれでもこの役目をこなすのが自分の仕事だった。




「さあ明智光秀、この太刀の錆にしてくれる!」




 適当な事を言いながら、藤堂軍はついに動き出した。


 銃弾の内兵にも盾にも当たらなかったそれが柵を傷つけ、また一部狙ったのか否か柵の根本を撃って揺るがしていたそれもある。


 柵の壊れた西側の場所から、藤堂軍は突入した。


 長い柵を囲うのはいいが、一ヵ所でも破られるとそこから戦力が突入しやすくなる。

 包囲攻撃してしまえば良さそうに思えるが、それをやると他の部分の守りが薄くなり他の柵を壊す機会を与えてしまう。兵力の逐次投入など愚策中の愚策であり、ましてや寡兵なのは幕府側なのだ。


「逃さんぞ!さあ皆、天魔外道めを討ち取れ!」

「やって見せよ!」


 高虎自ら太刀を振り、かつて金ヶ崎城で功名心に駆られた同僚の兵たちを富田長繁がそうしたように丁寧に切り裂いて行く。


 これまでも、これからもそうしたように、高虎はまた返り血を浴びる。武者である以上、人殺しをしなければ生きていけない。どう取り繕おうが、人殺しは人殺しだ。


 そういう訳で開き直って先頭であった明智光秀軍をあしらい続ける高虎の前に、逐次投入の第一軍がやって来た。




「おのれ、貴様が天魔外道の藤堂高虎か!」

「殿、公方様ですよ!」

「永遠に口を閉じておれ、この天魔外道が!公方様、この斎藤利三の武勇をご照覧あれ!」

「これは公方様、お初にお目にかかります」




 なんと、足利義昭である。二つ引き両の旗を掲げ、配下として光秀の重臣の斎藤利三を従え実質的な大将を務めているらしい。装備だけは豪華な、総大将の兵が五千でやって来たと言う状況にも、高虎はあくまでも冷静だった。




「貴様が幕府を壊す天魔外道か利三」

「さようでございます!」

「私は明智秀満の方がいいがな」

「貴様など左馬介(秀満)殿を出すまでもない、この斎藤利三で十分だ!だいたい、貴様ごときに相手を選ぶ資格などないわ」

「秀満はなあ、堺の町を荒らした野郎だろ!殿はそんな男を許せねえんだよ!」

「天魔外道に許せぬと言われるとは実に名誉!だが貴殿は救いたい、道を開けるか天魔外道を斬ってくれぬか」

「真顔で下らん冗談かますんじゃねえ!殿、やらせてください!」



 高虎自身なんとなく願望を込めてそう言ってみたが、ここで本格的に当たる気もなかった。いつものように予定通り戦い、いつものように適当に逃げる。その上で敵を引き付けて、一挙に攻撃をかけてもらう。


 相手が誰であろうと同じことをするだけだった。



 高虎の面前で激しい長徳と利三の斬り合いが続き、高虎には次々に兵が襲い掛かる。


 雑兵たちは昨日と同じようにただ高虎の命だけを求めて斬りかかり、そして死の間際まで得物を放そうとしない。げに恐ろしき兵士たちだった。


 この藤堂軍との激突でも整然と当たり、その上で確実に突き出して来る。


「天魔外道の藤堂高虎を討て!」

「天魔外道の藤堂高虎を討て!」

「共に藤堂高虎を討て!」

「共に藤堂高虎を討て!」


 自分への憎悪をむき出しにしながら、人が迫って来る。




 厄介だと言いたかったが、これが案外緩かった。



(なんだこれは、まるで八百長ではないか。それとも、本当の本当に私さえ討てば終わるとでも思っているのか?そんな馬鹿な)



 幕府軍がなかなかこちらを突破できず、藤堂軍も守る事は出来ているが突入軍らしき処は見せられていない。


 そのせいか戦振りを眺めるゆとりができてしまった高虎からすれば、幕府軍と自分たちが馴れ合いの戦をやっているように思えて来た。

 血しぶきが上がるにしてもどこか芝居がかっていて、まるで馴れ合いじみた戦いになっていた。


 高虎を討てしか言わないだけでなく、高虎さえ討てればいいとしか考えられない兵隊にとって高虎軍の兵は手心を加えるに値する存在であり、藤堂軍もまた当初から逃げ時をうかがっていたせいか半ば腰が浮いていた。


「どうした!兵力はこちらのが上なのだぞ!高虎の取り巻きどもも討て!秀満は何をやっている!」

「徳川と羽柴が激しく攻撃をかけており横撃をかける暇がございません」

「ああもうこの好機に!」



 義昭のわめきようも真に入っており、芝居にしてはおかしい。


 これでは逃げたとしても説得力がない。



「このままでは公方様に刃が届くぞ!誰かおらんのか!」

「我々にお任せを!」



 利三の叫び声に応えるように、また別の軍が迫って来た。



 明智軍五千と幕府軍四、五千との戦いを続けていた高虎の前に立ちはだかった単独の一万は、かなり大軍だった。


 武田信玄も上杉謙信も五千前後の本隊を押し潰したり振り回したりして勝った高虎にしてみれば、ここまでの大軍は初めてだった。



「一文字三つ星、毛利か!」

「吉川元春だ!天魔の子の力とやら、見せてもらおう!」

「兵が足りませんのでお断りいたしたいのですがね」




 潮時だ。そう感じた高虎はすぐさま後退を開始した。



「斎藤利三め、お互い現世にもう少ししがみつこうな!」

「待て、藤堂高虎のしもべめが!」


 逃げる事には慣れた藤堂軍だが、正面切っての戦いから逃げるのは実は初めてだった。


 それでも精鋭となっていた高虎軍は友軍の援護射撃もあって、百合ほど打ち合った山崎長徳と斎藤利三の戦いを強引に終わらせると、高虎を殿にゆっくりと後退を開始した。


 だがそこにいきなり東から、白い煙が立ち込め出した。


 横を見る前に前を見ると、吉川軍も少し挙動が怪しくなっていた。

 何事だと思いながら後退すると、とんでもないものが視界に入った。




「なんだこれは!」




 柵が燃えている。


 天王山の側から淀川の端まで備え付けられていた柵が、いっぺんに燃え出した。



「さあやってしまえ燃え尽きてしまえ!天魔外道め地獄の業火にやられろ!」



 明智光秀が柵を燃やしているかのように高揚している。



 吉川軍すらひるむ中、放火犯の明智軍本隊が一斉に横を向いてくる。



「お前ら何のつもりだ!」

「何のつもりも何も、貴様を地獄へと送り返すためだ!さあ燃えろ燃えろ、燃えてしまえ!」




 炎の壁が覆い、浅井の旗を阻む。


 一ヵ所しかない隙間に殺到する藤堂軍を討たんと欲する明智軍の群れが、改めて窮鳥に襲い掛かる。

 桔梗の花が高く牙を剥き出しにして、蔦を食い荒らさんと迫って来る。


「公方様のために死ね」

「主上様のために死ね」

「公方様のために死ね」

「主上様のために死ね」


 呪詛と殺意を吐き出しながら、逃げの名手であったはずの藤堂軍を殺しにかかる。

 義昭と天皇の名を唱えながら、その敵をすべて殺すために。

 熱いはずなのにも構わず、整然と、整然と。


「逃げ足の速い奴め!」

「てめえらこの野郎!」

「前田殿!」

「俺だって、俺だって親父殿の恩を受けてるんだよ!」


 かろうじて前田軍の乱入により難を逃れた高虎であったが、それでも朝から山崎の地を照らす業火は戦意を奪い取り、得意の逃げしかできなくなった。


「おのれ前田利家……!名前通りの犬めが!犬の犬の犬めが!」

「犬だろうと何だろうとな、俺は戦うんだよ、恩人のためにな!」


 利三の負け惜しみと利家の返答を聞く気も起きないまま、高虎はこれまでの戦いで一番暗い顔をして本陣へと引き返した。







「今日の戦はもう無理だな」

「……はい」


 長政の前で、高虎はひざまずきながら涙をこらえた。


 逃げたのが早かったから損害は少なかったが、それでも光秀の怨念だけはまともに受けてしまった。

 柵はもはや機能を果たせないほどに燃え尽きるのだろうが、それでも燃えている間は間違いなく炎の壁として機能し、その上で浅井軍の戦意を落とす事にも成功したのである。



 まさしく光秀の怨念により燃えた炎は、確かに高虎の心を焼いた。



 なぜ、自分に対してここまで執着するのか。なぜ、自分さえいなくなればなどと思い込んでいるのか。

 知りたくもないし、知ろうとも思わない。



「だがこれで明智光秀は柵を失った。そなたの兵の損耗もわしが補おう」

「天王山は」

「最初は押していたのだが小早川軍が乱入して来てな、数の差で受け止められてしまった。

 やはり天王山こそこの戦の第一の拠点と言う事をわかっているのだろう」


 天王山は拠点ではあるが小山である。その天王山に明智軍一万と小早川軍一万を入れられる空間などないはずだ。おそらくは当初から自分たちの攻撃を明智軍本隊と足利軍、そして吉川軍だけで凌げるとの読みであり、見事に成功してしまった訳だ。




「明日だ。明日こそ決戦となる」

「その時はまだどうか!」

「その亡骸は拾っておいてやるからな。帰ったら四葩に思いっきり抱いてもらえ」

「はい……!」



 明日もまた先鋒として、明智軍に立ち向かう。その決意を再び新たにしながら、高虎は傷病兵たちの手当てに向かった。

新作・「ぼっちを極めた結果、どんな攻撃からもぼっちです。」→https://ncode.syosetu.com/n4852gp/

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