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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第十章 山崎の風
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吉川元春、明智軍の強さを知る

「いよいよか……」


 吉川元春は戦の始まりを感じ、深く得物を握った。







「攻撃を開始!内大臣様の無念を晴らせ!」

「天魔外道のしもべたちを、その支配から解放せよ!」


 明智光秀と前田利家、先ほどまで叫びあっていた二人が同時に攻撃の合図をかける。


 連合軍の先鋒の滝川一益、鉄砲の名手の率いる部隊の放つ銃弾の雨が、明智光秀軍に降り注ぐ。もちろん光秀軍もそれを板盾で凌ぎ、撃ち返す。



 犠牲者こそ出ないものの銃弾の音はすさまじく、戦場に慣れ切ったはずの耳を容赦なく殴り付けて来る。


 むしろその方が毛利元就の次男として戦いに明け暮れ、毛利家を山名家以来の六分一衆とでも言えるほど迄に領国を拡大した功績者としては日常であるはずだった。


 だが、此度の戦はどうにも違和感がぬぐえなかった。




(神輿は軽い方が担ぎやすいと言うがな……正直隆景があれしか持って来られなかったのは計算外だったな)


 輝元直属軍五千・自分たち兄弟一万ずつで計二万五千を京に持ち込む予定であったが、一万を持ってくるはずだった隆景が七千しか持って来られなかったのは正直予想外であり、その少ない分を輝元直属軍から補わされる羽目になった。


 つまり今輝元は、わずか二千の兵で京にいる事になる。




 元春たち一万は但馬から陸路を通り丹波を経て京へと入ったが、隆景は本来なら幕府や本願寺の協力を得て瀬戸内海を通って摂津より北上する予定であった。


 ところが水軍と共に上陸しようとした際に本願寺がいきなり上陸のために費用を取るとか言い出し、堺の町衆からも同様の要求が出されていた。しかも本願寺が出してきた金額よりさらに上の額をだ。

 元より米は現地調達だったからその分の金はあったとしても、その上に余計な出費を余儀なくされてしまって一万人を降ろす事ができなくなってしまった。結局弱い所を三千人ほど戻したものの、小早川軍は戦わない傍から資金難に陥ってしまっていた。


 元春自身、幕府に対する忠誠心などほとんどない。足利義昭をかくまったのも、柴田勝家を討ち取ったのも、あくまでも領国と毛利を守るためだった。








「出動要請です」

「行くか」


 やがて銃声が止み、真の意味での斬り合いが始まる。滝川軍の先頭に先ほど吠えた前田とか言う男が槍を振りかざし、侵攻をかけて来た。

 その側では揚羽蝶の旗を掲げた池田恒興が、主将の滝川一益と共に援護射撃のように板盾に火矢を放ちながら、柵を取り壊しにかかっている。


 防がねば数の少ないこちらが不利になる以上、動くより他ない。

 元春は、前進を開始した。


 これまで幾度となくそうして来たように、弓矢で迫りくる敵を撃ち抜かせ、その上で着実に兵を合わせて行く。

 自身も着実に前進し、その上で滝川軍の真後ろにいる信忠軍の動向をうかがう。何十何度とやって来た型通りの戦いだった。



 しかしどうにももやもやする。



(この戦いに勝ったとして一体何がある?毛利はどうなる?)



 確かにこの勝利により織田も浅井も崩壊し、二度と中国を犯す事はしないかもしれない。もちろん自分たちの利益を阻む敦賀港も作られない。



 だがその代わりに君臨するのは幕府と明智光秀であって、毛利ではない。それはまだいいとしても、その両者がどこまで民の心を掴めるのか。


 隆景が一万全員を上洛させられなかったのも当初は播磨に上陸する予定だったのを断念せざるを得なくなった結果であり、播磨の国人も今やほぼ織田方で固まっていると言う。あげく備前の宇喜多直家も最近はかなり織田寄りであり、此度の出兵要請についても無視を決め込んでいた。面従腹背、手のひら返しを恥とも思わない男らしからぬはっきりとした決断。


(それを慶事だと笑っていたのがこの明智光秀だ……)


 足利義昭を、と言うか明智光秀を担いで上洛してからと言うものの、毛利の信用が落ちていると言う話を元春は幾度も耳にする。本来ならば征夷大将軍と言う名は最高の切り札であり絶対的な特権だったはずなのに、今では振りかざしている方がむしろ不利になっているではないか。




 目の前で先鋒として戦う実質総大将とでも言うべき男、明智光秀は直家がほぼ敵方に回ったと聞いてむしろ喜んでいた。


「あんな男は天魔外道の同類項、むごたらしく死ぬのが当然。寿命に追いつかれる前に松永久秀共々八つ裂きにしてやるべき」


 そんな事を平然と言っていた。


 汚い事ならば自分だっていくらでもやって来た。奇襲も不意討ちも騙し合いも、すべて兵法だ。元就だってその手を駆使してここまでの地位を掴んだ以上、直家のやっている事は非道ではあっても必要悪であり、兵法上は間違っていない。そんな理由で斬られるのならば、毛利だってそうなりかねないではないか。

 確かにこの勝利の後、光秀は宇喜多直家を潰しにかかるだろう。だがともすれば手の平を返す可能性のありそうな直家を敵と決めつけるのはまだ早計かもしれず、下手すれば逆に争いが激化する可能性がある。柴田勝家の決死の抵抗により山名親子を失った但馬は未だにまとまっておらず、今後備前や美作、播磨がそうならない保証はどこにもない。



 その事を腹立ちまぎれにぶつけてやったら、その際には幕府が惜しみなく支援いたしますと高笑いを返して来た。どこからそんな自信が湧くのか不思議なほどの笑い声であり、怒るとか呆れるより先に釣られて笑ってしまった。

 その事でますます調子に乗った光秀は親しげに手首を振りまくり、たっぷり自分の手に手垢を付けた。



 吉川軍と小早川軍、どっちが強いか比べた事はない。

 だが毛利家内では小早川軍は水軍と共に手を組むことが優位の一つとなっている以上、その援護がない分だけ平地では吉川軍が優位とも言われていた。ましてや今回は小早川が七千、吉川軍が一万である。



「どうした!一万二千に押されるな!」

「敵は天王山にも攻撃をかけており、援護は期待できず!」


 だが明智軍がにわか作り、他が敗残兵や新兵の集まりである以上幕府軍最強のはずの吉川軍だったが、これがどうも動きが重い。


 明智軍五千を含めれば一万五千で一万二千を受け止めているのに、逆に押されている。



 先鋒の前田利家が激しく攻め立て、池田恒興は着実に前田を守って来る。

 先手大将の滝川一益は効率的に援護射撃を行いながら、こちらの弱い所を突くべく援兵を出してくる。


 これらの攻撃に対し、吉川勢は防戦一方だった。決して人死にがあるわけではないが、着実に押されている。柵が一か所一か所着実にはがされ、守りが薄くなって行く。



 やる気があるのかとは言えない。元春自身、さしてやる気がなかったからだ。


 毛利水軍の権益を守りたいので敦賀港を止めてくれとか、長政に言えるはずもない。ましてや山中鹿之助の逆襲が怖いなどと言えるはずもない。


 しかしその二点さえ保証されれば、今すぐ撤兵してもいいと思っているのが元春を含む毛利首脳陣だった。輝元も隆景も、元春と同じく幕府の利用価値などその程度としてしか考えていなかった。


「この戦は受け止めれば勝ちなのだ!まだ我々には小早川が残っている事を忘れるな」


 明智光秀及びその軍勢の安否など、まったく気にするつもりもない。ただ目の前の軍勢を適当に押しのけ、適当に守っていればいい。

 そのうち誰か攻撃を仕掛けるだろうとか、かなり勝手な事を思っていた。







「天王山より援軍です!」

「おお来たか来たか」


 果たせるかな。予想通り天王山にいた明智軍が動き出して来た。



 数は見た所二千。徳川から攻撃を受けている所を見るとこんな物だろうが、それでも織田の横っ腹を突くには十分である。




 さてここでいったん体制を整えようかと深く息を吐いたと同時に、戦場の叫び声とは違う声が聞こえ出した。



「天魔外道の高虎を討て!」

「織田信忠よ目を覚ませ!」

「浅井長政よ泣いて馬謖を斬れ!」

「徳川家康よ身を亡ぼすなかれ!」


 まるで何かの呪詛のように、兵たちが言葉を吐き出し始めた。


 中身こそ微妙に違えど、すべて高虎の死と敵の投降を願っている。そっくりそのまま光秀の物言いと変わらない。


 当然の如く滝川隊は銃弾を放ち彼らを討ち取るが、誰一人口から言葉を吐き出すのも前進もやめようとしないし、体制を乱す事もない。




「吉川様、明智本隊が……」

「そんな、あそこまで受け止めておきながら!」


 第二軍であった自分たちが攻撃を受けている以上光秀の生死すら危ういと思っていたが、ところが光秀を含め明智軍五千は、五百はおろか二百も減っていない。


 前田利家も池田恒興も、滝川一益も敵ではないと言うのか。見た所特に激しく攻撃はしていないようだが、それでもあれほどの攻撃を受けているのにこれほどまでに死なないと言うのはあまりにも驚異的だった。

 


「何と言う戦いぶりだ……明智軍はこんなに精鋭の集まりなのか!」


 明智に対し無関心であった元春だったが、兵の動きを一目見てその理由がすぐわかった。


 どんなに激しく追い詰められても、激高もひるみもせずじっと受け止める。その上でまた別の兵が追い詰めて来た人間の太刀先を交わし、体勢を立て直す時間を与える。

 たとえ斬られても最後の最後まで呪詛をめいた言葉を吐くことをやめず、また同時に刀を振ったり投げたりすることをやめない。そしてその死を見ても、決して怯もうとしない。無論光秀自らも刃を振るい、単純な強さをもって敵兵を斬っている。


「天魔外道に与する者に、この明智光秀は斬れぬ!」


 倒しても倒した気分にさせず、その上時にこうして吠える事により士気を上げる。




「敵が退きました!追撃しましょうか」

「どうせ撤退のための援護を入れて来る、これ以上の深追いは止せ」


 確かに明智軍は強い。とは言えまだ織田本隊と浅井軍が残っている以上、所詮五千の兵で突っ込む道理もない。

 実際織田信雄・信孝軍が撤退の援護をするために出て来たところで天王山より降りてきた軍は整然と向きを変えて北へと行き、明智軍本隊はじっと織田兄弟の軍をにらみつけたまま、逃げる兵士の内数十名を討ち取っただけであった。







 結果的に初日の戦いは、心情的には幕府軍の勝利と言うべき結果で終わった。本陣へと後退する前田軍の背中は敗軍のそれであり、利家の背中は敵ながら実に重たかった。


(明智軍がここまで精強だとは……個人の力は足りていないようだが兵の動きがあまりにも的確だ。これなら勝てるかもしれぬ)


 極めて整然とした行動を取り、その上でいざとなればさっと退く。

 まるで噂に聞いていた藤堂高虎のような戦ぶりだ、とは言えないが実際見事なほどの用兵だった。攻め切れなかったのは個々人がまだ熟練兵でないせいだろうが、だとすればむしろ逆に恐ろしいかもしれないと言う思いもまた元春の中に芽生えていた。




「明智殿、本日はなかなかお見事でしたぞ」

「当たり前です、あの天魔外道を滅するためですから。吉川殿も明日以降も頼みます、どうか万世に忠臣の名をお残し下され」


 秋の日は釣瓶落としとばかりに太陽が昇っている間にせいぜい礼を述べてやろうと本陣に入った元春に対し、光秀は満面の笑みを浮かべていた。

 そして兵士たちの目は血走っている。血走っているのにあそこまで冷静沈着、その二つを兼ね備えた軍勢がどこにいるのか。


「とは言えこのまま守るだけではらちが明きませぬ。いずれは一挙に攻める時が来ると思いますが」

「大丈夫です。あの松永久秀に背後を預けているのですよ、あの逆賊たちは。

 既に大和の筒井順慶や僧たちに書を送り、手はずは整えております。松永が崩れれば本願寺は本隊をこの山崎まで持って来られます、そうなれば後はもう言うまでもありますまい」

「それはいささか細く感じますが」

「なればこちらをどうぞ」


 光秀が懐から取り出した書には、本願寺顕如自らの署名が記されていた。

「必ずや戦場たるこの山崎に来たるゆえ、どうかお待ちを……」

「でしょう?奴らの命も、あと二、三日です。それだけ耐えれば我々の勝ちなのですよ」

「しかし本願寺が動いたとしても松永勢に受け止められる可能性がございますが」

「それならばそれで救援の暇を失うだけですから別に十分です」


 元春自身、反織田で本願寺と組むに当たり何度か顕如自らの書面を目の当たりにした事がある。そしてこれは、間違いなく本物のそれだった。



(なるほど……自信を持つはずだ)


 明智光秀が決して無謀なだけの妄信者でない事を改めて確認した元春は、犠牲者の確認をすべく自分の陣へと戻る事とした。

新作の方もよろしくお願いいたします。


「ぼっちを極めた結果、どんな攻撃からもぼっちです。」→https://ncode.syosetu.com/n4852gp/

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