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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第十章 山崎の風
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藤堂高虎、明智光秀の暴走を嘆く

 七月九日。

 伊賀から大和に入り摂津まで回り込んだ三者連合軍六万五千は、京の町まで一日の距離にたどり着いていた。


 三家の重臣である赤尾清綱、滝川一益、酒井忠次率いるおよそ三万が先行し、長政・信忠・家康と藤堂高虎の三万五千は尼崎城に入っていた。







 三人の大大名に交じって高虎は座を囲み、一歩引こうとする度に家康に押された。


「この戦の主軸のような存在ですから、そんなに遠慮なさらずとも」

「私だって若狭守殿のような忠臣に来てもらわらねば困るのだ、ですよね総大将様」

「聞いただろう若狭守、遠慮する事はない」



 実に心地の悪い思いをしながら、高虎は三人と顔を突き合わせる。


 三人とも実に裏表のない笑顔をしながら、必死に自分を守ろうとしている。

 自慢の逃げ足を発揮する場面はここではない事を感じながら、高虎は小さく首を縦に振った。







「さて……本願寺が動くとはな」

「数はともかくこうもはっきりと行かれると松永殿は当てにはできないか……」


 とにかく長政の第一声で軍議が始まったが、高虎を含め四人とも顔色は冴えなかった。六万五千と言う数を動員できる存在など他にどこにもいないはずだったが、それでもなお長政たちは不安でいっぱいだった。



 最後の最後まで日和見を決め込むと見ていた本願寺が、四日にいきなり挙兵。


 数は三千程度であったが本願寺の軍隊が南無阿弥陀仏の旗を掲げ、山城へと向かったと言う報は三人を大きく動揺させた。その上長政たちは松永久秀と摂津衆の援護をあきらめねばならなくなり、数の差はさらに縮まってしまった。



「これで敵は五万三千、我々は六万五千。地の利が敵にある事を思えばほぼ互角ですな」

「毛利と言い本願寺といい、今更本気になる理由もないと思いますが」

「明智光秀はもはやおかしくなっておりますからな」


 確かにこれで、数の差は補えるし地理を考えればほぼ互角である。

 だがこれで光秀が勝ったとして民に支持されるのか、四人とも非常に疑問だった。







 四人の耳に入って来る光秀の評判は、何一ついい物がない。







 堺では関所があちこちに作られ流通が滞り、その上に光秀による強引な徴税であちこちの商家が潰れるか経営難に陥っている。喜ぶのは旧来の権力者である地頭や寺社ばかりで、彼らすら庶民たちの蜂起を恐れ光秀の目の届かない所で商家に利益を還元しているような始末だった。

 そしてその事がばれた寺が魔王の眷属として寺ごと焼かれ、足利将軍家への絶対的な臣従を確約させられてようやく許されたと言う話まである。


 その上朝廷及び幕府内部でも貴族や功臣を次々に織田派と言う事で殺したり左遷したりさせて財貨をむしり取り、その金で装備や兵を無理やりに増やしていると言う。


 他にも幾倍にもして返すからという空手形を京の商家に向かって切りまくっているらしいが、おそらく近江や越前を奪い取ってそこから返す以外の当てはないはずだ。






「いっその事このまま逗留していても勝てそうですが」

「冗談はやめてください。一向一揆の恐ろしさをご存じないのですか」

「一向一揆ですか、自分が絶対に正しいと信じて疑わぬ……」


 一向一揆がどんなものか、高虎は嫌と言うほどわかっている。

 その気になれば命も要らず、ただまっすぐに相手の死、自分の勝利でも生存でもなく相手の死だけを求めて突き進み、そのまま死んでいく軍勢。


 毛利のやる気はともかく、明智軍がその段階まで行っていると言う話もまた三人の耳に入って来ている。光秀は新兵相手に派手な演説を行い、食いっぱぐれ同然だった人間たちを次々に「明智軍」に仕立て上げている。彼らがこの戦に来れば従順な光秀の手足になるだろうし、来ないとしても京の町を明智のために回る密告者になりうる。


 そんな事になれば堺のみならず京まで経済的打撃がすさまじく、明智どころか織田や浅井の得にもならないし、住民たちにはもっと損である。わざわざ大回りしたことを加味しても、とても放置などできなかった。


「決戦の時は近いですね」

「場所はやはり山崎ですか」




 山崎。




 この尼崎から上洛するためには西国街道を北上する事になるが、その中でちょうど淀川と山に挟まれた地が山崎である。基本的に一点集中を余儀なくされるため守りやすく攻めにくい場所であり、陣を構えるには絶好の位置である。


「一応先行部隊がおりますがおそらくは」

「私が光秀ならばとっくに要点は抑えております。そう、天王山です」

「天王山ですか……なるほど要地ですね」


 先行部隊の三将がいかに急ごうとも、光秀には延々十日間あった。こちらの動きを見極め陣を張るのはまったく簡単であり、理想な戦い方ができるのは光秀である。



 長政が地図に指を叩き付けるまでもなく、天王山の重みはすさまじかった。



 天王山からは南にも東にも北にも実に動きが取りやすく、平地の軍勢にとっては非常に厄介である。

 五万の内どれほどの兵で抑えているかわからないが仮に二万だとして、残る三万で北側を抑えてしまえば、六万五千をぶつけても突破するのは難しい。かと言って天王山に軍を振り分けようにも、山での戦いは上にいる方が有利なのが定理である。



「その天王山はわしが引き受けましょう」

「三河殿」

「ただ一万を超えた場合は少し振り分けていただければ幸いです、ああ若狭守殿以外の軍勢を」

「いやむしろ私の役目の気もしますが」

「媚を売らずともよろしいのです、どうせ天王山にいるのはもっとも強い所。目の前の馳走に飛びつく人間ではございますまい」


 この場に酒井忠次がいればああまた殿に無謀な事をさせなさると嫌味めいた目線を投げつけて来るだろうが、実際誰かがやらなければいけない役目だった。

 総大将の長政や光秀の旧主の信忠にはできない役目であり、また高虎にもできないそれを引き受けてくれる家康はどこまでも誠実だった。


「その役目、こちらの前田に引き受けさせましょう。彼は忠実で誠実で思慮深い男です」

「前田殿で足りなければ」

「その際は私が自ら守りましょう。総大将様には悪いですが、どうしても」

「わかっております。天王山はあまりにも重大です」

「六万以上もいてなお兵が足らぬとは……」


 一応ここに来るまでに伊賀や南近江から徴兵もかけられていたが、量も質も知れている。一人の兵を養うには数名の民が必要であり、一万石で二百五十人しか動員できないのもむべなるかなと言う話だ。

 もちろん光秀のようにそんな不文律を無視すれば動員可能だが、別の場所にしわ寄せが来る。六万五千と言うのはある意味限界であり、全力なのだ。




 それでもやむを得ないとばかりに先鋒・中堅・大将などの配置が改めて確認され、図に割り当てられていく。すでに先行部隊が張っている陣の図面が置かれ、そこに各将の名前が書き連ねられて行く。




「それでお館様、私はどこに」

「若狭守は最後方に構えてもらいたい」



 そして最後に未だ決まっていなかった高虎の立ち位置が決められた。

 最後方だ。



「最後方に軍を置き、明智勢を焦らせろと」

「表向きにはな」

「もしや遊軍として明智勢を振り回し続けろと」

「それもある。だがそれ以上に大きいのは、我々の誠意を示すためだ」




 松永軍の援護をあきらめねばならないのは変わらないが、松永軍は何も大和に引っ込んでいる訳ではない。

 よりにもよってと言うべきか、松永軍は摂津に構えている。表向きには本願寺の警戒だが、あるいは後方を一気に突いて来ないとも限らない。ましてや藤堂高虎となれば、それこそ下手な金銀財宝よりずっと価値のある宝である。


(まさかこの状況でとは思うが……)


 自分の欲望のままに生きて来た男が、事実上の最後の舞台に何をするか。

 大仏を焼き将軍を殺した以上、何も恐れる事はないはずだ。

 何となればこの場で義昭も光秀も信忠も長政も家康も殺してしまえば、一挙に天下人になれてもおかしくはない。


 以前茶を飲み会った時に感じた凄味。薄れる事はまず間違いなくあり得ないその本能が目覚めた時、自分が無事でいられるのか高虎は自信がなかった。







「では……」

「ああお館様!慶事です!羽柴筑前守殿が四千の兵と共にやって来ました!」

「筑前が来たのか!」


 全てが決まったとばかりに腰を上げようとした中、いきなり陽気な顔をした男が飛び込んで来た。播磨にて半ば幽閉状態であった羽柴秀吉が駆け付けて来たと言うのだ。


「すぐ来いと伝えよ」



 信忠だけでなく高虎の顔からもこわばりが消える。


 長政の信頼、信忠の実直さ、家康の誠実さはみな間違いなかったが、それ以上に秀吉の陽気さも間違いなかった。こんな張り詰めた状況でも必ずや、不思議な笑顔をもたらしてくれるだろうと言う期待を抱く信忠に釣られるように、高虎も笑顔になった。










 五年ぶりに見た秀吉は相変わらずの猿顔であったが、同時に相変わらず人の心をつかむのがうまそうな顔をしていた。


「よくぞ生きていてくれた。それでその少年は」

「お館様に預かっていただきたいと、ほれきちんと挨拶を」

「宇喜多直家が嫡子、宇喜多八郎でございます」


 その上に宇喜多直家の嫡子を連れて帰ったと言う事は、宇喜多家が織田に付く事を決めたと言っても過言ではない。あまりにも見事な奇功に、高虎も笑うしかなかった。


「山城守は壮健か」

「ええ、最初は毛利の侵攻に怯えておりましたが、ほどなくして国人たちが我々に付いてくれるようになりましてな。毛利は不思議なほどに国人たちの不興を買っております」

「それは筑前殿と山城殿が興を買っていたのでは」

「まあ光秀めのやり方が聞こえる度にですがね」




 本能寺の変の発生後、当初は小早川隆景の攻撃にさらされるのではと即時撤退をする動きもあった。だが備前の宇喜多直家がいきなり八郎を秀吉に差し出し、その上で対毛利の姿勢を示すと小早川は動かなくなり、吉川も柴田勝家を討ち取った後は南下しないままずっと因幡に構えていた。


 その間に堺から光秀の所業が漏れ聞こえる度に毛利は信用を失い、毛利両川が丹波から京に入るに当たって決定的になったと言う。




「とにかくだ。筑前は三河殿と共に天王山攻略に当たってもらおう。ああ利家は正面攻撃に回そう」

「利家ですか、私は利家に会いたいのでどうかこれで」

「それはそうだな。盟友に顔を見せてやれ」



 最初から最後まで陽気に振る舞う秀吉と光秀の折り合いの差を感じながら、高虎は笑って自陣に戻った。



















 会議が終わり高虎が自陣に戻ってすぐ進軍を開始すべく準備を整えていると、部将の山崎長徳が頭を掻きながら近寄って来た。


「あのお方の望みってやつがねえ、俺にはわからないんですよ」

「あの方って」

「ほらもちろん明智光秀ですよ、あんなに殿を目の仇にして何を殿にお望みなんですかね」

「それこそ鼻息一つで将軍様をも脅かし、髪の毛をちぎり飛ばせば万の兵を生み出し、ひとこと不服を唱えればその相手を根こそぎ地獄へ送るような」



 冗談を言っているつもりはない。


 光秀の頭の中の理屈をすべて適えるためには、高虎はそれぐらいの存在でなければならないだろう。どう考えても人間の領域をはみ出した話であり、あまりにも荒唐無稽だ。



「俺には負けた時の言い訳づくりにしか聞こえませんがね」

「笑うな、向こうは真剣なのだ」

「殿が金ヶ崎に行ってる間に、奥方様に書状が届いたって話はご存知ですかね」

「まさかと思うが明智が私を斬れば千石は保証するとか」

「少し違います。千石ではなくて十万石です」



 たかが二万五千石の男に十万石!まったく笑えもしない冗談だった。


 そこまでして一体何がしたいのか、長徳の言う通り全く狙いが見えない。



「ああそれから、筑前殿が戻って来てくれたぞ」

「それはそれは、非常にありがたいですね!」

「その筑前殿が言うには、毛利は宇喜多家や播磨の国人からそっぽを向かれたらしい。おそらく明智に味方しているせいでな」

「いやあ……」


 長徳が呆れるほど、光秀の信用は落ちていた。


 国人や商人は大名より世の流れに敏感であり、それらからそっぽを向かれることはそれこそ致命傷のはずだ。だと言うのにそんな真似をするような人間が敵かと思うと、楽勝と思うより情けなくなってくる方が先だった。


(最高の戦力を持った最低の相手との戦か……)



 もしこんな相手と戦をしたくないと思わせるためにやっているのだとしたら、光秀はある種の天才かもしれない。




 そんな予感を封じ込め、そしてそんな人間の治める世を拒否すべく、高虎は長徳から十歩離れて太刀を抜き、一直線に振り下ろした。

新作、「ぼっちを極めた結果、どんな攻撃からもぼっちです。」→https://ncode.syosetu.com/n4852gp/

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