明智光秀、大演説を行う
「この戦いは、天下万民のための戦いである!
主家である朝倉家を滅ぼさせ、
加賀において僧を無惨に殺し、
小谷城にて義兵を挙げた浅井下野守(久政)を無慈悲に斬り、
甲斐源氏の末裔にして幕府の忠臣である武田親子を討ち、
その上にあの関東管領上杉謙信公まで踏みにじった!
そして主家である朝倉の姫を犯して子を孕ませ、にもかかわらず他の女との淫行にふけり、その妻と子を日々泣かせている!
それが、藤堂高虎と言う天魔外道である!!」
信忠が決意を新たにしてから三刻後の申の下刻(午後四時)頃、光秀は京にて壇上の人になっていた。
大広間にかき集められた三千を超える兵に向けて、光秀の声が飛び出す。
どこまでも通る大声をもって言い聞かせるようにしながら、時々腰から刀を抜かずに振り下ろす真似をする。
今目の前にいるのは新兵たちばかりであり、中にはまだ迷いのある兵もいた。
「そんな男を何を血迷ったか浅井長政は守り、公方様と主上様に抗うつもりでいる!天下万民の仇敵たる存在をだ!
またかつて比叡山を焼き討ちした織田信長が嫡子織田信忠と、その信長の同盟者たる徳川家康もまた、天下の逆賊たる藤堂高虎をまったく討とうとしていない!
それこそ、彼らの全てであると言える!この戦に敗れればこの国は彼らの手に落ち、正義も秩序も平和もこの国よりなくなってしまう!」
大きく頭を抱え、そして苦しむかのように首を激しく横に振る。
ただの頭痛ではなく、文字通りの全ての民の苦しみを感じるかのようにうずくまり、そしてまた大きく叫ぶ。
「あの応仁の乱より百年以上が経つ!もはやこれ以上の混迷も戦乱も不要である!
天下万民のために、全てを荒廃させ、全てを破壊する藤堂高虎を討つ!
そしてとこしえなる平和を勝ち取った暁には、諸君らは英雄として天下万民の間に千代に八千代に語り継がれよう!
天魔外道を滅すれば、必ずや皆目を覚まし何が善で何が悪かわかる!
万が一それに気づかぬ者あらば、それは天魔外道の成り代わりである!天魔をこの人の世から根絶する事により、この国は本当に秩序と正義に満ちた天下万民のための国となるのだ!
戦うのだ、天下万民のために、この国のために、この大地のために!!」
高く挙げた右手を振り下ろし、腰に指していた刀を抜いて斬って見せた。
刃の輝きが夕焼けの光を浴びて輝き、兵たちを照らして行く。
「天下万民のために!」
「天魔外道を滅せよ!」
「浅井と織田を救うべし!」
「室町幕府万歳!」
次々に新兵たちが言葉を唱えて行く。何もしないのに合唱が起き、そして渦が巻き起こる。
その中を悲愴な顔を作って普段の七割程度の速度で歩き、地を眺めながら新兵たちの元を光秀は去った。
「ずいぶんとまあ、凄まじい事になった物だな……」
「これぞ正義と言う物です」
演説を終えた光秀は、義昭の前にさっきまでとは別人のような笑顔を隠さぬままひざまずいた。これまで義昭に向けて来たのと同じような、裏表のない笑顔をして。
そんな光秀に対しなぜか義昭は烏帽子ばかり見ながら右手を差し出し、光秀も笑顔でその右手を握り返した。
「まあ、天は必ずや我々を守ってくれます。ご安心を」
「とは言え敵は安く見ても七万だぞ」
「藤堂高虎さえ討てば良いのです。あとはにわか作りの織田浅井徳川、庶民の支持もなく壊れるのに時間も要りませぬ」
「どうしてそこまで自信満々なのだ」
「私自らが出て行けば何の事はございません」
これまでの幕府軍の戦果は、正直芳しくない。松永久秀攻略に失敗し、それからも摂津の国人を幾度も攻めているが戦果は上がっていない。
ある時溝尾庄兵衛を大将に四千の兵で摂津の中川清秀を攻めさせたが、住民が清秀に協力して補給路を突かれたため敗走した。それを聞いた光秀は自ら兵を率いて出撃し清秀と対峙せんとしたが、まったく戦わないうちに清秀は一党まるまる居城から抜け出してしまっていた。
光秀は清秀を追う事もなく引き返し、住民たちにねぎらいの言葉と大量の米を渡して去ったのが、ほぼ唯一というべき戦勝だった。
「確かにのう……まあ確かに毛利が本腰で来てくれたのはありがたいが」
「既に三好殿も全軍挙げて到着しております。しかし残念ながら、高虎を討ちし後には四国へと赴かねばならぬでしょう」
「長宗我部か……」
「結局はあれも天魔外道の毒気に当てられたのでしょう、惜しいですがね……」
昨年土佐を統一していた長宗我部元親は阿波攻めをすでに企図しており、その前の段階からすでに信長から四国の支配者の座を約束されたと言う話もある。
実際元親自身が織田の同盟者であると言いふらしており、これまでの戦果を見る限りそれにふさわしいだけの事はやっていた。もし仮に三好が全軍で来ていたとすればそれこそ阿波を放棄したも同然であり、いずれは三好家の領国である阿波を奪い返さねばならなくなる。
「ああ……まったく……」
佳酒を口に運びながらも、義昭の顔は冴えない。
だいたいの話として、三十を超えてから将軍になる前は坊主として粗衣粗食で暮らし、将軍になってからも窮乏する形だけの幕府の主として振る舞わされ、放逐されてから二年間は庶民とまでは行かないにせよせいぜい百石程度の武将の飯しか食っていない。
百石と言うのはそれこそ藤堂高虎とは桁が二つ違うそれであり、征夷大将軍と言う名の最高権力者としてはあまりにも惨めだった。当然、舌も肥えていない。
「本来、征夷大将軍と言うのはそれこそ敵を討てと一声かければ国中より百万を動員できるはずだったではないか。それが今や繰り出せるのはほんの一万数千、しかもほぼそなたの軍隊のみ。毛利すら、帝の力に頼らねば動かせぬ。毛利は、本当にこの足利義昭に忠誠を誓ってくれているのか?」
「でなければ二年もその御身を守るはずがございませぬ。羽柴や丹羽と言う枝葉を前にして惑っていたのやもしれませぬが、どうやら根を枯らせば枝葉など落ちる事に気づいたようです。それに何より、あの宇喜多直家などにすがっているのですからな」
暗殺、謀殺、騙し討ち当たり前で備前一国を浦上家から奪い美作さえも支配しつつある宇喜多直家は、ずっと織田方についていた。本能寺にて信長を討ち取ってもなお織田方にしがみつき続け、そのまま毛利に抵抗している。
それを面倒ではなく、むしろそんなのが味方にならなくてありがたいと光秀は思っていた。高虎たちの次ぐらいに滅ぼし、天下の卑怯者として首を三条河原にでもさらしてやりたいぐらいだった。
酔う気配もなく佳酒をどぶろくのように飲みたがる義昭の肩を軽く叩きながら、酒臭さにもためらうことなく身を寄せる。義昭自身が本能寺の後に許したと言う免罪符を盾に、光秀は義昭に体をすり付けようとさえしていた。
「仮に毛利が私利私欲で動いているとしても、その私利私欲と野心はあくまでもあの天魔外道を滅すると言う功績を追い求めての物。私とて今雑兵であれば必ずやその栄光を貪りに行きます、そういう事です」
「栄光を貪るか、そう言えば朝倉とか言う男がいたが」
「ああ、朝倉景紀でございますか。二度ほどお会いなさった事がおありとか」
「息子はこの前織田に殺されたそうだったな」
「残念です、あの不識庵殿がお認めになった勇士が卑劣な手により……朝倉家は残念ながらこれでもうおしまいでしょう」
「愛王、いや景昭はまだ無事なのだろう」
「どうせ同じですよ、高虎の尻を舐める景鏡の手により殺されますから。景鏡はもはや朝倉でも何でもなく、ただの藤堂高虎の犬です。いや五年前からすでに浅井の家臣である事からしても文字通りの忠犬でしょう、文字通り犬の犬の犬です」
「犬の犬の犬か……だがのう、おととい立てられたらしい落書を知らぬのか?」
「存じておりますが」
紫陽花が 昼に枯れ行く 生命を 三つ剣にて 二つ断ち切る
こんな短歌が連ねられた落書が、三条河原に立てられていた。
昼に枯れ行くと言うのはいかにもアサガオこと桔梗を思わせるそれであり、言うまでもなく桔梗とは光秀の事だ。そして生命は安倍晴明とかけられており、安倍晴明を祭る神社の紋も桔梗である。
それを断ち切る「三つ剣」は織田・浅井・徳川であり、「二つ」はおそらく二つ引きこと足利家だろう。
「余の元にも漏れ聞こえる四葩と言う朝倉の娘の噂は実に恐ろしい。何でもあの天魔の子が一度も勝てたことがないとか、耶蘇教の宣教師とも互角に張り合ったとか、ああそれからそなたにも負けじと立ち向かったとか」
「織田や浅井の流す虚説は虚説ではないのが多いから面倒なのです。
ああ言っておきますが最後のは虚説です、すべてはあの藤堂高虎めの魔力の為せる業です」
光秀自身、朝倉家にたいした思い入れはない。
旧主家ではあったが心の距離があり、織田と浅井と徳川にとって滅亡させられた時もとくにどうとも思わなかった。だがいざそうなってみるとやはり惜しかった。
朝倉と言う一つの家が失われると言う現実、それがもはや不可避であると言う現実を作った浅井長政と藤堂高虎がなおさら憎たらしくなり、その憎しみが闘志に化けた。朝倉家最後の遺児と言うべき愛王が高虎の義弟にされたと聞いた時には胃が急速に痛み出し、自分の無力を嘆いた。
そんな恐ろしい藤堂高虎が謙信から犬の犬と呼ばれていると聞かされた時、光秀は思わず右手を口に当てて大笑いしそうになった。その時自分をはしたないと止めた煕子は今、丹波で静かに夫の帰りを待っていた。常に帯刀させ、辱めを受けると思えばいつでも自害して構わぬと言い聞かせた妻の笑顔もまた、光秀にとって力の種である。
煕子と言う女性は、決して強くない。時には自分に縋り、自分が弱い姿を見せて初めて叱咤激励するような女性である。光秀自身と秀吉の折り合いが今ひとつ良くなかったように、煕子とおねの仲もあまりよくなかった。
そして漏れ聞こえる四葩の噂を真に受ける限り、四葩はおそらく煕子とは折り合えない。
(何が紫陽花だ、これでは妖花ではないか。魔力に当てられていればいいが、もしそうでないとすればとんでもない化け物だ)
先ほどの狂歌の「紫陽花」は、そのまんま四葩の事だろう。
朝倉四葩の評判は浅井領だけでなく織田領でも広められており、光秀にもいくらかその噂は入っていた。最初は聞き流していたが聞けば聞くほど真剣味が増し、その度に本当は相思相愛なのではないかと言う悪い妄想が頭を駆け巡る。
四葩が浅井はまだともかく織田や徳川を動かしていると言うのは誇大妄想の類だろうが、それが高虎の嫁であると言う事自体高虎の存在を膨れ上がらせているのと変わらないとも言える。
「今度の戦いは頼むぞ」
「はい……」
「なんだその顔は!」
「いえその、此度は公方様にも…………」
「余も戦わなければならぬと言う事か」
「残念ながら」
「嘆くこともあるまい。征夷大将軍たるもの自ら戦場に出ねばなるまい。十四人の栄誉をもって逆賊たちを討つ、それで良いのであろう?」
「無論でございます!」
急に湧き出した四葩への恐怖をごまかすかのように、光秀はまた笑う。そうして笑い、笑った後に高虎への憤りをまたふくらませる。
何を恐れているのだ、藤堂高虎さえ斬ればすべて解決する。その上で最後の最後まで解決をあきらめることなく進めれば、絶対に正義は勝つ。
何度も何度も自分に言い聞かせる。義昭に悟られまいとしながら必死に笑顔を作る。
本当は離れたい。離れて弱音の一つでもこぼしたり、作戦を考えたりしたい。
だが体が動かない。
まるであの女ににらまれている気分になって来る。
「では、出兵の準備を整えてまいりますので」
「そのような、もう少しだけでも一緒にいてくれ」
「ああ、誠に申し訳ございませんが、それがその…………」
「良いではないか、一杯ぐらいそなたも呑め」
「公方様が口を付けた物など!」
「余の酒が飲めぬと申すのか?」
「恐れ多いと述べているだけでして!
「光秀、余の命令が聞けぬのか!余は征夷大将軍ぞ!」
それでも力を振り絞って自分と同じかそれ以上に不安を膨らませている人間の元にいたくないとばかりに腰を上げようとすると、目の前の酔客が絡んで来る。
やめてくれとも言えず、弱い所も見せられず。どうすればいいのか、叫んでやりたいと思わせるほどに追い詰められている自覚さえなくしていた光秀の顔が崩れ、口が大きく開けられる。
「申し上げます!!」
「何だこんな時に!」
「本願寺顕如様、ついにお動きになりました!!」
「もう一回言ってくれ!」
「本願寺顕如様、幕府にお味方なさると称して援兵を送って参りました!」
「聞こえんぞ!」
「そうかそうかついに本願寺が動いたか、これはもう大丈夫だな!光秀よ、本当によくやってくれたぞ!」
「あ、ああ……そうかそうかついに動いてくれたか……感謝するぞ」
そんな所に陽気な声を張り上げて飛んで来た男の存在は実に目障りであり、素直にその言葉が耳に入って来ることはなかった。
義昭に言われてようやく頭を冷やせたものの、それでもなお頭が動かない。
「おい光秀」
「アッハッハッハ……ご覧くださいませ、これでもはや犬の犬など敵ではございませんぞ!」
「そうだな……光秀、決戦に備えて体を休めるがいいぞ!では下がって良い」
ようやく全てを飲み込んだ上でひとしきり笑うのが精一杯であり、後は体を引きずりながら義昭の前から消えて行く事しかできなかった。
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