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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第十章 山崎の風
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織田信忠、安土に決意を固める

いよいよ明智光秀との決戦です!

 天正三年七月一日。




 南近江・安土の地に、およそ六万の軍勢が集結した。


 琵琶湖を臨む肥沃なこの大地はあるいは京や岐阜より政庁にふさわしいと思うほどに存在感を放ち、その上で決して来る物拒まずと言った風に広がっている。







「たった一人の男のためにこれだけの数がですか」

「まったく、つくづく恐ろしい男ですな!さすがは朝敵にされるはずです」

「おいこら、敦賀の商人から買った米はうまいか?」


 相変わらず高虎に辛く当たる忠次の額を叩きながら、家康は深く頭を下げる。

 同じ下げるにしても長政は相手を見ながら下げ、信忠は深々と下げた。




 浅井軍二万五千、織田軍二万六千、徳川軍一万五千。そして遅れてやって来る浅井軍が五千あまり。

 さらに大和の松永久秀と摂津の荒木村重・高山右近も参戦を表明しており、彼らを含めればおよそ一万は増やせる。



 これだけの兵を動員するには、言うまでもなく補給が必要不可欠である。そのために信忠も長政も家康も資金を注ぎ込み、米や武具を買い集めた。

 売ったのは堺から逃げ出して敦賀に移った商人であり、このひと取引で蔵がかなり増えたとも言われている。信忠も実際少し買っていた。







「さて改めて作戦と言う事ですが、総大将様はどうお考えなのですか」


 義理の叔父の長政を総大将と呼んだ信忠は、光秀の事を思い返していた。


 織田家臣として幾度か会った時の光秀は、自分たちに期待を抱いている事を見せるかのように笑顔を振りまき、だが同時に他の人間には少し冷淡だった。

 織田が幕府第一の家臣として振る舞ってくれ、その上で幕府再興を成し遂げ千年先にも忠臣の二つ名を得る事を夢見て動いていたのかもしれない。

 だがある時何らかのきっかけでそれが夢に過ぎない事を知り、その夢を自分で叶えるべく動き出したらしい。



(治窮まれば乱を生じ、乱窮まる時治に入る……百年も乱を続けておいてまだやるのか)



 織田領は佐久間信盛に任せており、徳川領も石川数正と徳川信康が守ってくれている。当主もなしに武田の攻撃を凌げるほどにまで武田は弱っており、明智の次は武田だとすでに決まっていた。


 その武田と上杉を倒し、毛利を服属させればもはや三者連合軍の敵は北条と陸奥、九州だけとなる。天下から騒乱が消えるのは時間の問題だ。もちろん四国の長宗我部元親が素直に従うかと言う問題は残っているが、だとしても三者連合軍がいざとなればこれほどの数を動員できるとなれば普通は怯むだろう。

 しかし光秀がここで仮に自分と長政と家康、そして高虎を斬った所で、まだまだ相当な兵も領国も三家には残っている。それを踏み潰しきるのに一体何年の時が要ると言うのか。


 この戦の後、天下人が誰になるのかはまだわからない。信長の息子である自分か、あるいはこの戦の総大将にして帝のいる山城を支配する可能性のある長政か。いずれにせよ、光秀がやるよりはずっと簡単に世が収まりそうなのは間違いなかった。


「ですがどうやら毛利は本気のようです。多くの兵が但馬から丹波に入り、一部は船舶で摂津から京へと向かっております」

「どの程度の数です」

「およそ二万かと見受けられます。一文字三ツ星の将旗も丹波で確認されました」

「毛利は本腰を入れてかかって来たと言う事ですか……」

「四万、いや明智派の諸侯も含めれば五万と見て良いでしょう。五万相手に渡河するのは危険です」

「瀬田川は駄目と言う事ですか」


 明智一手ならばせいぜい二万だが、毛利が加わるとなれば倍はある。

 信忠にしてみれば、毛利輝元は話せる人物だと思っていた。まだ二十四歳と自分と五歳しか違わず織田の政策にもそれほど反発している節もなく、義昭と光秀さえいなければある程度の線で手打ちは可能なはずだった。

 二万と言う数と輝元自身が来た事からして本気なのは明白であり、またややこしい因縁が生まれそうなのは嫌だった。


 そして現実的な問題として、四万の軍勢を目の前にして渡河するのはあまりにも危険すぎる。ただでさえだぶつきそうなほどの大軍である以上、どうしても河と言う天然の防御施設を持っている方が有利になる。南近江が織田領だと言っても、四万の軍勢を前にしては逃げるか息をひそめるかのどちらかしかできない以上、明智軍は簡単に瀬田川の前に布陣可能である。


「そこで近江が駄目だった時のための手はず通り、伊賀から大和へと入り南方より山城を目指します」

「この近江はどうなります」

「金森と遠藤殿、海北殿が守っております。仮に五万としても我々からすれば少数、軍を割けば負けるのは明白です」

「それで問題は、山城まで行ったとしてどの辺りで構えるかです」




「やはり、京の町衆に万一があってはいけませぬからな」

「今の光秀に理性を期待してはなりませぬ。おそらくは京の町を盾に使い、全てを焼け野原にして渡すかもしれませぬ」


 長政の言葉を否定できないのが今の光秀だと言う事を、信忠は知っていた。織田の間者から聞かされた酸鼻極まる光秀のやり口からすれば、京の町その物を焼いてもおかしくはないとまで感じていた。本能寺のみならず、何もかも消し飛ばす。織田と浅井と、藤堂高虎のせいにして。自分たちの勝利が叶わなければ、お前らが幕府に従わなかったせいでこうなったと言わんばかりに八つ当たりの意味でやるかもしれない。


「毛利がさせますかそんな事」

「とりあえずその点は安心でしょう、こちらに降ろうと言い出さない限りは。輝元は聞いた話によれば京に留まり、物見遊山に走っているとか」

「はあ?」

「毛利はあくまでも我々と対峙するためだけに来ていて、決して幕府に肩入れはしていないと言う事なのでしょうか」


 忠次がいちいち怪訝な表情になるのが信忠は面白く、場が和む。


 だいたいの話として、三十一歳の長政や十九歳の自分に誰も付いていないのに三十四歳の家康に忠次がへばりついている時点である種のお笑いであり、完全な過保護である。

 万が一うんぬんを抜かすならばそれこそ嫡子の万福丸がまだ元服を済ませていない十三歳の長政やまだ子の居ない信忠に対し、信康は既に十七歳でありその点でも滑稽だった。


「この状況で毛利の支持まで失えばおしまいですから。毛利はかなり主張を通せたでしょう」

「強引に朝敵を作っておきながらですか?」

「次は酒井殿かもしれませぬがね」

「………………ああ、ああなるほど!」

「中納言殿、あまり忠次をからかいますな。忠次は悪い男ではないのですから。あくまでもそれがしの事が心配でこうして来ているのですから、どうかどうか……」

「わかりましたとも、ええわかりましたとも!」

 

 御年四十九、光秀とひとつしか違わず信長より年上の男によって信忠は笑わされると共に、その笑いの質を理解した。


 ああ、酒井忠次と言う人物はあくまでも徳川家康を守ろうとしている。本来ならば敵と斬り合うどころか戦場などに出させずずっと本城の中にしまっておき、こんな危険な役目は自分たちが請け負えばいいとか考えているのだろう。決して甘やかす気はないが、それでも徳川家の断絶だけは絶対に駄目だと言う所か。

 確かに家康の先々代の松平清康は二十五歳、先代の松平広忠は二十四歳でこの世を去っており、家康が当主になった時にはまだ八歳だった。その二人の死を見届けたも同然の忠次からしてみれば、ここに家康がいること自体不愉快なのかもしれない。


「決戦はおそらく山城の南か摂津の北か……」

「その辺りで開戦となれば京を汚す事もないと見ますが」

「そうであってもらいたいがな」

「いずれにせよ気になるのは本願寺です。本願寺はまだ動いていないようですがこの千載一遇の好機を見逃すとは思えませぬ。どうやら最近また綱紀粛正を行ったらしく、かつての加賀一向宗のような酒と女に溺れるような売僧はもういないともっぱらの評判で、関銭もほとんどただ同然だったとか。明智も当てにしているから手を出せなかったようですし」

「改めてずいぶんな話ですね」


 堺の古参勢力の中にも、織田浅井寄りのそれはいた。その大半は屈するか息をひそめているかだが、中には織田寄りだと言う姿勢を示すために無理矢理設置した関銭を後で返すと言う事をやっていた寺社や地頭もあったが、それらのほとんどが既に明智軍により身ぐるみはがされた上で殺されている。

 本願寺もそうらしいが、一度同じようにして強硬な抵抗を受けたために口で言うだけに終わったとも言うが、それ以上の事はわからなかった。


「いずれにせよこの安土より南下して伊賀を経て大和へ入り、そこから摂津山城へと回り込む、と言う事になるでしょうな」

「本日は休むとして、七夕まで摂津に入りましょう」

「伊賀大和は実質織田領ですからな」

「本願寺か、それとも……」

「こればかりは明智に期待するよりないのが悲しい所ですがな」



 三者連合軍七万、明智方少なくとも四万。決戦の地はどうしても限られてしまう。


 小軍は小軍であるゆえに動きやすいが、大軍に本気になられたらどうしても分が悪い。それゆえ大軍の方に動く自由があり、小軍が下手に軍を分ければ各個撃破される危険性もある。

 近江には今美濃からやって来た金森長近軍五千と遠藤直経・海北綱親率いる六千が残っており、これを突破しようとすればかならずどこかに穴が開く。明智軍は良き場所を選んで布陣し、待つぐらいしか手がないのも事実だった。いくら何でも敵の数ぐらいはわかっているだろうから、それ相応の策は取って来るはずだ。


 ――――と言う風に、結局の所敵に期待するしかないのもまた事実だった。







「主導権が敵にあると言うのは何とももどかしい物です」

「たった一人の男の手により幾十万の人間の運命が握られると言う訳ですか!ああ、呪わしきかな明智光秀!!」

「では明朝にも伊賀へと向かうと言う事でよろしゅうございますな、越前守殿!」

「ええ、それで決まりと言う事で」



 自分や家康の元にも届いたあの綸旨を見る限り、あくまでも敵は藤堂高虎一人。


 それさえ討てば何もかもなかったことにすると言わんばかりに執着するような男、そしてそのためならば平気で道を踏み外す男。そんなのとの戦いに巻き込まれる身になってみろよと言わんばかりにか、さもなくばもう一人の戦いの中核となっている男の事を考えてか強く足を踏み鳴らす男と共に、家康はゆっくりと立ち上がった。


「因縁だなどと、別にそんな事を言うつもりもないのですがな」

「向こうは言うでしょうけどね。言って何になるのかわかりませんが!」

「ああそうだな、わしはあくまでも織田と浅井の同盟勢力の長だ」


 織田と言う平氏の末裔と、足利及び土岐と言う源氏の末裔。それだけでも宿命の対決と言えるし、さらに言えば新田氏の末裔を名乗る家康からしてみれば足利氏は南北朝時代、いや下手すればそれ以前からの因縁があると言えなくもない。

 家康が言うように本来はどうでもいい話だがあるいはそれを理由に光秀は自分たちに因縁を付けたり、今こそそのわだかまりを捨てて共に高虎を討とうだの言って来るかもしれないが、いずれにせよ大した話ではない。




 そんな大したことのない事に執着する光秀のせいで失われた信長の命と、夢。




(あるいは父上は、この安土という地に何らかの足跡を刻むつもりだったのかもしれぬ…………)


 信忠がこの安土を三軍の合流地点に選んだことに対し、深い意味はなかった。


 しかしこうしていざ七万の軍が集まってみると、実に和やかに話が進んでいた。


 今回の戦いの中核たる藤堂高虎も榊原康政と言う家康の家臣や尼子家の山中鹿之助らに囲まれ、和やかに談笑していた。長政から賜ったと言う太刀を眺めながら、絶対に勝ってやるぞと言う気合いに満ち溢れた一座を作っていた。


 まるで父の夢と母の温もり、生母でこそないが父をよく支えた濃姫の愛の力があるかのように、きれいな場だった。




 信長の夢。




 それを実現する事は、もはや叶わない。仮に信忠がどんなに必死に再現しようともそれはもはや「信忠の夢」であって、信長の夢ではない。




「父上、母上、見ていてください!」


 信忠は天に向かって叫び、それに応えるかのように日が信忠の体を照らした。

本日新作公開です。よかったらこっちの方も。


「ぼっちを極めた結果、どんな攻撃からもぼっちです。」→https://ncode.syosetu.com/n4852gp/

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