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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第九章 あるべき政
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明智光秀、伊勢貞興を斬る

 この綸旨が出される七日前、光秀は不機嫌を極めていた。


「公方様……!」

「おい光秀、どうなっておるのだ!

「私もわからないのです!」




 京の主となってからと言うもの二ヶ月、光秀の口から出てくるのは唸り声とぼやきばかりになっていた。


 浅井と織田についてしまった畠山家と一色家を罷免する代わりに重臣として君臨した明智光秀は朝廷を味方につけるために金策に努め、また軍事の長として反幕府勢力に攻撃をかけさせていた。


 だが最初に攻撃をかけた松永に惨敗、それから幾度となく征伐軍を興さんとしたが浅井や織田は無論松永や荒木などの諸勢力も相変わらず頑強で、本願寺は相変わらず動かない。そのせいでか播磨の秀吉と長秀は未だに壮健である。

 河内和泉に入った三好はまともに動いているがそもそも弱小であり、畿内平定は全く進まず織田領や浅井領にはまだ手を出せていない。



(このふた月での最大の戦果が、柴田勝家の死か……)



 織田一の猛将の死、そして但馬からの織田軍の撤退。それだけは悪い流れではない。だがそれを成し遂げたと言えそうな但馬山名氏はすでにほぼ壊滅状態であり、そこから丹後に攻め込む力はない。毛利がその気になってくれればいいが、これもあまり積極的ではなかった。



「次は我々だぞ!」

「なればこそ資金を集めているのですが、どうもおかしな事に資金の集まりが悪いのです」

「何がだ、ちゃんと関所を作り関銭も集めているのだろう!」

「作ってはいます、ですが予想外に入りが悪いのです」


 信長のやる事を否定したい光秀としては、楽市楽座などもってのほかであった。古きよき座による特権を認め、多数の関所を設け関銭を取るのが当たり前だった。それにより寺社にたくさんの資金を流させそこから収入を得る予定だったが、それがまるっきり上がって来ない。朝廷内部に巣くう織田の手先を粛正して財産を配って兵を集めているが、それでもまるで足りそうにない。


「本願寺はまだ動かないのか!」

「動いておりますが松永勢を押し返せず……」

「松永も問題だが、摂津の国人連中は何とかならんのか!」


 光秀をして、摂津の国人たちが未だに屈さないのは不思議で仕方がなかった。


 荒木村重に高山右近とか言う連中は数万石のそれでしかなく、その気になれば簡単につぶせたはずだった。

 ところが復興初戦において恥をかかせた松永久秀が同盟勢力面をして干渉してくるせいで、なかなかそちらに集中できない。元より将軍殺しの松永久秀に追討令など何の意味もなく、実際出してはいるが内部分裂など起きていない。




(なぜだ、どうして誰も彼も……!!)




 このところ、光秀の酒量は増えていた。どうして正当なる政府であるはずの幕府にひざを折る事を嫌うのか、まったく訳が分からなかった。


 耶蘇教などまともに評価していない光秀からしてみれば、荒木村重や高山右近と言った耶蘇教徒の国人たちがしてくる粘り強い抵抗が一向一揆のそれと同じ物だとはみじんも考えていない。ただ最近では耶蘇教の勢いが鈍っているらしくさらなる上積みがあるか怪しいとは言え、それでも本願寺が表立って動かない限りは彼らは平気で生きているだろう。

 それがわかっているからなおのこと不愉快であり、その分酒の量も増えた。



 いやそれ以上に、松永久秀が未だに元気なのが何より気に入らなかった。




「松永様に運ぶのだと」

 堺の町を探らせた結果上がって来たさような案件を十日で二十回以上聞いた時には、開いた口が塞がらなかった。商人が金儲けを第一とするのは当然であるが、いくらなんでもあそこまでした人間を相手にするなど人道にもとるのではないか。


「堺の町の者に松永との取引を全面禁止にするように申し付けい!」

「北と東から来ますが」

「わかっている、だから幕府の意志を示すためとしてだ!」


 光秀は怒鳴り散らしたが、それで松永家を干上がらせることができる訳でもないのは明白である。ましてや東の伊勢は織田家の本国に近く、その上に海岸線が長いので貿易にも事欠かない。

 もちろん尾張には熱田港があり、そこもまた大きな資源を生み出す。


 熱田港など本来ならば上杉謙信により蹂躙されるべきはずであったが、その謙信が惨敗。武田北条も傷は浅くなく、徳川がほぼ無傷である以上むしろ武田の方が危なくなっている。東の脅威がなくなれば、いよいよ次は京である。




(正しい商売をしているはずなのになぜだ!?まったくどいつもこいつも欲に目がくらみ道を誤りおって……!)




 そして堺全体の商取引の額が、ここ数か月ぐっと減っていた。



 単に信長たちが荒らす前に戻し、その上にほんの少し幕府のために身の程を越えた金を没収しただけだったはずなのに、急にたくさんの商工業者が堺を離れたり取引の額を削ったりしていると言う。そのせいですっかり不景気に陥りそこから逃げた商人の一部は播磨や、下手をすると越前にまで逃れていた。


 当然関銭は入らず、寺社や地頭の収入も上がらなかった。こんな状態が続くようだと、関所を維持する費用の方が掛かるぐらいになりかねないと言う話まで上がっている。



「幕府や寺社などに納入する分の税を安くすれば」

「収入を得るために関所を作ったのにどうする!その上目が届かない所で別の場所に向かわれればそれでおしまいだぞ」

「堺からの収入がなくては幕府は成り立ちませぬ!」

「わかったわかった、少し策を考えたい故下がっていてくれ」



「ああ、何が幕府の執事だ……どやつもこやつも何たる不信心……」




 伊勢貞興の進言にも光秀は首を横に振り続け、そしていなくなるや貞興の不手際を責め立てながら財政赤字を嘆いた。










 そんな調子で帰宅した貞興の元にいきなり一枚の書状が届き、ほぼ同時に兵が小さな主の屋敷へと踏み込み主人を縛って引っ立てた。



「上様!私はあれから二年以上共にして来たのですぞ!」

「無論だ。だがなればこそこのようなふざけた真似をしたのであろう?仮にも幕府と言う権力の中枢にいた身として、その次も甘い汁を吸い続けたいと考えるのは自然な事……」

「どうしてこうなるのです!」



 ()()()()()()()()()()()()()()()()、楽市楽座を守り続けさせよと言う書状。

 そうすれば足利義昭と明智光秀に従った罪を一切不問とし、新政権において有職故実を伝える役目を細川藤孝と共に与える。




 その書状を眼前に突き付けられながら、後ろ手に縛られた貞興は義昭と光秀に向かって嘆願する。


「結局の所、本当は私のやっている事が気に入らないのだろう?信長のやり方が正しいと思っているのだろう?」

「それは……ええ思っております!あんな風に関所を設けていては物が値上がりし流通が滞ります!毛利領内にそんな物がございましたか!」


 聞く耳を持つ様子のない光秀に向かい、開き直るように貞興は叫んだ。


 実際、毛利元就も輝元も、その信長のやり方が正しいことを知っていたから平然と取り入れた。義昭はその中で二年以上暮らしていたはずだ。なのにそのやり方を認めず、あくまでも座にしがみつこうと言うのか。

 確かに楽市楽座により成長した商人は織田浅井寄りだろうが、彼らは決して武士ではない。農民がどんな領主だろうと悪政を施さねば新しい領主にも唯々諾々と年貢を払ったように、商家とて利益を出せれば織田でも明智でも幕府でも別に良かったのだ。


「その一点だけで、裏付けは完璧に取れました。堺の町を乱すあんなやり方を肯定する時点で、逆臣と呼ぶに十分ですね」

「ちょっと、それはただ単に織田がやっているから気に入らないと」




 伊勢貞興の首は、そこで落ちた。

 義昭を支えて来た幼き幕臣のあまりにも悲惨な死にも、光秀は眉一つ何も動く事はなかった。




「逆賊織田信長に従う者は皆こうなる、見せねばなりませんね」

「うむ……」


 義昭さえも口をつぐみそうになる中、光秀は貞興の首をさらすように命じた。

 三条河原に織田の尻をなめた男としてさらされた伊勢貞興の首はあまりにも物悲しく、町の空気を重たくした。

 ただひたすらに無念そうであり、戦場で死んだ方がよほどましにさえ思えるほど悲しそうだった。下手に哀れめば自分も仲間になると思ったのか、町人たちはそそくさと日常生活に戻って行った。


 無論、それが幕府に落とすお金を増やしたとか言う事はない。







「結局貞興も幕府のために戦えない人間だったと言う事です!」

「とは言えだ、これで主上様は動いてくれるのか。追討令を出してくれるのか……」


 貞興の死後すぐ怒り顔を持ち込んで来た光秀に対し不安げに呼びかける義昭であったが、光秀はまったく自信に満ち溢れた表情で微笑むばかりだった。柴田勝家辺りに怒鳴られた方がまだ安心できると思わせるほどには恐ろしい笑顔からなんとか目を背けまいと必死に背筋を正すが、どうしても押されそうになる。


「できますとも、藤堂高虎程度ならば」










 そんな光秀から飛び出した藤堂高虎なる男の名前は、義昭にとって正直拍子抜けとも言えるそれだった。







 藤堂高虎。


 確かにあまねく名を知られた浅井長政の寵臣にして、織田信長からも大変受けの良かった男。

 天魔の子と呼ばれ数多の僧を殺し、武田信玄・信虎親子を討ち上杉謙信すら壊乱させた男。


 討伐令を出すのは当たり前ではある。


 だが、二百万石単位の長政や信忠と比べると二万五千石と相当に格は落ちる。何なら捨て駒にしても惜しくない程度の軽輩だとも言えなくはない。







「だが、藤堂高虎では……」

「ご安心を。所詮織田信忠も浅井長政も総大将であって実行犯ではなく、どうせ彼らの言う事を聞かず勝手に誰かがやるのかもしれないと言う言い逃れができてしまいます」

「それではトカゲの尻尾切りではないか」

「トカゲの尻尾とて永遠に生えてくるわけではございませぬ」

「なるほど、それを繰り返して力をゆっくりと削ぐと言うわけか。そして断れば即大義名分の完成だな。だが藤堂高虎とて従五位だぞ、そうやすやすと追討令を取り付けられるか?」

「朝廷の忠臣である武田信玄を殺し、上杉謙信を打ちのめし、主家と言うべき朝倉家を滅ぼした上にその息女を犯し、そして主の父親に兵を向けた。理由ならば十二分です」

「まだ弱い気もするがな」

「そして毛利にこの事を告げるのです。もしそんな男が生きていたら毛利は逆襲を受けるは必死、織田浅井との間に今更妥協の道などなしと」


 毛利は秀吉とはいざこれからと言う所で止まってしまって対峙していないが、その一方ですでに柴田勝家を実質殺している。前田利家と言うかつて茶坊主と騒動を起こして織田家を脱走し柴田勝家の手で織田家に復帰したほどの人間が丹後から越前に逃げ込んで残っていたが、それが毛利に対して何もしないようならばそれこそ面子はなくなる。


「いずれ息を吹き返し前田とやらが毛利領に上って来るは必至。それを避けるためにも全力で来るべしと」

「それしかないか。とにかくだ、その線で当たろう」







 首魁と言うべき信忠や長政ではなく高虎しか狙えない自分の非力を恨みながら、光秀は高虎討伐令を出すように朝廷に願った。




「もう少々お時間を!」


 だがそれでも朝廷の動きは悪く、何日経ってもちょっと待ってくれの連続だった。


「なお朝廷は動かぬのか!」

「どうやら主上様にもっとも大きな影響力を持ったあの先の関白の近衛様が織田派であり」

「だが今は浅井領へ逃げ込んでいるのであろう!そんな人間知った事か!」

「ですがあるいは、下手をすれば近衛様を殺してしまいかねないと思われているのでしょうか」

「主上様は織田や浅井により一天万乗の皇位が絶たれても良いのか!まったく、主上様ひとりから令を取り付けるために一体何人と会えばいいのだ!」


 最初の要求から五日後、光秀は五千の兵を引き連れて帯刀の許されるぎりぎりの位置まで朝廷に入り込み、刀を渡すや怒鳴り声をあげて喚き散らした。

 堪忍袋の緒が切れましたと言いたげに端正な目鼻立ちをぶち壊して足を踏み鳴らす光秀に対し貴族たちは必死に抵抗するが、それでも光秀の足と口は止まる気配がない。




「主上様に申し上げられよ!あと二日以内に藤堂高虎に対する追討の綸旨を出さぬのであれば、天魔外道に与するも同じであると!」

「それはその……!」


「清く正しき朝廷を望まぬのですか!

 よろしいですか、二日間ですぞ二日間!万が一一刻でも遅れた場合、皆々様は淡路の景色を見たいと判断させていただきますので!」


「わ、わ、わかり申した、一刻も早く伝えてまいります!」







 逆らえば淡路島に流しますと言っているのと何にも変わらない光秀の強硬な態度とそれにふさわしき野蛮な声に、貴族たちはついに折れた。


「素晴らしきお言葉です!これで朝廷は千年先も安泰でございましょう!」


 ようやく承諾の返事を出した貴族たちに対し光秀はまったく急に、不思議なほど澄み切った笑顔に変わった。本来なら癒されたり惚れたりするはずの笑顔をした光秀は背中から見てもあまりにも恐ろしく、そして自身に満ち溢れていた。

 それと共に貴族たちから変な臭いが立ち込め、口から泡を吹きだす者が出た事など光秀はまるで気にしなかった。







 果たしてその二日後。


 朝廷はついに藤堂高虎を朝敵とする勅命を出したのである。

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