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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第九章 あるべき政
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藤堂高虎、天下の逆賊となる

「では正式に」

「ああ、赤尾家に嫁がせる事になる。近江守も耶蘇教には興味があるようでな、どうか教えてくれと期待しているらしいぞ」



 四葩の次妹はもう十四歳であり、そろそろ嫁入りを考える年であった。高虎はその嫁入り話も兼ねて、ずっと大倉見城を離れ金ヶ崎に滞在していた。

 実妹ではないにせよ妹が一人嫁ぐことに決まり、高虎としては胸をなでおろしたい気分だった。



 三年間に渡り、妹三人と共に暮らして来た。四葩と比べるとみな弱く、もし四葩が後押しするのであればお桂の代わりに抱いていたかもしれなかった。

 そんな邪心を知ってか知らずか、義妹たちは千福丸や若菜以上に高虎に甘えたがった。まあ現実はあの姉だからお察しではあったのだが、いずれにせよ景鏡を含め朝倉に連なる者としては三人の行方は心配の種であった。その内まず一人の嫁ぎ先が決まった事はまことに僥倖であり、長政にとっても景鏡にとっても実に慶事であった。

 ちなみにその下は十二歳と九歳であり、まだ正式には決まっていない。



「お前もそれでいいのだろう?」

「無論でござい、いや四葩は」

「四葩はとっくのとうに賛成している。当たり前だろう?」

「そうですね、それはそれは……いやこれは、まったく四葩も結局は大事な妹の行く末が気になって気になって仕方ない一人の姉なのですね」

「どっちかというと母親だろ、市も最近はすっかり母親の顔になっていてな」

「四葩はそれとは違う気がしますがね」


 二年近く家内で最年長と言う役どころを背負わされた四葩は、千福丸を産む前に既に三人の妹と愛王の母親になっていた。だとすれば四葩の強さもわかる気がするが、それだけでは彼女は説明がつかないとも高虎は思っていた。

 母は強しとか簡単に言うが、あそこまで正確に自分たちの言葉を突いてくるのはそんな単純な物ではなく、元々の才覚があったからではないか。そんな嫁を得た事を誇りに思うと同時に、不安も多かった。


「私は明智煕子と言う女性の事を知りませぬ」

「わしとてよくわからぬのだ。紛れもなき糟糠の妻であった事には間違いない。

 とりあえず正しいのは、明智光秀と言う人物にさほど影響をもたらしている人間ではないと言う事だ」

「珍しく感じてしまうのは私の視野が狭いせいでしょうか」

「いやそれが普通なのだろう。市もそれほど主張の強い方ではないからな」



 四葩に濃姫。さらにおねやまつと言う女性もかなりその存在は大きい。

 この越前に幾日か滞在した前田利家の語るまつや利家の盟友秀吉の妻のおねの挿話は実に面白く、そして高虎の妻の四葩のそれとも負けず劣らずであった。濃姫については今更言うまでもない。


(目の前の仕事をこなす事とあの四葩に勝つ事だけで私は正直いっぱいいっぱいだ……もちろん浅井家への忠義を忘れたつもりもないがな)


 もし光秀の妻が四葩やおねのように主張の強い女性だったら、あるいは謀叛などしなかったかもしれない。いい意味で自信と野心を失い、織田の重臣として生涯を全うする事を選んだだろうか。

 あるいは元来理性的なはずであり幕府や朝廷との取次役として厚遇されていた光秀と、武勇一辺倒の柴田勝家や農民上がりで戦場での知略第一の羽柴秀吉は実に対照的であり、両者に負けじと尻を叩いていたかもしれない。

 その結果あくまでも「織田内部」の出世競争に明け暮れて人生を終えやはりそのまま亡くなっていたとすれば、こんな風に自分たちから不評を買う事もなかったはずだ。




「ああそれから、佐吉に四葩たちを出迎えに行かせている」

「えっ」

「大倉見はやはり危ないと言う事でな、」

「それでは田中右衛門佐は」

「その妻子も一緒に来ている。一色には此度のおわびもあって丹後をまるまる与えるぐらいせねばなるまいからな、田中には丹波のどこかに替え地を与える事になろう」

「いよいよと言う事ですか」

「まあ、そうなるな」


 自分の中で勝手に妻と言う存在の理想論を並べ立てている所にいきなり現実の妻の話をされてひっくり返りそうになった高虎に対し、長政は実に事もなげに重大な事を言ってのけた。







 兼山城の戦いから二ヶ月の間に、浅井領内はすっかり落ち着きを取り戻していた。

 北の能登の畠山と越中の神保は浅井に従属して安寧を保ち、越前加賀北近江と言った本領も明智や上杉の攻撃を受けることなく平穏無事であった。

 そして明智の攻撃が常に危惧される若狭と丹後からは主要な家臣の家族を引き上げさせ、その代わりのように一色家に丹後一国を保証する。


 そして領国のなくなる吉政には、丹波の一部を与えれば良い――――。







 明智討伐の時が近づいていることを感じた高虎の顔に、血の気がたぎった。



「しかし東がどうなっているかが気になるのですが」

「三河殿は既に駿河を統一したそうだ。さすがに領内安定のため今年中は無理だろうが、翌年になればいよいよ甲斐を攻撃できるらしい。おそらく武田は自力で凌げないだろう。無論中納言殿も横撃をかける用意があると言う」

「それはよろしいのですが上杉と北条は」

「北条は氏照の死がかなり大きな打撃のようでな、佐竹や里見などの反北条勢力がかなり元気になっている。上杉は律儀だから来年いっぱい味方になってくれないとしても、陸奥の勢力と組んで南下する事もあり得よう」

「しかし上杉謙信はまだ死んでおりませんが」

「死んでいないけどな、死んでいないだけらしい」


 もちろんこの明智討伐に織田家は欠かせない。織田信忠が軍を率い父の仇たる明智光秀を討ち取ってこそ、信忠は織田の天下を継承したと言えるのだ。だが浅井やその織田が後ろを突かれる危険性がどうしてもあった。

 と言っても武田は天竜川に続き兼山城の戦いでも大打撃を受けてまったく立ち直れなくなっており、北条の支援なしでは甲斐防衛すら怪しい状態にまで至っていると言う。またその北条も猛将にして当主の氏政のすぐ下の弟の氏照の死が権勢に影を落とし、織田の同盟勢力である佐竹を始めとした反北条勢力にかなり迫られているらしい。


 そして何より厄介であったはずの上杉謙信は、あの大敗以来すっかり当主としての任務を放棄するかのように毘沙門天に縋り付き、さもなくば高虎の名を叫びながら姫鶴一文字を振り回すかのどちらかになっていた。

 もう当主の座を景勝か景虎どちらかに譲って自分は高虎と相打ちになって死のうとか漏らしていると言う言葉さえ、長政の耳に入り込んでいた。


「ずいぶんと憎まれたなお互い」

「織田の皆様とて謙信は憎いでしょう、何せ川尻殿を殺したのですから」

「まあな。だがもし景勝にせよ景虎にせよ、頭を下げて来たら受け入れるしかなかろう」

「武田や上杉にその判断ができる人間がいるかどうかというのは話は別ですが」

「その通りだし無論、そうならぬように適当に吹っ掛けるぐらいの事はするけどな」




 落としどころと言うのは何にも存在する。織田には岩村城の件でいくらでも武田や上杉を責める理由はあるが、根こそぎ滅ぼすとなれば世間の反発も大きい。両家とも幾百年の単位で当地を治めており、いくら無理な遠征で国内を疲弊させているとは言え家そのものに対する領民の信頼はまだ大きい。それを何の理由もなく粉微塵にすればそれこそ反発は半端なものではなくなる。無論受け入れるか否かという問題はあるが、上杉謙信に全面的に受け入れられた朝倉景恒のそれを見る限り両家を岩村城のそれだけで叩き潰すのは少し難しいかもしれない。

 実際、織田や徳川に手を出さず光秀に味方しないのであれば、長政や信忠に言わせればそれだけで成功と言えた。



「だがいずれにせよ、上杉にも武田にももう浅井や織田を後方から脅かす力はない。北条にならあるかもしれないが、そこまで首を突っ込む理由はない」

「織田はどの程度の兵を京に持ち込めるのでしょうか」

「さすがに美濃には守る兵が必要だろうし、播磨の羽柴殿や丹羽殿も難しいだろうが、それでも直属軍だけで少なくとも三万は行けるはずだ。そして我が浅井が二万五千、徳川殿も一万は出せるはずだろう」

「明智光秀は本気なんですかね」

「いや毛利は本気になるぞ。こっちのせいではあるが」


 三家だけで六万五千なのに、さらに松永久秀や荒木村重などの織田方諸侯が加われば八万の軍勢になる可能性がある。絞りに絞って二万人しか出せそうにない明智軍が一体どうやって勝つ気なのか。本願寺は当てにならないし、明智寄りの諸侯はいても三千人程度だった。


 自分だったらとっくに逃げるか、投降して義昭の助命嘆願を願うか、それとも自害しているかのどれかのはずだった。


 高虎は不思議で仕方がなかった。

 

「敦賀ですか」

「ああそうだ。敦賀に港を作られては毛利の既得権益がなくなってしまうからな。ああそんな顔をしなくても良い、今こそ毛利と戦う絶好の機会だからな」

「そうでしたか……遠藤様と海北様は」

「無論二人ともわかっていた。浅井一手で毛利と戦うなどできるか?」


 確かに毛利家は義昭をかくまっていた以上本気で来る可能性はあるが、それでも二万がいっぱいいっぱいだろう。少なく見積もって六万、最大八万の三者連合軍からすれば小軍である。明智と結びついてもせいぜい四万五千だ。


 ここで毛利を叩けば敦賀に港を建てる事を阻止できなくなるし、あるいは柴田勝家にとって代わって山陰道を浅井が攻める事ができるかもしれない。


 高虎は頭を縦に振りながら、改めて自分の主人に感激した。



 その上に榊原康政と言う徳川の新鋭、と言っても自分より八つ上の男が自分を尊敬している旨を聞かされて感心していると、四葩たちが金ヶ崎に到着したと言う報が入った。


 腰を上げようとして夫が妻を迎えに行く法があるかと長政に止められ、四葩をじっと待つ事にした。

 やがてやって来た妻は心なしかほとんど会っていない母親のようにも思え、二本足で歩く千福丸の両手を握る右手は武士の自分のようになっていた。


「お館様。藤堂四葩、謹んで参りました」

「よく来てくれた。婚礼の打ち合わせとこれよりの明智との決戦のため、どうかこの金ヶ崎でゆるりとしてもらいたい」

「はい」

「しかしなぜまたこんな時期に婚礼など」

「ずいぶんと胡麻をすれるようになったのですね」



 やっぱり、四葩には勝てない。


 四葩はいつものように笑顔になりながらも、こちらの意図を完璧に読み取っている。長政に次の言葉を言わせるために水を向けたのが簡単にばれ、高虎は半ば開き直るかのように四葩に負けじと笑う事しかできなくなった。


「そう言えば佐吉はどうした」

「所用があると言って安房守に連れられました。それでお館様」

「わかっておる、どんなに非常時であろうと先を見据え、余裕がある所を見せねばならない。どんな手を打とうが屈しはしないと言う事を」

「あるいは妹たちは織田や徳川の家臣にと言う事に」

「それはまだわからぬ。だがとにかくまず一人だ、あるいはまた一人と言う事を示しておかねばならぬかもしれぬ」

「そう言えば万福丸様は」

「十三歳だからな、もうそろそろ良いかもしれぬとは思っている。だがそちらはまだ待つべきだろう」


 このご時世、どんな時でも戦は行われている。戦が終わるまで先延ばしではいつ婚姻できるかわからないし、余裕がないと足元を見られる可能性もある。

 そしてそれは元服についても同じだ。すぐさま出撃と言う訳でもない以上、浅井の四代目とも言うべき万福丸をそろそろ元服させるのもまた悪くはない。しかしそちらは今度の戦いにおいてどう考えても総大将かそれに近い立場になる浅井長政の後継者であり、焦って決めれば死ぬ気であると言うよりどこか不安に取り付かれていると言う印象を与えかねない。現在進行形で優位なのは自分たちであり、その優位な側があまり強引に事を進めるのはかえって逆効果になりかねない。何とも難しい話だった。

 

「まあ手札は何枚もある。無理にいっぺんに切る必要もない」

「その通りですが、妹の結婚を手札とは」

「どうかご容赦願いたいな。それでは輿入れを行うべく今浜へと向かってもらいたい。若狭守には悪いが姉君としてどうかご足労願いたい」

「やってみせましょう、どうせあと二回同じことをするのですから」



 彼女たちを泣かせないためにも、今度の戦いは絶対に勝つ。高虎は頼もしい妻の顔を改めて目の当たりにし、そして決意を固めた。







 そんな殺気はないが活気に満ちていた現場に、石田佐吉が転がり込んで来た。


 息が異様に荒く、そして目が血走り顔色がなくなっている。


「何事だ!」

「一色様からの書状です!」

「一色だと!毛利か、明智か!」

「一刻も早く読んでもらいたいと、ああそれから自分は既に室町幕府に縁も未練もなく、浅井の臣下としてまっとうしたいと……」

 

 一色家が畠山家と共に三官四職の座を追われたことは既に長政も知っている。今更その程度の事で何がどうなるわけでもない事はわかっており、だとしたらこの佐吉の態度は何なのか。


 一同がいぶかしく思う中、佐吉は震える手で書状を高虎に差し出した。







「何……だと……!?」

「どうしたのですか!」

「……若狭守に追討令が出たと言うのか!?」

「何を今さら」

「それが!幕府ではございませぬ!!」




 長政や信忠に対し義昭が追討令を出している事はとっくに知っているし、その上に長政がそれを出させているだろう光秀を倒さんとしている事もとっくに知っている。




 だと言うのに今更自分などを狙うのかと思って高虎は笑おうとしていたが、それにしては長政の様子がおかしい。




「まさか、朝廷が……」







 四葩がそうつぶやくと、佐吉が倒れ込むように頭を下げた。







 追討令ならぬ、追討の綸旨――――つまり天皇自らが、藤堂高虎を討伐せよと言い出したと言うのである。

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