柴田勝家、吉川軍に攻撃される
四月二十一日。凱旋帰国のはずが敗軍の将のような顔をして金ヶ崎に戻って来た高虎を、長政と前田利家は暖かく出迎えた。
「前田殿……」
「若狭守殿の責任ではございませぬ!」
「そうだ、泣くな高虎。丹後も若狭も無事守る事ができた」
「但馬は……」
「少なくとも毛利軍は動いていない。右衛門佐も四葩も無事だ」
長政の言葉も、今の高虎には届かなかった。
あるいは本来ならば若狭守として、但馬にいる柴田勝家を守るべきだったかもしれない。それを見捨て事実上命を奪ってしまったのではないかと言う罪悪感を抱く勝軍の将の姿は、実に痛々しかった。
「これ以上めそめそしていては、親父殿の名誉に傷が付きます!」
「そんな」
「親父殿は……どうしても若狭守殿とやり合いたかったんですよ」
「なぜなのです。なぜ柴田殿は私にそこまでこだわったのです」
上杉謙信がその不要なこだわりにより勝ち戦を失った事を勝家は知らなかったが、そうでないとしても単純に不可解だった。
「前田殿、詳しくお聞かせくださいませ」
「では……これは有子山城から逃げ切った兵の話ですが……」
これまで長政にしたのと同じ話を、利家は打ちひしがれている客にぶつけた。
※※※※※※※※※
「田中右衛門佐殿は」
「動いてはおりますがいかんせん少数ですので」
「筑前と山城は何をやっている」
「播磨の国人を押さえるのに手いっぱいで、一応山城殿は北から我らを吸い上げようとしていますが……」
「若狭守殿は」
「上杉を破るべく岐阜へと向かったそうです」
四月十四日、柴田勝家はかつての山名の本拠であった但馬の有子山城に押し込められていた。因幡に入った時八千だった兵は二千五百しかおらず、佐々成政も既に亡い。
しかも二千五百と言ってもその内千五百は前田利家の兵であり、この有子山城には入っていない。
つまりわずか千名で、吉川元春率いる七千もの兵に取り囲まれていた。
「まったく、前田利家めが!」
「やめい。利家が正しかったのだ。光秀があんな真似をするかしないかは別問題だとしても、利家の言うようにわしは無駄に喧嘩を売り過ぎた」
羽柴秀吉と丹羽長秀が播磨で縮こまるしかない今、柴田勝家と言う織田軍の将を同盟相手の浅井には助ける義務があるはずだった。
だが高虎は信忠を守るべく岐阜へ行ってしまい、吉政は動いているがいかんせん数が足りない。長政本人も丹波と言う光秀の本拠地が近いせいで動きが重く、北近江の赤尾清綱は高虎と共に岐阜へと行ってしまった。加賀の磯野員昌と北越前の阿閉貞征は飛騨から美濃への乱入が可能と言う立ち位置である上に越中側からの上杉軍の攻撃も考えられるためやはり動けない。
(調子に乗った罰と言うには重いかもしれぬ、だがどうしてもあの手を止める事は出来なかった……)
それでも、ひとりだけ自分を何とか助けられる人間はいた。丹後守こと、一色義道。
浅井が丹後に侵攻した際に真っ先に降伏して丹後半国を保った義道には、吉政と合わせれば三千近い兵を動員できる力があった。利家軍と合わせれば五千余りであり、この状況を突破できる数は十分にあった。
だが、一色軍は全く動こうとしない。おそらく一色がそんな調子だから田中も前田も動けず、最悪寝首を掻かれる危機すら感じているのかもしれない。
「越前守殿は!」
「駄目でしょう。今若狭を通れば明智の犠牲になる可能性が高いです。若狭守殿は非常に素早く動いて素早く抜け出しました」
「当たり前だ、三日で丹後まで来られる人数など知れている。ただでさえこんな事になってあわてふためいているのだ、ごたごたして何が悪い」
「その割にはこんな書状だけは丁寧に届きましたね!」
いらだちを隠さない様子のまま叩き付けられた書状には、はっきりと一色義道の名前があった。
――藤堂若狭守殿に対する非礼をまるで詫びる事もなく、かような窮状に陥っておいて救いを求めようなど、柴田殿は恥と言う物を存じておいでか?私はあくまでも浅井越前守様の配下であり、織田の将であるあなたに仕える身分ではない。前田殿は当然の如く私に救いを求めているが、田中右衛門佐殿はあなたの口から謝罪の言葉がないと言う事で首を縦に振っていない。
柴田殿にもし武士としての真っ当な心があるのであれば、若狭守殿に対しすべての無礼を詫びる旨を記した書状を送り、そして若狭守殿の許しを得てもらいたい。それをこの身が確認すれば、援軍を出すこともやぶさかではない。
義道のこの書状はどこまでもはっきりとした勝家に対する糾弾状であり、その上に高虎に謝れと来ている。今高虎は美濃へと向かっており、但馬から美濃まで一体何日かかるかまったく考えていない。仮に途中で追いついたとしてもおそらく高虎は上杉との戦いに駆り出されている。生きているかわからないし、生きていたとしても高虎が首を縦に振るかわからない。無論、帰りの時間もある。
「死ねと言っているのと変わらんではないか!」
「それが本音なのだろう。あるいはわしが腹を切って首だけになってくれば助けてくれるかもしれんがな」
「そこまで追い詰められなくとも!」
「追い詰められておるわ、見ろ」
城を追われて毛利に泣きついた山名勢が東に、総大将の吉川元春が西に、そして南北にも毛利の軍勢が囲んでいる。逃げ場などない。山名勢は毛利より弱いのは知っていたが、それがわかっているからこそ元春は七千の内三千もの兵を東側に置いている。
「その気になれば吉川はこの城をいつでも攻められる。食糧はどの程度ある」
「人数が少ないのが幸いして二十日ほどは」
「……それが通る相手でもないな」
この城に逃げ込むまで、柴田軍はあまりにも多くの犠牲を出した。
早逃げしていた前田軍をあえて追わず、佐々成政を討ち取った勢いで逃げ遅れを次々と斬り、さらに地の利を生かして伏兵を張り徹底的に痛めつけた。あまりにも調子に乗って数を減らし過ぎたせいで飢えさせる予定だったのが少し狂ったようだが、それで落胆するような人間が毛利両川などやっていられるはずもない。
「いいか、かくなる上はやる事はひとつ。残る兵全てをもって出撃し、東へと抜け出す!満身創痍になったわしを見れば、一色殿も少しは溜飲が下がるだろう」
「そうですか、しかしなぜ一色殿は……」
「わしは戦場に慣れ過ぎた。それにこんな年にもなると考えを改める事も出来ぬ。戦場に慣れきってしまった人間の常識、五年前の因縁を知らぬ人間の常識を持ち出してしまったわしへの罰だ。
もう、この辺でいいだろう。明日にも突撃する。逃げ切った場合は利家を主と仰ぎ、明智光秀を討ち果たせ」
もう五十半ば、悔いならば山とある。
武士らしく生きて来たつもりだった。まったくそれらしくもない形で命を散らすのだけは嫌だった。
(気づかないわけもあるまい……我が人生最後の宴だ。せいぜい一人でも楽しむ人間を増やすに越したことはない)
ほどなくして城中から炊煙が上がり、米飯を掻き込む。肉も野菜も何もかも、何もかも。城そのものを食い荒らすつもりで、勝家たちは舌を動かした。
「伊賀守様」
「わしは少し喰い飽きた。おぬしらはもう少し食っていろ」
最後の晩餐に奇妙な感動が立ち込める中、勝家はひとりだけ本丸へと入った。
利家に丸投げした書状を自分の手で書き記すべく、いっぱいになった胃袋を抱えながら感情のままに筆を動かした。
(遅かったとも、悪かったとも思わん。だがひとつだけ言える事がある、それはわしが結局は小僧だったと言う事だけだ)
いい年をして、結局自分は単騎駆けの兵だったのかもしれない。朴訥とか純粋とか言う言葉で飾ったとしても結局は槍を振るう事しかできない男。誰かの手足にはなれても、それ以外のことはできない男。
(ただの雑兵でもそれなりの死に様はある……わしがこれから作り出す多くの犠牲者にもな。許せ、わしを許しておくれ)
勝家は書状を折りたたんで油紙に包み、懐にしまい込んだ。
本丸を出て広間へと向かうと、そこには腹を膨らませた千人の兵が並んでいた。
「さて皆の者、食い終わったか」
「はっ!」
「もし丹後にたどり着き犬千代や右衛門佐殿に会う事が出来たら、その拾い上げてくれた命をその人間のために使え」
「そのような!」
「まだ決まった訳ではない。わしが万一生き延びた場合は、この腹を切って藤堂若狭守殿に詫びるまでよ。その上で、まあ閻魔様が許してくれまいが、同じ世界に生まれ変わった場合は今度こそ若狭守殿と戦いたい」
「なればこそでございます!」
勝家は自分の往生際の悪さを改めて痛感しながらも、兵たちに深く感謝した。
そして自らもまた飼い葉をたらふく食わせていた愛馬に乗り、かつて高虎に持たせた槍を握りしめた。
「突撃!」
千名の死兵が、城を飛び出した。柴田勝家と言う武骨を極めた男の軍隊とは思えないほどに美しく、それでいて力強かった。
もっとも、吉川元春がこれを見逃すわけもなかった。
「やはり来たか!」
火縄銃による一斉射撃が来る。千名の内七十名がここで散り、すぐさま騎馬隊が突っ込んで来た。
(あの炊煙の意味を感じ取れんような相手ならば成政も生きているだろう。大方どこかに逃げ道を開けているのだろうが、もうどうでも良い事だ)
元より死ぬ気であった勝家は、北側にできた空白など見ていなかった。そこにいた兵を回してさらに厚くなった東側の防備は四千人を超えており、いくら柴田軍でも千名で突破するのは難しくなっていた。
それでも構う事なく、勝家は自ら槍を振るう。
邪魔をして死ぬか道を開けて逃げるかどちらかを選べとばかりに、犠牲者を増やす。
もちろん犠牲者とは毛利軍だけではなく、一枚目の壁を破った所で千名は八百名になっていた。
「あんな男は最後で十分だ、兵を減らせ!」
勝家の暴れっぷりに辟易したか、第二陣の兵士たちの中にまずは数を減らせと言う指示が出始めた。
「そんな弱腰でわしが討てるか!」
そんな指示をした人間の首と胴を泣き別れにすると、さらに勝家は東に向かって突き進もうとした。
だがこの勝家の行動により突進力が一瞬鈍り、その隙に吉川軍が体勢を立て直して来た。吉川軍の刃が光り出し、一人一人着実に柴田軍を殺して行く。
(ああしまった、最後の最後まで!わしは結局こんな死に方しかできぬのか……)
高虎ならばそう言うだろうし、同時に許せないとも思った。その感情のままに高虎の代わりのようにその男を斬り、そして余計な犠牲を出した。
頭ではこんな死に場所を探している軍勢と真正面から当たらないのは正しいのはわかっている。だがその正しさを実行することが、どうしてもできなかった。
こうして悔やんでいる間にも、八百は七百になり、六百になる。
「貴様に、貴様にまともな死に場所などあると思うな!!」
「わかっておるわ!ここで死ぬのが定めならば、それでよし!ひとりでも多く仲間を作ってやるわ!」
老兵を斬りさらに突き進まんとする勝家だったが、ついに太ももに刃が食い込んだ。
「この程度!」
顔をゆがめる事もせずに槍を振り死者を増やすが、柴田軍も五百を切っていた。
その上でさらに第三陣、第四陣が待っているし、そして南や西からも敵は来る。
虚勢を張りながら槍を振り、そしてその分だけ傷が増えていく。体は返り血と手傷で赤く染まり、もはや残る二枚の壁を破る事などできなかった。
そして敵軍はもはやこれまでとばかりに目を血走らせている。
槍が重くなった。だいたい槍など十人も斬れば使い物にならなくなる。
もうその三倍、いや五倍は斬っているかもしれない。
「ままよ!」
それでも更なる突撃を行わんとした勝家の右手首に、一発の鉛玉が飛び込んだ。ある意味頭部や心の臓以上の急所を撃たれた勝家の手から、槍が投げ出された。そしてそれを追いかけるようにもう一発、今度は左足首に銃弾がめり込んだ。
「とどめだ!」
「あ、待て!手柄は俺のだ!」
「柴田勝家を討つのは俺だ!」
勝家はすべてが終わったのを感じながら、目を閉じた。




