藤堂高虎、勝軍の将の座を取り落とす
いよいよ第九章です。
「徳川殿にはまったく頭が上がりませぬ」
「やり過ぎです」
「いえいえ、徳川様の助力なくば私はとっくに首が飛んでおりました!」
四月十六日、岐阜城にて織田信忠は上座に担ぎ出した家康に向かって深々と頭を下げ、それに追従するかのように信雄と信孝、滝川一益や佐久間信盛さえも頭を下げ出した。
無論、赤尾清綱と藤堂高虎もまたしかりである。
「残念ながら今はどうしても明智が先になってしまいますが、それが片付きし暁には甲信二か国は是非とも徳川殿に!」
信長自身、甲斐信濃を始めとした東国には関心が薄く、信忠はその方針を丸々受け継いだ形になった。むろんその際には自分たち織田だけでなく浅井も今回の恩を盾に駆り出す気であるのは名家の御曹司らしいとも言えるが、それに文句を言えるほど清綱も高虎も厚顔でもなかった。
何せ、上杉軍はこの戦で鬼小島弥太郎と斉藤朝信を失い、二万の兵の内一万二千が死ぬか捕虜となり、無傷で信濃に入れたのは五千程度だった。
また武田軍も徳川軍の追撃もあって二千人近い死傷者を生み出し、北条も猛将である氏照と千近い兵を失った。もちろん両家は強引な駿河攻撃により、また別の損害を被っている。
もちろん織田軍とて犠牲は大きく、川尻秀隆・秀長親子は死亡。三万の将兵の内三千が死に六千が負傷し、浅井軍も七千の内七百が死亡、真柄直基を含む千五百の兵が負傷した。
とは言え上杉連合軍から見れば小規模であり、たいした打撃を受けていない徳川軍からすれば絶好機である。
「とりあえず駿河を確保いたしまして、甲信は落ち着き次第と言う事で」
「次は京でしょうか、その際にはもう少しお貸し付けをさせていただきますよ」
「いやはや、ずいぶんと利子がたまっておりますからな」
「では若狭守殿、もう少し融資させてもらってもよろしいでしょうか。もうこれ以上、偏狭な田舎侍と呼ばれるのも飽きましたからな」
「これでようやく本多安房守は我が元を離れ殿の元へ行けるのですね」
「それにしても安房守とは」
「さすがに下の名前で呼ぶのも無礼と言う物で。ああ山崎は陸奥守、真柄は対馬守とさせておきました」
「これで三河守とか言われていたら手の平を返しておりましたがな」
堺の町にかつての家臣であり、今は御用商人となっている茶屋四郎次郎を抱えているからでもあるまいが、家康の算段は実にしたたかである。
実にきれいな顔をしながらたった一人の人事異動と言う安すぎる報酬を飲ませ、その上で高虎の手を取る姿は実にすがすがしかった。
「本当に使える男でしたか、安房守は」
「それはもう。なればこそ我が主君に差し上げるべきかと」
「そのためにもう手を切ったはずの人間の了解を求めるなど、若狭守殿も実に律儀ですな」
「それが持ち味でもありますがな」
「私の持ち味は逃げる事だけですよ」
そこには天魔の子などいない。ただ妻の尻に敷かれている事を隠しもしないやたら不安がる情けない青年がいるだけであり、場が実に柔らかくなっていく。
「しかし改めて思うのですが、なぜに上杉謙信はああも」
「朝倉景恒に引きずり回されたと言うほど芯のない人間ではないでしょう。ただ、その芯が若狭守殿を討つ事に傾いていたと言うだけの話です」
赤尾軍を含めても七千に過ぎない浅井軍が一万の北条と武田を討つまでの間にどれだけ消耗するのか、その上で後方を付いたとしてどうなるのか。冷静になれば難しくなかったはずだ。
そうして冷静になった上で、謙信は藤堂高虎と言う犬っころ一匹を総大将同然に扱ったのである。
「天魔の子は諸悪の根源であり、それさえ討てば浅井は崩れる、あるいは自分たちの過ちを思い出し従ってくれる。そう本気で思い込んでいたとすればつじつまは合います」
「明智光秀もまた、同じことを考えていたやもしれませぬ。織田信長と言う人間さえ消せば万事うまくいくと……いずれはいなくなる人間を急に消した所で何がどうなると言うのでしょうかね……」
織田信長のいない織田家が、崩れている訳ではない。
家督をあらかじめ信忠に譲っていたからか、浅井や徳川が関係を切らなかったからか、それとも尾張美濃伊勢の三ヵ国を確実に抑えていたからか。
いずれにせよ、織田家は浅井・徳川と組み、上杉謙信を見事追い払って見せた。
織田家健在なりを示すには、あまりにも十分だった。
「この戦勝は全土に布告せねばなりますまい」
「そうですな。しかしとんでもない決戦でしたからな」
「兼山城のみならずあちらこちらの城が今やただの宿屋と化しております」
「とりあえず当分戦はできますまい。岩村城は武田が撤退したことと徳川殿のご助力もありすぐ再確保できましたが、苗木城を抑えられているのはあまり面白くありませぬ」
昨日の段階で岐阜城にまで入って来られたのは、一万程度しかいない。
多くの兵は兼山城や久々利城、御嵩などで寝泊まりし、二日で岐阜城まで帰って来られたのはそれぐらいしかいなかった。
「徳川殿としては一刻も早く駿河へお戻りください。上杉の敗戦を知った武田と北条はおそらく攻め手を緩めるはず。駿河を確保する好機でしょう」
「しかし今岩村にいるのは我が寵臣の本多平八郎です、置き去りにするのはどうも」
「わかりました、すぐにでも適当な将を見繕い岩村にあてがいましょう」
家康と信忠の間で話が進む中、家康のそばにいた榊原康政は興味深げに高虎を見つめていた。
まるで家康でも見るかのように自分を見つめる康政に少しひるみながらも高虎が体を前倒しにすると、康政は顔をほころばせながら近寄って来た。
「若狭守様、お見事でございます」
「これは榊原殿、此度はかなりの戦果を挙げたとうかがいました」
「いえいえ、ほんの残党狩りです。名のある将の首は獲れませんでした。若狭守殿はいかほど」
「逃げてばかりだったから大して斬っておりませぬ」
「どこがだ、そなたは五千で一万を粉砕したのだぞ。そなたが謙信を引き付けている間に残る我が軍と朝倉殿の軍だけで北条も武田も壊乱してしまった」
「そしてあの上杉謙信さえも引きずり回したのですね!」
「引きずり回した、ですか……その代わり大事な家臣を失いましたがね」
「その家臣の事を考えていらっしゃるのですね、なればこそあそこまでの手柄を立てながら決してお笑いにならないと、まったく素晴らしいです!」
年長のはずなのにまるで隠すことなく自分を持ち上げて来る康政に、高虎は過去の自分を感じた。
織田信長の模倣とも知らず主の浅井長政を慕い、その上でそれに少しでも近づこうとしていた自分。勇猛果敢どころか逃げの高虎とでも言うべき形に育った今の自分は昔の自分からすれば情けない男かもしれない。
そんな逃げの高虎がこの純朴で真面目な人間に、何を教えられるか。
「逃げる事は卑怯ではありません。逃げる事ができれば命は保てます」
「逃げる事ですか、やはりそれは」
「他に何も教えようがないからです」
結局、逃げる事しかなかった。
謙信や景恒を避けて雑兵狩りに徹する当たり十分にそういう性質を持ち合わせている人間に対しては釈迦に説法だったが、他に何かを言う気にもなれなかった。
「武士にとって逃げるのは非常に難しい、臆病者と後ろ指を指されるのは耐え難い屈辱だからな。言っておくが榊原殿、この若狭守は逃げの天才だ。真似をするなよ」
「そのような!」
「……と、四葩殿が言っていたぞ」
「勝手な事を!」
「ただし、四葩殿から逃げるのだけは下手くそだがな」
清綱のらしくもない冗談に高虎が戸惑う中、信忠と家康は顔を緩ませながら話を詰めて行く。冗談と言う体裁をした自分に対する正確な批評の何がおかしいのか、ある程度理解したうえでこうなっているのが現実だった。
(まったく、中納言様も徳川様もずいぶんとご機嫌だ。それならばそれでいいんだけれどな。だが今更とは言え年上の存在にここまで憧れられるとはな)
逃げ上手の恐妻家と言うまったく天魔の子と言う名前と嚙み合わない高虎の現実を知らされてなお、二十八と言う年齢相応には世間ずれしていたはずの康政は素直に笑っていた。
そして高虎がほぼ何もしないままその日のうちに岩村城の引継ぎも決まり、家康は翌朝にも浜松城へと帰る事となった。
「酒井も大久保兄弟の兄も若狭守殿を疎んでおった。わしが危険にさらされるとな」
「その点については平謝りするより他ございませぬ」
「わしには年少の家臣が少ない。三十四になってもまだ平八郎や小平太か、さもなくば重臣たちの子しかおらぬ。若狭守殿などは大変でしょう」
「私の家臣はそうでもございません、まあわが父は未だに盛んですから、その影響もあるのやもしれませぬがね」
「受け継いだ人間と興した人間の差かもしれませぬな。それにしても越前守殿は実に景気よく……わしにはとても真似できませぬな」
家康は八歳で父を失い、十年ほど今川家の人質かつ松平家の家長として過ごして来た。
大人になる前に家長になってしまった人間を持つ側からしてみれば、家康はそれこそ大事な子供であり最後の希望であり、武士だとわかっていても守りたい存在だった。
守りたい気持ちの根源は、間違いなく本物の忠義心だろう。
だが一乗谷に家康が出て行かなければ徳川がこれほどまで織田や浅井から信頼を得ていたとは思えないし、此度援軍要請される事すらなかったかもしれない。
駿河攻略ができていたとは思えないし、その前に遠江を守る事さえできなかったかもしれない。
「あの一乗谷の後も酒井にずいぶんと叱責されました、もしや若狭守殿も奥方様に」
「まあ、そうでしたよ」
「それでも守ってくれているのです。壊れては困ると思わせなければなりますまい」
「壊れてもいい、または壊れてしまった方がいいなどと思わせるようでは駄目ですからね」
今織田家が壊れれば多くの人間がまた苦しむ、織田や浅井のみならずそれと戦をする側だって傷つく。だから壊させまいとした。
だがこれ以上守ってしまったら何の意味もない、だからもう壊すしかない。そう敵に思われるのは仕方がないが、味方からそう思われる事だけは避けねばならない。
「せいぜいその方法を考えねばなりませぬな」
家康は榊原康政と共に、穏やかな顔をして岐阜城を出た。
この時だけは当主と言う存在でいなくなれていた家康に、改めて高虎は長政や信忠の苦難と孤独を思い知った。
そして四月十八日、丸二日の休養で英気を養った浅井軍は健康な五千名を先頭に金ヶ崎城へ帰還すべく、岐阜城を発たんとしていた。
「負傷兵はしばらく岐阜にとどめおく事になった。いずれはこの今浜へと返し、やがては金ヶ崎や大倉見に戻る事になるだろう。ああ、またお館様はお主に領土を割かねばならなくなるだろうな」
「本多安房守の分は浮きますがね」
「馬鹿を言え、そなたを差し出した阿閉左衛門督殿の石高はどうなった?」
「素晴らしいですね叔父上は」
浅井家の人間が揃って任官した際に、長政よりも上の官位を与えられた阿閉貞征の石高は、その時の十万石から十一万石にまで増えている。畠山家のような例外を除けば磯野員昌に次ぐ大禄であり、公的な立場としては長政以上である。
「叔父上とは、まあ確かにその通りですが」
「まあ良いではないか。負傷者はいずれそちらにお送りする故、まずは早く叔父上や奥方様を安心させてやってくれ」
信忠に挨拶を済ませて岐阜城の城門を出た清綱と高虎は、ようやくひと息ついた表情になった。
「やれやれ、これでようやくぐっすり眠れるかな」
「とりあえずはそうでしょう。ですが目が覚め次第明智光秀を討たねばなりませぬ」
「そうだな」
明智光秀を討たぬ限り、真の平穏はない。そのための一時の休息、一時の平和を貪る事を決めながら、高虎は尾張と美濃の国境までやって来た。
そして来た時と同じように適当な関所を通ろうとすると、一人の男に呼び止められた。
「藤堂殿!藤堂殿は!」
「私ですが」
「藤堂殿に使者が来ております」
首を傾げながら馬を降り手紙を受け取ると、その使者はわき目もふらず岐阜城へと走り出した。
「あのお方は?」
「前田様の急使です」
説明を受けて前田利家の花押が表面に記された署名の記された書状を開いた高虎であったが、その顔がみるみるうちに強張って行く。
いったん書状を折りたたみ、その上で読むことを二度繰り返し、そしてまた折りたたんだ。
一体何が書いてあるのだと不審がる清綱たちに構う事なく高虎は震え続け、そして書状を手からこぼした。
「柴田伊賀守殿が、お討ち死に……!?」




