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天魔の子・藤堂高虎  作者: 宇井崎定一
第八章 上杉謙信の挑戦
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徳川家康、美濃に現る

これで実質100話目だけど、まだまだ続きます。

「あれは上杉本隊だ!あれを討てば我々は勲功第一ぞ!!」




 徳川家康の声に呼応するかのように、葵紋の旗の軍勢が突っ込む。


 高虎軍を追い回していた謙信軍は疲れがたまっており、この横撃に反応する事ができなかった。


 あっという間に徳川軍の刃にかかり、美濃の地にその生涯を終える。




「我こそはと思わん者はこの本多平八郎に挑み、この御首取って手柄とせい!」

「この榊原小平太康政の名を、越後へと持ち帰れ!」


 先鋒である本多忠勝が叫ぶと共に愛槍・蜻蛉切が唸り、その度に犠牲が増える。


 そこから逃がれた所で忠勝の副将となっていた榊原康政の太刀が迫り、上杉の真っ白な毘沙門天の旗を赤く染めて行く。


「なぜだ、なぜ藤堂などに、織田などに味方する!」

「そうか藤堂殿がここにおられるのか!これはよし、何としても藤堂殿を守り抜いてやる!」


 康政が高虎のいる事を知ってますますやる気になって太刀を振る姿を、家康は満足そうに眺めていた。




(織田内府殿、浅井越前殿……わしも貴殿らと同じように、ようやくわが手によって良き男を掘り起こせましたぞ……)


 夜を共にするほど寵愛していた井伊直政は遠江の名家の跡継ぎで、元よりある程度の下地があった。一方で榊原康政はそれこそただの足軽か平侍と言った程度の男であり、こうして援軍の副将に起用したのすら大抜擢だった。




※※※※※※※※※




 浜松城に詰めて駿河防衛に当たっていた徳川家康の元に佐久間信盛から援軍を求める書状が届いたのは、四月十二日の昼である。


 もちろん信長の死の報はすでに入っていたが、それと呼応するかのような武田と北条の攻撃に、徳川軍は手を焼いていた。



「まったく、まるで織田様の死を見計らうかのように……武田と北条は明智と示し合わせていたと見るべきか……」

「いずれにせよ、この駿河を何とかせぬ事には織田様の仇討どころではない……」

「案ずるな、どうせ尾張美濃は織田中納言様の領国だ。駿河など京に比べれば閑地だぞ」

「開き直るな忠佐、武田や北条にとっては閑地ではないのだぞ」


 忠次と数正が大した意味もなく嘆き、大久保兄弟はくだらない気休めと突っ込みに明け暮れている。ある意味自分以上に打ちひしがれているかもしれない重臣たちにため息を吐きたい気持ちを飲み込みながら、家康は武田の戦いぶりを思った。


「武田は勝頼自らを総大将に高坂を副将に置いている。それ以外大した将はいないようだが」

「小山田は北にでも向かったのでしょうか」

「西かもしれんな」

「そうか西か、だとしてもそれはどうかと思うぞ。さっきわしが言ったように、美濃は織田中納言様の領国だ、小山田勢程度で何とかなるか?」

「天竜川のように旗を隠していると言うのもある。無論まだ甲斐に控えているかもしれんが」


 議論百出と言うよりただの愚痴の言い合いか口喧嘩であり、まったく前向きな結論が出て来ない。家康でさえまともな結論などなく、引き続き駿河防衛に努めるしかないのはわかっているが、それでもなおどうすべきなのかわからなかった。







「なぜためらうのです!!」

「おい小平太、今は大事な会議の席であり」

「徳川と織田は一体である、さんざんお館様は私たちに聞かせて来たではございませんか!織田の危機に手を貸さずに何の意味があるのです!」


 そんな中飛び込んで来たのが、榊原康政だった。康政は忠次が止めるのも構う事なく右手を振りながら出兵を訴え、自分に迫って来る。


「だが駿河が」

「駿河など織田様が立ち直れば大丈夫です!もたもたしていると浅井軍が来ますぞ!」

「浅井がどうしたと言うのだ!」

「浅井が美濃にやって来て戦果を挙げたら、徳川は薄情だと言われます!かつて越前まで行って朝倉を突き破ったのがお館様なのではございませんか!!」


 越前に家康が向かった時の康政は文字通りの雑兵で、前線であったはずの遠江にすら来る事のできない存在だった。

 康政にとって家康の活躍は伝説であり、家康に対する憧憬を深める自慢だった。


「お館様自ら駿河を放っておけとでも言うのか!」

「そのような事は申し上げておりません、誰か一人でも徳川の名をかけて織田を救いに行くべきであると申し述べているだけです!」

「あまりにも青臭い!織田が次にするのは明智討伐だ、それまで織田がそうほいほいと兵を出してくれるとでも思っているのか!」

「越前でのお館様の獅子奮迅の活躍が、遠江への援護をもたらしてくれたのです!ですが徳川はその後の天竜川での救援に釣り合う報酬をまだ払っておりませぬ!内大臣様がくれた恩義だから中納言様には無関係とでもおっしゃるのですか!?」



 酒井忠次に迫られようとも、康政はまるで節を曲げる気がない。

 感情的と言うだけではなく誠意をもって振る舞って来たはずだと言う打算を覆い隠すことなくぶちまけ、その上で代替わりなど関係ないと言ってのける。


 築山殿が聞けば我々はまだ織田に服属するのかと怒り狂いそうだが、その築山殿と家康の不和は忠次以下皆知っている。



「どれだけの数が出せると思っている!」

「若君様と浜松城を守るために一万は要るかと思います、無論駿河防衛も含めてです。そういう訳で五千ほどは出せると思います」

「五千で何ができる!」

「五千でも出すことが必要です!上杉はおそらく織田中納言様を一筋に狙うはず、徳川は警戒されていない分だけやりやすいと愚考致します!」

「康政も忠次も静まれ!」



 あくまでも康政に喰ってかかる忠次とまったく屈する様子のない康政を数正たちが傍観する中、家康の鶴の一声により忠次は康政をにらみながら口を閉じ、康政は淡々と正座を組んだ。

 康政のそれは見事なほどの立ち居振る舞いであり、数正の口から感心したような声が漏れた。




「さて、わしの意見を述べる。わしは、康政の言う通りにする」

「殿!」


 その上で援軍を送ると言う決断を下した家康に対し、今度は感動した表情になった康政を足蹴にして忠次が詰め寄った。大久保忠佐に抱きかかえられて立ち上がった康政を睨みつけながら、忠次は家康に頬を寄せる。


「忠次、なぜここまで熱くなって康政を止めようとする?」

「この状況で美濃まで出て行かれて万一の事があっては、徳川はどうなります!」

「わしが行くとは一言も言っておらんぞ?」

「私はですね、駿河のみならず北遠江や奥三河まで武田が攻撃をかけていると言う現状を踏まえた上で申し述べているのです!そんな状況でわざわざ兵を減らしてどうやってしのぎ切れと言うのですか!」

「武田の精鋭はどうせ駿河攻撃につぎ込まれている、さもなくば美濃攻略だ。いずれにせよ遠江や三河を気にする必要はない」

「若殿様をどう守るのです!」

「信康ももう十七歳だぞ、いい加減自立させてやれ」

「しかしまだ次男の於儀丸様は三つで」

「黙れ!」


 家康は必死に食い下がる忠次の頭を掴むと、首を数正たちの方へと向けた。


 この場で康政の次に若い主君の狂気とも言える行いに数正も大久保兄弟も息を呑む中、家康は急に人の悪そうな笑顔になった。



「忠次、お前は憎いのか?藤堂高虎と言う男が」

「めめめめ滅相もございません!たかが浅井の一家臣に何故そのような、私はただあくまでも徳川のためを思ったればこそ!藤堂高虎、いや若狭守などと言うたかがまだ二十歳の浅井の家臣ごときにそのような特別な感情など!憎しみなど持つはずがございません、ええございませんともございませんとも!」







 まるで幼児のように暴れる忠次の全身から図星の二文字があふれ出、重苦しかった場に笑いを振りまいた。

 康政も、数正も、大久保忠佐も、大久保忠世も笑った。


「酒井殿、酒井殿の負けだ。わしとて正直あの男は好いておらん。今回もまた、人を平気で危ない所に送り込むのだからな」

「だったら」

「だが康政の言う通りだ。ここで徳川が引っ込んでいては、徳川は誠意のない家と思われる。ましてや浅井が、いや藤堂殿、と言うか天魔の子が美濃に来ていたらどうなる?」

「天魔の子は、あるいは上杉謙信に取り最大の…………」


 第六天魔王こと織田信長亡き今、天魔の子こと高虎は謙信に取り最大の目標かもしれない。それを守り切る事ができれば、織田どころか浅井にも徳川は天竜川の礼ができるし、あわよくば貸しさえ作れる。


「忠次はわしに裏切れと申すのか。駿河を譲り渡してくれたも同然の織田と浅井を、裏切れとでも申すのか」

「しかし駿河は」

「康政の言う通り武田を叩けば駿河など勝手に手に入る。今度はこの挙兵を盾にこちらが援軍をもらえる立場だ。甲斐や伊豆に葵紋の旗を立てようと言う気概もないのか?」


 駿河の次は、甲斐。あるいは伊豆。東に関心の薄い織田や日本海側ばかりに領国を広げている浅井と違い、東日本太平洋側は徳川の領国となる公算が高い。信濃は飛騨にまで伸びている織田の関係もあり微妙だが、それでも甲斐と伊豆はかなり魅力的である。


「わかったら準備を整えよ」

「ですがその、なればこそ私が……」

「そなたには駿河を頼む。そなたなら大過なくやれると信じておる。どうか頼むぞ」



 家康は忠次の頭から手を放し、そして床に落ちたその十五歳上の家臣の頭を撫でつけた。


 確かに康政の言う事は無茶かもしれない、だが同時に康政や高虎のように強引にも思える存在がいてこそ家は大きくなる。果敢なだけでは破綻を起こすが、慎重なだけではじり貧である。その車の両輪を動かすのが当主の役割であり、家康の仕事だった。




 家康はこの場で酒井忠次を駿河防衛の総大将、大久保忠世を副将に据え、数正と忠佐を浜松城に置き残させ、本多忠勝とそれと同い年の榊原康政を引き連れて半ば強引に浜松城を出立した。


 家康は三河が自国領であることを理由に強引に駈け進み、一日で三国山に到着。そこから美濃へと入り、この戦場にたどり着いたのである。




※※※※※※※※※




「しかしいいのか、雑兵狩りばかり」

「わざわざ上杉謙信と戦う趣味はございませぬ、こんな戦で死ぬのは正直お断りですから」


 謙信の暴走と奇襲によりはぐれた雑兵を一人一人丁重に狩って行く康政の戦いぶりは、家康に天竜川の時全く遠くにいたはずの高虎を思い起こさせた。


(あの時も若狭守は数で武田を押し続け、弱り切るまで武田の将と戦おうとしなかった。実に正確な戦いぶりだ)


 確かに謙信を討てば戦果は莫大である。だが一個人としてもすさまじい強さを誇る謙信に直に向かって行って命を落とすのは馬鹿馬鹿しい。


 今の康政のやり方は勇敢ではないかもしれないが、無謀でもなかった。



「この遠征の目的は、上杉の攻撃を失敗に終わらせることだ。謙信と言えども一人では城は取れん。その事を思い知らせるためにも、この戦は残党狩りと思え」

「しかし上杉謙信は一発逆転を狙い兼山城に突っ込んでいるかもしれませぬが」

「構わぬ。我々徳川がこうして来ている以上、織田勢には兼山城を見捨てる選択肢がある。短期決戦しかできない上杉にしてみれば岐阜城は絶壁だ。兼山城の方に向かっているとすれば、それは自分が起き残してきた人間を救い上げるためだろうな。さもなくば」

「さもなくば?」

「若狭守殿だろうな」




 自分や康政だって似た者のくせに、藤堂高虎などに執着する謙信が家康には実におかしく見えた。



「まあ、忠次に言われた通り無理に刃を振るう事もない。ゆっくりとわしは兵を動かそう」



 違う、そうではないのですとか言う忠次の小言を聞き流す準備を整えながら、家康は上杉軍の兵士狩りに努めた。

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