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夜行バスの備忘録

 僕は夜行バスが嫌いだ。誰かが夜行バスは人間の出荷だと表現したがその通りだと思う。バスという大きな箱に十数人の人間が目的地に送られる。まさしく出荷といえるだろう。人間が所狭しに詰められ、長い間椅子に座らなければならない、これは拷問とさえ思える。この椅子に座ると何もかもが嫌に思えるのだ。無駄に凝った内装、無機質なアナウンス、サービスと言わんばかりのスリッパや毛布、静かにしなくてはならない空間。嗚呼、何もかもが嫌で気に触れる。それでも格安で移動出来るのだから我慢はしなくてはならない。本日も僅かばかりの安価のために出荷される。


 僕の席は4のB。前から4列目の真ん中ということになる。隣がトイレなのがなによりもの幸いだ。この狭く、静かな車内ではトイレに行くだけでも重労働なのだから。また、トイレの真隣は空席になる。これは僕の後ろの席のことだが、この席は移動のために空けなければならない席なのだ。つまり後ろに人が座らないため、椅子を倒し放題という訳だ。寝づらいバス移動ではこのような少しの快適さも重要になる。僕が降りる場所はバスタ新宿。約10時間の移動となるわけだが、寝れるかどうかは死活問題だ。寝れない場合はこの狭い車内で1人孤独に囚われる。いかに寝るためのコンディションを整えるか、消灯するまではこれが重要なのである。


 人が入ってきた。少し車内がざわつきだす。このざわつきも数分で収まり、各々が携帯やらゲームやらをいじり始める。この際、僕は携帯で人が何を見ているのか気になってしまう。左隣の人は小説だろうか、スクロールの頻度と画面の白さからそう判断するが、直視するのも気が引ける。特に小説の内容は気になる事でもないため視線を逸らす。右斜め前の人はゲームの動画を見ているようだ。何やらハイカラなゲーム画面にコメントが流れている。こちらは何のゲームなのか気になるがさっきと同じ理由で視線を飛ばした。このように目的地までの数時間、各個人の時間を過ごす。かく言う僕はニュースサイトで最近のニュースを追っていた。僕はニュースが好きなのである。人の考えや思っている事に興味はなく、事実や出来事のみを好む。今日もニュースに目を落とす。様々な記事見出しが目につく中、1番驚いたのはカテゴリ欄に『新型ウイルス』の欄がある事だ。最近蔓延している新型ウイルスに関する情報がまとめられている。日本各地で感染者が出ているこのウイルス。密集されている屋内は危険とされるが、このバスも例外ではない。もしかしたら感染者がこの中にという考えが頭をよぎる。


 だんだんと眠くなってくる。消灯までの眠るコンディションを整えている間に、気付いたら既に眠くなっている。バスに乗って約2時間。消灯まではあと1時間以上ある。この状態で眠ってしまうと、環境が変わる消灯後に眠れなくなってしまう。何とかして眠らないように買っておいたラムネを食べようと、前にかけたビニール袋に手を伸ばす。ビニール袋に触れると音が鳴るが、消灯前のため特に気にしない。消灯後はこのような少しの音でも気を付けなければ周りの迷惑になる。ラムネはほのかな甘みと酸味を感じながら、1つ、2つとラムネを食べる。子供の頃ラムネの酸味が苦手であまり食べれなかった事を思い出す。派生して、幼少時代の思い出を頭に浮かべていた。好きだったもの、嫌いだったもの、そんな事を考えていたせいか僕は眼鏡をしたまま目を閉じた。


 全ての停車地を過ぎ、SAに着いた。途中の無機質な案内にストレスを感じ、ますますこの出荷にフラストレーションが溜まっていたため、立ち上がる。椅子と椅子の狭い空間だと立ち上がるのですら一苦労だ。後ろから人が来ないのを確認すると、スッと立ち上がり、コートを掴み、外に出る。新型ウイルスを案じて付けたマスクを外して、息を吸う。冷たい空気が肺に入って、白い空気が外に出る。窮屈な箱からの一時的な開放感を満喫しながら用を足し、売店を覗く。観光地から帰るのにお土産を買ってない事を思い出すと、何か買おうかと物色する。正直、観光地で売られている物品は全て同じようなものだ。名所が描かれたパッケージのチョコや、名物品を保存が効くインスタント食品にしたもの、タオルやキーホルダー。どれも形が違うだけで中身は一緒だ。特にめぼしいものがない事を確認するとバスへと足を進める。バスはもうすでに暗めの照明になっている。SAを出てから10分後には完全消灯となるらしい。この出荷は消灯してからが長く苦しいという事を知っているため、この先の苦行を思うと頭を抱える。


 消灯してからどのくらい経ったのだろうか、気が付くと周りの乗客はほとんど眠っていた。携帯で時刻を確認すると、とうに日付が変わっていた。それでも到着まではあと5時間以上はある。僕は消灯前から眠ってしまったせいで全く眠くない。今日の予定は何もないため、このまま眠らないで家に帰ってからゆっくりと睡眠することも出来るが、それだと残りの5時間があまりにも暇すぎる。とりあえず音楽を聴くためにイヤホンを耳につける。誰の曲を聴こうかとiPhoneの画面をなぞる。聴きたい音楽はその時と場所によって異なる。この真っ暗で深夜の移動中に聴く曲は、女性ヴォーカルでドラムとギターの音がシンプルな曲がいい。歌詞を聴きふけるというより、耳障りがいい音楽を。こうして音楽を聴く以外にする事がない時と、聴き流ししている時では音の感じ方が違うように思える。好きな曲は?と聴かれてもその日によって僕は異なる。今はこの曲が好きだ。


 眠るために目を閉じるものの、足元の明かりが目に入る。トイレに移動しやすくするための明かりなのだろうか、椅子の下が青く光っている。この光が視界に入って眠りに集中出来ないのだ。僕が夜行バスが嫌いな理由の中でも最も大きいのが、この環境の劣悪さである。目に入る明かりや出荷中の車の音。特に嫌いなのは匂いだ。シートの匂いなのか人間の匂いなのか何なのか分からないが、この独特な匂いを嗅ぐだけで吐き気を催す。今日はマスクをしているため多少紛れているがそれでも匂う。この匂いにより眠気は妨げられ、乗り物酔いに拍車がかかる。自分は神経質なのだろうか。それでも強引に寝ようと体勢を変える。この狭い席で変えられる体勢などたかが知れてるが、ちょうどいいポジションを探す。車内に荷物は持ち込んでいないためどのような体勢でも音を立てる心配はない。それでも服が擦れる音や座席が軋む音はする。自分のように神経質な人が周りにいなければ良いのだが。


 やはり眠れない。僕は今日みたいな眠れない日は携帯のメモにその日の出来事や感じた事を書き連ねる。その日読んだ本の感想、友達と語り合った夢、その日の天気なんかについても書き連ねる。今日は学校の先生の意見を忘れないようにメモしていた。長々と書いてるうちにトイレを催した。席は真隣で行きやすいのだが、何故か躊躇してしまう。というのも、音を立てしまう事を懸念しているのだ。座席を立つ音はもちろんだが、夜行バスのトイレは水を流す音が非常に大きい。眠りが浅い人ならば簡単に目覚めてしまうほどの音だ。周りの席の人が眠っているのならばトイレに行くのは少し控えたいところ。音を立ないように周りの動向を確認する。どうやら前の座席の人以外は眠っているようだ。自分の行動で他の乗客のヘイトを貯めるのも気が引ける。夜明けまでもう少しだと言うことを確認し、僕は我慢することを決めた。そして決意を固めながら目を閉じた。


 外が白んできた。バスの明かりもつく。長かった出荷の旅ももう少しだ。結局一睡も出来なかった。徹夜でのバイトは辛い。また、何も食べていないため空腹感を抑えることが出来ない。家に帰る途中にコンビニに寄り豚汁を買おう。やはり、夜行バスは憂鬱なのだ。どんな体勢でいようが1番好きな音楽を聴いていようが、眠る事はない。徐々に周りの客も起き始めた。左隣の人はまた小説を読み出している。後ろの方に座る乗客が話し始めた。確か、女子大生のような4人組が騒ぎながら乗ってきていたのを思い出す。彼女らが乗車時刻に間に合わなかったため、運転手が乗務員と相談していたのを見ていた。そうして停車場所に着く。外が明るくなってからは早く降りたい一心でうずうずしていた。トランクから荷物を受け取ると帰路へ進む。やはり僕は夜行バスが嫌いだ、そう思いながら新宿駅西口へと向かった。

 

 バスが停車したところで目が覚めた。どうやら西口に着いたようだ。我慢していたはずの尿意も既になくなっていた。他の乗客も起きている。左斜め前の乗客はスマホで何やら小説らしきものを読んでいる。僕は消灯前に眠り、消灯後に起きたためどのような客が乗っているのか全員は分からない。後ろの方で女性が話しているのが聞こえる。途中起きてしまったがだいぶ寝ることが出来たのではないだろうか。最近新型ウイルスというものが流行っているらしい。ニュースをあまり見ないのでよく分からないが、マスクぐらいはして予防しなくてはならない。帰り道でマスクを買って帰ろうと思う。バスタ新宿に着いたことで長いバス移動も終わりを告げた。大分寝ることも出来たし、移動手段としては格安である。僕は夜行バスは嫌いではない。

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