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後編

 ランドルフさまは少し席を外すと、一冊の本を持ってきた。

 少し古びたそれは、日記帳のようだ。


「それは?」


 ユリウスお兄さまが、興味深く尋ねた。

 ランドルフさまは、日記帳を撫でる。


「日記だよ。百年前の当主である。エミリオ・リュドラスの」


 エミリオの名に、心臓が激しく鳴る。

 落ち着いて。

 前世は前世。今は今だ!


「エミリオ……」

「ユリウス、聞いたことあるだろう? 百年前に、王家に大恥をかかせてしまったリュドラス侯爵家の当主。彼がそうだよ」


 社交界では、百年という時間が経っても語り継がれているのだ。

 それほどの醜聞なのだから。


「おかげで、リュドラス侯爵家は大変な目にあってきた。彼を恨む親族も多い。僕もそうだった。だけど……」


 ランドルフさまは苦笑すると、ぱらりと日記帳を開いた。


「父上の書斎で日記を見つけて。彼の苦悩を知ってね。今は少しばかり、そうだな。同情しているね」

「同情……?」


 思わず口を挟んでしまった。

 だって、エミリオの苦悩と言った。同情すると。気になるではないか。


「ああ、ナディアさんは知っているかな? 百年前、隣国に嫁いだレティシア姫を」

「え、え。知って、います」


 前世だからね!

 ランドルフさまは微笑んだ。


「そう、博識だね。そのレティシア姫とエミリオは婚約していた。仲はとても良好だったようだね。この頃の日記には、よくレティシア姫の名前が出てきているから」


 ほ、ほう。

 レティシアはエミリオ大好きだった。

 エミリオも少しは、憎からず思ってくれていたのだろうか。


「日記は、婚約した頃から。可憐だ、とか。愛らしいとばかり書いてあってね。いやあ、こっちが照れてしまうよ」

「当然だ。婚約者とは大切で愛しいものだよ」

「ユリウスお兄さま、ルミナリアさま大好きだものね」

「愛しているよ」


 からかうつもりが、惚気けられた。

 さすが、お兄さま。


「ルカ、お前もだろう?」

「うん」


 さらりとルカが頷いた。

 え、待って。ルカ、私のこと好きなの?

 私たち、両想いだったの?

 期待を込めてルカを見れば、じっと見つめ返された。

 ごめんなさい、ルカの真意何も伝わらない。


「いいね、私も婚約者に会いたいよ」

「今は留学しているのだったね」

「来年には帰ってくるんだ。それまでには、問題を解決したい」


 ランドルフさま、婚約者いるんだ。

 リュドラス侯爵家の次期当主だから、当然か。

 なのに、困った女性に付きまとわれて大変だ。


「……話が逸れたね。まあ、エミリオはレティシア姫が好きで好きで仕方なかったんだよ」


 前世のレティシア、良かったね。

 ちゃんと好かれてたね!

 あと、エミリオの気持ち密かに疑っていたのごめんなさい!

 でも、レティシアは最後まで信じてたから許してください。


「けれど、婚約は破談になったんだよね」


 ユリウスお兄さまの言葉に、ランドルフさまは重々しく頷く。


「ティポール男爵家が、ここで出てくるんだ。ティポール男爵家の令嬢とエミリオは幼い頃からの付き合いでね。その令嬢がエミリオに懸想していたのだけど。迂闊なことにエミリオは気付いていなかった」


 気付いてなかったの……? わりと、分かりやすかったけれど。


「完全に妹としてしか、見てなかったんじゃない?」


 ルカの言葉に、ランドルフさまは頷いた。


「その通りだね。彼は令嬢を妹としてしか見ておらず。そして、ひとの善性を信じ過ぎていた」


 ランドルフさまは語った。

 エミリオの母親が、何かと令嬢ーーアンナを気にかけていたこと。

 ひとのいエミリオは、母親同士の交流を微笑ましく思っていた。

 そのせいで、悲劇が起きるとは思わずに。

 件の事件は、レティシアの誕生日パーティーでのアンナが起こした不祥事に激怒したエミリオの父親に、ティポール男爵夫人との交流を絶たれそうになった母親が焦った結果起きたものだった。

 父親の代わりにティポール男爵家の釈明を聞き、なんとか父親の怒りを解いてほしいと涙ながらに頼み込まれて、エミリオはティポール男爵家に出向いたのだ。

 そして、そこで出された紅茶を口にしたエミリオは意識を失い。

 気がつけば、アンナと同じベッドに寝かされていた。

 後は、レティシアの知る通りだ。

 婚約は破談となり、二人の仲は引き裂かれた。


「エミリオは、何度もレティシア姫に手紙を送ったけど、全て返されたそうだよ」


 手紙?

 手紙なんて、知らない。

 どういうこと?


「エミリオの日記を読んで知ったのだけど。エミリオとの婚約があったにも拘わらず、当時の国王は隣国の王太子とレティシア姫との縁談をまとめていたようでね」

「そんな……!」


 思わず声を上げる。

 いや、でも、そうだ。

 辻褄が合う。

 前世の父親が、パーティーでエミリオにアンナのエスコートを許した理由が。

 アンナの非常識さを知って、煽ったのだ。

 全ては、レティシアと隣国との縁談をまとめる為に。

 レティシアの恋心は、国の思惑で消されたのだ。


「ナディアさん。当時の国王が手紙を突き返したんだろうね。エミリオもそう思ったみたいだ」

「辛いね……」


 ユリウスお兄さまは、悲しそうに呟いた。

 ルミナリアさまを想っているのだろうな。


「エミリオはひとの善性を信じ、そして裏切られた。それでも、ここまではまだ読めるんだ。だけど、ある日付から、支離滅裂でね」

「ある日付、ですか?」


 少しの好奇心と、そして、過去の因縁を知りたくて問いかけた。


「レティシア姫の輿入れだよ」


 ランドルフさまの応えに、息を呑む。


「彼は、本当にレティシア姫を愛していたんだ」


 ふと、隣に気配を感じた。

 見れば、ルカが立っていた。

 そっと、レースのハンカチを差し出された。


「泣かないで、ナディア」

「え……」


 私はいつの間にか泣いていたようだ。

 レティシアとエミリオ。

 真に想い合っていたのに、結ばれなかった二人。

 それが、悲しかったのだ。

 ハンカチを受け取る。


「ありがとう、ルカ」

「うん」


 しんみりとした空気が流れる。

 しかし、問題がまだあるなか、過去に思いを馳せてばかりではいれない。


「まあ、ここまでが前提でね」


 と、ランドルフさまは日記帳を閉じた。


「直ぐにエミリオは離縁したけれど、ティポール男爵家とは縁が出来てしまった。それに縋って、百年経った今、ティポール男爵家が金の無心に来てね」


 ランドルフさまが幼い頃から、ティポール男爵家はリュドラス侯爵家に来ていた。

 そして、いつ頃からか、幼い娘も連れてくるようになった。

 その娘が件の女性で、幼い頃から会ってきたのだから、幼馴染だと主張し付きまとっているそうだ。

 無茶苦茶な理論である。


「それは、幼馴染とは言いません」

「そうだね、ナディアさん」


 思い出も何も共有していないのだから。

 良くて、ただの知人だ。


「とりあえず、何か対策を……」


 ユリウスお兄さまが話した時、扉が叩かれた。


「どうぞ」

「失礼します、ランドルフさま」


 若い使用人が入室する。

 そして、困りきった顔で口を開いた。


「その、例のお客さまが、また……」


 その言い方で、ぴんときた。

 件の女性が、来たのだろう。ランドルフさまの表情からもわかる。


「追い返して……」

「ランドルフ、良い機会だと思う」


 ルカが、普段からは想像できない強い口調で遮った。


「今日、決着をつけるべきだ」

「ルカくん」

「婚約者が帰ってくるんでしょう?」


 ルカの言葉に、ランドルフさまの表情が変わる。

 そして、使用人を見た。


「今から向かう。けっして家には入れるな。彼女は客ではない」



 屋敷の門に皆で向かう。

 ランドルフさまを心配して、ついてきたのだ。本人の希望でもある。

 門には数人の使用人がおり、何やら言い争っていた。


「お兄さまに会わせて!」

「おやめください!」

「離してよ!」


 件の女性が暴れているようだ。金切り声が聞こえる。


「何を騒いでいる」


 ランドルフさまが声をかけた。

 すると、黒髪の女性が顔を上げた。


「お兄さま! お願い、このひとたちを何とかして! 私とお兄さまの邪魔をするの! ひどいわ」

「僕は、君にそんな呼び方をする許可は出していないよ」


 ランドルフさまが毅然と前を向く。

 女性は驚いたのか、目を見開いた。


「お兄さま……ひどい、ひどいわ」


 ふるふると頭を横に振り、涙を流す。

 場に戸惑う空気が生まれた。


「兄さん、話に聞いた以上だね」

「いつも、ああなんだ」


 ルカとユリウスお兄さまが小声で話す。

 確かに、ひとの話を聞かない感じが……怖い気がする。


「泣いても意味はない。僕は君を知らないからね」

「なんてひどいこと言うの! お兄さま!」


 涙をぽろぽろ流す女性だが、その視線が私へと向いたとたん、豹変した。


「その女ね! その女が、お兄さまをそそのかしたのね!」


 どこにそんな力があるのか、女性を抑えていた使用人を振り払い、私へと向かってきた。

 鬼気迫る様子に、小さく悲鳴が出る。

 女性の手が伸ばされる瞬間、私の前に影ができた。


「ぎゃあ!」


 女性の悲鳴が上がった。

 ルカだ。

 ルカが女性の腕を捻り上げたのだ。

 女性の顔が、苦痛に歪む。


「ナディアに手を出すな」

「痛い! 痛い! 離してよ!」

「ランドルフ」

「な、なんだい。ルカくん」


 ルカは強い光の宿った目を、ランドルフさまに向けた。


「ランドルフの優しさは、美徳だね。だけど、それは時には罪だ。こういう輩には、はっきりと自分の気持ちを言わなくちゃ」

「そうだよ、ランドルフ」


 ルカとユリウスお兄さまに促され、ランドルフさまは一歩踏み出す。

 それに合わせて、ルカが女性を離した。

 「痛い痛い」と腕をさする女性に、ランドルフさまが近づく。

 ぱっと女性の顔が輝く。


「お兄さま! あのひとが……!」

「僕は、君が嫌いだ」


 ランドルフさまの言葉に、女性から表情が抜け落ちる。


「もう一度言う。僕は君が大嫌いだ」

「お兄、さま……?」

「二度と我が家に近づくな。僕の大事なひとにもだ。君の家には正式に国を通して抗議させていただく」


 そして、ランドルフさまは駆けつけた使用人に「追い返せ」と、冷たく言った。

 完全に脱力した女性は大人しく連れて行かれた。


「終わった、の?」

「うん」


 ルカの短い返事に、私は息を吐き出した。

 女性は、完全に意気消沈していた。

 彼女は、ランドルフさまに好かれていると思い込んでいたのだろう。

 それを否定されて、彼女のなかで何かが切れたのだ。


「柱としてたものをなくしたんだ。もう、あのひとがランドルフに近づくことはないよ」

「良かった……」


 なんとなく、今までの因縁が解けた気がした。


「ルカ。守ってくれて、ありがとう」

「当たり前だよ。ナディアは、大事な婚約者だもの」

「ルカ……」


 何だろう。

 いつも眠たげなルカが、今はすっきりした顔してる。

 ルカは私の手を取った。


「ねえ、ナディア。好きな花はなに?」

「え?」

「久しぶりに花とか育てたい気分なんだ」


 久しぶり?

 私の記憶する限り、ルカが花を育てた事実はないけど。

 実は、こっそり育ててたのかな?

 ルカは、微笑んだ。それはとても幸せな笑顔で、胸が温かくなった。


「ずっと一緒だものね」


 ルカが呟く。


「だから、今度こそ。幸せになろう」


 視界の隅では、フリージアの花が風にそよいでいた。



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