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中編

 リューデンポワール王国。

 それが、私の生まれた国だ。

 レティシアは、百年前のリューデンポワール王家の王女だ。

 他国に嫁いだけど、生まれ故郷に転生するとは。

 やっぱり、故郷が一番ということか。

 そんなことを思いながら、ぺらぺらと書庫から部屋に持ち帰った貴族名鑑を捲る。

 貴族名鑑には、リューデンポワールの各家の家系図が載っているのだ。

 婚姻で血が濃くなり過ぎるのを防ぐ為と、まあ、いかに高貴な血筋なのか自慢したいという一部の貴族による思惑もあるかも。


「あ、あった!」


 リュドラス侯爵家の名前に、一瞬胸が騒いだ。

 レティシアが嫁ぐはずだった家。

 うーん、今の私には関係ないとはいえ、なんだか複雑だ。

 百年前まで遡る。

 そして見つけた。

 エミリオの名前と、聞いただけの幼馴染の名前。


「やっぱり、結婚してたか……」


 レティシアが嫁ぐ前は、まだ婚姻関係にはなかった。

 王家の顔に泥を塗ったのだから、当然だけど。

 しかし、あることに気づいた。

 エミリオとアンナの間に、訂正の斜線が入っていたのだ。

 それの意味することは……。


「離縁してる?」


 しかも、二人の間に子供はいない。

 次に名前が書かれた人物には、「養子」の文字が。


「あー、まあ、そうか。そうだよね」


 エミリオの感情はわからないけれど、リュドラス侯爵家としては幼馴染ーーアンナは、受け入れ難い存在だ。

 そもそもレティシアの婚約は、王が定めたものだけれど。

 実はエミリオの父親が足繁く王のもとに通い、信頼を勝ち取った上でのものなのだ。

 母親である王妃が、幼いレティシアに教えてくれたのである。貴女は望まれて嫁ぐのよ、と。

 貴族名鑑を見る限り、リュドラス侯爵家に王族の血は入っていない。

 思うに、エミリオの父親にとって、王族と縁を結ぶのは悲願だったのではないかと。

 それを台無しにしたのが、ティポール男爵家。幼馴染の家だ。

 本当に薬を盛られたかの真偽はわからない。しかし、レティシアとエミリオの婚約は解消されてしまった。

 その事実は消えない。

 エミリオの父親の努力は、泡となったのである。

 貴族名鑑を閉じる。


「歓迎されない婚家に嫁いで、幸せになれるはずないのに……」


 レティシアは恋に破れ、悲嘆に暮れていたが。

 隣国では側室はいたけど、正妃として大切にされていた。

 そこそこ幸せだったように思える。

 王女から略奪したアンナ。

 彼女はどんな生活を送ったのだろう。

 そして、エミリオは何を思ったのか。


「まあ、もう関係ないのだけど」


 貴族名鑑を本棚に戻した。

 部屋にノック音が響く。


「ナディアお嬢さま、ノワール侯爵さまご一家がいらっしゃいましたよ」

「まあ! すぐ行くわ!」


 扉越しに聞こえた侍女の言葉に、声が弾んだ。

 ノワール侯爵家は、私の幼馴染たちの家だ。

 お父さまを唯一無二の親友だと常日頃からおっしゃっている、ノワール侯爵家当主のカイルおじさま。

 その縁で、ノワール侯爵家の子息たちとは仲良くしてもらっている。

 私は、軽い足取りで部屋を出た。



「リアに膝枕をしてもらえたんだってね?」


 ノワール侯爵家嫡男の、十九歳になったばかりのユリウスお兄さまが笑顔で言った。笑顔だよね?

 庭のあずま屋で和やかに談笑している両親たちに聞こえていないか、ひやりとした。

 幼馴染組は、あずま屋から離れた場所に用意されたテーブルでお茶会をしていたのだけど。

 ユリウスお兄さまは紅茶をひと口飲んだあと、私に笑いかけて言ったわけだ。

 目には、「私の婚約者の膝枕、楽しかったかい」と嫉妬が見える。


「ナディア……兄さんに、謝ろう?」


 ぼんやりと眠そうにしながら言ったのは、ノワール侯爵家次男のルカだ。私と同じ十六歳である。


「いえ、でも。ルミナリアさまは、快くですね……?」

「リアは優しいからね。でも、彼女は私の大切な、良いかい。大切な婚約者だよ」


 あ、駄目だ。ユリウスお兄さまの目、笑っていない。


「ごめんなさい、お兄さま」


 美形の圧力には勝てない。


「うん。これからは、気をつけて」

「許されたよ、ナディア。良かったね」

「う、うん。そうね」


 呑気に言うルカに、少し苛立つ。

 そもそも、ルミナリアさまが膝枕をしてくれる流れになったのは、ルカが原因なのに!

 最近、噂になってるんだから! どっかの令嬢たちがルカに好意を持っているって。

 ルミナリアさまは、噂に悩む私を慰める為に膝枕をしてくれたの! 噂のせいで眠れてない私を心配して!


「ルカは、私の婚約者よね?」

「そうだよ? 何を当たり前のことを言っているの?」


 ルカは眠たげなまま言う。そう、彼は私の婚約者だ。両親が決めたことだけど、感謝している。私はルカのことが好きだからだ。


「そう、婚約者。わかってればいいの」

「変なナディア」


 ふっと、ルカが笑う。貴重な笑顔だ。ルカは基本的に無気力を絵に描いたような無表情だから。

 ちょっと恥ずかしくなって、視線を逸らす。


「あーあ、仲がいいね。君たち。私もリアに会いたいよ」

「兄さんたち、昨日会っていたじゃない」

「何を言っているんだい。愛する人との時間はいくらあっても足りないよ」

「ユリウスお兄さまは、相変わらずね」


 彼のルミナリアさまへの愛は深い。

 ルカは淡白だから、羨ましい。

 ユリウスお兄さまはひと通り嘆いたあと、「ああ、そうだ」と何かを思い出したようだった。私を見る。


「リアの膝を独占した罰だよ、ナディア。私の友人に会ってほしい」


 と、真剣な表情で言った。



 ユリウスお兄さまのご友人に会う時は、ルカも同席することになった。

 当然である。相手は男性。婚約者のいる身で異性に会うには慎重にならなくてはならない。噂とは怖いものなのだ。

 まあ、ルカは気にしないだろうけど。

 ルカは、昔から無気力だった。というか、初めて会った四歳の日。私はルカを精巧な人形と勘違いしたぐらいだ。

 それぐらい生気のない子供だった。

 幼い私は、ルカの無気力さが気にくわず、あっちこっち連れ回した。

 ルカを勝手ながら、友達と認定していたのだ。友達なんだから、一緒に遊びたい。

 そう思ってのことだった。


「ルカ! お庭に花があるの! いっしょに、見ようよ!」

「……」

「ねえねえ、新しいご本があるの。いっしょに読もう!」

「……」

「すごい! お外真っ白! 雪よ雪! 楽しいね!」

「……」


 最初の一年、ルカは無言だった。何を言っても無反応。

 でも、私はめげなかった。

 ルカを遊びに誘い続けたのである。なかなか根性のある子供だったな。

 そんな一年が過ぎた頃、唐突にルカが言葉を口にした。


「君はどうして、笑うの?」


 ルカの声を初めて聞いた私は、それが嬉しくてはしゃぎながらこう言った、はず。


「ルカが大好きだから! 好きなひとといると、楽しいね!」

「……でも、もしも、好きなひとと会えなくなったら? 僕は、それが、怖い」


 無表情ながら、必死さのある声だったと思う。

 ルカが悲しんでいる気がして、私は彼を抱きしめたのだ。子供だからこその行動だ。


「私は離れないよ! ずーっと、いっしょにいよう?」

「……本当に?」

「うん! 本当!」

「良かった……」


 この時だ。初めてルカが笑ったのは。

 嬉しそうなのに、泣きそうな顔で。

 その笑顔に、私は恋に落ちたのだ。



「ナディア、聞いているかい?」


 ユリウスお兄さまの声に、意識がハッと現実に戻る。

 そうだ、今は馬車で移動中。

 隣には窓の外を見ているルカ。前の座席にはユリウスお兄さま。


「え、えっと。ユリウスお兄さまのご友人が、とある女性に迷惑な行為をされているのよね?」


 話半分ではあったけど、ちゃんと聞いていた。

 ただ、ちょっと現実逃避したい案件だっただけで。


「そう。友人ーーランドルフは、リュドラス侯爵家の嫡男でね。見目も良く、女性に人気がある。けれど、一人。度が過ぎた女性がいてね」

「ティポール男爵家の方なのよね」


 そう。

 ユリウスお兄さまのご友人は、私の前世に因縁あるリュドラス侯爵家の方だったのだ。

 しかも、その方を現在悩ませている女性はティポール男爵家のご令嬢。

 エミリオとアンナの血筋が出てくるとは、夢にも思わなかった。現実逃避もしたくなって当然だ。


「詳しい内容は、本人から聞いた方がいいね。私から話すのは、違う気がするから」

「……兄さん」


 窓の外を見ていたルカが、ユリウスお兄さまを見ていた。


「なんで、ナディアを会わせるの?」


 それはもっともな意見だ。

 今の私には、リュドラス侯爵家との関わりは皆無だ。女性関係の問題も、件のランドルフさまの身近にいる方が相談に乗ればいいのでは?

 なぜ、私が必要なのだろうか。

 ユリウスお兄さまは、少し困ったように苦く笑う。


「彼は、相当参っていてね。正しい関係性を見せたいんだよ」

「正しい、関係性?」

「まあ、会えばわかるよ」


 ユリウスお兄さまは、それ以上話してはくれなかった。

 お兄さまの空気ゆえに、私とルカは問いつめることも出来ず、馬車は静かに目的地へと向かう。


 リュドラス侯爵家をレティシアは訪れたことがなかった。

 大事な姫君だ。簡単に城の外には出られない。

 だからこうして、立派なお屋敷を前にすると、複雑な思いが過る。

 レティシアが嫁ぐはずだったリュドラス侯爵家に、今は何の関係もない私が来てしまった。

 侯爵家の使用人に屋敷を案内されるなか、私は窓から見えた庭を見て、足を止めてしまった。

 整えられた庭に不釣り合いな、小さな花壇があった。

 そこに咲いていたのは、可憐な花ーーフリージア。レティシアがエミリオから贈られた思い出の……。


「ナディア、どうかしたかい?」

「あ、いえ。フリージアが……」


 動揺のあまり、素直に口にしてしまった。


「ああ、あの花壇だね。ランドルフの話だと、何代か前の当主が大事にしていたらしくて。今も世話がなされているそうだよ」

「そ、そうなの」


 あの花壇は目立つ。ユリウスお兄さまも気になったのだろう。

 何代か前の当主……その方は、やはり……。

 ふと、温かな感触が手に触れた。

 ルカだ。

 いつもは眠たげな目に、今は真剣な色を宿していた。


「ナディア、行こう」

「え、ええ」


 少し強引とも取れる態度で、ルカは私を引っ張っていった。

 通されたのは、応接室だった。

 そこでユリウスお兄さまとルカと一緒に、ランドルフさまを待つ。

 しばらくして、扉が開かれた。


「すまない、ユリウス。待たせたね」


 入ってきた男性に、思わず息を呑む。

 エミリオだ。エミリオが、笑顔でユリウスお兄さまの手を握る。

 輝く黄金色の髪に、ああ、違う。目は鳶色だ。彼は、エミリオじゃない。

 ルカの視線を感じるなか、冷静になる。

 そうだ。彼はエミリオが養子にした弟の子の血筋。似ていてもおかしくはない。

 落ち着け、私。前世は前世。今は今だ。

 エミリオーーランドルフさまの視線が私に向く。

 ユリウスお兄さまが手招きしたので、椅子から立ち上がり近寄る。冷静になっても、緊張はしてしまう。


「貴女がユリウスの幼馴染だね」


 優しい声に、慌てて淑女らしく礼を取る。


「ナディア・システィールと申します」

「これはご丁寧に。僕はランドルフです。よろしく」

「はい」


 大丈夫だろうか。私は、ちゃんと礼儀に適った対応が出来ているだろうか。


「どうしたんだい、ナディア。お転婆な君らしくもない。顔が強張っているよ」


 私の緊張は、ユリウスお兄さまにより壊された。


「ひどい! ユリウスお兄さま、私は立派な淑女です!」

「立派な淑女は、そんなに声を荒らげないよ」

「荒らげてなどいないわ。ルカ、ユリウスお兄さまがひどいの」


 ルカに助けを求めれば、椅子に座ったままの彼は、何故かランドルフさまの方を見た。


「これが、幼馴染の親しさだよ。ランドルフ、理解できた?」


 ルカの言葉に、「弟の言うとおりだよ、ランドルフ」と言うお兄さま。

 兄弟だけでわかり合っていて、私は不満だ。

 ……そうだった。この場には、ランドルフさまがいた。私、思いっきり素だった。

 慌ててランドルフさまを見れば、彼は穏やかに笑っている。気が抜けたような表情だ。


「ああ、そうだね。僕は本当に参っていたみたいだ」

「ああ。勘違いしては駄目だ。ティポール男爵令嬢と君には、こんな近さはない。彼女の言う幼馴染は、妄想なんだよ」


 ランドルフさまとユリウスお兄さまの会話の意味が、全くわからない。

 ぽかんとしている私に、ランドルフさまが笑いかけてくる。


「ありがとう、ナディアさん。貴女のおかげで、はっきりとわかった。洗脳が解けた気分だ」

「はい?」


 よくわからないけれど、私が何かの役に立ったみたいだ。


「ナディア」


 ルカが私を呼んだ。


「ランドルフはね頭のおかしい女から、自分とランドルフは幼馴染だと言われ続けたんだよ。何年も何年も」

「え……?」


 幼馴染って幼い頃からの付き合いで、自然となるものじゃ……?

 よく呑み込めないまま、ランドルフさまを見れば苦笑していた。


「確かに、彼女とは幼い頃に会ったけれど。親しくはない。君たちのような親密さは皆無なんだ。でも、何年も付きまとわれて、だんだん追い詰められてしまってね」

「本当に彼女とは幼馴染ではないかと言い出したから、ナディアを連れてきたんだよ」


 なるほど。

 ユリウスお兄さまが私をランドルフさまに会わせたのは、そういうわけだったのか。


「ティポール男爵家と我が家は因縁があってね。それもあって、対応に困っていたんだ」

「因縁……」


 どくんと胸が鳴る。


「良い機会だね。君たち、聞いてもらえるかな?」


 ランドルフさまにより、過去の因縁が語られることになった。


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