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「よし、戸締り完了」
玄関の扉を施錠し、優人は自らの住まいを見上げる。赤錆色をした西洋館は、探偵小説の殺人事件現場になりそうな、エキゾチックな雰囲気をかもし出していた。
「じゃあ、行こうか……おっと、いけない」
隣で待っていた朝咲に声をかけると、優人は肩にかけていた手提げ鞄から、眼鏡を取り出した。
「うん、これでよし」
「ユートさん、その眼鏡って伊達でしょ?」
黒縁の眼鏡をかけた優人に、朝咲は不思議そうに尋ねる。
「ああ。ただでさえ、俺は女っぽいって言われるからさ。これで少しでも大人っぽく……」
「言っちゃ悪いんだけどさ、ユートさんが眼鏡をかけてもちっとも大人っぽく見えないし、ただ『知的な可愛い女の子』って感じなんだよね」
持論を展開しようとしていた矢先、それは頭ごなしに粉砕された。北風が、妙に寒い。
「……それでも幾分か、マシになるだろ……?」
「ううん。むしろそっちの方が可愛さ二割り増しって感じ」
早朝に実に相応しい爽やかな笑顔で、彼女は答える。きっとからかわれているだけだと、優人は必死に信じ込もうとした。
急な勾配の坂道を、二人して息を白くさせながら下っていく。車や人の往来は、皆無である。それもそのはず、町外れのこの坂を上ったところで、その先にあるのは古びた西洋館だけなのだ。ご近所付き合いなどもっての他、近辺で野良猫を見たことすらない。一番近くのバス亭にたどり着くのでさえ十五分ほどかかるような、そんな場所に用がある者などいないのである。
それでも毎朝、律儀にこの坂を上ってくる女子高生には、頭が下がる思いだった。チラリと横に視線をやると、彼女は口元までマフラーを上げ、寒そうに手を擦っていた。不意に、彼女はこちらを振り返る。
「ユートさん、今日は講義何時まで?」
「ん……っと、今日は火曜だから、四時半までだな」
「そう。じゃあ、帰りはいつもの場所に迎えに来てね」
こうして世話になっているだけに、それを拒絶することはできなかった。ちなみに付け加えておくと、朝咲の高校の始業時間が八時絡まりなのに対し、大学の講義が始まるのはその一時間後なのだが、彼女の登校時間に合わせているのもそういう理由なのである。
飽きるほど長い坂道を下り終わると、ようやく車がチラホラと見え始める。さらにそこからバス亭までの道を、二人は歩かなければならなかった。
「……車の免許でも取るかな」
思わず彼が呟くと、朝咲は賛成だと言わんばかりに頷く。
「いいね、それ。そしたら、毎朝車で送ってもらえるってことでしょ?」
「うん、まあ……でもその場合、教習所行くのに時間かかるし、お金も必要になるからバイトもしないといけないし……時間なくなるなぁ……」
「あー……そっか」
困った顔で、朝咲は何やら思案する。彼女はしばらく葛藤していたが、やがて優人に向かって苦笑した。
「なら、しょうがないや。別に、免許くらいいつでも取れるし、気にしなくていいよ」
「そうか?だけど、そしたらアサキだって、うちの前の坂を上り下りする必要がなくなるぞ?俺だって、そのくらいは……」
「いいんだってば……鈍いなぁ、まったく」
少し怒ったような口調で、朝咲は口を尖らせる。
「っていうか、さっきから言おうと思ったんだけど、ユートさんその喋り方似合わないよ。自分のこと『俺』なんて言っちゃって。無理してるの丸分かりなんだから」
朝咲の言葉に、優人はぐうの音も出ない。『男らしさ』を磨きたい彼が、ここ最近意図的に『男っぽい』話し方試みていることは、朝咲にはあまり評判がよくないようだった。
「私、知ってるんだからね。ユートさん、独り言を言ってるときはいつもの口調に戻ってるんだから。『僕もまだ身長伸びるよね』って言いながら、この間牛乳飲んでたし」
「なっ……!」
思わぬ暴露に、優人は顔を赤くする。彼らがバス停に着くまでの間、朝咲はずっとニヤニヤと笑っていた。