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ヒト  作者: ぬまろー
4/5

今枝④

「ああ愛しき金の野獣がその先へ!

 ラインハルト、ラインハルト……。

 逆さ万事国のその先へ……っ。憎き屍を超え、愛しき屍を踏み越えよう!」


 そこには気狂いがいた。

 そいつは全身ボロボロの格好で、背には大荷物のリュックをかけ、そして顔には大々的にVRゴーグルを装着していた。

 髪はボサボサなるほど伸び、少しでも近づけば、思わず鼻を塞ぎたくなる悪臭が襲い掛かる。いったい、いつから風呂に入っていないのだろうか。

その体系は小柄で声も甲高いために、そいつは女性だとかろうじて分かった。


「わが身はバラン髭の為ならず!

 わが身はバラン髭の為ならず!

 わが身は金の野獣の為にある!

 わが身はその野獣を為に死ぬ!」


 そのVRゴーグル女が進む道はそこそこに車通りのある国道を沿った歩道なので、大型デパート、有名チェーン店などが点在し、人通りはけっこうある。

彼女を見た通行人たちは、どれも気味悪そうにしていて、


「やだ……何あの人」


「くさッ……。オエーッ! 鼻が曲がりそうなほどキタネエ匂い!」


「クスリでもヤってるんじゃないの……? ヤバくない?」


 などと、口を密かに、VRゴーグル女の陰口を言ってその場を去る。


「その長きナイフで。

 その長き夜の夜で。

 レムの無き夢の中は影が立つ。

 下衆の咲く不和にて朝が穿つ。


 ああ、煌めく金色は静かに飢える。

 おお、それは金色。確かに吠える。

 

 私をラインハルト! 私を私をラインハルト!」


 誰かに何を伝えたいのだろうか。

 おそらく、それは彼女の中にしか存在しない、見えざる真相であり、そして彼女の言葉は一般的には妄言に値する。


 しかし彼女は他人の目がどうとか、自分がどう思われているのかも意に返さず、引きずるように歩いていく。

 完全に頭がおかしくなっているのだ。

 他人の目も気にしない。実のところ、彼女は全く繋がれていないわけだ。


「ジュンさん、あの人……」


 VRゴーグル女からそこそこ離れた位置で、190を超える大男が指をさし、近くにいた青年に話題を振った。

 奇異の目で見ている他の通行人とは異なり、彼がVRゴーグル女を見る目は、どこか同情に寄って、救いたいという気持ちが見えた。


「ああ、少し跡をつけるか」


 大男の隣にいた、ジュンと呼ばれた青年は、VRゴーグル女について何か知っているのだろうか。何かを確かめるように女の跡をつける。


「盛大

  粛清

赤い犬

逆さまマヨネーズ

  裏切り者の末梢

シナゴーグ

フェンロー

   水晶と黒

   プラハ

ピストル

 手榴弾

   乱射して乱射して

そして

 そして

そして

そして


 そこで、VRゴーグル女の挙動はピタリ、と停止する。

その停止は実のところ10秒ほどであったが、狂乱のすぐに静かになったことで、その静寂はやけに緊迫させた。跡をつけていた2人も、突然の停止に驚き、そして何も言わない彼女の様子を思わず注視した。


「えび……?」


 彼女は、確かに、「えび」と発言した。

 言い間違いか、ただ無意味な言葉を放っただけだろうか。


 いや、それは違う。

 彼女は、そのVRゴーグルを通じて、えびの姿を目に映したのだ。

 だからこそ、彼女は「えび」と短く発言してしまったのである。


「エビ! エビ星人! 

ああああッ! 違う! 止めてくれぇ! ラインハルト! ラインハルト! 私を救済してくれ!」


VRゴーグル女は半狂乱になり、足をガクガクと震わせた。

ついには、女は立つことすら困難になって、尻もちを付き、目の前にいるエビ星人から逃げようと這うように後退した。


 しかし、そのVRゴーグル女以外の人間には、エビ星人など見ることも感じることもできない。

 彼女をストーキングしていた男二人の目にも、さっぱりエビの姿はない。

 なので、通行人たちは女を気味悪がり、あまりに騒々しいために警察を呼ぶ者もいた。


「見たくない見たくない!」


 女がゴーグルを外そうとしたが、それは接着剤でも塗ってあるみたいに固定されている。

 彼女が精いっぱいに力をふるっても、それはピクリともしなかった。


「ああああぅ! ラインハルトラインハルト! 

 あなたはデウスを信仰しているのでしょう! 私も従いします!

 でも本当なのですか? そこの層、“2”には神がおられるのですか! ラインハルト!」

 

 女は唾を吐き捨てながら悲鳴を上げ、舌を下品に垂らし、頬を引きずる様に道路を進む。

 狂奔しそうな表情をしているが、しかし彼女の様子はまるで半身を失った芋虫か何かのようで、それは移動と言うよりは死に際に筋肉が痙攣しているだけにも思えた。


「ジュンさん! 助けましょう!」


 大男がジュンという男に熱く提案したが、しかしジュンは冷静に、


「待てレーサン。俺たちより適任が来た」


 とレーサンと呼ばれた大男に返した。


 レーサンはジュンが指し示す先へ視線を変えると、そこには学生服を着た普通の青年・今枝悠斗がそこにいた。

 

 今枝はVRゴーグル女の狂った姿を見て、静かに傍に寄ると、彼女の方が今枝に反応した。


「ああラインハルト! ラインハルトですか?

 来てくれたのですね! 私を迎えにぃ!」

 

「名前……本当の名前なんて意味がないからそれでいいよ。

 ところで、君は誰?」


「あっあああ……私は、わた、し、は……」


「キミに、家族はいる?」


「え、な、なにを……」


 今枝はVRゴーグル女を抱擁するように肩を持ち、次々に質問をする。

 彼女の臭気や、髪のフケ、泥の付いた肌などは全くお構いなしと言う風で、彼はまっすぐに女の目を覗く。


「キミの両親は?」


「た、わた、しの、おあさん……」


 VRゴーグル女は微かに漏らす。

 

「父親の誕生日はいつ? 母親の誕生日は?」


 今枝はさらに奥へ覗くように、女に尋ねる。

 矢継ぎ早、と言うやつで、彼女の返答を待つことすらない速さでそれを続ける。


「両親はいつ結婚した? 見合い? 恋愛? 

誕生日は家族で祝ったことある? 小さいころの記憶、何か家族の記憶を探ってみれる?」


「おっ、や……おとう、さん……。えっ、あ、うぅ……。

そんなぅ……の、どこかに、だ、れ? わた、わたし、ぁたしは……だ、ど、どこ、に?」


 女は死にかけのネズミのように、パニックになっている。

 何か言うべきだと思っているのだろう。しかし、確実な言葉にできないのだろうか。


「キミは、いつ、どこで、生まれたの?」


 今枝のまっすぐな視線に、女は口をブルブルと震わせ、口からは引っ切り無しに嗚咽が漏れ、尿を漏らし、今まで半狂乱に震わせていた手足は静かに停止している。


「上だよ。ここは”3”。キミは上を見なければいけない。

 えび星人は”2”の住人。彼らは認識しなければ、質量のない、ただの幻像にすぎない」


 今枝がそっと女の頭を撫でると、彼女は途端に大人しくなる。

 それどころか、彼女はそのまま立ち上がり、ゴーグルを外してそのまま放り捨て、そしてそのまま普通に歩き始めた。


「邪魔」


 元VRゴーグル女はジュンとレーサンの前に立つと、つっけんどんに2人へ言い放つ。

 2人は少し戸惑いつつも、道を譲り、そして彼女の背中を見送った。


「彼は……」


「今枝」


 レーサンの疑問に、ジュンは即答。

 

「挨拶してくる」


 ジュンがそう言うと、彼は黄色いマスクをかぶり、そして軽くジャンプしたかと思えば、そのまま宙に浮かんで、今枝のいる場所までゆっくりと進んだ。


「よう、普通のヒト」


 黄色い猥褻物。

 イエローペニス。

 エロちんこ。

 

 Gif県を守る最強の猥褻物と呼ばれた男・エレボルは今枝へ気さくに声をかけた。


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