プロローグ
『健? おーい、聞こえてるか?』
「はいはい、聞こえてますよ」
『オッケー、お前の声も聞こえるよ。……ちょっとビル、邪魔すんなっ! ……シットダウン!』
「……」
『今弟と通話中なんだ。ゲットアウト、オーケー? よしよし、聞き分けの良い子だ、グッドボーイ!』
「兄さん?」
『……えっ? 何か言ったか? もしもし?』
「用がないなら切っていい? 俺も暇じゃないんだわ」
『悪い悪い。ファミリーのビル……犬なんだけど、そいつが部屋に入って来て遊ぼうってせがむんだよ』
俺の3歳年上の兄、葛城大和は今年の3月に大学を卒業し、アメリカに本社を置く外資系中の外資系企業に就職した。勤務開始は9月からのため、それまでの5ヶ月間テキサス州の農場にホームステイをしている。
大学に在学中にも留学に行ったりと、グローバル志向の兄だったが、ここまで国際派の人間になるとは思ってもみなかった。
『今日は用があってお前に電話したんだよ』
「電話って言ってもネットの音声通話だけどな」
『いいだろ別にそんなこと。国際電話なんて高過ぎて、緊急の時しかかけられないんだよ』
大和は欧米人さながらのジェスチャーで、肩をすくめて見せる。
「用ってなんだよ。忘れ物なら自分で取りに帰れよ」
『ちげーよ。大学の話、前に俺が入ってたサークルあるだろ?』
「サークル? 何だっけ、ESSだっけ?」
俺が鼻を鳴らしながらヘッドセットを付け直すと、大和は首を横に振った。
『そっちじゃなくて、インターナショナル・エクスチェンジ・サークル。国際交流サークルの方』
「ああー」
そんなのに入ってた気もする。まあ知らんけど。
『そのサークルがさ、去年で日本人の学生が全員卒業しちゃったぽくてさ』
「おお」
『でも毎年必ず日本人が1人は在籍してないといけないって決まってんのよ』
「へぇー。あ、やべ……アイテム満杯かよ」
『健? ゲームしてるだろ?』
くそ、バレたか。
俺は隠れてやっていた(つもりの)PCゲームのウィンドウを閉じ、大人しく椅子に座り直す。
『そこでお前に頼みたいんだけど、そのサークルに入ってくんね?』
「はぁー? やだよ……」
『頼むよ、この通り! 今度カウボーイハット送るから! な?』
「いらねえってそんなの!」
『カッコいいぞ、カウボーイハット。大学に被って行ったら人気者だぞ?』
別の意味で一生の人気者だよ、と心の中でツッコミを入れつつ、俺はあからさまに嫌な顔をして見せる。
しかしそれを忖度できないのが兄という人間である。たとえ口ではっきり物を言ったとしても、そこに合理性がなければ認めようとはしない。
『な? とりあえず見学にだけでも行ってくれよ。いいだろ?』
「だから嫌だって……」
するとその時、マイクの先で兄のことを呼ぶ声が聞こえた。
『そんなこと言わずにさぁー……あ、すまない健、おばさんが呼んでるから行かなきゃ』
「おい、ちょっと待てって!」
『じゃあそういうことで、サークル加入お願いな〜』
大和が椅子から立ち上がると同時に一方的に通話は切断され、程なくして「Yamato Katsuragi」のアカウントはオフラインになる。
「ったく、面倒くせぇな……」
俺はゲームを続行する気も失せてしまい、パソコンの電源を切ると、そのまま自室のベッドで横になった。