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東京銀世界  作者: 温泉街
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プロシアの憂鬱

 眼下に雪をいただく山が見えた。おそらくあれが中部地方の最も西に位置する北アルプスと言われているものだろう。ヨーロッパのアルプスに比べればなんと矮小でいびつな山々だろう。操縦棹を握りながら、フランツ・アドラーはそんなことを考えていた。目標となる南勢工廠まではあと500キロほどだ。亜庭島の飛行場を離陸してからかれこれ4時間になるだろうか。さすがに疲れてきた。

 「ジェット機ならすぐなんですけどね」

 フランツの疲労を察したように、隣に座っている副操縦士のフェリクス・ベルム少佐が声をかけてきた。いま彼らが操縦しているのは4発の重爆撃機だ。

 「いや、あれはまだ公に使うときじゃないな」

 フランツが苦笑する。ヘルシンキ会議で禁止されていたものの、そんなものを端から守る気のなかったプロシア軍はジェット戦闘機や誘導弾の製造を続けていたが、東北を完全に陥落させてから戦線に投入するとのことだった。それでも、長距離爆撃機や戦闘機には小型の空対空誘導弾や自動照準の機関砲が備え付けられていた。

 「しかしまさか俺たちが駆り出されるとは思わなかったよ・・・」 フランツがため息をついた。

 「それ私もずっと気になっていたんです。なんで精鋭の第一旅団じゃなくて我々第四旅団なんでしょうかね。やっぱり・・・」

 フェリクスが言い淀む。

 「ああ。精鋭を無駄に死なせたくないんだろ」 フランツが吐き捨てた。操縦席に重い空気が垂れこめる。

 「とりあえず、俺たちの出番は日本が降伏するまでだ」

 フランツは乱暴な言葉を発しながらも、内心は弱気だった。はるばるヨーロッパからなぜこのような極東の小国を侵略する必要があるのか、皆目見当がつかなかった。昨年娘が生まれた妻のマリアと家族のためにも今はできるだけ本国を離れたくなかったし、当たり前の話だが、彼は戦争が嫌いだった。フランツはプロシアを守りたいと思ったから空軍に入った。かつてソ連に蹂躙されていたときのような屈辱を、二度と国民に味わわせないために戦おうと思った。それが極東の小国を侵略し、今現在は日本のミエ県とかいうところにあるナンセイ工廠を爆撃せよとの命で操縦棹を握っている。フランツとフェリックスの所属する第四旅団の駐留任期は来年の2月までだ。それまであと8カ月もあった。

 妻のマリアはフランツの仕事熱心さを心配している節があったし、彼の寡黙さも見かねて常々「誰か同僚か友達でもうちに読んだら?」などと言っていた。フランツの勤務態度は極めて真面目であったし、夜もふらふら遊ぶということはなく、仕事が終わるとまっすぐ帰宅していた。それが家族のためだと思っていたし、第一娯楽などに使う余計な金は持ち合わせていない。

 「なあ、少佐もケーニヒスベルグの出身だったよな? それで確か独身だ」

 フランツは隣で寒そうに肩をすくめているフェリックスに尋ねた。彼は少し眉をひそめた。

 「ええ、そうです。よく知ってますね。・・・あれ、そういえば中佐もケーニヒスベルグでしたよね?」

 「うん。・・・・この仕事が終わったら、うちに飯でも食いにこないか? マリアの料理の腕はなかなかのもんだぜ」

 フランツは数分前までは考えてもいなかったことを口走っていたが、これは名案だと思った。きっとマリアは喜ぶだろうし、安心するに違いなかった。

 フェリックスは「楽しみにしてます」と微笑を浮かべた。もちろん「生きて帰れたらですが」と笑いながら付け加えるのも忘れなかった。



 「1368年、朱元璋が明を建国し、洪武帝を名乗り・・・」

 私は世界史の山下のやる気のない声を聞きながらも、ノートはしっかりとっていた。世界史はもともと好きであったし、覚えれば点数が上がるいいカモだ。落とす手はない。先ほどの英語の時間に騒ぎまくっていた西田は机に突っ伏して寝ていた。こいつは推薦で適当な大学に入るのだろう。

 私はペンを置き、窓の外に目をやった。ゴールデンウィークも終わり、そろそろ学園最寄駅の植え込みのツツジが咲き始める季節だ。先月までは教室を埋めていた制服の紺色は、いまや合服や夏服の白色に押されつつあった。今日は予報では今年初めての夏日らしく、生徒たちは専ら夏服であった。暑さに弱い私もこの時期にはまだ珍しい開襟シャツである。

 先月下旬、プロシア軍は北海道を制圧した。各地の日本軍基地では激しい戦闘があり、両軍とも死傷者が続出した。襟裳岬に近い浦河基地は、プロシア軍の戦艦と巡洋艦によって艦砲射撃で無力化され、札幌に近い江別基地は 空爆により使用不能となった。2011年に締結されたヘルシンキ軍縮条約はかなり大規模かつ本格的なもので、軍用機のジェットエンジン搭載、ロケット兵器の使用が禁止となった。おかげで軍事技術は大戦前に逆戻りし、一昨年在日米軍が完全に撤退した日本も、艦載戦闘機や4発爆撃機などの製造を開始した。それはもちろん、プロシア軍も同じことだったが、日本軍を制圧することなど赤子の手をひねるようなものだろう。

 私は考え事を中断し、教壇でしゃべり続ける山下を眺めた。この教師は急に生徒のウケ狙いに走るから気に入らない。話を広げやすいからなのか、西田や広野、4組の石田などがよく指名される。まれに和紀も当たることがあるので、そのせいか授業も遅れ気味だ。3年の5月で朱元璋はありえない。2学期の終わりまでに冷戦終結に漕ぎつけるのは至難の業だ。当てるならあんなアホ共じゃなくて、世界史マスターの私に聞くがいい。そんなことを考えながら山下を睨みつけていると、目があった。

 「えーじゃあ次のカッコを・・・涼波」

 どうやら出席番号順で指名されていたらしい。いきなり私が指されることはあり得ない。  「・・・え・・・あ!」

 私は急に指されて、慌ててプリントに目を落とした。

 「ごめん、どこだっけ?」

 隣に座っている4組の女子に問題を聞いて、「魚鱗図冊」と答えようとした刹那、すさまじい轟音が教室一帯に響き渡り、窓ガラスがビリビリと震えた。何人かの女子生徒がけたたましい悲鳴をあげ、首を縮める。続いて航空機のレシプロエンジンの音が小さく聞こえた。

 「おい、あれ・・・・」

 和紀が目を見開き、窓の外を指さした。丘の上に立つこの高校から、港の方はよく見える。晴れ渡った空には、およそ似つかわしくない黒煙と火を吹いているのは南勢工廠だ。そのはるか上を、プロシアの長距離爆撃機が高度を上げ、編隊を組んで悠然と飛び去っていく。時折高射砲の音らしきものも聞こえるが、高度数千メートルを飛んでいる爆撃機には掠りもしないようだった。

 「落ち着け! ここがやられてるわけじゃない!」

 山下が良く通る声を張り上げ、生徒たちをいさめる。なんだ、やればできるじゃないか。私は一瞬だけそんなことを思ったが、いまはそれどころではない。あの爆撃の下ではいま、何人もの人が恐怖にかられて逃げ惑っているに違いなかった。

 「これが“自衛”かよ・・・・」 私は奥歯をかみしめると、北の方角へ遠ざかっていくプロシア軍機を睨みつけた。




 何十分も薄暗いベッドの上でうつ伏せて文字を書いていたので、目が疲れてしまった。清水秋雄は目頭を押さえながらベッドの上で胡坐をかいた。巡洋艦の狭い二段ベッドなので、胡坐をかいただけで天井に頭がつかえてしまう。今日は夕方の対空戦闘訓練まで休みが与えられていた。少し外の空気が吸いたくなったので、秋雄は甲板に出てみた。もう見飽きているはずの海も、今日は初夏の陽光をキラキラと反射して格段に美しい。

 秋雄は南勢市の中学を卒業した後、すぐに海軍に入隊した。特別な愛国心を持っていたわけではなかった。彼の父は夭逝し、家は貧しく、食べるものにさえ困ることが多かった。なので彼は義務教育を終えたらすぐに職に就こうと決めていた。父が死んでから女手ひとつで育て上げてくれた母を守りたい、と強く思い、軍に入った。とは言え体力だけには自身のある秋雄は、毎日の訓練に耐えればいいだけで、このご時世に戦争をおっ始めることなどないだろうと思っていた。その矢先、プロシアの侵攻が始まった。北海道と東北がほぼ制圧された今、この軍港もいつ攻撃を受けてもおかしくなかった。

 この街だけは壊されたくなかった。沖合から見る紀伊山地の山々は海のすぐ傍までせり出し、この小さな湾を囲むように形成されている。秋雄はこの寂れた漁港もその傍らに併設されている軍港もひっくるめて好きだった。生まれたときから十数年見続けて来た景色も、沖合から見るのは新鮮だった。今日の訓練が滞りなく終われば、明日朝には上陸許可が降りるだろう。彼の乗務している巡洋艦は第8機動艦隊に属しており、普段は高知の海部軍港に常駐している。しかしプロシア軍の南下が懸念されるため、その護衛で南勢工廠沖に停留していた。なので秋雄にとっては思いがけない帰省となった。

 明日上陸したら家に帰ろう。母は驚くに違いない。その後は夏乃に会いに行くのもいい。運動神経のないあいつは海軍の訓練の話をしただけで眉をひそめる。それが秋雄には面白かった。

 突如、耳障りなサイレン音が甲板に鳴り響いた。秋雄は焦って腕時計を見るが、まだ昼過ぎだ。訝しむ彼はスピーカーからのアナウンスを聞いて愕然とした。俄かに慌ただしくなった艦内を駆け、自分の持ち場である左舷の機銃座へ走った。全長200メートル弱ある巡洋艦は、幾層にも武装が施されて走りづらい。彼は機銃座に飛び込むと、すぐに東の方角へ銃を向けた。乗組員の誰もが今までにない緊張した顔つきになっている。それが訓練ではないことを物語っていた。後部飛行甲板からは警報発令から十分も経たぬうちに水上戦闘機が発艦し、東の空へ飛び去ってゆく。その音が遠ざかっていったあとは、不気味なほどの静寂が辺りを支配した。

 静寂の中、彼の耳が微かな重低音をとらえた。それは他の乗員も同じらしく、彼の隣りに伏せている同僚の斉藤が秋雄の方を見た。「き、来たか・・・・?」と斉藤が言うのと同時に腹を揺さぶる轟音が響き渡った。それが自分が乗っている巡洋艦の対空砲の音だと気づくまで、少し時間がかかった。今まで空砲しか聞いたことがなかった。それが秋雄の頭を揺さぶる。これは戦争なんだ・・・・。隣に座っている斉藤が何か叫んだ。秋雄が我に返ったときには、もう銀色の戦闘機が数百メートルというところまで肉迫していた。慌てて彼は斉藤が方角を合わせた機銃の引き金をひく。ぱぱぱっ、という音と軽すぎる振動が手に伝わり、弾が発射されるが、当たっているか否かなどわかるはずもない。いや、巡洋艦で一番射程距離の短い機銃など当たるほうが珍しい。戦闘機に向かってマシンガンを撃っているのと同じだ。

 引き金を引きながら、秋雄は確かに見た。戦闘機の下に取り付けられていた筒状のものが海に落ち、真っ直ぐな白い筋を海面に引きながら巡洋艦に向かってくるのを。頭上を掠めた戦闘機の翼の下に描かれているプロシアの国旗を。

 その刹那だった。頭蓋骨を内側から殴られたような衝撃と痛みが彼を襲い、爆風で機銃座から吹き飛ばされ、艦橋の根元に頭をひどく打ちつけた。初めて命の危険を感じた。斉藤は・・・・どこへ飛ばされたんだ・・・・。辺りを見渡すと、鉄片が胸に突き刺さっている斉藤の姿があった。秋雄は息を呑む。今の彼の思考では、友人の死を悲しむことができなかった。戦わなければ・・・やらなければこっちがやられる・・・・。秋雄は這って機銃座に戻り、再び真っ直ぐにこちらに向かってくる銀色の飛翔体に、額から溢れる血を拭い、照準を合わせて引き金をひいた。自分の発射した弾なのか、はたまた対空砲の散弾が命中したのか、戦闘機の下部に取り付けられていた魚雷が発射前に誘爆し、機体がばらばらに吹き飛んだ。数キロ先にある軍港からも黒い煙が上がっている。街も攻撃を受けているだろうか・・・。夏乃は・・・。彼は半ば夢ともうつつともつかなくなった頭で考えた。霞む目を細めながら、再び機銃のグリップを握る。耳をつんざくような大きな爆発音が轟いた。数百メートル離れたところに停泊していた駆逐艦が真っ二つに折れ、あっという間に沈んでいく。着底した戦艦に爆弾や魚雷が雨のように叩きつけられ、砲塔が誘爆を起こす。海に飛び込んだ海兵たちにプロシア軍機が機銃掃射を浴びせる。水柱が規則正しく2列に並んだ。

 弾雨の中を巡洋艦に向かって突っ込んで来た小型爆撃機の右翼が根元から吹き飛び、海に落ちる。歓喜の声を上げる間もなかった。彼は見ただろうか。遥か上空から急降下してくる戦闘機と、そこから切り離された楕円形をした鉄の塊を。それが艦橋を直撃すると、主砲に詰まっていた弾薬が誘爆を起こした。秋雄は顔がちぎれるような爆風を浴びながら、最後に母に宛てた書きかけの手紙のことを思った。

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