表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

第一話

むかし、人は空を飛べたという。少なくとも、このあたりの島々には、そんな伝説が残っている。彼らは大陸の山々から降りてきて、海辺に暮らす人々に農業を教え、さまざまな文化や文字、礼儀作法を伝えた。しかしこの地の居心地がいいので、ついに山に帰ることを忘れ、人々とともに暮らすうち、飛び方を忘れてしまった、と。

実際、飛べたらいいなあ、と、ラコヤは思う。海に漂いながら空を見上げていると、海鳥たちが陣を組んで優雅に羽ばたきながら上空を舞うように旋回していた。きっと風に乗るのは、海を泳ぐよりも気持ちのいいことにちがいない。上空から見た海原もきっと雄大できれいなものだろう。ひっくり返って海底を眺めると、一転、海底は真昼間だというのに漆黒の闇に包まれている。鮮やかな珊瑚畑が広がる遠浅の海から少し進んだだけなのに、その濃紺の淵はいったいどれくらい深いのだろう。深すぎて底が見えないので、さっきまで感じていた落ちそうだという恐怖感すら実感がわかない。

あれ、へんだなあ。

そういえば、真下にあったはずのほとんど垂直にみえる崖っぷちが見当たらない。前後左右、下はすべて真っ暗だ。

そのときになって、ようやく彼女は自分の置かれた状況に思い至った。

もしかして、流されてる!?

そんなはずはない。経験からすると、このあたりの潮の流れは安全のはず。

耳の奥に、最近学校で先生に言われた言葉がこだました。

『最近は潮の流れが変わりやすいので、海に遊びに行くときはくれぐれも注意するように。』

そう考えると、緊張のせいか急に息が苦しくなってくる。

立ち泳ぎをして、周囲を見渡すと、小さく彼方に島影が見えた。

絶望的だ。とても今の体力であそこまでたどりつける自信はない。そのうえ今もたぶん流され続けているのだ。周囲に岩礁のような固定した目印がないので実感がわかないけれども。

慌てればそれだけ余計に息苦しさが増すだけ、今はとにかく、慎重に潮を抜けることを目指さなければ。

と自分に言い聞かせたものの、実際にできるのは方向もわからずがむしゃらに泳ぐことだけ、いったいどれくらい泳げば抜け出せるのかも予測できないし、実際に抜け出せたとしてもそれが自覚できるとさえ思われない。

必死で泳ぐにつけ、心の中に疲労感と虚脱感とが広がっていくのを感じた。

同時に、こういうときは力を抜いて運を神々に委ねた方がいいというアシア姐の言葉が頭に響く。

 どれほどたっただろう、海中を漂っていたラコヤの眼に,不思議な光景が映し出された。彼女の暮らす村の人は海中で長時間眼を開けていても痛くなることはない。

 最初はそれをただの岩の丘だと思った。海底にも山があり、その山頂が深遠の暗闇から突き出して見えることがある。けれども,その頂上は平らで、自然には決してできそうもない綺麗な円形をしており,真ん中に大きな円形の建物らしきものが見える。周囲にも大なり小なりの建物らしき構造があり、それらは巨大な建物を中心に放射状に広がっていた。

 町だ。海底に町がある。

それもラコヤがかつて見たこともないような規模だった。

 一旦海上に顔を出して,大きく息を吸い込むと,彼女たち種族に特有な指の間の大きな水掻きを広げ,海へ深く深く潜って行った。

 円形の都市。その周囲には崩れかけた低い壁の跡もある。大きな町にはあるという城壁の跡だろう。

 中心にある円い建物は大きな台に似て,幾つもの四角い柱が薄くて広い岩の天井を支えていた。建物の端をぐるりと回る列柱の他に,中心に一本の太い柱があり,その近くの天井が一部崩れ落ちていて,海面越しの日光が建物の床に差し込んでいる。その明るくなった床の一部が影になっていて,最初は何か光を遮る物体が上にあるのかと思ったが,よく見ればそこは影っているのではなく,円い穴になっているのだった。

それは井戸のようにも見える。

近づいて確かめようかと思ったが,やめた。円天井の下の暗がりは気味が悪いし,建物全体から何とも威圧的な雰囲気が伝わってきて,侵入者を拒むように感じられたのだ。

振り返って周囲の建物を少し探索することにする。建物はどれも半分くらいまで海底の土に埋もれていた。大昔に海底に沈んだ町だろうか。そうとしか考えられない。

いくつか古い話を聞いていた。竜神さまの怒りに触れ,一瞬の内に海底に沈められたという古代の町。ここがそうだとすると,自分はとんでもない場所に立ち入ってしまったことになる。竜神さまに見放された土地は,悪鬼や邪神の徘徊する所となるのだ。

しかし同時に、ある期待も胸の中に芽生えた、昔この辺りの海を荒らしまわった海賊の伝説だ。彼らはこの近海はおろか広く世界じゅうの七つの海を制覇し、各地の人々を恐れさせつつ、『世界の宝の半分』をその手中に収めていたという。そして、あるとき、その財宝の全てをどこかの島の洞窟の奥に隠したと伝えられていた。

しかし、いくら大海原を我が家とする海賊でも,海底に財宝は隠すまい。でも,もし海賊が自分と同じ海の民だったらどうだろう。大陸の民は長く海に潜れず,泳ぎも下手だというが,海の民の大人ならそんなことはない。財宝も,金とか白金は水中でも朽ちないと聞いている。

財宝はどこかの洞窟に隠したという。洞窟・・・穴。

もしかして,さっきの井戸のような穴だろうか。

何ら根拠があるわけではないけれど,確かめてみる価値はある。

彼は再び円形の建物のもとに泳いで行った。下から見るとますます威容である。

と同時に,自分の息が苦しくなってきていることにも気づいた。考えてみれば,自分はずいぶん長いこと息継ぎせずに海に潜っている。そうか,知らない間に自分は成長したらしい。こんなに長いこと海に潜っていられるものなのか。

 ラコヤは自分が海の民であることを初めて実感した。彼女の暮らす島の人を始め,アーゲ大陸の東にある大洋の島々に暮らす人々は海の民と呼ばれる。大陸から新たに来た人々は別として,島々に昔から土着の小柄な人々は大陸の人からは信じられないほど長時間海に潜ることができ,扁平な足と大きな水掻きのある手を使って海中を自在に泳ぎ回ることもできる。

 けれども子供のときからそうした力があるわけではなく,常に海に触れ,訓練を積みながら,成長するに連れ次第に海の民の能力を獲得していくのだ。

・・・とりあえず,海面に出て息継ぎをしよう。

ラコヤは海底の地を蹴って浮上した。海面まで3分の1あたりまで来たとき,どこからともなく低い威圧的な声が轟いた。

(きさまは何者だ。何の目的でここへ来た。)

恐れおののいてラコヤは周囲を見渡したが,声の主はどこにも見当たらない。

しかし強力な,おぞましい気配だけがあった。

(さてはきさまもまた,己の醜い欲望のために,死者の眠りを妨げ,古の封じられし知識を盗み出そうというのだな。)

・・・ち,違う。

叫び出したくなったが,いくら海の民とはいえ,海中で言葉を発することはできない。そのかわりにジェスチャーが発達している。

この場合、ラコヤは,胸の前で両腕を大きく交差させ,強い否定を表す形を作った。

(違う,とな。よくもぬけぬけと嘘を吐くものだ。ではなぜこのような海の底に捨て置かれた町にわざわざやってくるのかね。野心があるとしか思えまい。)

 やはりどこかから見られている。目を真っ赤にして探すが、なにも見つからない。けれど、視界の端があの建物の高い柱の間から出てきたモノを捉えていた。

全長は優にティルクの五倍に達するかもしれない。赤い蝦を扁平にしたような胴体両脇には何対もの鰭が並んでおり,それを波打つように連動させることで前進する。頭部には黒い大きな一対の眼。しかし何といっても特徴的なのは,その両目の中間の少し下から伸びる太くて長い管状のものだろう。その先端は上下に鋭い歯の並んだ口のような構造になっている。その部分は鋏と呼ばれ,歯には猛毒があるのだと聞いたことがある。一噛みやられれば何であれ立ちどころに死に,獲物を噛み砕いて管のすぐ下にある本当の口へと運ぶ。鮫すらも恐れるという獰猛でグロテスクな海の怪物。

・・・オパーブ

 そしてそのオパーブはゆっくりと向きを変え,真っ直ぐラコヤの方に向かって来たのだった。逃げ出そうとしても、腰が抜けたように体が固まって動けない。

もう,お仕舞いだ。毒は苦しいだろうか。姐さん,ごめんなさい。

ティルクはそのまま意識を失った。最後にオパーブの後ろに不思議なものを見た気がした。

あれは魚の一種だろうか。それとも黄泉からの使いだろうか。


初めまして、興味を持っていただけたら今後もお付き合いください。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ