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2.冬の女王

 <季節の塔>の中はとてもひっそりとしています。

 塔の最上部に一室だけある部屋には華美な装飾品や嗜好品はほとんどなく、必要最低限の家具が備えられているだけです。そこに女性二人分の衣類や必需品、時間を過ごすための本や簡易のチェス盤などが彼女たちによって持ち込まれますが、どの季節もさほど量は多くありません。今の女王たちはまだ若く庶民の心持ちを捨ててはいないからでしょう。円形の床には厚みのある柔らかな絨毯が広がっているばかりです。


 ふたりで過ごすには広すぎる部屋に佇む女性がいます。部屋をぐるりと囲む窓のひとつから、ひとりきり空を見上げています。

 その横顔の表情は冬のように静かで、乱雑に結われた青みがかった仄白い髪が一層寒さを鋭利にさせます。降り続く雪を生み出す雲は浅黒く、どうしてそんな場所から美しい結晶が注ぐのだろう、と考えているところです。



 彼女がハイデ、冬を司る女王です。

 雪のように白い肌をしており、細い顎と感情を出さない鋭い眼差しは一見怒っているようにも見えます。けれど何てことはありません、彼女はあまり笑顔を見せないだけで、怒ることはほとんどないのです。いつもの顔が怖いと不便ね、と他の女王から言われたことがありますが、彼女自身は無暗に笑顔を振る舞く必要性を感じないためこのくらいでちょうどいい、と自身の顔を好ましく思っています。


 他の国の者が見ればハイデは女王には見えないでしょう。着心地は良くも安物のシャツに、父親のお下がりのズボンをベルトで留めて、皺の多い白衣を羽織っているのです。

 彼女は女王である前に薬師としての自分を誇りに思っています。それ以外のことは大概興味のないことです。服は決まったものがあれば十分ですし、食事もあまり食べなくても過ごせますが用意をしてくれる侍女がいるので問題はありません。国民のために薬を作ることだけが彼女の喜びと言えるでしょう。



 どうやら誰かが塔に入ってきたようです。扉の閉まる音が聞こえました。

 今日はやけに静かで、白衣がたてる衣擦れの音でさえ大きく聞こえます。ひとりきりだからかと考えてすぐに違うと気が付きました。塔全体を震わせる、外からの音がしないからです。


 塔は入口の扉から一直線に、彼女のいる部屋へと階段が伸びています。階段を上りきれば扉もなく、部屋を見渡すことができるでしょう。そのように筒状に立つ塔は、小鳥が扉を軽くつつくだけで音が駆け抜け、大きくノックをすれば紅茶の水面が揺れるほどです。

 周囲の音は大して聞こえてこないので、扉が薄いのだろうとハイデは思います。そしてここ数日のことを思い出して、息を深く吐きながら目をぐるりと動かしました。


 何度もやって来ては扉を叩き、名前を呼び、好きだと嘘をついた本を朗読し、興味のない曲をバイオリンで延々と弾く。しつこくて騒々しくて、うんざりしました。相手が誰であるかなど分かりきっています。うるさい、と叫んでやりたい気持ちも何度か込み上げてきましたが、それでも出ていけば塔を追い出されることも分かっていたのでぐっと堪えて、侍女も巻き込んで息を潜めていました。今はこの塔を出ないことがハイデにとって何より大切なことだからです。


 冬の湖に漂うような静けさを好むハイデにとって、それを壊されるのは苦痛でした。

 時間はありあまるほどあるので新しい薬の調合を始めていましたが、もうすぐ完成しそうだという頃に邪魔をされ、それからは何度試しても思うような効果が出せずにいます。頭にきて、書き留めていた紙は破り捨ててしまいました。

 あの男のせいだ、いつもわたしの邪魔ばかりして。ハイデは窓から見える城に向けてそう毒づきます。あれは王の器ではないだろうとまで考えて、それはむしろ自分の方だと握った拳の柔らかいところで額を三度、叩くのでした。



 少しして階段からの音がやむと、濃い灰色のショールを口元深くまで巻き付けたひとりの人が入ってきました。同じ色の足元まで隠れる大きなコートに、黒いブーツを身に付けています。目元も黒く長い前髪で隠れていてその顔を見ることはできません。街で出会えば避けて歩くような出で立ちのその人に、ハイデは小さな笑みを浮かべて自分から近づいていきました。


「おかえり。問題なかった?」

「街の人に気付かれなかったかという意味の問いであれば」


 皮肉めいた声色で答えると、その人はショールを取り去りコートを脱ぎました。背中まであるうねりの強い黒髪は素早い動きできっちりと結い上げられ、明白になった顔に眼鏡をかけると、ハイデにとって見慣れた姿が完成しました。


 彼女はハイデに仕える侍女カメリアです。<季節の塔>の扉を開けられるのは女王のみですが、それぞれの女王の世話係として共に入った侍女は自由に出入りすることができるのです。そしてカメリアは冬の街に行って帰ってきたところのようです。


「もうほとんど外を出歩いている人がいませんから。体力を使わないよう部屋の中でじっとしている方がいいと考えたのでしょう」

「賢明ね」

「……本当に必要で賢明な決断を怠っている人が何を言うのですか」


 カメリアは主に対して苛立ちを隠そうともしません、むしろあえてそうした態度をとっているようです。ハイデもそれを慣れたことと聞き流しています。


 ふたりは元々、育ての親と子に似た関係でした。

 ハイデの父親はハイデと同じく薬師をしていた人で、母親は病気を患っていました。父親が妻のための薬づくりに没頭するあまり子供の世話がしてやれないからと、身の回りの世話や読み書きを教えるようお願いしたのが、母親の友人であったカメリアでした。結局薬が完成する前に母親は床に伏し、父親も日頃の無理がたたったのかその後すぐに亡くなってしまいました。それからは孤児となったハイデをカメリアがずっと支えてきたのです。ふたりの間にある妙な気安さはそれが理由でした。


 

 カメリアはハイデの前まで進み出ると、脇に置いていた使い古して擦り切れた革の鞄を差し出しました。ハイデが受け取り鞄を開けると、数種類の薬草が小分けされた袋が出てきました。


「ありがとう。保管薬で減っているものがあったから作っておきたくて」


 ハイデの言葉を聞いて、カメリアは複雑な表情を浮かべます。


「まったく、薬や国民のことを考える気持ちがあるのなら、いつまでもこんな所に閉じ籠っているべきではないでしょう」

「それは正論よ、認めるわ。でもわたしにも譲れないものがあるの」

「でしょうね。貴女は子供の頃から頑固ですから」


 肩を竦めたカメリアは思います、せめて理由を教えてくれたらいいのに、と。話せないのは自分だからなのか、それとも誰にも言えないことなのか。どうせなら後者であってほしいとも思っています。

 理由が分からない以上、塔を出て春の女王と交替するべきと言って聞かせています。それでもやすやすと引き下がってしまうのは、彼女を信頼しているからです。ふざけた理由からではなくこの行為がきちんと意味のあるものなのだろうと信じているのです。それは、そうであってほしいという願望にも近いのかもしれません。

 


 個人的な感情を頭の中から追い出すと、カメリアは言います。


「そういえば文が来ていましたよ。二通……王名義のものと、城の名入りのものですね」


 ハイデにその声はもちろん聞こえていましたが、薬草を扱う手を止めようとしません。重厚なテーブルの上にはすでに緑が広がっています。

 カメリアの方も答えの想像がついていながら、王からの文を読みましょうか、と尋ねます。案の定、いらない、と返って来ました。


「私が読むのを聞くくらい、いいでしょうに」

「嫌よ。どうせあれでしょ、長ったらしくこちらを気遣うような言葉が続いて、最後の一行に『塔から出る準備は進んでいるか?』って書いてあるんでしょ。送り届ける馬の準備はできているから、とかなんとか」


 面倒だから聞きたくない、と珍しく子供っぽい文句を垂れるのを、お気の毒にと思いながらカメリアは聞いています。


 それは王のことです。今までハイデ宛に塔に届いた文はすべて確認しています。ハイデが読んだのは最初の一通きりでしたが、王からの直々の文を読まないまま引き出しに仕舞うわけにはいかない、と代わりにカメリアが目を通しています。今回も封を切ると、流れるような筆跡に目を走らせます。

 どの文も一通として同じものはありません。優しさの滲む素敵な文です。塔から出ていかせることだけを考えた義務的なものではなく、心の底からその身を案じていることが伝わってくるのです。今日の文には「顔が見たい」と一度書いて消した後が見受けられました。王であることは抜きにして、若い男性の思いが伝わらないというのは何とも気の毒です。少しでもハイデの目に留まるようベッドの枕元に文をそっと置くのでした。


 今日は珍しく城からもう一通届けられています。城名義、ということは国に関わることでしょうか。塔に居座る女王にしびれを切らせたのかもしれません。胸が少しぞわりとして急いで読んでいきます。

 そしてゆっくりと椅子に腰掛けると、熱心に薬草をすり潰しているハイデのつむじを見ながら声をかけました。


「国にお触れが出たようですよ」

「何の?」

「冬の女王を春の女王と交替させた者には褒美を取らせると。季節が廻ることを妨げない仕方であればどんな方法でもいい、ということのようです」


 ハイデはカメリアの方を見ることもなくただ、そう、とだけ呟きました。思わずカメリアが言います。


「よいのですか、このままで?」

「決めたことだから。一度決めたことは完遂するまでやり通せ……父の言葉はいつだって正しいわ」


 どのくらい鮮明に覚えているかというと、それはとても薄ぼんやりとしたものです。疲れの隠しきれない笑顔が思い出されるばかりですが、その言葉は自身でも意外なほど強く心に刻まれています。


『正しいと信じて決めたことは、最後まで意志を曲げてはいけない。結果がどうなろうと目的地まで走ることをやめるな』


 母のための薬づくりを決して諦めなかった父の姿はハイデの目標です。遺された言葉は守りたいと思います。

 ハイデはふと、この目的地はどこだろうと考えます。そしてひとつの風景を思い浮かべて、すり鉢に笑みを落とします。


 この想像が現実になるなら、わたしはこの塔を住まいとしよう。食料はあの男が他国から買い付けているようだし、何とかなるだろう。この国の冬は他の季節に比べて病も少ない。寒さにさえ耐えられればすべてが害とはならないはず。国民が私を嫌おうと、どうでもいいことだ――――。


 カメリアの立ち上がる気配に、ハイデは顔を上げました。


「食事にしましょう」

「特にお腹は空いてないけど」

「これからどんなことが起こるか分かりませんから」


 食べられる時に食べておかなくては。そう言いながらカメリアはすでにワンピースの袖を捲り上げています。どうやら気合いが入っているようです。

 それが不思議で、ハイデは部屋を横断するカメリアを見つめています。すると視線に気づいた彼女が足を止めて振り返りました。


「勘違いしないように」

「勘違い?」

「私は今この瞬間も、貴女が冬の街に帰ると言いだしてくれるのを待っています。王の許しを受けて侍女という立場を賜っている以上、私は王と国に仕える従事者ですので」


 それならどうしてハイデを説得しないのでしょうか。疑問を示すハイデの瞳を見つめながら、彼女にしか分からないような変化でカメリアは微笑みました。


「でも私は侍女である前に、貴女の家族ですから」


 カメリアが腕まくりを続けながらキッチンスペースへと下がります。遠くなる細身の背中がいつもより逞しく見えました。


 

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