( 受入準備 )
外縁都市クラムブリンでの傭兵騒動から数日後、注文していた調度品が搬入されるとあり、カオリは今日もステラを伴って支店予定物件へと足を運んでいた。
以前は違法な商売に手を染めていた商会が利用していたとあって、強度や最低限の居住性には元々問題のなかった建物ではあるものの、流石にそのまま利用するにはいささか外聞が悪いがために、内装および外装はもとい、調度品の類も一新したのだった。
こういった改修工事はなにもここが異世界だからではなく、地球の各国でもよく見られる風習であるために、カオリも納得している。しかしそのために調度品を全て一から揃え直さなければならず。高額な出費とならざるをえなかったことへは、やや憮然としてしまったが、改修工事自体は、全額王家が出費してくれたので、文句の言えようはずもない。
それはそれとして、朝から始まった搬入作業も、無事昼を跨ぐころには完了し、細かな配置に関しては、いっそ受け入れ予定の元貧民達自身に手伝わせる方が効率的であろうと、今はただ各部屋に分配しただけである。
扉を施錠し、シンの使役する【シキグモ】や【シキガラス】などの式神達が密かに監視していることも確認すれば、後は春の本格始動までは無人であれども、空き巣や不法滞在者の心配もないので、冬の間に出来ることはもうないだろう。
「ステラさん、いちおうご近所さんの散歩をしてもいいですか? いざという時のために逃走経路とかの地理を把握しておきたいので」
「かしこまりました。ですがビアンカ様は同伴されますか? 今や警邏も行き届いてはおりますし、多少は人の目もあるかと思いますが、それでも元は貧民街ですので」
カオリの提案に、ステラは立場ゆえからの確認を向けるものの、カオリは当然のように首を振る。
「ビアンカさんにはいっそ屋敷に帰ってもらおうかと、貴族街からここまで、別に大した距離ではありませんし、時間的にロゼのお迎えを優先してほしいかなって、ステラさんは歩くの大丈夫ですか?」
おおよそ屋敷住まいのお嬢様とは言えない発言ながら、そこはカオリである。冒険者として一日中を歩き通しでも苦に感じない程度には強靭な彼女にとって、よく整備された都市の道を、四半刻ほど歩いて帰るくらいはお出かけにしても足りない距離だ。
そのためのステラへの質問だが、彼女も日々侍女仕事で屋敷中を歩き回る仕事柄、多少の散歩で足を痛めるほどやわではないと、静かな笑みと黙礼で応える。
「それにしても勿体ないですね~、事情があったとはいえ、元はお金をかけて作った立派な市街だったのに、長年放置したらこれだけ荒れちゃうんですね」
歩を進めながら向ける視線の先には、歪んだ石畳から逞しく伸びる雑草が目立ち、崩れた擁壁にも苔が生え、空を隠す家々の壁も、漆喰が剥がれ落ち蔓植物が覆っている。
ここだけを切り取って見れば、亡国と錯覚しても不思議ではない荒れ具合に、カオリは嘆息し、視線を周囲に巡らせながらも、足元の小石をわずかな重心移動で躱して歩く。
「旧貧民街が今の状態になったのは、およそ八十年前、つまり帝国王国間戦争が本格化しだしたころだと聞き及んでおります。当時はまだ軍の厚生が整備されておらず。負傷から帰還し働けなくなった元兵、また未亡人や戦災孤児が爆発的に増加したのが発端だと」
カオリの呟きに的確な解説を返すステラに、カオリはなるほどと大きくうなずく。
「お国のために戦って怪我を負ったのになにもしてくれないんじゃあ、居場所を失って当然ですね。ご遺族も大黒柱を戦争にとられちゃって、仕方なく違法な仕事に手を染めるしかなかった人もいたかもですね。根が深いな~……」
同じ国、同じ都市に暮らす民の中でも、格差が生じるのにはそれ相応の事情と、歴史的な転換点があるものだと、カオリは漠然と理解する。
貧民街に徴税官や警邏が容易に近づけなくなった背景には、彼ら生活困窮者らへの同情の念もあったのかもしれない、もちろん多少手足が不自由になろうとも、元は武器をもち戦う兵士だったもの達もいたのだから、身の危険を感じて避けていたのも間違いではなかっただろうが。
「私の家は代々アルトバイエ家にお仕えしておりましたので、生まれも育ちもバイエ領です。よって祖父母もそこまで旧貧民街には詳しくはなかったそうですが、それでも当時から無秩序に闇市が立ち、違法な増改築で迷いやすい危険な場所だったとか、よもや今生の内に王都から貧民街が一掃されるなど夢にも思わず。非常に感慨深く感じております」
日頃物静かな印象が強いステラにしては、やや言葉が多く感じられたために、カオリは振り返って彼女の表情を改めてみれば、そこにわずかな感謝の念を感じ取り、小さく肩をすくめた。
(……別にそんなつもりじゃないけどね~)
視線を前に戻し、静かに追従するステラの気配に、カオリは若干の気恥ずかしさを感じつつ、当初の予定通り、街の観察を続ける。
とくに注意するのは、支店予定物件から屋敷までの逃走に利用出来そうな経路である。
これを把握しているのとしていないのとでは、いざという時の行動が大きく左右されるだろう。当然カオリとカオリの関係者を脅かす存在が、国の軍や騎士団なのか、貴族の私兵なのか、はたまた犯罪組織なのかによっても対応は大きく変わって来ることも予想される。
逆に、カオリ達が追う側としても、周辺地理を把握することは重要である。死角に入り込まれたからといって、即座に見失ってしまうようでは、面倒極まりないのだから。
ただし今に限っていえば、再開発に向けた計画の影響により、軍の警邏隊や王都守護騎士団の目も厳しく、また改装や建て替えなどで動員された屈強な職人や日雇い労働者も多く出入りしているため、あからさまに怪しい風体の輩も、安易に近寄れない場所であるのだろうと、ステラの緊張度合いからカオリは推し量る。
しばらく無言で歩けば、大きな環状交差点に行きついた。
もとは活気のある中央通りだったのだろうが、今や石畳のほとんどが剥がれ、剥き出しの地面はぬかるみになり、不用意に馬車を進めれば最悪横転しかねない有様だ。
とくに目につくのは交差点中央の円形噴水なのだが、永らく手入れもされず、どこかで水の流れが滞ってしまったのか、水も枯れたただの物言わぬ彫像と化してしまっているのが、どこまでも哀愁を感じさせる。
だがそんな噴水を象徴する水の貴婦人を象った彫像を、懸命に登ろうとする老人の姿を目にし、カオリはやや目を見開く。
彫像の表面は長く雨風に晒されたことで削れて滑らかだ、また苔が多く非常に滑りやすいのも見て取れる。
「おおっとやばい」
そう声に出した瞬間には、件の人物は片足を滑らせ、今にも落下し始めたのを捉え、カオリは卓越した身体能力を遺憾なく発揮し、あわや衝突というすんでのところで、老人を横抱きに受け止めたのだった。
「おおっ、おお?」
「大丈夫ですか~? 危ないですよ~」
落下からの衝突を覚悟した老人であったが、思ったよりも柔らかく着地したことに、驚きから瞑ってしまった目を恐る恐る開ける。
「やや、これは、まさか受け止めてくれたのかい?」
「はい、大丈夫そうですね~、よかったです」
「カオリ様、それにご主人も、お怪我はございませんか?」
カオリの安否を確認するのは職責上当然であるものの、ステラの視線が主に老人に注がれていたことから、彼女がカオリを一切心配していないことがわかり、カオリは苦笑する。
噴水の縁にそっと老人を降ろし、ざっと観察する限りでは、とくに今の衝撃によって身体のどこかを痛めたようには見えないため、カオリは小さく息を吐き、かわりに老人が登ろうとしていた彫像に顔を向ける。
「いやはやお嬢様方には心配をかけてしまったな、危ないところを助けてもらってありがとう」
腰を落ち着けてようやく危機感が募ったのか、今になって呼吸を整える老人に、カオリは質問をする。
「こんな滑りやすい彫像なんかに登って、なにか気になることでもありましたか? なんならかわりに見ますけど?」
親切心というよりも、好奇心が勝ったカオリの質問に、老人は一瞬呆けたものの、闊達に笑って見せる。
「いいやそれには及ばんよ、どうせ見ても原因などわからんだろうし、どうにか出来たところで、排水口も詰まっているこの噴水では、水が溢れてしまうじゃろうしのう」
その返答により、老人が噴水そのものに気をかけていたことが伺え、カオリは首をかしげる。
そこへ意外にもステラが発言する。
「恐れながら、もしやプラスタラ前伯爵当主様ではありませんか?」
「おお、私のことを知っているとは、若いのに随分と物知りなお嬢さんだ。いかにも私はロドリーゴ・プラスタラだ。前伯爵などとは言うが、今はただの隠居老人でな、気軽にジジイとでも呼んでおくれ」
ステラに名を言い当てられたことに気をよくし、悪い冗談のように呼び名を告げられ、カオリとステラは思わず曖昧な笑みを浮かべる。
「申し遅れました。私は冒険者ササキの後見を受ける。冒険者ミヤモト・カオリです。僭越ながら前伯爵閣下のことは、ロドリーゴ様とお呼びしますので、私のこともカオリと名前でお呼びいただければ」
「私はロゼッタ・アルトバイエにお仕えする従者、ステラ・オーババイエと申します」
正式に名乗られたからには名乗り返さねばならぬと二人共に頭を下げるのに、ロドリーゴは優し気な笑みを向ける。
「そうか、君が……、この度は貧民街の一斉摘発に貢献してくれたこと、王国貴族の一員として心から礼をしよう、ありがとうカオリ嬢、それとアルトバイエ侯爵令嬢にも感謝の意をお伝えしてくだされステラ嬢」
頭を下げることこそせぬものの、声音や表情に真実感謝の意を湛えたロドリーゴに、カオリは顔を上げて笑顔で応じ、ステラもさらに深々と黙礼を返す。
「では不躾ではありますが……、前伯爵ともあろうお方が、どうして供も連れずにこんな場所へお一人でいらっしゃるのか、理由をおうかがいしても? 警邏が多く出入りするとはいっても場所が場所ですので、事情によってはお屋敷までお送りしますし、急ぎ馬車を手配いたしますが……」
そう言いながら周囲を見渡すも、やはりお付きらしき人物は見当たらず。カオリは純粋な好意から提案するのを、ロドリーゴは手を振って断りを向ける。
「心配には及ばんよ、実はすぐ近くで息子が現地調査の最中でのう、儂はそれに便乗して足を伸ばしただけなのだ。昼頃になれば家人が儂を探すだろうて、お嬢さん二人の手を煩わせる気はない、――とはいえ、危ないところを助けてもらった恩を返さねばならんて、よければ息子が来るまで、少しの間老人の話相手になってはくれんかね?」
「ええ、構いません」
そんな提案を快諾したカオリは、しばらくロドリーゴと他愛もない会談に興じることとなる。
聞けばロドリーゴの家門であるプラスタラ伯爵家は、代々都市開発や王宮の修繕など様々な建築事業に携わる貴族家であること、それによって今回の元貧民街の再開発の陣頭指揮を任されていることがわかった。
ただしそれはあくまでも跡を継いだ現プラスタラ伯爵であり、前伯爵であるロドリーゴはただの相談役であると告げられる。
「よもや死ぬまでに貧民街の再開発が叶うとは思いもよらなんだが、むしろ名ばかりの家名に伯をつけられるなら、息子に後を継がせてよかったとも思える。おかげで儂はこうして趣味と実益をかねてのんびり出来るのだからのう、はっはっはっ」
まるで老いを感じさせない様子で矍鑠と笑うロドリーゴに、隣り合って噴水の縁に腰かけたカオリとステラも釣られて笑う。
「閣下といえば【花屋敷のプラスタラ】で有名なお方であらせられます。もし閣下が相談役として現伯爵様の補佐をなさるなら、将来はこの元貧民街も、花の咲き誇る美しい市街になるのではと、宮中ではお噂になっておられるのではありませんか?」
ステラがそう話題を広げれば、ロドリーゴはやや気恥ずかし気に鼻をかく。
「いやはや、若気の至りが今なお話題になるなど恥ずかしい限りだが、趣味が活かせる機会に恵まれ、年甲斐もなく気が昂っておるのが正直なところじゃて」
「花屋敷? どういったお話なんですか?」
当然のことながら、貴族家に関する情報収集には余念のないカオリ達であっても、それはあくまでも実質的な経済能力や武力、または政治的発言力などを客観的に収集することが主であり、人柄などを評価する噂の類にまではおよんでいない。
よって過去にどのような言動や活動をおこない、それによって好悪いずれの評判で名が通っているかなどは、あえて触れていなかったのだ。
それには根拠のない噂などで、カオリに王国貴族に対する偏見をもってほしくないというロゼッタの思惑もからんでいる。
さりとて明らかに人柄に難があると思われる人物に関しては、ロゼッタも主観的に言及することはあるので、今回の場合はあくまでもカオリにおおよそ関りのない人物であったがために、カオリが耳にすることがなかった例の一人である。
そんなことを心中で考えながら耳をかたむけるカオリに、ロドリーゴは気恥ずかし気に微笑んで見せる。
「たいした話ではない、ただあまり贅沢をさせてやれないかわりに、花の世話が好きな妻のためにと、庭の花壇を自分で作っただけなのだ。それがどうやら多くの貴族の目にとまり、運よく評価されただけなのだよ」
そんなロドリーゴにたいし、ステラが微笑みながら補足を加える。
「とんでもございません、伯が長年手ずから創意工夫を凝らしたお庭は、前伯爵夫人様への愛情と労りにあふれたものであると誰もがお認めになる素晴らしいものだと、以前お嬢様のお付きとしてお供したさいに、私もお目にかかったことがございますので存じ上げております。またその技術力と発想力は王家もお認めになり、王宮における庭園の造成工事を指揮されたことは、国民の誰もが知るところ、過度なご謙遜はなさりませんよう」
「ほえ~、あの綺麗なお城のお庭は、ロドリーゴ様がお作りになったんですね。いつ見てもすごく綺麗だなって思っていました」
そんな二人の掛け値のない称賛を受け笑うロドリーゴが、立てかけてあった杖の柄を撫でながら、視線を前方に向ける。
その視線を追うと、なにやら馬車から降りて速足に近付いて来る貴族男性とその従者を認めた。
「父上、ここにおられたのですね。ふらりとどこへ行ったのかと思えば、このような若い女性を軟派していたとは、実によいご身分だ」
そんなことを口にする男性貴族は、不躾にはならない程度にカオリとステラを見定める視線を向けた。
カオリの装いが冒険者風でありながらも、仕立ての良い生地で拵えた衣装であること、またステラが高位の貴族家に仕える侍女の装いであることに気付いたのであろう。
一応と起立し、カオリはロドリーゴに紹介される形で互いに名乗り合う。
姿を認めた時点で気付いたように、この男はロドリーゴの息子にして、現プラスタラ伯爵であると紹介を受け、カオリとステラは再度礼をする。
「実はのう、今しがたこちらのカオリ嬢に危ないところを助けてもらい、お礼に昼食にでもと迎えが来るまで話し相手になってもらっていたのだ」
「……また勝手なことを、いえ、決して迷惑などではありませんが、どうして散策中に危ない場面になど遭遇したのか、しっかり問いただす必要もありましょう、よければお嬢様方も昼食をご一緒しませんか?」
そう言って改めて誘いを受けたカオリは、一応の社交辞令として一度の断りを入れつつ、最終的には快諾し、昼食をご馳走される運びとなった。
入店したのは元貧民街を抜けた市民向けの店でありながら、そこそこに上品な内装で落ち着ける雰囲気の軽食喫茶店である。
流石は王都であろうこの都市には、こういった飲食店が随所に軒を連ね。王都市民達の憩いの場となっている様子である。
窓際の日当たりのよい席を確保し、プラスタラ親子とカオリ達の四人は向かい合って座れば、簡単な注文をして一息を入れる。
先に供された紅茶に口をつけつつ、ロドリーゴが口を開く。
「さて、あんな場所で出会ったということは、カオリ嬢もあの元貧民街にはそれなりに用があったと思うのだが、よければ聞かせてはくれんかね。これでも我々は都市開発を預かる身として、それなりに責任もある立場なのでのう」
険を感じさせない声音で問われ、カオリもとくに警戒もせずに素直に答える。
「はい、実はさきほどの交差点から一区画隣の辻の角地に、私が盟主を務める商会の支店を構える運びになりまして、本日やっと工事を終えて調度品の搬入を見届けた帰りなんです。これでも一応冒険者なので、いざという時の避難経路の視察もかねて散策中に、ロドリーゴ様をお見掛けした次第でして」
カオリの説明に数度うなずいたプラスタラ親子は、まるで示し合わせたように同じ仕草で紅茶に口をつける。
「やはり噂は本当だったのだな、貧民街の開発計画の中で、すでに次の入居者や所有者の決まっている物件に関しては、我々は手出しできないものと聞かされていたのだよ、しかもその中には王家が手ずから進める計画もあって、区画整理の対象外であると通達されているのだ。新旧入り混じる情緒ある都市開発においては、やや面倒ではあるものの、だからこそ歴史ある王都の開発はやりがいもあると我々は考えていた」
そう言葉にしながら胸をはる現伯爵に、しかしロドリーゴはふんすと鼻息一つをして息子を睨みつける。
「問題はそこではなかろう、例え職務上必要を感じたといえども、こんなうら若い女性がいざという時を考慮せざるをえない状況の改善にこそ、儂らの知恵を絞らねばならんっ」
「またその話ですか? いいですか父上、この都市開発は近年稀にみる景気回復が期待されているのです。長年停滞していた王都の治安への不安が一掃された以上、とくに力を入れるべきは、二度と貧民街へとならないための経済的視点にもとづいた都市開発が必須なのです」
努めて冷静に口上を述べる現伯爵にたいし、しかしロドリーゴは呆れた様子で小さく首を振る。
「なんども言うがの、歴史的に見れば元貧民街とて元は活気あふれる優れた市街だったのだ。あそこが貧民街へと堕ちたのは戦争に原因があり、それを正せなかったかつての統治によるものだ。貴様の言葉は聞こえは立派だが、その実、大手商会や組合、それらを支援する貴族達への媚びへついにしか聞こえんわい」
まるでカオリ達を無視したように互いを揶揄する親子の様子を、カオリ笑って見つめる。
(うは、おもろ~)
意図せずして繋いだ縁ではあるが、こうして第三者からえられる情報というものは非常に貴重なものである。
とくに都市開発に直接的に関与する責任者には、そう簡単に接触出来るものではないので、内心では興味津々で耳を傾けるカオリであった。
「なんてことをおっしゃるのか、私はただあの元貧民街を、王都の名にふさわしい市街に蘇らせようと必死に交渉を重ねているのです。それをまるで金の亡者が如き揶揄するなど心外です。そもそも都市開発というのは膨大な金を必要とする一大事業ゆえ、とくに金を動かせる力あるものの意見を汲み上げ、ともすれば支援をもとめるのに、なんの躊躇いがございましょうか」
「そんなことは百も承知で助言をしておるのがわからんか、街というのはそこを利用する権力者によっていかようにも姿を変えるものではあるが、しかし街の『色』を形作るのはあくまでもそこに住まう民の献身がなくてはならん要素なのだ。使い道のない見た目ばかり立派な箱物など拵えたところで、そんなものはハリボテにも劣るわいっ」
クスクスと笑うカオリと静かに姿勢を正すステラを他所に白熱する二人ではあるが、食事が運ばれて来るころには一度冷静になり、やや慌ててカオリ達を気遣う。
「いやぁすまなかったお嬢様方、せっかくお食事にお誘いしたのに、つまらない話で蚊帳の外においてしまい申し訳ない」
「面目ないのぉ」
揃って謝罪する親子に、カオリは首を振って笑みを向ける。
食事に手を伸ばしながらの不作法ではあると思いつつも、黙って食事に集中する今こそ話題を振る機会だと、カオリは笑みを浮かべたまま口を開く。
「意見の相違こそありますが、お二人が街をよりよくなさろうと知恵を凝らしていらっしゃるのは十分に理解出来ます。しかしロドリーゴ様に関しては、やや懸念が深くも感じますので、もしやなにか、あの元貧民街において具体的に不安要素がおありなのですか?」
その質問に、親子は呆気にとられるものの、しかし図星を突かれたのか、ロドリーゴは視線を逸らし、現伯爵は溜息を吐いた。
「実はですな、父上が言うには、元貧民街出身者達への聞き込み調査上で、いくつか奇妙なというか、やや荒唐無稽な噂があったそうなのです」
「噂、ですか、お聞きしても?」
実に言いづらそうな様子で未だ視線を外へと向けるロドリーゴに代わり、現伯爵が続ける。
「では、現役の冒険者を名乗られるミヤモト嬢に言うのはいささか憚られますが、それというのもあの元貧民街には古くから、『人攫いの化け物』の伝承があるそうなのです」
「人攫い、それは穏やかではありませんね」
予想外な話へと方向転換した様子を受け、カオリはやや居住まいを正す。
「もちろんそんな噂が出た時点で、軍も騎士団もそれなりに調査を進めはしたそうです。なにしろこれから再開発をと活気づく街において、明らかな不安要素を無視は出来ないでしょうから、しかし人攫いなど貧民街では日常茶飯事ではありましたし、ましてやこんな都市のど真ん中で、堂々と魔物の類が人攫いなど出来ようはずもありません、結局は貧しい暮らしの中で貧民達が慰めに作った。民間伝承の類なのだろうと結論付けられたと、私も関係者の一人として報告を受けました」
ふむ、と話を聞かされたカオリは一息吐いてしばし思考する。
なにしろ考えられる可能性があまりに膨大であったのだから無理もない、しかもすでに軍や騎士団が調査をおこなった後ともなれば、通常の手段での調査では証拠を見つけられない事件となる。
であればよほどに深く潜った裏組織か、あるいは力をもつ権力者が関与しているのか、はたまた恐るべき力をもった新種の魔物の仕業などが考えられるが、いずれであったとしても今や治安も回復し、活気づく元貧民街において、今だに影響を及ぼしうるとは考えづらかった。
よって未だに事件化してもおらず、これから事件化する可能性も低い事柄をどれほど心配したところで、杞憂と言わざるをえないのは至極当然の話であった。
「たしかに、それだけの情報ではどうにも調査が出来ない話ですね。私も冒険者としては魔物の被害があれば無視なんて出来ませんが、そもそも被害があったかどうかの確証もないのでは、難しいですね~」
「そうじゃっ、カオリ嬢、君はあの神鋼級冒険者の後見を受けほどだ。君自身も腕のある冒険者なのだろう? ここは一つ年寄りの我儘を聞くつもりで、儂からの依頼を受けてはもらえんか? もちろん報酬は十分に約束するでのっ」
「父さんっ、それは以前にも依頼を出して、失敗したではありませんかっ、そもそも組合を通さずに依頼するなど、冒険者組合の原則規定に反するのです。ミヤモト嬢の評判に傷がついたらどう責任を取るのです」
「わかっておるっ、奴らと来たら予測の出来ない調査依頼だと言って高額の契約金を提示して来たくせに、まともな調査もせずにのこのこと帰って来たあげく、しっかり報酬金はせしめていきよったっ。立ち入り許可がなければとか、委任状がどうとかぬかしおって」
身を乗り出して鼻息荒く捲し立てるロドリーゴを必死に宥めようとするも、この問答が何度も繰り返されたやり取りであるのだと察せられ、カオリは実に気の毒に感じた。
たしかに都市外の野山を調査するのと、複雑に利権が絡む都市内を調査するのとでは、勝手が違って当たり前であろう。
ましてや事件化もしていない噂程度の依頼に、冒険者組合がどこまで協力的になるかなど想像に難くない。
夕刻、ロドリーゴ達と別れた後も、街を散策してゆっくり帰宅したカオリは、その足でササキの執務室を訪ねた。
「て話が、あったんですけど?」
「ああ、いるな、そんな魔物が」
(いるんか~い)
実に簡潔に事実を告げるササキに、カオリは満面の笑みを浮かべて心中で突っ込みを入れる。
「言い訳をさせてもらえるなら、その魔物に限らず。この王都には他に多数の魔物の存在が確認されている。古くからいるものや、新たに発生するものを計すれば、それこそ十や二十ではきかん、当然被害のあったものに関しては、それぞれの機関が適切に対処もしているし、とくに害のないものに関しては調査が及んでいないのも事実だ」
そう言って机上の書類を整理し、ササキは中空に視線を移す。
「しかしながら現状なにかと目立つ私が直接動くのには少々面倒な案件が多いのも理解してほしい、とくに被害者が貴族であった場合などは、口止めをするのにも限度がある。また件の元貧民街においては、恐らく該当の魔物の生息域は旧下水道の奥深くで、国の許可がなくては立ち入ることも出来んし、国にしても付近の貴族家の顔色を窺わねばならん、国の重要文化財に指定される土地建物ほど、貴族の利権が深く絡んでいるからな」
そこで盛大に溜息を吐くササキの様子から、この問題がどれほど面倒な問題であるかが伺え、カオリも渋面が移ってしまう。
「出現時に颯爽と被害を抑え、犠牲者を救う方法もあるにはあるが、そうなればどうして偶然、そんな場面に出くわしたのかと、貴族連中の質問攻めに遭うのは必至、ましてや貧民街になんの用があってと、腹の探り合いになれば、根拠のない噂の的にもなろう、つまり私にとってはそこまでして直接動く大義名分もなければ、優先度もおのずと低くならざるをえんということだ」
そこまでみなまで説明されれば、如何にカオリであっても納得の表情を浮かべる。
なにしろササキは名実ともに国の最高戦力である。たった一人で国をも滅ぼしうる力の持ち主が、高々民間伝承にも近しい噂程度の懸案事項に、直接介入するなど到底考えられない。
ましてや日常的に都市内の局地的脅威を警戒して、本人自ら見回りなどしようものなら、暇人だなどと揶揄もされるうえ、民の人気に傾倒した点数稼ぎではと邪推もされようか。
「それにササキさんが秘密裏にその魔物を処理したとして、魔物の発生原因を公にして対処しないことには、また同じような状況で魔物が発生するかもですし、鼬ごっこになりそうですね~」
そのカオリの言葉が真実であると、ササキも鷹揚にうなずいてみせる。
魔物はただの野生の動物とは違うのだ。
魔力がなんらかの条件下で変異を起こし、魔物を発生させるのであれば、条件さえそろえば、そこが大都市のど真ん中であろうと、いつでも、何度でも、発生してしまうのだ。
つまりただの善意で魔物を誅したとて、その条件が作り出された環境そのものを改善しなければ、再び悲劇は繰り返されることになり、ゆえに環境が作り出された社会構造そのものを是正しなければ意味がない問題なのだ。
であれば被害を引き起こすほどの魔物は、討伐されればその事実を公に、原因の特定とその改善に取り組まねばならない、それが冒険者にとっての必須業務である。
「思うにこの『人攫いの化け物』か? そいつはかなり古くからそこに住み着き、なんらかの理由で人間を攫っているのだろう、そしてそいつが発生した原因も、旧下水道そのものにある可能性が高い、つまり今やまともに機能もせず。人が立ち入る方法も機会もない旧下水道を大規模に調査および再整備でもしない限り、根本原因の解決にはいたらないだろうな」
「う~ん、なんだか納得出来ないな~、いるのがわかってて、ましてや被害が発生している可能性も高い魔物の脅威があるのに、なにも出来ないなんて、冒険者の名折れじゃん」
ササキの言葉に真面目に悩み始めるカオリに、ササキは苦笑して提案をする。
「まあカオリ君であればそうだろう、ならば明日にでも冒険者組合にでも行って、なにか手がかりが、ともすれば『介入する大義目分』がえられないか探ってみるといい、幸いにして問題提起をした貴族とも知り合えたのだし、私の名もそこそこ役に立つだろう、冒険者組合が協力的になる道筋さえ提示してやれば、案外早急に事態が動くかもしれん」
「あ、わかりました。それこそ冬季休暇の自主課題的なアレで話を持ち掛けてみます~」
話がつけば後は行動のみと、カオリは軽やかに席を立つ。
翌朝、カオリは王宮に向かうビアンカを見送り、そのままロゼッタを伴って街へと繰り出した。
「ダリアさんも村に戻って、ステラさんも通常業務だね。どうだった二日間」
「どうもこうもないわ、実家にいたころ以上に構われたせいで、危うく冒険者であることを忘れかけたわよ、ダリアさんってば余程、令嬢に仕えることに飢えていらしたのね。それもこれもみんなアイリーンのせいだわ、今度会ったらとっちめてやるんだからっ」
実に可愛らしく怒る様子が、まるで上品なお嬢様らしく見えたため、カオリは忍び笑いで顔を逸らした。
どうやら二日間の令嬢接待により、かつての品性に戻ってしまったようだが、それほどに冒険者を志す以前の彼女が、淑女の手本足らんと懸命に淑女教育に挑んでいた証左なのだとカオリは理解する。
しかし今日はれっきとした冒険者の仕事の一環であり、目的地も冒険者組合王都本部である。
貴族街を抜け、市民街を横目に商業区画の中央に本部を構える冒険者組合は、流石は王都の本部であるとうなずかざるをえない壮観な建物である。
だが王都に拠点を移してはや半年ほど、実のところカオリが王都の冒険者組合に足を踏み入れたのは数えるまでもなく、本日がたったの二度目である。
一度目は王都迷宮にまつわる一連の騒動のおり、一応の体裁のために顔を出した程度であり、今日のように王都本部そのものに用事があって訪れたのは、実質はじめてとなる。
ロゼッタは村の運営費用を管理する役割上、報酬金や預金の出し入れで比較的頻繁に手続きに訪れているため、カオリよりは勝手を知っている。
案内の必要もなく受付に直行するロゼッタを尻目に、カオリは久々の冒険者組合だと周囲に目を向けるものの、しかしここが勝手知ったる冒険者組合ではないのだと実感する。
なにしろここは数ある冒険者組合の中でも、もっとも栄える王都の本部なのだ。
まるで酒場を改装したかのような地方の組合とは違い、実に手入れが行き届き、内装も画一的に配置された様子に、カオリはどことなく日本の役所を思い出す。
依頼の掲示板こそよくある冒険者組合の様相を呈しているものの、逆にそれがなければここが冒険者組合だと気付くこともなかったかもしれない。
そもそもとして、着衣を乱して思い思いにくつろぎ、酒を煽る粗野な冒険者の姿が見当たらないのだからさもありなん。
というのも実のところ、王都には計五か所の冒険者組合の支店があり、ここ王都本部は主に各支部の管理運営または権力者や資産家からの依頼受付や仲介、さらには魔物素材の大口取引や価格調整をおこなう、いわゆる総合商社のような役割を担う施設である。
よってここに出入りする冒険者は、それこそ貴族の子息令嬢や元貴族、または大店の関係者などがほとんどで、そうでなくとも権力者との懇意関係にある上位の冒険者で占められている。
当然世間知らずの田舎者が、なにも知らずに訪れることはあるものの、それらも次第に身の程を弁え、王都の四方門付近に設置された各支部に散っていくのが通常だ。
なぜならその方が依頼を受けて都市外に遠征に行くのが、利便性の上で効率的だからに他ならない、それほどに王都は広く、また人口密度が高いことの証左である。
しかしながら本日、そんな事情を重々承知でカオリ達が王都本部に赴いたのは、当然相応の理由があってのことである。
ロゼッタが受付で要件を伝えれば、ほどなくしてそれなりの責任者が出向いて来た。
「これはこれはアルトバイエ様、それにミヤモト様も、本部にようこそおいで下さいました。して本日はなに用でございましょう?」
あたかも貴族を相手にするかのような態度でありつつも、出迎えた姿勢のまま本題を聞き出そうという態度に、この人物がカオリ達をいかに評価しているのかが知れ、カオリは肩を竦める。
「実は先日、とあるお貴族様とお会いしまして、以前に調査された依頼内容について、詳しいお話が聞きたくて来ました」
「……ほう、それはどのような依頼に関してでしょうか?」
「前プラスタラ伯爵当主のロドリーゴ様がご依頼された調査に関してですわ、現在私共も元貧民街に支店を構える身ですので、例えどんな噂であれ、不安材料は払拭しておきたい所存ですので」
そんなカオリ達の要望に対し、職員は若干頬を引き攣らせつつも、努めてにこやかに応対する。
「そう……ですねぇ、でしたらば少し場所を変えましょう、応接室の一つにご案内しますので、詳しいお話はそこでいたしましょう」
実に慇懃に見えはするものの、彼がこの話の流れで、カオリ達を厄介な手合いであると判断したのだろうと察し、カオリもロゼッタも視線を合わせて息を吐く。
通された応接室は地方と比べれば十分に豪華な設えであるものの、それが果たして神鋼級冒険者の後見を受けるカオリ達をもてなすのに相応しいかは、現時点では判断がつかない。
しかしながら給された紅茶も一級品なのは、流石は王都本部の品格であると、とくに文句もなく口をつけるロゼッタの様子から、カオリは類推する。
しばらくして数枚の書類を携えた女性職員が入室し、先の職員に手渡したところで、改めて自己紹介をする。
「改めまして、私は王都本部におきまして、室長を務めます。トーニオと申します」
名乗るトーニオに、カオリ達もそれぞれ自己紹介をし、本題へと入る。
「こちらが件の依頼に関する報告書と、ご依頼内容を記した写しになります。もし精査にお時間がかかるようでしたらば、私は席を外しますが、いかがなさいますか?」
口外に、説明するまでもない重要度の低い案件であると示し、一応と伺いを立てるトーニオ室長に対し、カオリは受け取った資料をそのままロゼッタに手渡して首を振る。
そもそもとして、依頼内容の詳細に関する情報は守秘義務によって秘匿されるのが通常だ。
それを依頼書の写しであろうとも他者に開示してしまっている時点で、このトーニオ室長が件の依頼をどの程度に扱っているのか、さらには前プラスタラ伯爵をどう評価しているのかも、ある程度察してしまう。
「いいえ、内容の改めは大して重要ではないんです。実は今日お話をしたいのは、依頼そのものではなく、そんな依頼が立てられたにも関わらず。どうして問題が解決に至らなかったのか、その点を詳しく知るためなのと、それらがどうすれば解決にいたり、また冒険者組合がどこまで協力的なのかをお聞きしたかったからです」
「……はい?」
捲し立てられた内容に呆気にとられたトーニオ室長は、明らかに困惑した表情でしばし固まった。
「昨日に独自で調査をしたところ、どうやら件の噂は今に始まったことではなく、貧民街に住まうものなら誰もが知る伝承の類であり、また時折小規模な調査もおこなわれた経緯のある案件であることがわかりました。しかしながらこれまでただの一度も解決にはいたらず。ともすればいたずらに生活困窮者様方を不安にさせるだけに終っております。しかもなんと貧民街の一斉摘発以降にも、同案件に関係するひと悶着があったと聞き及びました。これに関して、王都本部はどのようにお考えなのでしょうか?」
「いえっ、どのようにと申しましても……」
資料に目を通しつつも、流暢に語って見せるロゼッタから、言いようのない圧を感じて言い淀むトーニオ室長へ、カオリは溜息一つに言及する。
「そりゃあお金ももたずに、『バケモノに攫われた仲間を助けてっ』なんて駈け込んで来た孤児に、まともに対応しろってのも難しいのはわかりますが、それにしたってねぇ? 気持ちはわかりますよ? 冒険者は慈善事業じゃないんですから、追い返して当然とも思います。でもちゃんと報酬も支払えるお貴族様に対しても、適当な仕事でちゃっかりお金だけせしめるなんて、流石にどうなのかな~て思っちゃいますよ、いち冒険者としては」
「……」
完全に図星を突かれた形で主導権を握られたトーニオ室長は、次にカオリの口からどんな言葉が飛び出すのか、恐る恐る姿勢を正した。
「我々としましてもっ、貴族様方やお得意様の商家や組合の権利下にある屋敷や敷地に、許可もなく立ち入り調査など出来ません、ましてや国の管理下にある公共施設になどに調査の手を伸ばす場合は、王宮や騎士団に伺いを立てねばなりません、いくら報酬をいただけるとあっても、それら膨大な手続きや根回しの手間を考慮するなら、いったいどれほどの……、お嬢様方には想像も出来ないほどの多くの時間と伝手っ、なによりも金銭がかかるのかっ」
焦りとも苛立ちとも取れない様子で早口に吐露するトーニオ室長だが、ロゼッタはそんな言葉に一切かまう様子を見せずに切って捨てる。
「そんなことはこの粗末な報告書を見れば一目瞭然ですわ、まったく王都を拠点にする冒険者の質もたかが知れていますわね。最初から問題を解決しようという気概をまるで感じませんもの、事務的でももう少しは体裁を取り繕うものですのに」
「まあまあロゼ、もういい感じだから」
大袈裟なほどに小馬鹿にするロゼッタを窘め、カオリはようやく本題を口にする。
「つまり、現状では王宮や貴族、商家と冒険者組合、ついでに教会なんかも含めて、この王都内におけるおおよそ魔物の被害を調査解決出来るだけの連帯関係が出来てないってことでいいんですね?」
カオリの確認に、トーニオ室長は一瞬眉をしかめたものの、思い直して首を振る。
なにしろ今彼が対峙しているカオリ達が、そういった権力のしがらみとは一線を画した立場を有する稀有な冒険者である事実に思い至ったからである。
「流石はかの高名な神鋼級冒険者ササキ卿の後見をお受けになられる方々です。そんなわかりきった事実を確かめるためにわざわざ本部に乗り込んでいらっしゃるなんて……」
比較的直球な皮肉でもって返答したトーニオ室長に、カオリは笑顔を向ける。
(いい感じに付き合えそうな人だな~)
もしここで、感情的に振舞い否定ばかりを繰り返す。もしくはのらりくらりと明言を避け責任回避に終始するような人物であったなら、カオリとしても相手にするだけ時間の無駄だと即刻退散していただろう。
だがこのトーニオという人物は、どうやらそこそこに欲深く、しかしまったくの悪人でもなければ偽善者振るような人間性でもないようだった。
それはつまるところ引き際を心得ていて、かつ機運に聡く迅速に行動出来る人物であるということだ。
それでいて皮肉を口にする程度には短慮なのも、まだまだ人間的に未熟な様子が見えて共感も誘うものだった。
「ではちょっとした質問なんですけど、もし、王国内のどこにでも立ち入ることが可能で、かつ十分な報酬が約束されている支援者がいたとすれば、冒険者組合はどこまで協力が可能ですか?」
「……、……それは」
なにを夢物語をと一瞬脳裏を過ぎったトーニオであったが、それを語ったのがカオリであったことで、即座に思考を巡らせる。
なにしろこの目の前の少女は、現在もっとも王家に近い冒険者の一角であり、いくつかの情報筋からも、頻繁に王宮に出入りしていることが知られているからだ。
それはつまり冒険者でありながら、まるで王家の側近にもひとしい発言権を有し、実質的に国政にも影響を及ぼしうる存在なのだ。
「……まさかっ、今回のような案件の調査に、王家が、前向きな意向をお示しになられているのですか?」
もしそうであるならば、これまでの杜撰な調査を、王家が懸念していることに他ならず。王家の冒険者組合への信頼にも影響する大問題になるのではと、トーニオ室長は盛大に顔を蒼褪めさせる。
もしこの話を聞いたのが強欲で間抜けな人物であったなら、即座に掌を返してカオリに媚びを売り始めるのかもしれなかったが、幸いトーニオ室長はそこまで呑気な思考の人物ではなかったようだ。
だがそんなトーニオ室長の不安をよそに、カオリは難しい顔で腕組みをする。
「いや~、それじゃあなんだか弱いですね~、なんかこう……、もっとちゃんとした形がないと、後に続かない感じがします」
「は?」
「カオリ、室長様を無駄に混乱させるのは止めなさい、まずは問題提起とその解決までの意思統一を図るために、情報の整理と、室長様の了解を得ることから始めなければならないわ」
まるで要領を得ないカオリの反応についてゆけず混乱するトーニオ室長を見かねて、ついにはロゼッタが資料から目を話して彼に向き合った。
「我々は一連の情報に触れ、まずいち冒険者として、民の安寧を脅かす魔物の脅威の可能性を懸念しております。しかしながらここ王都においては、土地所有権ならびに帰属権益とうの理由から、都市外での通常の調査と比べ、活動が難しいという理由を理解しました。先ほど室長様がおっしゃられた通り、これまではもとい現在においても、非常に盆雑かつ複雑な手順なくして、冒険者のみならず騎士団であっても十分な調査活動が出来ない事実が認められます」
そこで一度言葉を切り、紅茶で口を湿らせるロゼッタを、トーニオ室長は真剣な表情で傾注する。
「つまり、問題の原因が魔物にあると仮定した場合、あるいは魔物が原因である可能性が十分に考えられるような場合に、冒険者組合が十分な調査を実施するために必要な条件がなにかを、我々は正確に把握しておきたいと考えています。これは冒険者組合に限らず。少なくとも王家ならびに王国貴族、または教会勢力全てにお伺いを立て、条件の擦り合わせをおこなう必要があると認識しております。そうですわね……、商人風に表現するのであれば、どのような『許可』があれば実現可能なのかを、我々は室長様にご質問しています」
「!っ、な、んと……」
この瞬間、トーニオ室長は猛烈な情報量が脳内を駆け巡るのを自覚した。
正午、カオリ達は各王子に割り当てられた執務室にて、ステルヴィオ第三王子と相対していた。
「てことがあってまいりました」
「えぇ~とつまり、この伝承というか怪談? を解決出来る仕組みを、僕に作らせたいって理解でいいのですか? 兄上達ではなく、第三王子の僕がですか?」
「へぇ~、なんだか面白そうだね!」
おおむね本日の要件に関しては、先に手紙で知らせていたので、本題に入る前のご機嫌伺いなどを完全に省略したカオリではあるが。
今更そんなことで気分を害するような器の小さな王族ではない二人の王子は、かたや困惑を、かたや完全に面白がって聞き入った。
ちなみにコルレオーネ第二王子に関しては、カオリ達が登城すると知った時点で、早々に執務を放り出して駆けつけた次第である。
「こちらが提案内容を簡単に纏めた草案になりますわ、一応王家の皆様分ご用意しておりますので、一束ずつお手にとってくださいまし」
わたされた資料に視線を落とし、徐々に食い入る二人の様子を、カオリとロゼッタはのんびりと待った。
「関係各所への折衝及び実戦闘を担当する騎士と、当該地所の魔力の浄化または教会管理下の文化財等への立ち入り資格を有する聖職者、また各申請書類の作成および管理を担当する補佐官を含めた少数精鋭で、団長にはいずれかの王族が望ましく、加えて冒険者組合との連携も視野に入れた広域活動が可能な騎士団の設立、仮名【王領怪異騎士団】」
「仮名がそのまま正式名称になりそうな名前の騎士団だけど、これは本当に面白いよ、聞きたいことは多いけど、まずはどこから聞くべきかなっ!」
質問順序を質問するというわけのわからない興奮の仕方をするコルレオーネはひとまず脇へやり、カオリはまずはステルヴィオへと向き直る。
「いずれかの王族とは記載しておりますが、すでにお察しの通り、これにはステルヴィオ殿下がもっとも適任であると私は考えております」
「理由をお聞きしても? 自分で言うのもなんですが、僕は兄上達と違って、取り立てて特徴のない王子です。なのに――」
カオリの指名に困惑を隠せないステルヴィオは、当然のように謙遜を口にしようとするものの、そこへコルレオーネが言葉を被せる。
「馬鹿だなヴィオは、そんなのお前が全ての条件に合致する唯一の王族だからに決まっているからじゃないか、よく資料を見てみなよ、これらの条件を満たした人員を、上手くまとめて運用出来るのなんて、お前以外誰がいるって言うんだい?」
「ええそうですわ、ヴィオ殿下これは身贔屓でもなんでもなく、正当な評価あってのご提案です。便宜上いずれかのとは表記しておりますが、実質殿下を想定したご提案でありますもの」
「ロゼ姉様……」
惜しみない称賛のような口振りで背を押す二人に、ステルヴィオはやや感動した様子で顔を上げる。
「先の諸問題に関しては、まったくカオリ嬢の懸念する通りの問題だと僕も同感だ。さりとてお金だけで解決する問題でもない面倒な案件なのは言うまでもないだろうね。だがこの騎士団設立が実現すれば、この問題のみならず。様々な分野で相乗効果を発揮し、この王都だけじゃない、名前の通り王領全域で非常に有用な効果を発揮する可能性を秘めている。なによりもヴィオ、お前の将来においても非常に重要な要素になるだろうっ!」
そこまで手放しで称賛すれば、この案がどれほどのものであるかが、ようやっとステルヴィオにも理解が及んだ。
「まず各貴族家の管理下にある土地建物への調査には王家の承認無くしては不可能だし、担当者は正式に騎士の叙任を受けた騎士団所属の団員でなければならない、また教会関連に関しては聖職者がそれに該当するうえに、仮に問題の原因が魔物に類するものであった場合、原因の根絶には浄化魔法を行使出来る聖職者がもっとも適任だ。加えて実戦闘ともなれば相応に戦力も必要となれば、魔物の生態知識に長けた冒険者の協力は不可欠、この担当補佐官には冒険者組合からの出向者が望ましいだろうね」
一気に解説して見せるコルレオーネは、興奮した様子で息継ぎをする。
「つまりこれまで利権がなんだと協力を疎かにしていた。各勢力が手を結び、王国の闇に蔓延る不安の芽を摘み、より王国の発展に寄与する仕組み、その先駆けとなる試みなのさっ」
朗々とこの提案がどれほど有用であるかを語る一方で、だがとロゼッタは首を振る。
「しかしながら言葉にするほどことは単純ではありません、人選には相応の慎重さが求められる上に、継続するためには余程に注意深く監督する必要が生じます。……まずもって貴族や商人達に容易に買収されない人選をというのが、想像するだけでも骨の折れる作業になりますわ」
「騎士団員の身分が低かったら、それだけで立ち入り調査を拒否する権力者さんもいるでしょうし、まずもって『推定魔物の脅威』であることを証明する根拠が曖昧な時点で、王家の越権行為だって批判する人もいそうですし、それら伝承や噂話を収集する協力者が各地にいないと、お飾りの騎士団だって笑われちゃうでしょうし」
「へぇ、そこはちゃんと考えてくれているんだね。でもだからこその少数精鋭だろう? この程度の規模なら第三王子の私費で十分に賄えるし、貴族連中だって似たような役割の私兵や専属冒険者を抱えているもんさ、文句を言う輩はただの暇人だと思うけどね」
二人の懸念にコルレオーネはまた別の感心を寄せる。
なにしろカオリ達が言ったように、これら諸問題の多くが壁となり、これまで問題が放置されて来たのだから、決して一度に解決が可能な、簡単な問題ではないことは事実であるからだ。
しかしそこですっかり諦めてしまえるような性格であるならば、カオリ達が今のような王家の私的な相談役のような立場に収まるはずもないのだ。
「だから組織を作るうんぬんはさておいて、先に実績を作ってしまえばどうかって思いました。いつものようにっ!」
真顔で拳を握るカオリの言葉に、ステルヴィオは呆気にとられた様子で、兄に視線を向ける。
「……これがカオリ様のやり方なんですね」
「ほら、だから好きなんだ。彼女達のことが」
先の傭兵騒動で、カオリやアイリーンにしてやられたばかりだというのに、コルレオーネに懲りた様子は微塵も感じられず。
喜色を浮かべながら困って肩を竦めるという極めて高度な感情表現をする兄に、ステルヴィオは心から戦慄した。




