( 傭兵騒動 )
翌日、降り始めた雪から逃げるように、馬車へ速足で駆け込んだカオリは、ステラが同乗するのを見届け、馭者のビアンカに出発をお願いした。
「いや~助かりますステラさん、私一人じゃあ、どうすればいいかわかんなかったので」
そう言って再度頭を下げるカオリに、ステラは柔和な笑みで返答する。
「滅相もございません、思えばササキ様のお屋敷では、調度品の類は入居時にはすでに過不足なく整えられておりましたうえ、カオリ様もお嬢様も特別なにかをご所望されることもありませんでしたので、お役に立ててなによりでございます」
そんなステラの応答に、たしかにとカオリは同意する。
高度な現代日本の文明を生きて来たカオリはもちろん、生粋のお嬢様であるロゼッタでも、ササキの屋敷においてなんら不便を感じることなく生活が出来ていたのだから、仔細にいたるまで全て、ササキがカオリ達のために屋敷を整えてくれていたのだと、今回の件でカオリは改めて理解したからだ。
「まがいなりにも王都で支店を構える以上、調度品はそれなりのものを設えないといけないよ~なんて言われて、すっかり忘れてました。流石は商業に明るい王子様ですよね~」
揺れる馬車の中にあっても、まるで揺れをものともしない様子で、器用に足を交互に振るカオリの無駄な技能を見つめ、ステラは苦笑する。
話の発端は先日の夕刻、イゼル達行商隊にまつわる情報を、ビアンカを通じて王家に報告したさいに、返事として持たされたコルレオーネ第二王子直筆の手紙に記されていた内容である。
現在王都の元貧民街も、一斉摘発によって危険分子がほぼ取り除かれ、厳重に警邏を巡回させることが可能となった。
であれば、これまで放置されて来た通りの整備はもちろん、違法な商業に携わっていた商会や組織に占有されていた建物も、一新することが決定している。
場所によっては古い建物を全て取り壊し、新たに区画整理を計画しているともあり、その規模は近年稀に見る大がかりなものだ。
カオリ達が王家から与えられた支店予定の建物も、その一つである。
したがって春から営業を開始することを念頭に、従業員として受け入れることになる元貧民達の寮も含めた。様々な内装設備を整えなければならなかったのだ。
もちろん支店としての店構えをそれなりの格式に整えることは重要ではあったが、カオリとしてはどちらかといえば、従業員達の住空間にこそ、お金をかけるべきだと内心では思っている。
だがここで問題となったのが、王都における調度品類を、どこで買い求めればよいかという話であった。
当然王都に暮らしたことがないカオリである。先述の理由も重なり、途方に暮れたさいに思いついたのが、ステラを頼るという手段だったのだ。
彼女はロゼッタ付きの元侍女であり、現在は冒険者業に従事する彼女の従者という立場でありながら、ササキの屋敷においては、家令などの領分も担当する極めて優秀な女性だ。
ならば王都で生活をするうえで必要と思われる様々な物資調達に関して、彼女ほど詳しい人物はいないと考えるのも自然な発想である。
それらを昨晩、ロゼッタに相談したカオリだったが、話はそれだけでは終わりはしなかった。
「ええいいわよ、そういう事情なら、ステラを一日カオリに貸すのもやぶさかではないわ、でも実は明日、私もいつもの会合があって侍女の仕事が出来る人が必要なの、よければ代わりにアキをつけてくれれば助かるのだけれど……」
そう言ったロゼッタの提案を、しかしカオリは難しい表情を浮かべる。
「ああぁ~なるほど、そうなっちゃうか~、でもアキに王国の略装の着付けって出来るのかなぁ? 髪もちゃんと結うんでしょ? 着物なら出来るだろうけど、ちょっと無茶振りかなぁ」
「あらそうなのね。アキならなんでもそつなくこなせそうだけれど……、もしそうならアキには無理をさせてしまうかもしれないわね。どうしましょう?」
二人ともに首をかしげてしまったところで、カオリは閃いたと口を開く。
「あ、そうだ、ダリアさんがいるじゃん」
その一言によって、現在、やや遅くに起き出したロゼッタの傍には、アイリーン付きの元侍女で、今は彼女の従者として村に詰めていたダリアが、非常によい笑顔で控えていた。
「お嬢様、気持ちのよい朝にございます」
「……ええ、そうねぇ」
起き抜けに向けられる。彼女の輝かんばかりの笑顔を前に、ロゼッタ寝起きの鈍った頭で目をしばたたかせながら見上げる。
「カオリ様のお話では、ともに高位貴族のご令嬢方を招いた会合、もといお茶会の席にご出席されるとのことで、そのお仕度とお供を仰せつかっております。つきましては朝餉の後、軽く入浴をすませ、略装の着付けと髪結をいたしますが、お化粧はおまかせいただけないのでしょうか? なにを隠そうこのダリア、王国の流行りに関しましても、それなりに把握しておりますことを自負しています。よろしければ本日の装いの全てを、私めにお任せいただくことも可能であり、それは日頃なにかとご配慮いただいておりますステラ様への感謝の印にもなると、昨夜より大変意気込んでまいりました」
「まあ……、そうなのね」
「またアキ様より、カオリ様のご要請にお応え出来なかった無念のほどをお聞きし、その代役として参じますこと、くれぐれもお役目に熟すようにとご期待を添えられております。またアキ様よりお借りした【遠話の首飾り】を使わせていただき、アイリーンお嬢様より本日のご許可および激励を頂戴してまいりました。これはただの侍女のお役目の代役などではなく、帝国貴族に仕える使用人の格式、その威信をかけた戦いであると申されました。よって本日のわたくしは、ただの侍女だけではなく、帝国の代表としても、ロゼッタお嬢様を誰よりも美しく着飾り、今日一日の一切を過不足なくお過ごしいただけるよう、格別の敬愛をお捧げいたします」
「あら……、ではそのように」
ここまでまったく息も継がずに並べ立てた言葉に、ロゼッタは朝から冷や汗を浮かべて、なるべくよい笑顔を心掛けて返答をする。
「でも、ちょっとだけまってちょうだいね」
そして、おもむろに窓を開け放ち、大きく息を吸い込んだ。
「アイリーン! 覚えてらっしゃーいっ!」
「おおっ、ロゼの恨み節が聞えた気がしたさね」
「突然なんだよ」
一方イゼル達行商隊の面々は、道中で立ち寄った町に逗留し、一時の休息をとっていた。
もちろん休息といってもやらなければならないことは多く、現在もイゼルとカーラは【蟲報】を護衛に連れ立って、地元の商店や市場などを巡りつつ、代官や組合との折衝に挑んでいる。
出発してたったの数日といえども、すでに街道のおおよその治安状況や、予想される敵対勢力の規模など、報告と注意喚起を兼ねた対談の必要があったからだ。
名目上は王都で活動するカオリの後援を受けた国外商会の代表という立場のイゼルであるが、そのさらに上位にササキのみならず、王家の意向も汲んだ一行であることは、知る人ぞ知る暗黙の了解の上での行商隊である。
ゆえに王家の信任を受けて町や近隣村落を取りまとめる代官はもとより、その信用を受ける一部の商人達の間では、すでに徹底した情報共有がなされ、表面上は設立間もない若き女商人程度の扱いを見せつつも、裏では諸手を上げて歓迎されていた。
最初は一応警戒して、アイリーンもイゼルに同行し、相手の様子に注意を向けていたが、その下にもおかない対応を見て、自分が過剰に警戒する必要もないと判断し、今は外での情報収集に勤しんでいる。
といってもやっていることは近場の酒場で安酒を煽り、周囲の会話に耳をそばだてている程度なので、さぼっていると指摘されてもしょうがない風体である。
「いやなに、今日はカオリがステラを伴って調度品店を回るってんで、ステラの代わりにうちのダリアを貸したのさね。いまごろダリアの奴は憧れの、本物のお嬢様を前に張り切ってるんだろうなと思ってさ」
「意味がわかんねぇな、お嬢も一応は貴族令嬢で立派なお嬢様だろ? 見てくれはどう贔屓目に見ても、歴戦の傭兵だがよ」
アイリーンのある意味自虐的な冗談に対し、ゴーシュは虚無的に笑みを浮かべて相槌を打つのに、彼女は気にした素振りもなく笑う。
「主人に仕える従者とか、とくに幼いころから令嬢付きの侍女なんかに選ばれた使用人ってのは、滅私奉仕で主を引き立たせることに人生をかけるもんなのさ、ましてやダリアは何代にもわたってうちに仕え続けた生粋の従士家の出だ。そんなアイツからすれば、あたしはさぞ仕え甲斐のない主だったろうよ」
昔を懐かしむように視線を飛ばしつつ、しかしなんの後悔も滲ませずに笑ってみせるアイリーンに、流石のゴーシュも擁護のしようもなく肩を竦める。
「お嬢のお転婆な人生はさておいて、誰かに一生を捧げるなんて想像も出来ねぇな、なにが楽しくて他人を着飾らせることに執着するんだか、女ならまずは自分が綺麗になりたいって思うんじゃねぇのか?」
そんなゴーシュの弁を受け、アイリーンも肩を竦めて同意を示すものの、それだけではないとも主張する。
「そこはそこさ、使用人とはいっても、高位貴族家の使用人なら、そこいらの平民に比べりゃあよっぽど綺麗な服を着て、清潔な環境で暮らせるもんさ、その上仕える主人が飛び切りの上玉ならなお鼻が高いってもんさ」
「あ~……、まあそんなもんか」
であればたしかに、同じ女性であっても高望みなどせず。あくまでも自身の立場を弁えて、主をまず優先すべきであると割り切ることも出来るのだろうかとゴーシュは納得する。
「ダリアの場合はそういう教育を受けたってのも当然だが、それ以上に誰かの役に立ちたい、上位者の傍にありたいって思いが強いのさね。理想が高いっていえば独善的に聞こえるけど、それは生粋の使用人なら誰もが抱く感情で、だからこそ雇い主は自分を磨いて、誰よりも誇り高くあらんと自己研鑽に努めるのさ、つまり下が押し上げてくれるから、上は責任感をもって立てるんだよ」
「おいおい、急に難しい話になったじゃねぇか、そりゃあお貴族様の心得かなんかか? 俺達平民にゃあさっぱり理解出来ねぇな」
ただしアイリーンの語る貴族の上下関係に纏わる話となると、想像の域を出ないのか、すっぱり無関係を決め込み、頬杖をついてしまうゴーシュに、アイリーンは小さく噴き出した。
「はは~ん、だからお前さんはカオリに対して、頑なにその剽軽な態度を改めないんだね? ずいぶんと優しい男だよあんたは、……それとも自分は酒が飲めないからって拗ねてんのかい?」
「なんのことかわかんねぇが、目の前の酔っ払いをぶん殴りてぇのはたしかだな、殴ればこっちの骨が折れそうだから止めておくけどよ」
そう言いながら、仏頂面で再度水を注文するゴーシュに、アイリーンは流し目を送る。
「ゴーシュみたいなのがいる限り、カオリもあたし達も、きっと面白おかしくやってけるだろうよ、一応感謝しておくさね」
大きな手で鷲掴みにもつ木杯に、並々と麦酒を注ぎ煽るアイリーンに、ゴーシュは眉間に皺を寄せて一瞥を返す。
「勝手に言ってろよお嬢様、俺に奉仕の心なんざ理解出来ねぇよ、好き勝手に生きるのが冒険者で、自分の生き方を貫くのが男ってもんだ。俺には俺のやり方があんだよ」
「なあに責めやしないよ、男らしくて結構じゃないか、惚れ直したよ、はっはっはっ」
「心にもねぇこと言いやがる……」
ただの軽口の応酬にしか見えない一連のやりとりも、その実仲間同士の意思統一には欠かせない歩み寄りの一つである。
傍若無人に振舞っているように見えるアイリーンではあるが、彼女がよく周囲に目を配り、人心の掌握には注意を怠らない人物であることを理解するゴーシュにとって、彼女との会話はいつだって気を抜くことが出来ないものだった。
しかも目の前の自身と会話をしながらも、ちゃんと周囲で交わされる噂話などにも注意を払っているのだから、食えない女だと感じるゴーシュの気持ちもわかるだろうか。
「それはそうとよ、結局この行商で治安とか被害状況とかを把握してもよ、そっから誰かが関与しているなんて証拠を掴むなんて出来るのかよ、貴族に雇われた傭兵とか、それこそ家臣だったら、死んでも喋らねぇんじゃねぇのか?」
ゆえに気まずい気持ちを切り替えようと、仕事の話を持ち出すゴーシュに、アイリーンも心得たようで返答する。
「知ったことじゃないね。襲って来たりしたのはもちろんだが、隠れてるのも炙り出してぶっ殺す以外に、あたし達がしなきゃならない仕事なんてないさね。こっちにはアキから借りた【遠見の鏡】があるし、万が一に備えて緊急連絡手段もあるんだ。遠慮も自重もあらないさね」
しかし吐き捨てるように返すアイリーンの言葉に、ゴーシュはやや納得のいかない表情を浮かべる。
「おいおい穏やかじゃねぇな……、それじゃあ鼬ごっこにならねぇかって話だろ? 王家の要望は悪事に手を染める貴族や商人の炙り出しで、ようは王都での一斉摘発の余波を取り締まることだろ? ここで一気に悪ぃ連中を捕まえて……、どうすんのかは知らねぇが、それを期待されてんなら、やっぱちゃんと調べたりしねぇとなんねぇんじゃ」
「それこそ知ったことじゃないね。王国でのカオリの活動は、今や貴族をすっ飛ばして王家と直接の懇意関係さね。他所の領地を通らないと商取引が出来ないってんなら多少は貴族関係にも注意しなきゃだろうけど、その必要がないなら気を配る必要なんてないさね。というかしない方がいいってのが正解だろうね」
そこにいたってゴーシュはついにお手上げと両手を上げる
「へぇへぇ反論はねぇよ、ぞろ政治的な話ってんなら、概要だけ教えてくれよお嬢様」
話題の本質が単純ではない様相であることを理解したゴーシュの潔い態度に、アイリーンは不敵な笑みを浮かべる。それもゴーシュが適当に聞き流すのではなく、一応把握はしようと彼なりに努力を怠らない姿勢を見たからだ。
「原因と結果だけを見れば、たしかに金と権威に絡んだ問題なのは間違いないだろうよ、けどねこれはあたしの勘だが、この一連の動きにはどうにも誰かさんの感情が絡んでいるように思えてならないさね」
アイリーンの言葉に、ゴーシュは片眉を上げる。
「まあ優秀なシンの調査のおかげで、おおよその敵の姿は把握出来ているから、当てずっぽでもなんでもないんだけど、それにしたってこの問題の根本が、おそらくカオリとはなんにも関係ないんだろうってのがあたしの見解さね。――これはね。大人達の身勝手な問題で、大人の問題は大人同士で解決しなきゃなんないんだよ」
「そいつは……、なんか面倒そうだな」
すっかり苦み走った表情を隠さないゴーシュの反応に、アイリーンは口を開けて笑って見せる。
「統治者なんてのは人を使ってなんぼの立場さね。だから今回みたいにあたしらを使って、問題に対処させるのは間違いないだろう、だけど使われる側の人間に対する配慮もなく、ただ後手に回って適宜対応なんてことばかりしていたら、いつかは足元救われるさね。今後王家がカオリとの関係を維持したいってんなら、相応の誠意を見せなきゃ話にならないんだよ、現王はともかく、少なくともあの王子様達はそこんところ理解してるのかね? 舐めてるとしかいいようがないね。カオリが頓着しないからっていって、言質をとるような手管を、カオリが大人しく見逃すと思うかい? カオリの剣は、ただ鞘に収まっているだけの飾りじゃあないんだよ」
「おおぉいおい……、勘弁してくれよ、対して愛国心なんてもんがない俺でも、そいつはあれだ、不敬ってやつだ。そんくらいわかるぞ」
そしてついには大胆な発言をしてしまうアイリーンに、ゴーシュは周囲に目配せをして狼狽えるのに、彼女はさらに笑みを浮かべる。
「まあ聞きな、だから今回カオリはあたしを送り出したんだ。イゼル達やアスタへの配慮も当然あるだろうけど、それ以上にカオリが注意したのが、今回の人選の意味さね」
「おいおい、それってつまり……」
最後にアイリーンが浮かべた表情に、ゴーシュは戦慄する。
「これはね。戦争なのさ、一歩も引けない、戦争なのさ」
日が頂点に達したであろう時刻、華麗なる変身を遂げたロゼッタが対面する令嬢達に、先ほどに挙がって来た報告を掻い摘んで説明するのに、場は冬の気温にも増して冷え切った様相を呈していた。
「ご、数十にも上る野盗の殲滅、ですか……」
そうこぼすアンジェリーナ公爵令嬢に、周囲のもの達も同様の感情に支配される。
「ええ、かねてよりアンジェ様がご懸念されていた治安の悪化も、これで当分は解消されまるでしょう、まったくアイリーンにも困ったものですわ、あの人ったらわざわざ山中にまで分け入って、怪しい連中をことごとく叩きのめしたようですのよ、よっぽど腕がなまっていたようで、ここぞとばかりに張り切ってしまって呆れるばかりですわ、まだ行程の半分も終えていないというのに、笑ってしまいますわね」
「笑ってといいますか、……ほ、ほほ」
まるでこともなげに呆れるロゼッタに、アンジェリーナはもとい、主催であるベアトリスも同席を許されたクリスも、ぎこちない引き攣った笑みを浮かべる。
「まあ今後の安定した交易を思えば、販路の安全確保は全力であたるべき案件ですもの、手を抜けない以上彼女の気質はありがたくはありますわ、これで以降は彼女抜きでも問題なく行商をおこなえるでしょうし、周辺領地に販路をもつ行商人達にも喜んでいただけるでしょう」
それでもロゼッタはまるで自重することなく、あくまでも成り行き上仕方なく対処しただけと、極めて簡単に受け入れる様子に、令嬢達はここにいたりあらためて、ロゼッタが普通の令嬢ではない事実を認識する。
それこそ今日はいつにも増して、華美にそして優美に着飾っているロゼッタを一見しただけでは、まさかこれほどまでに生死を賭した闘争に寛容な女性には見えなかったはずだ。
だがたとえ野盗の類とはいえ、それでも人間を数十人以上も殺すようなアイリーンと仲間であること、その凄惨な所業を容易に受け入れることが出来るというのは、普通の令嬢には驚嘆に、ともすれば恐怖を抱かざるをえない衝撃であった。
「あの、その野盗達の背後関係などは調べがついているのでしょうか? その実どこかの貴族に雇われた傭兵だったなどですが」
「あら、クリス様はなにかご存じですの? 生憎と彼女からは怪しい集団を残らず殲滅したとしか報告は挙がっておりませんの、恐らく尋問もせずに問答無用で斬って捨てたのでしょう、そういうことはお国にお任せするつもりのようですわね」
そして恐る恐ると質問をしたクリスへ、ロゼッタはまるで取り合わずに所感を告げた様子から、ロゼッタ自身も、今回の問題に貴族または王家側へ配慮するつもりがないのを見て取り、ますます慄いた。
「まあ王家が我々の戦力をあてにしていることは存じ上げておりますが、であればこそ我々は戦力での協力こそすれ、それ以外のことに関しては、あえてお力添え出来ないと理解していただきたいですわ、近頃とに利権やなんやらと貴族社会に巻き込まれましたもの、いい加減そういった状況には辟易しておりましてよ、私としてもカオリをこれ以上煩わせるのであれば、相応の誠意というものを示していただかなければ、たとえ王国貴族令嬢であれども、擁護のしようもございませんもの……」
至極もっともな主張ではあるものの、その結果が治安を乱す野盗の殲滅、いや圧倒的な武力による一方的な蹂躙だなどと、誰が想像出来ただろうと、一同は気持ちを一つにする。
「まあ、カオリ様もロゼ様も、本来は冒険者であらせられますし、そもそも人社会の治安に寄与する義務などありませんものね」
「「たしかに」」
そこへ本来のカオリ達の立場を明確に整理するベアトリスの言葉に、アンジェリーナもクリスも声を揃えて同意すれば、ロゼッタは深く笑みを湛えてそれぞれに視線を送る。
これはロゼッタの、いやカオリ達からの明確な警告である。
ロゼッタがこのような令嬢達の会談もといお茶会のような華やかな席で、わざわざ口にするものではなかったはずのものを、あえて話題に挙げたのだから、当然これら報告は王家にももたらされているはずだ。
であれば国内問題を穏便に収め、貴族間の利権を整理し王家への忠誠を根回しする猶予を欲したアンドレアスや王子達にとって、この状況はあまりに性急に過ぎる事態であろう。
カオリの意を汲むなら、治安を回復せしめた結果、販路周辺の貴族家が、王家を恐れて手出しを控えるのか、カオリ達に恐怖して手を引くのか、どちらが効果的なのかの違いがある程度の認識である。
たしかに、ミカルド王家という大国の世襲統治者の庇護下に入るのであれば、長期的な抑止力を望めるのかもしれない、だがカオリが目指す村の独自性または独立性を重視するならば、カオリ達自身が、明確な実力を外部に示す必要があるのは間違いないのだ。
それこそ王家に対して面従腹背を呈する貴族にとっては、カオリ達を牽制することで結果的に王家に揺さぶりをかけるなどという事態も予想される以上、カオリ達が王家に期待し過ぎるのは悪手とまで考えられた。
結果、アイリーンはそんなカオリの懸念を理解し、まったくの自重を排除し、思うままに振舞った結果が、先の推定野盗集団の殲滅だったのだ。
王家を悩ませる治安悪化を改善出来、当然カオリ達の販路の安全担保も叶うのだから、その過程で悪徳領主や商人の関与の摘発など、カオリにとっては些細な問題である。
そもそもとして、国外勢力であるカオリ達が野盗被害にあったとて、法の裁きなど期待出来るはずもなく、最初から実力で排除する以外に被害を抑える手段などないのだ。
であるからして、斬り捨てた推定野盗の正体が何者で、誰の支援を受けた下手人であるかなどの捜査に、カオリ達が協力する義務などまったくなく、後は国の代官なり騎士団が正式に調査を行うのが筋というものだ。
もちろんこんな強引な手段を講じられるのも、ひとえにカオリ達に戦える十分な戦力があって初めて下せる判断であるのはいうまでもない。
「それはそうとアンジェ様、春になれば本格的に東方各地で開拓に乗り出すとのことですが、今はどの程度の東方武家が参画しておりますの?」
そんな流れからやや強引に話題を転換したロゼッタに、アンジェリーナは努めて平静な表情で返答する。
「我が公爵家は王領を挟んで両岸に領地をもっておりますので、東方に広く影響力をもちますわ、なので領地を接する武家とは、ほぼ協力関係を結べてはおります。とくに最近となりますと、新当主に代替わりしたイェーガー男爵家の治めるオーダー領で、新たに発見された迷宮の開拓が活発になり、人の往来が増える見込みですので、そこを起点とした新たな市場の開発が優先されますわ」
ここ最近で学び始めた経済知識を発揮して、流暢に語って見せるアンジェリーナに、ロゼッタは内心で喝采を送りつつ、聞き覚えのある家名に反応する。
「まあ、結局あの男爵家も持ち直すことに成功なさったのね。結果的にはよい方向に向いたのであれば、王国にとっては益となりましょう、よかったですわ」
そう言ったロゼッタの反応に、アンジェリーナは静かに息を吐く。
イェーガー家といえば、いつかの迷宮騒動にて、次男のクリストファーがカオリ達を捨て駒に利用しようと画策した件で、ひと悶着があった家である。
最終的には主犯であるクリストファーは、冒険者組合に虚偽の依頼をしたこと、それによって帝国貴族令嬢たるアイリーンを事実上殺害しようとした罪によって、帝国に奴隷として引き渡され、イェーガー家も多額の賠償金の支払いを強いられた。
本来であれば交戦中の敵国民が、自国内で命を狙われたとて、通常ならお咎めなど受ける謂れはないと考えられるだろうが、問題はアイリーンが、すでに冒険者としての身分をもっていたことにある。
冒険者組合というものは、極めて厳格な身元保証制度を有する組織である。
それはともすれば地球の医学にもとづいた電子管理をも上回る、魔法的管理方法によるものであることはいうまでもない。
つまり、どこの誰が、なんの目的で、どこでどんな活動をしているのか、を極めて正確に把握出来るということであり。
それによって、冒険者に扮した他国の工作員の懸念などが、極限まで排除され、国境を越えた魔物の脅威への対処に、冒険者達が一丸となって対応出来る制度ということだ。
先の事例でいえば、帝国貴族令嬢でありながら、魔物の脅威に対処するために派遣されたアイリーン・バンデルという冒険者を、虚偽の依頼によって故意に命の危険に晒した罪が明らかにされた。
冒険者組合としては、出自も身元もまったく問題のない彼女が、依頼人の身勝手な思惑によって殺されかけたのだから、厳格な対応をするのは当然であった。
しかしことが人間社会の問題である以上、加害者への刑罰に関しては、国に対応をゆだねるのが適正であったがゆえの結末である。
そうつまり、あの騒動からすでに、水面下での帝国と王国の歩み寄りが始まっていたことに他ならないのだ。
「ロゼ様にかの家への禍根がないことに安堵しました。新当主様は先代同様に愚直な御仁でしたので、弟君の罪を心から悔いておられました。領地経営に関しましても、素直に自らの能力不足をお認めになり、我が家に協力をご要請なられました。時期が遅れたのも、世情に疎かったところによるものと推測し、今後はオーダー領を周辺領地の中継地として開発し、新迷宮を主力とした冒険者組合の設置も視野に入れております」
そこまで話が及んでいるのであれば、今後件のオーダー領もとい、領主たるイェーガー家も、十分な税収入を元手に、きちんとした領地開発が約束されるだろう。
つまり初めから、正直に迷宮の発見を冒険者組合や寄親貴族家に報告し、後の管理運営を相談していれば、あのような蛮行によって家名を貶める事態にならなかったのだ。
いやそれどころか、周辺領地からも一目置かれ、また昨今金銭的に困窮している東方武家の中で、いっそ頼られる地位にもなれた可能性すらある。
もちろんクリストファーの独断であったことは、後の調査で判明しているからこそ、イェーガー家そのものは爵位や領地の没収もなく、賠償金の支払い程度ですんでいるのだから、新当主や前当主は、ほんとうにただ愚直で凡庸な人物であるのだとロゼッタは理解している。
ここまで来れば、あのクリストファーが、どうしてあんな犯行に及んだのかも、十分に察せられるだろう。
(つまり、迷宮の産出物の独占と販売で、富と名声を手に入れれば、兄を差し置いて自分が当主になれると考えたのね)
「馬鹿な息子さね」 とアイリーンの呟きが聞えた気がし、ロゼッタは小さくかぶりを振った。
また心中で思い巡らせるロゼッタの姿に、周囲も同情の念を送る。
「結局、真面目が一番なのですね」
「……そうですわね」
ベアトリスのそんな総括に、みな声を揃えて同意した。
ところ変わって王国東部の街道からやや離れた廃砦にて、アイリーンは絶賛不真面目な男達に、苛烈な制裁を振るっていた。
大きく振り下ろされた手斧に、頭部をかち割られた男の死体を一瞥し、アイリーンは飛び散った血を拭うこともせず、崩れかけた砦を見上げた。
「……、ほんとうに尋問はあれっぽちでよかったのかい? 所属する傭兵組合の名前しか聞き出してないけど、それだけじゃあ雇い主まで辿りつけないんじゃないかい?」
ことがすんでからの今更な質問に、アイリーンはしかし呆れるでもなく口の端を上げて笑う。
「だからいいんじゃないか、あたしらが相手をしているのは、腹黒い貴族達なんかじゃなくて、こんな馬鹿な依頼をほいほいと請け負う頭の足りない傭兵共なんだからね。示威行為としては十分さね」
アイリーンが手斧に付着した血を、死体の衣服で拭うのを、極め嫌そうな顔で眺めるアストリッドに、アイリーンは肩を竦めて苦笑を送る。
「戦争もない、あっても名を挙げる度胸もない、都会の暮らしに慣れたせいで、手近な小遣い稼ぎに目が眩んで、人を脅して金品をかっぱらうだけの仕事に精を出すなんて、もはや下種の極みさね。定住も出来ずに荒野を彷徨う野盗共の方が、よっぽど肝が据わってるとさえ言えるよ」
「まあ、傭兵なんて大なり小なり似たようなもんだって聞くし、そういわれたらたしかにそう思えるけどさ、でもやっぱりそれを使う側の問題ってのも無視出来ないだろう? 私もあの一件で教会すらも後ろ暗いことをしてるって実感出来たから、前よりも少しは頭が回るようになったって思うけど……」
そう明かして見回したアストリッドの視界には、山に積まれた推定野盗集団の死体が映る。
そこへ茂みをかき分けて音もなく姿を見せたゴーシュが、死体の山を見るなり嫌悪感も露わに顔をしかめ、溜息一つに報告を告げる。
「生き残りはいねぇよ、全部お嬢にぶっ殺されたようだな、ご苦労さんだぜ」
「人聞きの悪い言い方さね。中にはアスタに串刺しにされた奴もいるんだから、そこはもうちょっと可愛らしい言い方をしてほしいね」
ゴーシュの言いざまにさも傷ついた素振りを示すアイリーンだが、ゴーシュは手を振って無視する。
「だがいくら廃墟だからって、砦を拠点にするなんざただの野盗には出来ねぇ判断だ。こんな位置も割れてる場所を塒に利用するなんざ、貴族に雇われてるって宣伝してるようなもんだし、装備も防衛陣も、傭兵だって名乗ってるも同然だ。こんなんで野盗に扮してるつもりだったならお笑いぐさだぜ、……これからどうすんだ? 流石にこんだけ不良共をぶっ殺したなら、もう俺達を襲うような馬鹿は出てこねぇだろ、悪い意味で噂が広まっちまうだろうし、残りの行程をのんびり行商するのも悪くない判断だと思うが?」
しかし流石のゴーシュも、こうも立て続けに人間を相手にした蹂躙に加担するのは辟易しているようで、ついに願望を口にしてみるものの、その願いが叶うことがないことも、薄々理解している様子だった。
「もちろん、子飼いを潰したなら、最後は親玉を叩くのが礼儀ってもんさね。次の都市はそこそこ大きくて、さっき聞き出した傭兵共も拠点をおく場所さね。ついたら早々に正面から殴り込みをかけるから、あんたらも覚悟しておくれよ」
「雇い主を叩かずに、斡旋組織の方を叩くのかい? そんなことをしても組合の恨みを買うだけで、解決にはならないんじゃ……」
アストリッドはやや困惑してアイリーンに疑問を呈するが、アイリーンは益々笑みを深くして、手斧の柄を親指で擦る。
「当たり前さね。解決させないのが目的だからね。傭兵にとって戦争が長引くのは、飯の種が尽きない絶好の状況だ」
「なっ、おいおい嘘だろ……」
顔を上げたアイリーンの表情に、アストリッドとゴーシュは、今自分達が相対している人物が、いったいどんな人物だったのかを、改めて理解し、絶句する。
「王国貴族の連中に、本物の戦争ってのがどんなものか、思い知らせてやるさね」
そんな彼女の、凄惨な笑みに。
「これはいったい、どういうことだいっ!」
王宮の執務室で、部下からの報告を聞いたコルレオーネ第二王子は、その突拍子もない事態に、理解が追いつかずに声を荒げた。
「……重ねて申し上げます。【外縁都市クラムブリン】にて、傭兵団同士の武力衝突が勃発し、街に被害が発生しております。幸い市民には怪我人が確認されておりませんが、数件の民家が焼失し、……現在、王弟殿下が事態の収拾にあたっておられます」
「なんてことだ……。よりにもよって叔父上が陣頭指揮をとっておられるのか、父上になんて報告すればいいだ。もしや此度の騒動の切っ掛けは、……彼女達なのかい?」
焦りながらも冷静に事態を飲み込んだコルレオーネは、大いなる心当たりを探ってみせる。
「私の……、私見になりますが」
「いいよ、言ってみたまえ……」
コルレオーネに促され、意を決した様子を見せるのは、紛争騒動のおりに、カオリにきつくあたっていた王立魔導騎士団所属の女魔導騎士、フィオナである。
あの後、カオリによってエルスウェア評議国行きの随行員からは外された彼女ではあるが、彼女の居丈高な態度も、ひとえにコルレオーネへの忠節がゆえの行動であるとし、当然ながらお咎めもなかった。
そのため今もこうしてなにかとコルレオーネの仕事に協力している立場をえているものの、以前ほどあからさまな媚びへつらいは見せなくなった人物である。
「此度の騒動直前に、ミヤモト様のお仲間や村の関係者が都市に入ったのは事実であります。また傭兵組合にて、彼女らがどうやら数名の傭兵や組合員に暴行をおこなったのも、街の自警団から報告が挙がっております。……おそらくそれにより、日頃から素行に問題のあった傭兵団と、そうでなかった傭兵団とにあった確執に、火がついたのではないかと、そして、件の人物達は、それを見越して行動していたのではないかと」
「……、それによって件の人物、つまりあのアイリーン・バンデル嬢がなんのお咎めもなかったのなら、その凶行には正当性があったと判断されたわけか、だがそれが逆に、真面目に治安維持に貢献してくれていた傭兵達に飛び火して、彼らの怒りに火をつけたと……」
そこへ、新たに近衛騎士が扉を打ち、言葉少なに手紙を差し出すのを、コルレオーネは緊張した面持ちで受け取った。
手紙には、ことの推移と原因に関する調査結果が事細かに書かれていた。
おおよそコルレオーネ達が予想した通りの内容に、彼は盛大に溜息を吐いた。
「恐れながら、記載に及ばなかった伝言を言付かっておりますので、お伝えします」
最後に、近衛騎士は騎士の礼を解かぬまま、伏した状態で重々しく語るのを、コルレオーネは極めてばつの悪い表情で受け止める。
「『次からはもっと上手くやりなさい』と」
「はあぁ……、ありがとう、下がっていいよ」
近衛騎士の退出後、しばしの無言ののち、先に発言をしたのはフィオナからであった。
「恐れながら殿下、彼女らに、いえ、ミヤモト様に刃を向けられた身として申し上げます。――彼女達は異常です。結果としてはたしかに確実に実績を示す有能さをもっているのでしょうが、その過程や手段に関しては、まるで好悪に頓着がなさ過ぎると思えてなりません、これはもはや政略などで収まる範疇ではなく、彼女達勢力と王国貴族達との戦争にほかなりません、このまま王家がカオリ・ミヤモト様を利用しようと、ただ座して傍観していては、国内はほぼ紛争状態にまで悪化するのは確実であると愚考いたします」
「カオリ君達は、この程度では止まらない、そう言いたいのかい? 水面下での調査や取り締まりに徹するのではなく、片っ端から喧嘩を買って、正面から殴りつけると?」
コルレオーネの問いに、強い眼差しで肯定を示すフィオナの様子に、ここにもカオリを心底懸念する人物がいることを理解する。
「私はミヤモト様に剣を折られた瞬間に理解しました。世界には、富や権力ではどうすることも出来ない存在がいるということを、いくら肩書が尊く、また社会に影響力のある人物であっても、純粋な力の前では無力であるのだと……、彼女達は、決して守られる側の人間ではありません、王家の庇護は、ともすれば彼女達の枷となり、その牙が向かう先が、必ずしも敵にだけとも限らないのだと」
その告白には心理があると理解出来るだけに、まるで途方もない発言ながら、コルレオーネにはそれに反論する言葉を見つけられなかった。
「なるほど、王都の一斉摘発の時と同様に、悪事に手を染めていた黒幕を突き止めるのではなく、彼らが利用していた手勢を残らず全滅させるということか、工作を依頼したくとも、依頼出来る人手がまったくいなければ、牙を抜かれた獣同然、『後はお前達でどうにかしろ』ってところかな? これは、さらに嫌われてしまっただろうな……」
後に同様の報告を受けるであろう国王から、いったいどれほどの小言を向けられるのかを想像し、コルレオーネは額に手をおいた。
翌々日の夕刻、方々調査の結果をササキの口から伝えられたカオリ達は、とくに驚きもなく淡々と受け止めていた。
「結果として、最後に野盗被害に遭った貴族家が、野盗を返り討ちにした結果、野盗に扮していた貴族の子息を捕縛したことで、東方武家の内部分裂が決定的となった。ようやく王家も一連の騒動に介入する大義名分をえたようだ。以降は小規模ながらも、いずれかの騎士団主導のもと、積極的な調査がおこなわれるだろう」
そう締め括ったササキの言葉に、だがカオリは今後の行商の安全の担保ではなく、王家の動向そのものに興味を抱く。
「治安維持を担当する騎士団を率いるのは、どんな人なんですか?」
その一見突飛に聞こえる質問の意図を理解したササキは、即座に説明をする。
「現王陛下が立太子されると同時に、臣籍降下なされた王弟殿下だ。現在は前王王妃両陛下と共に【外縁都市クラムブリン】を治める代官でもある。かねてから王領東部の治安に苦心なされていたと聞くが、傭兵同士の抗争が勃発したのを機に、正式な調査を入れることが叶った結果、信用出来る傭兵を多数確保出来るようになったそうだ。自警団とは独立した新しい騎士団を設立し、その育成も兼ねて王国騎士団を迎えるのだろう、殿下ご自身は文官よりのご性分であらせられるので、直接騎士を率いることはないだろうが、頭の切れる御仁との噂だ。団結力を増した今の騎士団と連携出来るのであれば、王領における治安の維持は、今後一層強化されるだろう、もちろん貴族家の横槍など跳ね除けられる組織となるのは確実だ」
その説明により、カオリの懸念が大いに払拭されたことを、カオリの表情から読み取ったササキは、鷹揚にうなずきを加える。
「王弟殿下に一連への介入を促されたのはササキ様なのですか? いくら殿下の頭が切れるといっても、対応が迅速に過ぎるように思われます」
そこにロゼッタがササキに探りを入れるのも、事態がこれほどまでに大きくなっていたにも関わらず。これまでまるで介入してこなかったササキを、彼女なりに訝しく思っていたことの証左である。
「正確には私ではなく、私の忠告に顔を蒼褪めさせた陛下だな、カオリ君が引き受けて、アイリーン君が派遣されたのだから、どんな事態が引き起こされるのかなど、火を見るよりも明らかだろうとな、もちろん王都の一斉摘発から難を逃れた組織の一部が、未だ王都周辺で身を潜めているであろう懸念もあった。その一つとして傭兵という身分は都合がよかっただろうことも予想されていた。強攻調査をしようにも、信用出来る手勢が限られていた以上、これまでは手の出しようもなかったはずだ」
「まあ、積極的に悪いことをしていた人達は、みんなアイリーンさんに、物理的にお腹を割らされたでしょうし、残った人は信用出来そうな人ばっかりだったでしょ~」
ササキの説明の補足とするには、なんとも身も蓋もないカオリの言葉に、ロゼッタは半眼を向けるものの、それが真実なのだろうと大きく息を吐く。
「ああそれと、傭兵さん達の抗争で怪我をした市民に、イゼルさんが無償でアンリのポーションを提供したって言ってました。その時にアイリーンさんが町のお偉いさんと交渉してくれたって言ってましたけど、もしかしてその人が王弟殿下様だったのかな~」
「流石はアイリーンね。抜け目のないこと」
だがその情報は知らされていなかったササキは、なんとも言えない表情を浮かべる。
「なるほど、それで市民に怪我人がなかったのか、これは、陛下はまた頭を抱えそうだな」
同時刻、【外縁都市クラムブリン】にて、大衆向けの酒場で一同揃っての食事に興じていた面々は、それぞれで今回の騒動に乗じてえた成果について語っていた。
「怪我をした市民へのポーションの提供で、恐らく、アンリちゃんのポーションの有用性や、私達の行商隊の喧伝は十分に出来たと思うわ、あとは真っすぐ王都を目指すだけよ、ねぇカーラ」
「はいっ、市場をあちこち回ったり、商会さんともお話出来たので、私達が王都で仕入れるべき商品の傾向とか、逆に王国で売れる販路や価格も予想出来ますっ、しっかり記録してます!」
そう自信満々に語るイゼルとカーラの二人に、護衛の面々は小さく拍手を送る。
「販路の治安に関しても、もう大丈夫そうだぜ、お嬢の読み通り、ここの代官様が新たに治安維持のための人員を募集し始めたようだ。つってもおおかたの人数はもう信用出来る傭兵共で決まってるんだろうがな、どっちかってぇと宣伝目的の募集なんだろうよ」
「今日だけで~数十人の傭兵が捕まってたぞぉ~、ありゃあ牢屋が足りないだろうねぇ、悪い貴族や商人に加担してた傭兵組合も、まとめてふん縛ってたから、あちこちで大騒ぎしてたぁよ」
そしてアイリーンが都市に到着し、その足で傭兵組合にたむろしていた傭兵団の幹部を叩きのめしたことで、一気に情勢が傾き、悪事に加担していたほとんどの不良傭兵が摘発されるにいたった。
これで街道を襲う組織的な脅威は、ほぼ一掃されたと見てもよいと判断出来る。
「いや~上手くいったさね。これでカオリも満足するだろうよ、後はアスタだけでも十分対処出来るから、あたしはお役御免さね」
「……もうなにがなにやら、だよ」
それぞれの報告を聞き終えたアイリーンの総括に、アストリッドはただただ面食らって、椅子に背を預けて項垂れる。
状況をアストリッドの目から見て客観的に解説するなら、幾人かの傭兵の首を引っ提げて、乗り込んだ傭兵組合で、関係者と思しき傭兵団を次々殴り倒し、自分達を襲った落とし前をつけろと大声で騒ぎ回っただけである。
それがどうして対抗組織との抗争に発展したのか、アストリッドにはまるで理解出来なかった。
「同じ傭兵さんで、同じ都市を拠点にする組織でも、いい傭兵さんと悪い傭兵さん、違いがあるもんなんですね。私にはまったく区別が出来ませんでした」
そう感想をこぼすカーラに、アイリーンはにんまりと笑みを向ける。
「前にも言ったさね。いま国内に残ってる傭兵なんて、戦で生き残る自信のない腰抜けか、比較的冷静でまっとうな傭兵かの二つだってね。後者の連中は一つところに腰を据える地域密着型のそこそこ善良な奴らさ、安定しているが安月給で規則も厳しい自警団より、自由に活動出来て臨時収入もある傭兵の方を選らんだだけで、郷土愛もあろうさね。なのに同じ傭兵が治安を乱しているなんて知ったら、許しちゃおけないだろうってね。あたしはただ切っ掛けを与えてやっただけさ」
「それならどうして冒険者にはならないんだい? 人の脅威も怖いけど、魔物の脅威の方がよっぽど深刻だろう? 金を払えば荒事ならなんでも請け負う傭兵なんて、平民からは印象も悪いし、現にカーラが言ったようにみんな一緒くたに見られがちだろに」
また今回の騒動に発展した根本原因であろう傭兵同士の確執についても、アストリッドは疑問に思う。
若くして冒険者となったアストリッドにしてみれば、弱き民を守りたいと志すならば、各領のみならず、国境すらも検閲なしに通過出来る冒険者の方が、余程自由度が高く、またやりがいも感じる職に思えるからだ。
「馬鹿言っちゃいけないよアスタ、だからこそ傭兵の需要があるのさ、冒険者ってのは本来魔物の生態や特性の正しい知識、人跡未踏の地に少数で挑む度胸が必要な高度な職業さね。また冒険者組合が発行する個人保証とか依頼達成率の保証とか、とにかく管理運営にかなりの経費がかかってる。その分依頼料は当然跳ね上がるだろ? 国内の近場での依頼で、とくに大きな脅威がないなら、傭兵の方が断然安く済むし、商人や貴族にとっては、自分達をわざわざ狙うのは人間である場合がほとんどだ。なら主に人間を相手にする傭兵の方が専門だろうと考えるもんさ、『精霊のことは精霊に聞け』てね。おや、これは帝国の諺だったかい?」
「へぇ~……」
そんなアイリーンの解説に、アストリッドはわかったようなわかってないような、実に曖昧な返事をする。
「つまりだ。街の衛兵気取りのわんぱく坊主が、そのまま大人になったような連中が地域密着型の傭兵共で、そいつらからしたら、他所から来た素性の知れないごろつきは、街を乱す不届きものなのさ、機会があれば追い出したいって日頃から思ってただろうよ」
だがそんな説明だけでは、まだ理解出来ないことがあると、イゼルは小さく挙手をする。
「でも、アイリーンさんはどうして、この都市の傭兵達が、対立構造になっているって知っていたの? 今回の流れを意図していたのなら、あらかじめ状況を理解していないと出来ない計画でしょう?」
そのもっともな質問に、アイリーンは豪快に笑う。
「あっはっはっ! そりゃああたしが帝国人で、いつかこの都市を落とすために、帝国が長年情報収集していたからさね。なんせここはエイマン城塞都市の次の国土防衛の要、王都を守る最後の砦さね。その性質や歴史は知ってて当然だろう? エイマン城塞都市なんて、帝国との戦争がなけりゃあ傭兵に仕事なんてない辺境さね。なら東北と東南を結ぶ交易路で、いざ戦争になればすぐに東に向かえるこここそ、傭兵が一番集まる主要都市さね。つまり長年にわたって傭兵達が拠点に選ぶ都市で、その分、古参と新参とで揉めやすい土地ってことなのさ」
「そ、そうなのね……」
「その慧眼には恐れ入るが、出来ればもう少し声を落としてほしいなっ。知ってるか? ここって王国の、しかも王領なんだぜ?」
一目で帝国人であることが丸わかりのアイリーンの口から、王国人であれば誰であれ聞き捨てならないであろう言葉が飛び出すことに戦々恐々とするゴーシュだが、他の面々も同様の気持ちでアイリーンに視線を向ける。
「なにを怖がることがあるんだい、こちとら誰よりも王国の治安回復に骨を折った功労者さね。例え王家であっても文句なんか言わせないよ、忘れちゃならないのはね。あたしもカオリもイゼル達でさえも、王国の民じゃないってことさ、税を納めてやいないし、賦役の義務もありゃしない、そのぶん王国における一切の権利を受けられないし、身の安全さえも自前でなんとかしなきゃならない、つまり対等な立場ってことさ、いいかいイゼルにカーラ、お前さん達は心得ておきなよ、『王国でさえも敵になるかもしれない』て可能性をね」
アイリーンのその極めて現実的な言葉に、イゼルは無言でうなずき、カーラはごくりと喉を鳴らした。
一方れっきとした王国民であるゴーシュ達やアストリッドは、困惑を通りこして無表情になる。
彼らの立場に立って見れば、このアイリーンの言葉が、ほぼ王国に対する敵対の意思、つまり宣戦布告にすら聞こえるものであったからだ。
「勘違いしなさんなよあんた達、喧嘩を売って来たのは王国の貴族連中が先だし、その貴族達との闘いの舞台に、カオリ達を引き摺り出したのは王家のわがままなんだよ? どうしてカオリが今更王国におもねる必要があるんだい? ササキの旦那だってカオリを王都に招くさいは、ちゃんとした依頼という形で報酬もきっちり決めて、あくまでも自由を保証してくれてるってのに、王家のやりようはまるで便利な手駒にするそれさね。カオリが内心でキレるのも無理ないね。ましてやあの王子様はまるでついでの用事のように今回の調査を受けさせたんだってね。流石にロゼも怒ってたんだ。どう言い訳するのか後で楽しみさね」
「わかったわかった降参だ。お嬢が正しいっ」
そこまで一気に捲し立てたアイリーンに向けて、ゴーシュは盛大に溜息を吐いて両手を上げる。実にわかりやすい降参の姿勢である。
「現状王家のやりようは、カオリちゃんを軽視し過ぎてるってのは反論のしようもねぇし、それでカオリちゃんが王国と対立する可能性があることも認めざるをえねぇ、俺も気持ち的にはお嬢と同じだよ、こちとらその割を食ってる立場でもあるしな、だがせめてよ、いったいどこの誰が騒動の発端で、どうしてカオリちゃんが巻き込まれてんのか、その予想くらいは教えてくれよ、こっちは明日にはどこに飛ばされんのかもわかんねぇ状況なんだ。ちったぁ慰めがあってもいいだろ?」
全面降伏のていでありながらも、なけなしの気概で情報の開示を要求するゴーシュも、流石は斥候型の冒険者であると評価すべきであろう。
そして問われたアイリーンはこれまで以上に凄惨な笑みを浮かべて片肘を机におく。
「なんてことはないさね。帝国が憎くて憎くて仕方がない、もう自分じゃあどうしようもない爺共、それがカオリが村の復興を願った時からずっと、遠回しにカオリに害を与えている元凶なのさ、全ては帝国ともう一度矛を交えたいがために、ずっと裏から手を回してるのさ、これまでね」
そして同席する面々の目を、一人ずつ眺めて、一拍おいて断言する。
「だから何度も言ってるだろ? これは戦争だって、カオリはね。王家に横槍を入れられたくないんだよ、自分の敵は自分で斬るためにはね。不正の調査? 違法の証拠? そんなのを王家に握らせるつもりなんてはなからないんだよ、真正面から叩っ斬るのに、鉄格子が間にあったら邪魔なんだからね」
この言葉に、一同が絶句したのは、わざわざ言うまでもないだろう。