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( 降雪街道 )

 薄い雲が王都を覆い、乾燥した風が冷気を運ぶ外の景色を、カオリとロゼッタは無感動に眺めて無為な時を過ごしていた。


「イゼル様の行商隊が、今朝出発したそうよ」

「うん、私もアキから報告してもらったよ~」


 ようやくもろもろの段取りがつき、かねてから入念に準備をしていた初の行商の出発を、二人は淡々と確認する。

 しかし表情にこそ表さないものの、双方内心では一抹の緊張の類を感じていることを、お互いに承知していた。

 なにしろ村としては、初の外界との公的な交易が始まるのだ。その成否を気にしないなど不可能である。

 幸いにして魔物や野盗による襲撃の被害に関しては、おおよそ不安に思うことはないことは間違いない。


 経験豊富な現金級冒険者パーティーの【蟲報】を主軸とし、随行員に黒金級のアストリッドと、冒険者としては鉄級に過ぎずとも、歴戦の傭兵として帝国各地を転戦していた遍歴をもつアイリーンを擁した商隊である。

 よほどの腕利きを十数人ほど揃えた部隊でもなければ、この面々を正面から打ち破るのは不可能である。


 またアイリーンには緊急連絡手段である【―仲間達の談話(ギルドチャット)―】もいつでも利用可能なのだ。災害級の強大な魔物に遭遇したとて、カオリ達はもちろん、ササキが即座に駆けつけることも可能な体制で、戦闘面での不安があろうはずもない。

 ただしそれ以外の要素、それこそ通常の行商が、はたしてそう上手く運ぶかについては、素人のカオリでは予想のしようもない。

 また王家から内々で受託させられた。王領内での不正や治安の調査など、行商とはまったく関係のない要素が、どのように作用するのか、それらがカオリ達を混乱させだ。


「まあ……、ゴーシュさんとアイリーンさんならなんとかしてくれると思うけど」

「ああ見えてアイリーンは交渉事が巧だもの、やっぱり公爵令嬢の名は伊達ではないということね。社交だって十分にこなせるくせに、内向きの仕事をしたがらないなんて怠慢極まりないわ」


 計画通りの手順を踏むのであれば、イゼル達は各町村に立ち寄り、営業活動の傍ら、それぞれが各所で聞き込み調査をしつつ、王都を目指す手筈になっている。

 場合によっては途上の町を治める代官から、王家宛ての手紙を預かりもするというのだから、王家のカオリ達に向ける信頼と期待のほどが伺えよう。

 流石にあからさまな不正行為に及ぶような貴族や商人はいないはずだが、それでも帝国王国間戦争の事実上停戦による、軍の往来の減少に伴う監視の緩みが、まったく統治に影響を及ぼさないなどと楽観視は出来なかったのだ。


 少なくとも、先の理由から職を失った元兵士や傭兵からなる小規模な略奪被害は、増加しているのは事実であった。

 王家が危惧するのは、それら被害が、戦時需要を失った商家、あるいは武家による組織的な略奪である可能性であろう。

 ともすれば、野盗に扮しているのが、家人本人である可能性すらあるとなれば、早急に手を打たねばならない。


 だが現在、王国が保有する武力は、主に太陽協定によって結ばれた同盟国からの義援金で組織された常備軍が主であり、王家の一存で動かせる兵力というのは、実はそれほど多くはないのが実情であった。

 帝国王国間戦争の事実上停戦による軍縮をおこなった今、帝国を刺激し兼ねない大規模な軍の運用は慎重を期さねばならず。また資金的に見ても、そうそう容易に動かせる戦力ではなかったのだ。


 では騎士団を派遣すればよいかと言えば、それも難しいと言わざるをえない。

 王国における騎士団は、たんなる武力組織とは違い、いわば騎士の称号を有した役人としての側面が強く、立派な貴族階級に数えられる存在だ。

 ゆえに王国騎士団を代表とする。王家近衛騎士団、王立魔導騎士団、王都守護騎士団では、それぞれで職分は大きく違いがあるといえども、いずれにせよ国家運営において極めて重要な位置付けにあるのは共通である。

 それぞれの騎士団の職分を細かく解説するのは別の機会においておくとして、大雑把にいうのであれば、王家の名代として様々な事業や治安維持の陣頭指揮官としての側面が強かった。

 もちろんいざ戦争となれば、団結して轡を並べ、剣を振るう戦力ではあるが、平時においては、余程のことがない限り、王都から離れることはなく、それが可能なほどに数がいるわけでもなかったのだ。


 今更の解説にはなるが、名称が似ていることで例に挙げられる。近衛騎士と近衛兵とではそもそも所属が違い、前者が『王家』に仕え、後者が貴族院によって運営される『国軍』を帰属とする別組織である。

 身分としては当然騎士が上ではあるものの、しかし全体で比べれば圧倒的に軍が多く、王宮の一般警護はもちろん、王領全域の治安維持は、王家の要請によって軍から兵を派遣してもらうという形式をとっている。

 つまりそもそもとして、数を必要とする広大な王領全域の巡回を、いくら王家直属とはいえ騎士団だけで賄うのは不可能なのだ。


 具体的な運用手順を説明させてもらえるならば、仮に今回のような街道の治安回復を王家が考えた場合、本来であればいずれかの騎士団員に勅令を下し、必要な人員規模を軍務財務等各大臣と協議した上で、玉璽の捺された兵の派遣要請書類を携え、騎士が直接軍指揮官と共に人員の選定をおこない、順路なども含めた細やかな作戦概要を逐次報告する義務が生じるのだ。

 つまり義援金を資本として組織された軍は、なんらかの建前がなければ安易に動かすことが出来ない、極めて不便な組織形態なのだ。


 であれば、カオリ達の発案によって新設された魔物討伐部隊なる存在が、如何に特異な位置付けであり、またこれまでにない大胆な組織であるかが伺えよう。

 それもこれも先の紛争騒動の発端が、【人工合成獣】からなる魔物の脅威があったからこそであり、ゆえに軍の予算が利用出来たのである。


 そうでなければ、いわばミカルド王国の私的な内政事情に、義援金が利用されることを、太陽協定下にある各同盟国が、許すはずもなかっただろう。

 カオリ達から見れば、提案したら即採用された程度の認識であっただろうが、これが実現したのは、ひとえに魔物の脅威が各国共通の悩みであったのはもちろんのこと、それを巧妙に近隣諸国に理解させ、同意を取り付けた外交貴族家の手腕があったればこそだ。


 果たしてここまで解説したことで理解してもらえただろうか、現在王家が抱える最大の悩みとは、己達が私的な理由で動かせる武装組織が、圧倒的に不足していることである。

 よって国難にさいして、もっとも信頼かつ即応能力を有する最大の戦力として、神鋼級冒険者のササキを、王家が重宝するのは至極当然であり、ともすればその後見を受けるカオリ達を囲いたがるのも、また無理からぬことと理解しほしい。


 またほんの先日にカオリ達から提案された。クリスティアーネ王妃直属の私設騎士団である【百合騎士団】の発展などは、王家が是が非でも推し進めたい政策の一つであったことだろう。

 私設とはつまり、王族が領主として保有する私費によって運営される組織を意味し、その裁量権は設立者である王族のみが揮うことの出来るものである。

 だが当然、いくら王族が広大な領地を有する大領主として、莫大な税収入をもっているとはいえども、無限に浪費することなど出来ようはずもなく、明らかに支出額が収入を上回る場合は、宰相を筆頭とする側近達が、なにがなんでも止めに入ることは必至である。

 しかしカオリ達はそれら収支も含め、むしろ利益の方が上回るであろう道筋をも立てて、事前に計画し提案をしていたので、もはや誰も文句のつけようもなかったのだ。


 そして今回の行商および、街道の治安回復捜査依頼である。

 王家にしてみれば、お膝元の貧民街を綺麗にしたついでに、都合よく人のいなくなった空家一つの権利と引き換えに、広大な治安維持活動に利用出来る即戦力を、無料で、手に入れたも同然なのだ。

以前にカオリが王子達から安請負したことを、なぜロゼッタが咎めたのか、その理由も理解出来よう。

なにはともあれ、ことはすでに始まったのだ。後は野となれ山となれと、カオリが極めて微妙な表情を浮かべるのに、これ以上事情を説明するのは、胸焼けを生じようか――。




 そのころ村を出発した行商隊の狼車は、力強いシキオオカミ達に牽引され、舗装もない土道を疾走していた。


「ああ、俺の麦酒が、蒸留酒が、遠ざかっていくぅ……」


 そんな中、早々に悲哀の声を漏らしたゴーシュに、アイリーンは豪快に笑ってその肩を逞しい腕で抱えた。


「あっはっはっ、そんなに寒けりゃあたしが抱き締めてやろうじゃないかっ、ほらもっとこっちによるさね~」

「いやっ冷てぇよっ、全身金属の腕で抱えられたら凍傷になっちまうわっ!」

「あっはっは! 冷たい対応ってかい、こりゃあ一本とられたねっ!」


 ゴーシュを揶揄うのが余程に愉快なのか、アイリーンはまるで堪えた様子もなく、乱暴に払われた手で再度彼の肩を叩く。


「こんな粒揃いの女達と旅をするってのに、いつまでしけた面をしてるんだい、それとも酌でもすりゃあ機嫌が治るって言うんだったら、喜んで付き合うさね」

「依頼中に飲むわけねぇだろうが、斥候の俺らが酔って仕事になるかよ、それぐらい弁えてらぁ」

「そいつは重畳」


 それでもこの行商が、身内だけの気楽な仕事であっても、気を抜くところのないものであるとは承知している面々である。それぞれが求められる最低限の水準は守る。


「あの~さ、私は昨日合流したばっかで、細かい依頼内容ってほとんどよくわかってないんだけど、これってただの行商の護衛ってわけじゃないんだろ?」


 そこへ、今更な質問を向けるアストリッドに、車内の面々は揃って視線を向ける。

 先に弁明を述べるなら、もちろんカオリ達とて、アストリッドを送り出す前に、一通りの事情説明はしていた。それが依頼者としての義務でもあるのだから当然である。

 また王都屋敷から素早く彼女を村へ送り込むために、本来部外秘のはずの転移陣を利用したのは、物理的な時間の節約以上に、彼女に向ける信用の証を立てる意味合いもあった。

 まるで政治に疎いアストリッドが、この破格の移動手段を前に、また前述した今回の護衛依頼に纏わる王家の思惑なども含め、内心どのように感じたかは本人のみぞ知るところである。


「まあそうさねぇ。わかりやすく言うなら、あたしらが頼りになり過ぎるから、王家に半ば私兵扱いで扱き使われたってところさね」

「ひでぇ話だぜ、頼りになるのはあくまでもササキの旦那と、カオリちゃん達なんであって、俺らは平凡な冒険者に過ぎねぇってのに、なんでこんなややこしい仕事をしなきゃなんねぇんだ……、【閃光】の姉さんも覚悟してくれよ、カオリちゃん達と仕事するってのは、普通の冒険者にはどだい無理な案件がほとんどだからよぉ」

「ええぇ……」


 しかしここに一から十まで懇切丁寧に説明してくれる人間などおらず。アストリッドは再度首をかしげる結果となる。


「教会帰属の冒険者集団なんかに所属してたんだし、あの教会の犬に飼われてたんじゃあ、世情に疎くなっても仕方がないさね。お前さんが理解出来ないのも無理はないね。というかそこに利用価値を見てたんなら、わざと教育しなかったんだろうよ、なにもアスタのお頭が足りないってわけじゃないだろうよ」

「う、やっぱりそうなのかい……」


 だがそこは腐っても帝国の公爵令嬢である。王家が抱える悩みにも大まかにあたりをつけ、今回の件に及んだ経緯が、おおよそ王国の軍事問題に起因するものであることを察し、その難解さを暗に示す。


「王国はよくも悪くも西大陸の最大国家、対帝国の旗印さね。抱える軍事力にゃあ多分に他国の内情も絡んでるし、そうでなくとも国内貴族の足の引っ張り合いもあろうさね。たかだか王領内の治安維持に、大それた軍の出動なんて出来やしないだろうよ、しかも治安の悪化も、元を辿れば拙速な軍縮の余波とくりゃあ、王家の失策なんて揶揄する武家もいるだろうから、なおさら自分達だけ軍の戦力をあてにするなんて言えないだろう」


 そして補足によって限りなく真実に近い予測を立て、なかなか筋の通った説明となれば、事態の全容を大まかにしか理解していなかったものにも、分かりやすい解説に着地する。


「あのそれって、王様でも兵隊さん達を簡単には使えないってことですか? 騎士様達どころか、兵隊さんまで動かせないなら、私達みたいな平民は、誰が守ってくれるんですか?」


 そう不安を吐露したのは、アストリッドの隣で膝を抱えて挙手する。元農家の娘のカーラだ。

 帝国貴族令嬢のアイリーンはもとい、今では冒険者として自らが戦力として前線に立つゴーシュ達では、今なお無力であると自覚する村娘の彼女の不安を、真に理解することは難しい、ゆえにこそその質問が如何に重要な事柄であるかを察し、しばし黙考する。


「その通りだねカーラ、お前さんの不安はもっともさね。弱き民を守らずしてなにが貴族か、なにが国かってね。この話は一言で言い表すのが難しい問題だよ」


 アイリーンはそう前置きをし、再度カーラに視線を向ける。


「貴族のあたしらには耳の痛い話だが、領内の治安の維持ってのはそう易々と守れるものじゃない、毎日数人の兵を巡回させて、要所に見張りもおかなきゃならない、もちろん交代要員として必要箇所に配置する数の倍の人数を常に確保しなきゃだろ? 小さな荘園程度なら当主自ら見回りくらいするだろうが、中途半端に広いだけの領地じゃあ、どうしても見落としが出るもんさね。そうなると遠隔地の村や、ましてや集落なんかは、自警団頼りになっちまうのさ、言い訳にしかならないだろうけどね」


 胡坐をかいた姿勢で頬杖をつくアイリーンの言葉に、一同はなんとも言えない表情を浮かべる。

 通信はもちろん交通の便すら不十分なこの世界で、犯罪を未然に防ぐことがどれほど難しいのか、その理由を語るにはあまりに前提からして不足要件が多過ぎるだろう。

 ゆえにアイリーンにとって見れば、カオリ達と気軽に遠隔通信が可能な通信魔法の、【―仲間達の談話(ギルドチャット)―】や【遠話の首飾り】などの魔道具が、如何に画期的な手段なのか、心底感心するものであった。

 だが当然こうした通信手段が、従来の戦場の風景を一変させる可能性があることも十分に理解している彼女である。これらの情報が外部に漏れることには、彼女なりに細心の注意を払っている。


「もちろん大規模な略奪なんかがありゃあ、近隣領主協同で資金を出し合い、傭兵なりなんなり雇って討伐隊を指揮することもあるし、より上位の寄親を頼って兵を出してもらうなり、やりようはいくらでもあるだろうけど、それでもやっぱり被害があってからの後手に回るのが普通さね。情けないけどね」


 次いで語る解決策も、結局は事後対策に終始せざるをえないことを、アイリーンは極めて自虐的に語ってみせれば、一同の表情はわかりやすく諦念の色に染まる。


「でもよ、俺らの村みたいによ、常に戦える人間が暮らしてりゃあ、そうそう野盗の集団なんて近くに住み着いたりしねえだろ? とくに王国東部は武家がひしめき合ってんだし、領民にゃあ退役軍人なんて山ほどいんだろうから、そうそう悪いこと出来ねぇと思うんだが?」


 だがゴーシュのもっともな意見に、アイリーンは口の端を上げて顔を向ける。


「そりゃあ王国の常備軍は数だけは立派だからね。戦える領民はそれなりにいるだろうよ、だけど忘れちゃならないのは、王国東部のほとんどが、碌に領地開拓も出来なかったぼんくら貴族ばっかだったことと、そのせいで仕事が無くて『戦える元領民』に成り下がった野盗連中さね」

「ああ~、なるほど理解した……」

「……帝国人なのにやけに王国の内情に詳しいんだね」


 そんなアイリーンの言葉に理解を示したゴーシュの一方で、アストリッドは怪訝な表情で彼女を見詰めれば、アイリーンは笑って肩を竦める。


「そりゃあ帝国も似たようなもんだからさ、ていうか元帝国領の村娘のカーラにとっては、故郷の困窮の原因が一番の感心ごとだろう? 事情はさっきの説明の通りで間違いないんだろうけど、それこそセルゲイ達のことを見てりゃあ、もう答えが出ているようなもんじゃないか、領主に使い捨てられた元脱走兵なんて、帝国じゃあ珍しくもないさね。そんでもって戦争ばかりして、碌に領地経営も出来ない無能領主のお膝元とくりゃあ、愛娘を奴隷にするしかないほどに、村ごと貧乏をするなんて、もうどうしようもない話さ、……貴族令嬢として何不自由なく暮らして、今も好き勝手に生きてるあたしになんて、言われたくはないだろうけね。謝れば許してくれるかい?カーラ」

「ま、まさかっ、そんなつもりは……、アイリーンさんには奴隷から解放していただいた御恩もあります。毎日なにかと気にかけていただいてます。許すだなんて恐れ多い……」


 彼女のそんな言葉へ過剰に恐縮するカーラの様子に、アイリーンはおどけた仕草で笑みを向ける。


「考えてみりゃあ、ここには帝国貴族、しかも公爵なんて途方もねぇ大貴族のご令嬢がいるかと思えば、元奴隷とか貧民とか孤児とか、色々と揃い踏みなんだな、それがこうして仲良く行商だなんて、人生どうなるかわかんねぇもんだなぁ」

「あたしも正直驚きだよ、孤児院と教会で育って、馬鹿なまま冒険者として王都暮らしをしていたあたしが、まさか首の皮一枚繋がって仕事を貰えてるなんて、ほんの一年前までは考えもしてなかったよ」


 ゴーシュとアストリッドにとって見れば、今この状況すらも驚きのさなかとあって、どうにも感慨にいたる状況である。


「あたしゃあ今が最高に楽しい毎日さね。酒を飲んで働いて、強い奴とも戦えて、誰かの役に立てている実感もある。傭兵として私利私欲に塗れた戦場を渡り歩いてた日々とは、比べ物にならないほど充実してる。万々歳さ、万々歳さね」


 言葉を重ねて満足気な表情のまま、両手で頭を抱えて目を閉じるアイリーンに、一同は大きく同意して息を吐いた。

 しかしほどなくして、馭者台から警告を告げる呑気な声が響く。


「おぉ~い、前に人影があるぞぉ~、武器もってる感じだからぁよぉ、気~つけろぉい」

「スピネル……、お前もうちょっと緊張感出して言えよ、気が抜けちまうだろうが」


 彼特有の間延びした話し方に、ゴーシュは長年の仲間として、久しぶりの苦言を呈するが、今まさに寝入ろうとしていたアイリーンが、カッと目を見開いて上体を起こす。


「ほっほうさっそくお出ましかいっ、アスタだけついて来な、男共は可愛いこちゃん達をしっかり守りなよ」

「あたしは可愛いこちゃんには入んないのかい?」

「そんなに殺気立ておいて、可愛がってほしいなんて、それこそ可愛いとこあるじゃないかっ、後でしっかり頭撫でてやるさね」

「首の骨を折られるのはごめんだね。これでもそれなりに脳味噌の入ってる大事な頭なんだよ、そっちも油断して綺麗な顔に泥をかぶらないことを祈っててやる」

「言うねぇっ! ますます可愛いさねぇ~」


 アイリーンの軽口に触発され、本来の勝気な性格を表すアストリッドの両名は、闘争心を漲らせて互いに肩を並べ合う。

 そんな二人を見上げながら、ゴーシュは盛大な溜息を吐いた。


「ついてけねぇよ、まったく……」

「いんやぁ~、たのもしいねぇ~」

「いつものことだろ、ゴーシュよ」

「また強ぇ女が増えたんだな……」


 そんな【蟲報】達の呟きが、冬の空に消えていく。




 一方村では、冬支度が最終段階を終えていた。


「薪の準備よし、開拓団全員分の防寒具も万全、アイリーン君の抜けた穴も、まあなんとかなるだろう、後はなにかあるかね。アキ君」

「いえ、おおよそ過不足なく、これならばカオリ様によい報告を上げることが出来ます」


 二人立って並んで歩き、村の様子を見て回り、最終確認を終えれば、ようやく弛緩した様子で息をつくオンドールに、アキは不思議そうに視線を向ける。


「お疲れのご様子ですが、なにか気になる点でもありますか?」


 アキがそう質問するのに、オンドールはやや思案しつつ、肩を竦めて見せる。


「いやなに、従士として集落の開拓を指揮していた時代を懐かしく思ってね。存外騎士というものは冬の間は暇になることが多くて、毎年どうしたものかと思案したものだよ」

「そうですか」


 アキにしては珍しく、他人に興味を示したように見えたものの、そのわりには素っ気ない相槌に、オンドールは苦笑する。

 そしてすっかり冬模様となった気温のさなか、まるで変わらず薄い巫女服を着ているアキを一瞥しながら、彼は問いかける。


「アキ君は、冬の間はいつもどうしていたのかね? その様子なら、それほど凍えるほどではないのだろう、やはりカオリ君について、従者の仕事ばかりしていたのかい?」


 そんなふうに、ふと気を向けて、少し込み入った質問を投げかけるのも、久しぶりに感じた郷愁の念に、ややあてられたがゆえである。


「いえ、これまでの私は、まるで眠っていたようなものだったので、この地に来るまでの記憶は、ないも同然にございます」

「それはまたなんと……、いやすまない、無用な詮索だったな、許してほしい」

「お気になさらず。どうしても気がかりでしたらば、カオリ様に直接お伺いください」


 しかしまるで要領をえない不可思議な返答をしたアキに対し、オンドールは聞いてはならない領域に踏み込んでしまったと己を恥じた。

 だが存外嫌悪感のような感情を、アキの無表情からはまったく感じられなかったため、わずかに眉を顰めて無言となる。


(本当に不思議な少女達だな、主従揃ってここまで秘密を抱え、それでもありのままに生きるというのは、どれほどの覚悟と過去を抱えることなのだろうか……)


 下種の勘ぐりとは理解しつつも、どうしても年若い少女の身で、ここまで懸命に生きるカオリ達の姿に、同情を超えた感情を、オンドールは自覚する。


「アキ姉っ、もうすぐお昼が出来るってアンリ姉ぇが言ってるよっ!」


 そこへ元気に駆けて来るテムリの姿が見え、アキは相好を大いに崩して膝を折る。


「テムリ様っ! わざわざ私を探してくださったのですねっ、このアキ、感無量にございます! オンドール様、これより私はアンリ様謹製の手料理を頂戴いたしますので、これにて失礼させていただきます。以降は集合住宅で執務となりますので、なにか御用のさいはそちらへお越しいただきたく」

「うむ、そうさせてもらうよ」


 先ほどとはまるで違う表情にやや気圧されるものの、これもずいぶん慣れてしまったと、オンドールは思わず笑う。


「いずれにせよ、彼女達が幸せならば、是非もなし、か……」


 元気なテムリに手を引かれ、駆けるように帰宅する二人の背中に、オンドールは穏やかな表情で呟けば、自身も食事にありつくために、集合住宅に足を向けた。

 村の中央広場に面した集合住宅も、今や対岸に二件目を建設し始め、そう遠くない未来には、宿屋兼酒場にでも改装をするかという案も出ている。

 そうなれば名実共にここが村の憩いの場となり、春以降の難民受け入れに伴って、大いに賑わうのだろうと、オンドールはにわかに笑みを浮かべる。

 そして頻繁な出入りを想定して拵えた丈夫な観音扉を押し開き、視線をぐるりと巡らせば、すでに昼食休憩に入っていた開拓組の一行が、銘々に円卓に寛いでいた。


「おうオンドールの旦那、巡回ご苦労さん」

「レオナルド殿、そちらも一段落のようで」


 声をかけて来たレオナルドの視線に誘導され、自然に同席したオンドールは、給仕を買って出てくれている婦人衆に声をかけ、食事を受け取る。

 今日の昼食は小麦の生地を竈で焼いただけの麺麭(パンの意)と、いくつかの野菜と狩猟肉の汁物だ。


 まだ酵母を自力調達が難しいため、どうしても食感に難があるものの、それでも他の穀物を混ぜていない小麦のみの料理なだけに、通常の地方村落に比べれば贅沢な昼食であるのは間違いない。

そもそもとして、朝昼晩としっかり三食食事が出来るだけでも、相当に恵まれている環境であり、ともすればもともと一日二食か、あるいは労働者であれば少量を数回に分けて食べるのが普遍的な文化であるこの世界では、未だにオンドールをして驚くべき食習慣である。

 当初は食費を抑えるべきとの声も挙がりはしたのは当然だが、子供達に十分な栄養を摂らせるべきとのカオリの鶴の一声にて、やや強行された次第である。


 しかしながら計画的に備蓄食材を管理し、帝国王国両文化における栄養学的知見から、各食材の細やかな分量にまで手が加えられ、それを夫人衆が協同で大量調理する効率化まで図られている現状で、異を唱えるものはおらず。

 そしてこの一年近くの期間にて、アンリとテムリを筆頭とした村の子供達の発育状況を見て、たしかに幼年期の食育がどれほど子供の成長に影響を及ぼすかを実感した一同は、いまや称賛の声を上げるほどである。


「おおうめぇうめぇっ、こいつは美味いぜ」

「出汁と塩加減が絶妙ですな、ここのところ調理法も随分と巧になりましたなぁ、いや、これは少しだけ香辛料も加えてあるのか? どおりで香りも豊なはずだ」


 互いに感想を述べつつ舌鼓を打つ二人の下へ、レオナルドの妻であるリシャールとダリアが食事をもって同席する。


「ステラさんが送ってくれた香辛料や食材に、リヴァちゃんとフォルちゃんが教えてくれた調理法も利用して、簡単かつ美味しく作れる料理なのですって、私も学ばせてもらっているわ」

「流石はササキ様お抱えの料理人であり、またステラ様の審美眼には、脱帽します」


 席を同じくし、銘々に腰を下ろしながら感想を述べる二人に、レオナルドもオンドールも同意してうなずく。

 レオナルドに至っては、真昼間からすでに酒精に手を出し、ずいぶんとご機嫌な様子で、

本人の言によれば「帝国人にとって酒は水の代わり」である。


「それにしてもダリアちゃんのおかげで、ヴィルへの報告が楽でいいやい、いちいち帝国領まで行かなくてすんでるからな、ありがてぇぜ」


 そんな言葉と共に頭を下げるレオナルドの言うヴィルが、アイリーンの父であるバンデル公爵を指していることを理解したダリアは、小さくかぶりを振る。


「いえ、ここでのお嬢様ならびにカオリ様のご活動を報告する義務がございますれば、ついでのことに過ぎません、とくにレオナルド様のご報告には、多分に西大陸西方の重要な情報も含まれておりますので、決して公爵家にとっても無関係ではないものです。むしろ優先度としてはこちらの方が高いものと心得ております」


 目を伏せてかぶりを振るダリアに視線を向けつつ、オンドールはやや声を潜め、誰にともなく質問を向ける。


「報告というのは、やはりかの評議国についてですかな?」


 それに対し、レオナルドは小さく表情を改め、顎髭を撫でた。


「というよりも、西方諸王国群に関することは全部ってとこだな、なにせ俺の仕入れた中だけでも、西大陸は今やどこも問題だらけだ」


 わかるだろう?と言わんばかりに視線を送るレオナルドに、オンドールも神妙にうなずく。


「太陽協定から離脱状態にある評議国はもちろんですが、しかしそんなエルフ達の支援を受ける領地を巡る内紛を、公国は膠着状態にまで持ち込み、まるで退く姿勢を見せませぬ、よもやかの国がここまでエルフ達と戦えるとは思わず、正直感心しているほどです」

「ああそうだ。奴らがこれまでにない新兵器を隠し持っているのは間違いない、でなきゃ魔導士はもとい魔導兵器も大量に抱えてるエルフに対抗出来るわけがねぇ」


 村の外部への連絡手段がエイマン城塞都市への資材の買い付けや冒険者組合への魔物素材の換金に限られる現状で、レオナルドはよく情報収集が出来ていると感じるオンドールではあるが。そこを深く追求することが野暮であると思う。


「それに春になればオーエン公国も、【北の脅威】に向けて大規模な軍事作戦を敢行するって話だ。現大公はよほどに追い詰められてるようだな」

「かの公国は主に海運業による経済政策が主力の国、いくら【北の脅威】があるといえども、そこまで躍起になるほどに、山脈の抱える鉱脈に執着する理由はなんでありましょう?」


 また先立って冒険者組合でも話題に挙がるオーエン公国と北の塔の国との衝突も、対魔物との対決であることから、冒険者も大いに活躍が求められる戦いである。

オンドールとて無関係ではないと感じるものの、しかし元より国家間戦争からは永らく身を引いていた事情ゆえに、どうにも他人事に感じてしまう。


「……これは王国民にはあんまり言えねぇ話なんだが、オーエン公国は北海に秘密の航路をもってやがる……、つまり」

「なんと、ではオーエン公国は西大陸の安寧を詠い、毎年多額の義援金を王国に贈りつつも、秘密裏に帝国とも交易をおこなっているのか? なんと度し難い連中だ……」


 そこへ来て、レオナルドによって衝撃の事実を聞かされたオンドールは、驚きと純粋な怒りを抱く。だがレオナルドはただしと言葉を続ける。


「まあ交易つっても、表向きは帝国の反乱分子への武器の横流しが主だから、仮にバレても帝国への破壊工作の一環だと言ってシラを切るつもりだろうけどな、そんでもってここで重要なのが件の【北の脅威】なのよ、連中はどうやら大規模な海上封鎖までやってるそうで、オーエン公国は東大陸への航路を完全に失っているのが現状だ」

「……なるほど、公国は義援金を王国に贈り、その金で自国の武器や物資を王国に買わせつつ、一部を帝国へと横流しして財を成しておったのですな、であれば帝国王国間戦争の事実上停戦により、主力商業を失って困窮しつつあると、それもこれも【北の脅威】に端を発した事態となれば、かの国の存在はオーエン公国にとって無視出来ない存在でしょう」


 そうだとレオナルドが肯定を示しつつ、それだけではないとさらなる情報を開示する。


「そこへ来て西の紛争よ、ブラムドシェイド公国の善戦で戦場は膠着状態、つまり新たな戦時需要が発生したとなれば、オーエン公国はその尻馬に乗りたい心算なんだろうが、肝心の鉄資源の供給が【北の脅威】で止まっちまった。おまけに自国の防衛にも武器は必要なんだから、春からの軍事作戦の成否が、今後の公国の命運を左右するだろうよ」

「最悪は作戦の失敗の責任をとって、大公の再選となれば、公国の統治は近年稀に見る混乱を来すでしょう、そうであればかの国の執着も理解出来ますな」


 腕を組みなおし、熟考するオンドールの姿に、レオナルドは口の端を上げて思わせぶりな視線を向ける。

 この時、両者ともに不思議と【北の塔の国】が、公国に敗れるという可能性をほとんど考慮しなかったのには理由がある。

 人跡未踏の山脈を背後に拵えた強固な砦を構え、そこからほぼ座して動かないという鉄壁の防衛陣を布く【北の塔の国】陣営を、戦術的に破るというのがどれほど困難であるかはもちろんではあるが。

 それ以上に、伝え聞く【北の脅威】が、これまでに類を見ないほどの戦力を有していることを、ほぼ本能的に感じ取っていたからだ。

 ただしその脅威の具体的な要因は、未だオンドールもレオナルド当人対達でさえ、判然としない。


「帝国にしてみりゃあ公国からの武器の供給が止まった今こそ、亜人……いや獣人達を一斉に叩く絶好の機会だ。これで帝国内を隅々まで平定せしめて、万全の状態でエルフどもと戦う準備を整えてぇのさ、おまけに王国はよやくエルフどもの存在が、遠い御伽噺の登場人物なんかじゃなく、意思をもつ異種族だと、かつて人間種達を奴隷として虐げた下種野郎どもだと理解出来た。ここで上手く交渉を進められれば、永らく義援金で軍事力を増強し続けた精強な王国軍と、帝国の無敵の戦士団との両軍で、エルフどもを一網打尽にできらぁっ」

「なるほど……、アイリーン君の言っていた話が、ここで繋がるのですな」


 これまで表面的な側面でしか知ることのなかった歴史の片鱗を、オンドールは実に感慨深く実感した。

 アイリーンが推測した話しを再度説明するのであれば、帝国の西大陸への侵攻の真意が、西大陸のさらに西の果てに逃げ込み、これまで息を潜めていたエルフ達への圧力であるというものだ。

 強行な領土拡大によって、内に多くの反乱分子を抱えることとなった前帝国エリシャール朝の失策から学び、強硬姿勢を維持しつつも、民族融和政策を布いて緩やかに団結力を増した現ナバンアルド帝国では、これ以上他国の、ましてや西大陸最大国家との確執を深めたくはなかっただろう。


 しかしだからといって西大陸の緊張状態が緩み、エルフの台頭を許せば、平和を享受して危機感を失った西大陸諸王国は瞬く間にエルフ達に飲み込まれてしまってはずだ。

 であれば対帝国という大義の下、奴隷制度に反する形で、【太陽協定】という協合体制を促し、また王国軍のような精強な常備軍を備えさせ続けることは、廻り回ってエルフ達の台頭を阻止するのに大いに役立っていた。


 現に反奴隷制度下で永らく文化を形成して来た西大陸諸王国は、奴隷というものに嫌悪感を抱くのが普遍的であり、現在太陽協定から離脱状態にあり、かつ奴隷制を肯定しているエルフ達の新たな国家、エルスウェア評議国を強く警戒している。

 先の紛争への王国の介入が、結果的に失敗に終わったのは予想外ではあったものの、王国の西方貴族達の領土欲が未だ衰えていないのは、開戦論派の西方武家達の発言力が衰えていないことを見れば一目瞭然であろう。


 であればエルフ達としては、満を持して新体制へと乗り出しはしたものの、ブラムドシェイド公国の一部領土の切り取りに難航し、あまつ王国の警戒度を強めかつ十分な戦力の準備期間を与える結果となってしまった現状は、極めて出鼻を挫かれたといえるのだと考えられた。


「カオリ君達を襲った不死の少女が、ここまで見越して暗躍していたのだとすれば、いったいどれほどの暗中飛躍があるのかまるで予測出来ませんな、……カオリ君達がそのような情勢に巻き込まれているのは、到底無視出来はしないでしょうし、我々も容認出来ませぬ」

「ああだからこそ、俺達はここを拠点にしょうと話合ったんだ。レオルドがいたのはずいぶん都合がよかったしなぁ、なあリシャール」

「ええそうね。帝国にも恩を売れて、息子の成長を見守ることも出来るこの村は、私達夫婦にとって重要な拠点であると同時に、安住の地とも言えますもの、どんな些細なことでも、我々はこの村の発展に最大限に寄与させていただきます」


 そんな夫婦の笑みを受け、オンドールも苦笑しつつも本心からの笑みを浮かべる。


「その点に関しましては、ご夫妻のレオルドへの愛情が、帝国への忠義とは別に、真の愛情であることは疑いの余地もありませんし、カオリ君達へ向ける眼差しからも、未来ある若人に向ける期待に満ちているのは十分に感じられます」

「おおよかったぜ、オンドールの旦那に信用してもらえるなら、今後も堂々と仕事が出来らぁ、がっはっはっはっ!」


 どうして今になってやや機密性の高い情報の開示に至ったのか、その真意を理解して、オンドールは呆れて首を振る。

 ようはレオナルドは、かつての英雄【騎士聖剣】オンドールの協力が、今後必要になるであろう事態にも、備える心算であったのだろうと理解したのだ。

 そこへ麦酒を片手にレオルドが歯を見せながら、いつもの調子で声をかける。


「難しい話は終わったかよおやじ」

「おうよ馬鹿息子、俺ぁお前がうらやましいぜ、こんな英雄様との信用をいつの間にか取り付けた上に、この難しい情勢下にとって重要な拠点の開拓に、そうとは知らずに関わってるんだからな、案外お前も諜報員の才能があんのかもなぁ」


 そして前述の様々な状況における重要ごとに、自身の息子が関わっている状況を、大いに揶揄したレオナルドだが、とうの息子は大笑いして一蹴する。


「なんのことかわかんねぇなっ! 俺ぁちょいと木を切るのと魔物を斬るのが得意なだけの樵の息子でえ、馬鹿だからなっ、がっはっはっは!」

「おうそうか馬鹿息子っ、脳味噌まで筋肉たぁ豪儀だぜっ、その調子で昼からの仕事も俺の代わりにうんと働いてくれよぉ~」

「「がっはっはっはっ!」」


 まるで瓜二つな笑い声を上げる親子の姿に、周囲は大いに苦笑を向ける。


「本当に、馬鹿よねぇ……」

「ええ、本当にですな……」




 そんな大人達の話と変わり、カオリ達は午後の報告を、アイリーンから遠話にて受けていた。


『で、結局遭遇したのは野盗風の食い荒らされた死体さん達と、魔物が数頭だけなんですね?』

『ああそうさね。どうやら今の王国東地方じゃあ、野盗にとってもいい狩場ってわけじゃないようだね。ちょいとつまんないが、いい小遣い稼ぎにはなるさね。野盗ってのは賞金首でもなけりゃあ、首をとってもたいして金になりゃしない、けど魔物ならしっかり換金してもらえるからね。まだエイマン城塞都市から西への街道の途上だけど、あたしらはこのまま野宿して王都に向かうさね』

『少しくらい都市でゆっくりしてもいいんですよ? ゴーシュさんも気を抜けなくて不満なんじゃないですか?』


 これまでの状況と今後の予定を話すアイリーンに、カオリは一応と同行者への気遣いを見せるものの、アイリーンは笑って否定をする。


『なに言ってんだい、これからが本番じゃないか、夜も推して街道を進むなら、十分に物資を積んだ行商隊だって喧伝出来て、馬鹿も釣れるだろうさね。そこをしっかり叩いて、背後関係を吐かせるのさ、こんな魔物がうろうろする街道で待ち伏せするような野盗なら、それこそどっかの武家の腕の立つ私兵の可能性も高い、面白いのはここからさね~』


 笑って豪語するアイリーンの様子に、溜息を吐いて割って入るのは、呆れた様子のロゼッタである。


『貴女の思惑には今更みなまで忠告するつもりはないけれども、そこまで言うからには、なにか心当たりはあるのでしょうね? 一応エイマン支部の支部長様には、ある程度はお話をさせていただいているけれども、あの方から有力な情報は得られて?』

『もちろんさ、街道の治安悪化の原因は、なにも軍縮だけが理由じゃないよ、公国の軍事作戦に参加しようと、馬鹿な冒険者が公国に行っちまって、王領内の魔物狩りが減ってるのもあるんだとよ、そんでもって東部武家どもがなけなしの金で自領内の警邏に、素行の悪い傭兵どもを雇って、碌に管理も出来てないのが重なってるのさ、一部の傭兵は小遣い稼ぎに往来の行商人や弱小貴族達から、金品をかっぱらってるって話さ、どうだい、面白いだろう?』

『どこが面白いのよっ、大問題じゃない!』

『まあまあ』


 まるで深刻な事態と認識していないアイリーンの口振りに、ロゼッタは大いに憤慨するのを窘めつつ、カオリはそんな一連の情報の整理を試みる。


『もしかして王領を挟んで両岸の領主貴族同士での足の引っ張り合いもあったりします? もしくは単純に傭兵同士の裏取引とかも可能性としてはあるかもって』

『ほほ~、そいつはいい着眼点さね』


 そんなカオリの質問で、アイリーンが楽し気に思案する様子をありありと思い浮かべる。


『可能性としては十分にあるさね。便宜上ここでは王領を中心に、上を東北武家、下を東南武家って呼ぶけど、前にカオリ達にちょっかいをかけて来たのは、たしか東北武家筆頭の伯爵だったね? てことは今の領地開拓推奨の流行りに一番反発してるのは東北武家ってことになるさね』


 ここで前提条件として解説を挟むが、軍縮によって治安の悪化に悩まされているのは、当然王領のみならず東方武家全体の悩みの種である。

 であればいくら、アンジェリーナ公爵令嬢が東方武家領地開拓推奨運動を、実家のインフィールド公爵家の力を利用して牽引したとて、現実的には多くの課題に阻まれているのは極めて現実的な話である。

この場合、もっとも手軽な解決策として思い浮かぶのが、傭兵あるいは冒険者を臨時雇用して、当面の治安維持にあたらせる方法だ。


 しかし前述した通り、現在王国の少なくない傭兵も冒険者達も、今は対【北の脅威】に向けたオーエン公国の軍事作戦に参戦するため、王国を離れている状況だった。

よって今も王国に残る両者は、戦争を忌避する穏やかな性分の持ち主か、あるいは生き残る自信のない駆け出しがほとんどである。

 そうなれば、たとえ東方武家が領地の治安維持のために戦力を欲したとしても、全体に行き渡るほどの質も量も確保が難しかったのだ。

結果なんとか捻出した予算を提示して、傭兵または冒険者を雇用したとて、アイリーンが説明した通りの結果に終始してしまうのも当然の帰結である。


 そしてこれも当然ではあるが、傭兵も冒険者も定職とは程遠い職業であるからして、通常はより仕事が集まりやすい都市部を拠点とするのが普遍的である。

 つまり未だ十分な税収も見込めないような未開拓の領地がひしめき合う東方諸領地では、両者を雇用するさいは、近場の大きな都市に赴き、各組合に依頼せねばならず。そしておおよそ近場の都市といえば、エイマン城塞都市を筆頭とした、王領内の都市があてはまる。


『てことはだ。王領都市部への街道を抑えちまえば、自分が優先して腕のある傭兵も冒険者も独占しちまえる。おまけに前金をたんまり抱えてのこのこと出向いて来た弱小貴族から、小遣いをかっぱらえるから自分達が支払う報酬も少なくてすむって話だね? いぃ~い感じに煮詰まってるさねっ!』

『……もう最っ低よ、怒りも悲しみもないわ』

『自分で予想しててなんだけど、ほんとうどうしようもないね。こういう話って』


 もし単純な戦力不足による治安の悪化だけであれば、ここまで王家が頭を悩ませ、また本来外部のカオリ達を頼ってまで、問題の解決に期待を寄せることはなかったはずだ。

 つまりカオリ達が駆り出された時点で、王家は問題がどれほど根深く、また極めて政治的判断を必要とする状況かを、あらかじめ予測していたのだと、カオリ達は理解した。


『これを仮に、私達がなんらかの証拠を掴んだ場合って、具体的にどうやって解決することになるんですか? これって最悪私達だけが東北武家に恨まれるってことになりません? 完全に逆恨みですけど……』


 ことが政治に絡む問題であるとわかれば、当然カオリ達が危惧するのは、今後自分達に向けられる悪意の是非である。


『そんなもん知ったことじゃないさね。あたしらは降りかかる火の粉を払っただけで、恨まれる筋合いなんてないからね。どうせアンジェお嬢様だったかい? その親父の軍務卿が、裏で事後処理するのも織り込みずみなんだろうさ、王家や公爵家が率先して兵を供出したら、東北武家、つまり断固開戦論を詠う伯爵とその寄子どもの恨みを買うから、切っ掛けをあたしらに期待してんだろうよ、事件がおきたから調べて取り締まっただけだってね』

『はぁ~あ、なんで受けちゃったかな~』

『これはカオリが迂闊だったわね。だから言ったじゃないの、これは王家に貸し一つよ』


 結論、カオリ達に出来ることは、どこまでも現実的な目前の脅威に、ただ毅然と対処することのみであると、溜息を吐いた。


 なお傍でアイリーンの独り言から、状況を理解したゴーシュは、渾身の悪態をつく。


「ふっざけんなっ、巻き込まれた俺らは大迷惑だよっ!」


 もちろんアイリーンが、そんな言葉に取り合うはずもなかった。


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