( 苦悩少女 )
カオリ達の村で執り行われた水子供養の概要は、一応冒険者組合や王家に、報告書という形で情報の共有だけはは計られた。
そこはやはり魔物認定された幼体の、正確な数とその処分の報告が、冒険者に課せられた義務の一つであったからだ。
先の騒動における【ゴブリン】や【オーガ】の他、【グレイウルフ】の討伐数に応じて、討伐報酬を算出する必要があるほか、取り除かれた脅威の具体的な数を把握する必要があったから、後に生まれた子の数も、その中に含める必要があるのも当然である。
しかしカオリ達は遺体から証拠の素材を一切採取せず。残らず焼いて森に埋葬したため、冒険者組ではちょっとした物議を醸すこととなる。
とくにカオリ達と専属として懇意にし、一番に報告書を受け取ったイソルダは、なによりもカオリの心情を心配し、受付業務どころではなくなってしまう。
「カオリちゃん、大丈夫かしら……」
カオリのことを賢く、時に非情ともいえる冷静な判断力をもつ立派な村の盟主であると認める彼女でも、カオリがちゃんと人の心もつ一人の女の子であると知るイソルダにとって、今回の顛末はあまりにもひどいと言わざるをえないものだった。
冒険者の中には、魔物の巣を討伐したさいに、残された幼体に慈悲をかけてしまうことはままあった。
それが幼い命に向けた同情だけでなく、直接手にかける罪悪感から逃れるための行動であることも理解出来る。
しかしながら今回の騒動で、カオリは生まれて来たゴブリンの子どもを、たとえ母親の意思に沿った行動であったとはいえ、自身が手を下したことをはっきりと主張したのだ。
それがどれほどの葛藤を超えた判断であったかを、イソルダは報告書をもってきたゴーシュ達の様子から嫌でも察したのだ。
報告業務も終え、自身の報酬も無事受け取り、もう用事はすんだはずのゴーシュ達は、未だに冒険者組合の広間で仏頂面のまま卓を囲んでいる。
それを見たイソルダも、上司への報告を終えた後、そっと彼らの下へ足を向ける。
机に頬杖のまま、中空を睨むゴーシュの姿は、日頃陽気な彼にしては珍しい姿なためか、彼を知る他の冒険者達にとってはただ事ではないと、遠巻きにされている。
流石のイソルダも彼らを茶化すような気になれず。なんと声をかければよいかわからなかったため、目前まで来たはいいものの、声を出すことが出来ずにいた。
「……一番つれぇのはカオリちゃんだ」
脈絡もなく発せられた言葉に、イソルダはぐっと息を飲んだ。
「わかってんだよ、俺達がここでくだ巻いたところで、なんの慰めにもなりゃしねえことは、冒険者ならきっぱり見切りをつけて、討伐数にいれて金に替えちまえばいいなんて言ったところで、それじゃあ女達の気持ちの整理がつかねぇし、示しもつかねぇんだろうなってことは……」
冒険者であれば、たしかにそれがもっとも妥当な対応ではあるが、カオリはあくまで村の盟主である。
冒険者としてだけではなく、村人や関係者達の心情に添った判断が必要であることも、ゴーシュは重々承知である。
しかしそのために、誰よりも重い責任を自ら負う姿は、大人として、男として、到底傍観出来るような代物ではなかったのだ。
どうしてまだうら若い少女の身で、そこまで真摯であれるのか、どうして気丈に振舞えてしまうのか、ゴーシュにはまるで納得出来なかった。
「だがよ、カオリちゃんはまだ成人したばかりの女の子だろ? どうして俺達大人に頼らねぇんだ? あんなもん俺達やオンドールの旦那とか、それこそササキの旦那に押し付けちまえばよかったんだっ、これじゃあ、あまりにも、ひでぇ話だろう……」
ゴーシュの言葉が、大人達を頼ろうとしないカオリの姿勢へ向けたものなのか、それとも頼ってもらえなかった己の不甲斐なさからか、あるいはその両方なのか、イソルダには深く聞くことすら憚られた。
少なくとも村でどのようなやりとりが成され、カオリが彼ら大人の冒険者達に、どう自身の判断を論じたのかを予想し、彼女もゴーシュに心底同情した。
「私は恥ずかしいです。組合の受付嬢なんてやってるから、魔物の被害者達への対応とか、冒険者の皆様からの相談とか、色々知識も経験もあるんだって。……でもカオリちゃんが被害者女性達にしてあげたことがどれほどの救いになるか、まるで考えたこともありませんでした。自分の未熟さを痛感させられた思いです」
事実、冒険者関係の仕事に従事するものであれば、魔物を殺すものも、殺されるものとも無縁でいられるわけもなく、また残されたもの達への対応も、組合は長い歴史によって積み上げた規範がある。
だがそんな歴史の中でも、ここまで被害者達の心に寄り添った対応は、イソルダの経験上初めての事例である。
いったいどのような教養を積めば、カオリのような真摯な方法を思いつくのか、イソルダは溜息を吐いて押し黙る。
「少なくとも冒険者組合の領分を超えるのはたしかだな、ここまでくればもはや教会や国の仕事だろう」
「組合長」
そんなゴーシュやイソルダに声をかけたのは、冒険者組合エイマン城塞都市支部の支部長、ベルナルドである。
報告書を片手に、ベルナルドは目線で上階を示し、二人に執務室に来るように促す。
イソルダは他の受付嬢に業務を引き継ぎ、ゴーシュは仲間達に待つように指示し、二人で執務室に移動する。
入室後並んでベルナルドの対面に座り、給された茶を流し見つつ、彼に視線を向ける。
「カオリ嬢の報告書を見るに、処分したゴブリンの幼体を、討伐数には数えていないのは明らかだ。組合としても証拠もないまま報酬を支払うわけにはいかないため、双方合意の下に計上外とするつもりだ。だが被害者女性達への適切な治療や後の対応を、我々冒険者組合としても真摯に受け止める必要がある」
「どういうことでぇ」
ベルナルドの説明に、要点を理解出来なかったゴーシュは、やや不躾に質問する。
「つまりだ。今後同様の事案が発生した場合、一開拓村では出来たことを、巨大な組織たる冒険者組合では出来ないのかと、各所から問われる可能性があるということだ」
「ええっ、それはつまり、被害者の治療や保護だけじゃなく、精神介助や魔物の供養まで、冒険者組合が対応しなきゃならないってことですか?」
ベルナルドの説明に、イソルダはとんでもないと驚く。
冒険者はあくまでも魔物を人類の脅威として討伐することが目的の一環であり、冒険者組合はその活動を管理するのが役割である。
決して被害地や被害者の、後の復興や介護までも面倒を見る義務などないのだ。
「ありえん、そんなことまで手を出せば、金がいくらあっても足らんし、なにより先も言ったが明らかに領分を超える。こんなものはどう考えても貴族や教会の利権に繋がる事柄だ。我々が関与するべき問題ではない」
「当たり前だろ、魔物でも子どもに罪はねぇからって、討伐報酬も受け取らずに教会に祈りを捧げに行くってか? そんな愁傷な心をもつような奴が、冒険者なんかになるもんかよ」
ゴーシュの言葉にベルナルドも同意を示す。だが同時に懸念も存在すると首を振る。
「だが国や教会にとってはどうだ? 彼らにしてみれば、民の心に寄り添い、真摯な祈りを捧げることは、領地の安寧に欠かすことの出来ない義務ともいえるものだ。これを蔑ろにすれば民の心は離れ、統治に支障を来す可能性すらある。それに被害はなにも魔物に因るものだけとは限らん」
「あっ」
ベルナルドの補足の意味に気が付いたイソルダは、思わず両手で口元を覆う。
「そうだ。魔物だけじゃなく、野党や悪漢に攫われ、望まぬ妊娠をした若い娘なども含めれば、被害者の数は倍にも膨れ上がる。そうなれば国や教会も、真剣に対応せざるをえなくなるだろう、なにせカオリ君達の村は、ただの開拓村にも関わらず。この問題に利益を度外視した見事な対応をしてみせたのだからな、ことは人間社会全体の問題として、早晩人々の口に上るだろう」
もしそうなれば、汚された女性やその家族達にとっては、故郷で肩身の狭い思いをするくらいなら、ろくな対応もしてくれなかった国や教会を見限り、カオリ達の村へ希望を見出し、第二の人生を望む可能性があるのだ。
それはもはや移住ではなく、国にとってみれば亡命以外のなにものでもなく、そして亡命者を出したなどと周囲に知れれば、貴族にとっては醜聞でしかない事態である。
「私としてはこの報告書を上層部や国に提出することで、遠くない未来に、関係各所から詳細な調査や相談が大挙して舞い込むことが容易に想像出来る……。可能であれば今すぐ破り捨てたいほどだな」
だがそんなことは不可能であると表情に浮かべるベルナルドに、ゴーシュもイソルダも同情の眼差しを送る。
「重要なのはこの問題を国がどこまで真剣に受け止め、また教会がどれほど協力的であるか、そしてそうなった場合に、我々冒険者組合にどれほど協力が求められるかが問題だ。――冒険者への新たな規範の徹底に、治療院の開設や、教会への事前の根回しなど、これを各支部の予算から賄うことにでもなってみろ、組合の財政は一気に火の車だ。冗談ではない」
ついに目頭を押さえて肩肘をつくベルナルドに、二人はゾッとして視線を交わす。
よもやカオリのとった行動が、ここまで大きな話に発展する可能性があるなどと、まるで予想だにしなかったのだから、たかが一介の冒険者と受付嬢ではまるで飲み込むことが出来なかった。
だがそんな二人に、ベルナルドは諦念を浮かべた表情で、無理に笑って告げる。
「言っておくがな、カオリ君担当のお前らが、無関係でいられるわけがないのはわかるな? 仮にそうなったら、お前達二人には盛大に巻き込まれてもらうから、覚悟をするように」
「嘘っだろ……」
「えええぇ……」
一方のカオリはというと、表面上はいたって普通に振舞い、被害者女性達への対応は引き続きアキに一任し、自身は王都に帰還後、変わらぬ学園生活へ戻ったのだ。
耳の早い貴族子息令嬢の中には、当然カオリが国外でどのような活動に従事していたかを知るものも多い。
とくに軍人や騎士を親に持つ子息令嬢達は、世情を読む必要性から、誤解の無いように正しい情報を親から伝えられ、それぞれに感想を抱きつつ、カオリを遠巻きに観察していた。
今年の夏から留学という形で編入して来た異国の少女の姿は、学園ではその容姿も含めて非常に目立つ存在であった。
加えて極めて優秀ながら変わった嗜好の令嬢と噂になっていたロゼッタの存在も合わせ、廊下を悠然と歩く二人の姿は、つい視線を向けてしまう存在感を放っている。
しかしながら大陸でも高度な教養と上流階級ならではの礼法を主に身につける子息令嬢達の中に、カオリ達へ不躾に接近をするものは極まれである。
だがカオリ達がこの学園において、広い交友を結んでいない最たる要因は、なにもカオリのもつ肩書や立場に由来するものだけではなかった。
なにしろカオリの立ち振る舞いを、見るものが見れば、それが普通の少女ではないことが一目瞭然であったからだ。
ただ歩く姿一つとっても、重心移動には一切の揺らぎがなく、視線からはまるで隙が見つからない、左手は常に腰の刀に添えられ、不意をついた襲撃にも即座に反応出来ることが容易に伺える。
男尊女卑の未だ根強い王国の中にあって、自身を遥かに凌駕する凄腕の剣士である事実は、男性令息達を遠ざけるのに、十分な理由となりえた。
また貴族平民に関わらず。令嬢にとっても、よほど騎士に憧れを抱く女性でもない限り、自ら剣をとる同性はいささか異常に映るため、カオリの存在はある種の恐怖を抱かせるものであった。
そして事実、カオリはこの学園内でも一度教師を一人叩きのめした騒動が知られ、乱暴者と捉えられてもいたため、なおさら接触を避ける風潮におかれている。
それでもクリスやアンジェリーナのような、切実な事情のあるものは、勇気を出してカオリに接触するものはいたものの、それによってカオリの印象が改善されることはついぞなかった。
結果としてカオリの学園生活も、今では非常に平穏、いいかえればとても退屈な日常となりつつある。
それでもカオリが学園に通い続けるのは、ひとえにこの学園生活がササキからの依頼であることはもちろんだが、なによりこの世界での一般常識などを、深く学ぶことが出来る最良の方法であるからだ。
とくに魔法に関する人々の認識に関しては、カオリは多くを学ぶことが出来ていると考えている。
科学の発展のかわりに普及した魔法技術の数々は、この世界の人々の生活に深く根差した重要な要素だ。
水利や火力に始まり、生活用品の製造や発明など、現代日本には遥かに劣るものの、しかし独自の発展をするこれら要素は、少なくとも都市部で生活する上で、何ら生活に不便を感じさせない高度な水準に達している。
もちろん優れた魔導士または魔道具士などと呼ばれる存在は、極限られたもの達だけが担う関係上、決して安価ではないとはいうものの、それでもお金を払いさえすれば、手にすることが難しくないということは、この世界で独自の発展を望むカオリ達にとって、非常に重要な要素である。
つまり存在しないがゆえに普及していないものと、存在はするがまだ広く普及はしていないものとの間には、越えられない壁があるということだ。
であれば仮にカオリ達の村で、生活を劇的に改善するなんらかの製品あるいは設備の導入を考えた場合、カオリ達は常に王国ないし帝国の水準を意識しさえすれば、過度な配慮に頭を悩ませることもない。
であれば高価だが存在はしているものであれば、最悪はササキの名声あるいはカオリ自身が異邦人であることを理由に、自身の周りに関してだけは導入しても、さほど混乱や騒動の火種にはならないと予想出来る。
それら一般常識を、カオリはこの学園で学ぶことが叶っていると考えていた。
なにしろこの王立魔法学園には、貴族と平民とが表向きは平等に学ぶ機会が与えられ、貴賤を問わず共に学園生活を送る希少な場であるからだ。
しかも最近は王族を筆頭に、次期第一王子妃のベアトリスや公爵令嬢のアンジェリーナの他、ほぼ平民に近いクリスとも懇意になり、その違いを比較することも可能である。
この身分の差を、カオリは冷静かつ客観的に身比べ、王国における人民の金銭感覚または生活水準等の平均値を考察可能となった。
貧民に関しても元より国外辺境の村の開拓で嫌というほど格差を体感し、またクレイド達【泥鼠】のような社会の闇に関わる人物達へも理解を深めることが出来た。
ここまで来ればカオリが極めて正確かつ客観的な視点をえるには十分な情報が集まったといえるだろう。
少なくとも西大陸最大国家であるミカルド王国でそれらを学ぶことが出来たならば、多少の差はあれども、この西大陸全土を含めても、カオリはもう非常識な言動に注意する心配はないだろうと確信出来る。
ただし言動から目立たぬように配慮したところで、存在そのものが目立ってしまうことへは、カオリに自覚がまだ足りないのは余談である。
今日も今日とて魔法による各種製造および製品開発における。実践的な利用法とその発展に関する興味深い講義を聞き、カオリは様々な考察という名の妄想に、やや口の端を持ち上げる。
(やっぱり村での生活をもっと向上するには、もの作りをもっと発展させないとね~)
脳内で数々の日本製品に思い馳せるカオリではあるが、この世界で同様のものを用意するのには、やはり根本的技術力の差は悩ましい点である。
もっぱら合成樹脂の存在の乏しいこの世界である。思った製品を思った通りの形に成形し、十分な強度や耐熱、または重量や着色などをと望むのは非常に難しいだろう。
材料となるのはほとんどが木製または金属が主流であり、変わったものでも魔物由来の骨や革であることから、ここからさらに一歩進んだ発展を望む場合、根本的な社会情勢の劇的な変化を経なければ、恐らく実現は遠い未来と諦める他ない。
だからこそ、魔物や魔法の存在は、カオリに無限の可能性を提示する一つの光明に感じられる要素であるものの、しかしこの世界では未だ魔物は脅威でしかなく、魔法はその対抗手段に留まっているのが現実だ。
であればこそ人類の生存と平和に関して、カオリは人一倍神経を尖らせているのが実情である。
いったいいつになれば、魔物は脅威ではなく、この世界を構成する一要素であり、魔法が生活の一部と位置付けられるような、平和な社会を実現出来るのかと、ついつい夢想してしまうのも無理からぬことだろう。
学園からの帰り道でも、カオリはロゼッタと他愛もない雑談に興じつつも、ふと会話が途切れれば、思考を妄想へと飛ばす。
だがカオリはここである気配を察知する。
「うん?」
「どうしたのカオリ?」
カオリがなにかの気配を察知した時、それは騒動の前触れの可能性が高いことを承知しているロゼッタは、やや警戒心を抱きながらカオリへ注視する。
「なんだかよく知ってる気配がするな~、と思って、でもなんだろう、そんなに危ない感じじゃない感じ?」
「ええ……、どっちなの?」
カオリが臨戦態勢ではないのならば、極めて危険な状況ではないのだろうと判断出来るものの、それはあくまでカオリにとって脅威ではないだけであり、ロゼッタにとっては十分に警戒に値する場合が高いため、ついつい身構えてしまう。
そしてしばらく馬車を走らせていれば、カオリはおもむろに馬車の窓から身を乗り出し、前方へと視線を向けて、ビアンカに停車を促す。
馬車はすでに屋敷の目と鼻の先であるのに、カオリが停車を求めるからには、屋敷そのものに危険が存在する可能性を警戒しなければならないと、ビアンカはすぐに剣を抜く構えを見せるのに、カオリは彼女を手で制しつつ、ロゼッタを馬車に残し、一人颯爽と車外へ躍り出る。
一度屋敷へと視線を向けつつ、ゆっくりと周囲の街並みへ注意を巡らせれば、カオリはおおよその気配を正確に察知する。
「ビアンカさん、馬車を敷地に入れて、一応ロゼに結界を展開させて屋敷内に待機してもらっていいですか?」
「わかりましたっ!」
カオリがロゼッタやビアンカの身の安全を考慮するということは、カオリの手で守り切るのが難しい難敵である可能性が高い証拠である。
そんな敵を相手にした場合、恐らくビアンカでは太刀打ち出来ないとは彼女も重々承知であるため、ビアンカは大人しく即座にカオリの指示に従う。
そんな二人を乗せる馬車を見送り、カオリは緩やかに屋敷の裏門に歩を進める。
一つ目の角を曲がり、二つ目の角に視線を向けた瞬間には、カオリは気配の正体に確信をもつ。
だがだからこそ気配の持ち主の意図が読めず、ついには首をかしげてしまう、何故ならこの気配の持ち主は、決してこのような日中の往来に、堂々と姿を現すような存在ではないはずだったからだ。
「なにしてんのリジェネ?」
「あ、カオリ~、おひさ?」
果たして姿を現したのは、というよりもずっとそこでカオリをまって立ち呆けであったかのような風体で声を発したのは。
紛争騒動でカオリに斬られ、最後には爆発四散したはずの少女、リジェネレータであった。
相も変わらず大きめの外套を被り、長靴の姿に意気軒高な様子ではあるものの、その表情は明らかに困っている様子を浮かべ、カオリはさらに首を深くかしげる。
「死んでないとは思ってたけど、またどうしてこんな時間に、こんな場所に?」
カオリの疑問はもっともである。これまで何度も相対し、死闘を繰り広げた好敵手同士の二人である。
ましてやここはカオリという、リジェネレータにとっては、ある意味もっとも危険な存在が暮らす屋敷の目の前なのだ。
かの騒動の最期には、自らを殺してほしいとまでのたまった人物であるにしても、わざわざ自宅にまで押しかけ、自死を望むのはいささか考えづらいと、カオリは心底不思議に思う。
だがそんなカオリの困惑を他所に、リジェネレータはなおも困った表情を浮かべる。
「あのね~、カオリの屋敷に入れなくて困ってるのぉ」
「私達の屋敷に入りたいの? なんで?」
かつての敵が今の友、などというような単純な関係ではないはずの彼女が、いったい何用で自分達の暮らす屋敷に、単身乗り込んで来たのかまるで理解出来ず。カオリも彼女と同様に困った表情を浮かべる。
「え~とね、お仕事でこの屋敷を調べるように言われたんだけど、私でも破れないすんごい結界が張られているでしょう? だから仕方なく隣の屋敷から遠目に中を見ようとしたら、すごく怖い黒い人?に怒られちゃって……、じゃあ出入りする人を調べようとしたら、可愛い黒い女の子に追い払われたの、もうどうしたらいいかわかんなくて、ずっとカオリをまってたの~」
「そっか~、お仕事出来なくて困ってたのか」
極めて重要な情報であるはずが、二人の会話にはまるで緊張感が見られない、しかし生憎と二人にそれを指摘するものはここにはいない。
リジェネレータを叱り、追い払った黒い人物とは、恐らくササキの手駒と、シンのことであろうということは辛うじて理解出来るものの、カオリは事前の報告を受けていなかったため、とくに重要なことではなかったのだろうと疑問を唾棄する。
「お仕事って、リジェネの所属組織からのやつ?」
「ん~ん、知らない人、たぶん貴族に指示されて動いてる商会かな?」
「へぇ~、手広くやってんだ~、……なにを調べに来た感じ?」
「ん~、住んでる人数とか警備体制とか、あと重要ななにかって感じ? ようは色々かなぁ? この業界じゃあよくあるやつ」
「よくあるんだ~……」
しばしの沈黙を経て、だがそれでも全く状況が飲み込めず。カオリはついに思考を放棄する。
「じゃあ、うちくる?」
裏門からそのまま屋敷に入り、カオリとリジェネレータは並んで歩く、まるで警戒心のない様子に見えるが、これでも不意の攻撃には最大限の警戒をしており、仮にここで彼女が何らかの攻勢に出れば、カオリは容赦なく斬り捨てるつもりだ。
今や大量のゴブリンを狩り、レベルもさらに上がったカオリである。彼女が劇的に強くなっているのでなければ、遅れをとる可能性は極めて低いと、あからさまに警戒を見せない程度には、カオリは彼女と相対する。
しかしカオリ以外の屋敷の住民に関しては、ササキとシンでもなければ、彼女を退けられる人物はいないのも事実なため、カオリはリジェネレータを応接室などではなく、屋敷の裏手に設けられた。使用人の休憩室に招く。
ここは主に料理担当のグロラテスや料理人見習いの姉妹、またはクレイド達【泥鼠】の他、ステラなどが休憩や雑談に興じる部屋である。
そのためカオリは日頃まったく足を踏み入れない場所である。
『シン、私が厨房にお茶とかお願いしにいっている間、あの子を見ててくれる?』
『わかった~』
シンに一応と監視を指示し、次いでカオリはササキにも通信を送る。
『ササキさ~ん、リジェネを屋敷に入れたんですけど、たぶん結構重要な情報をもってるみたいですから、同席してもらっていいですか? 使用人休憩室にいます』
『……ほう、屋敷の周りをうろうろしていたから、放置していたのだが、入れてしまったのか、仕方あるまい』
ササキであればリジェネレータの存在に気づかないわけがないのは当然であるが、彼女を直接知らないササキは、判断をカオリに任せようと大人しくまっていたものの、すでにカオリが屋敷に招いてしまったことに、やや驚きつつ苦笑して応答する。
しばらくし、カオリは両手に茶と茶請けの菓子をもち、リジェネレータの対面に座り、しばし無言の時を過ごす。
とうのリジェネレータは出された小麦菓子をもそもそと頬張り、熱い紅茶を躊躇せず飲む、どうやら不死身なだけあり、毒物を警戒する必要もない様子だと、カオリはほんの少しだけ彼女をうらやましく思う。
「またせたな」
そこへササキがその巨体をかがめながら入室し、カオリとリジェネレータ二人の姿に思わず苦笑して、適当な椅子に腰を下ろす。
「それで、なんでリジェネがわざわざ知らない人の依頼なんて受けてまで、この屋敷を調べようと思ったか聞いてもいい?」
ササキへの事前説明もないまま、話の続きを始めるカオリであったが、ササキはそれだけでおおよその状況を理解し、黙って成り行きを見守る。
「うん、実はね。最近ね。私の所属してた組織をね。乗っ取ってやったの」
「乗っ取ったの? なんで?」
唐突にもたらされた事実に、カオリは単刀直入に質問する。
「だって最近つまんない研究ばっかりに躍起になってて、昔みたいに大胆な活動をしなくなったから、いらないと思って……」
「へえぇ~……」
「……それは【アルクリード魔術結社】で間違いないかね?」
リジェネレータの幼稚な返答に、まるで感化されたような淡泊な相槌を返すカオリに呆れ、堪らずにササキが確認するのに、リジェネレータは首肯する。
「さすが強いおじさん、なんでも知ってるね」
「流石ササキさん、前に言ってた組織ですね」
「……」
まるで姉妹のように揃って反応する二人へ、ササキは呆れ笑いを浮かべて押し黙る。
「じゃあもう組織的な活動で、悪いことをしてるって警戒しなくてもいい感じ?」
カオリがやや期待の眼差しを送るのも無理はない。
なにしろリジェネレータの組織といえば、【人工合成獣】を筆頭として魔物の悪用の他、軍事転用が容易な殺傷魔道具の開発などもおこなう非合法組織である。
そもそもリジェネレータ自身が、人為的に作り出された人型兵器のようなものなのだから、その非道性は推して知るべしだ。
それが飼い犬に手どころか首を食い破られたとなれば、自業自得といわざるをえない、極めて歓迎すべき事態である。
だがリジェネレータは首を振る。
「世の中にとっては悪くても、私達にとっては必要なことだから、今後もひどいことはいっぱいすると思う、今日のお仕事もその一つかな?」
「……そっか~、残念だなぁ」
悪事に手を染めると公言するリジェネレータに対し、これを看過するのはいささか遺憾ではあるものの、だからといってこの場でリジェネレータを斬ることも、また難しいとカオリは感じる。
なにしろあれだけ派手に爆散しても生きているリジェネレータを相手取って、果たしてこの場で殺すことに意味があるとは思えず。また情報の全てを吐かせるのも、極めて難しいのが明白であったからだ。
通常の拷問では即座に回復するうえ、仮に死んでもまたなんらかの方法で蘇るのだから、当然の判断であろう。
「でも今日はどうしてわざわざ姿を見せたの? 普通密偵は隠れてするもんでしょ?」
だがだからこそ、なぜ自ら見つかるような行動をとったのかが気になり、カオリは再び質問を重ねる。
「う~ん、なんだかカオリが悩んでそうだったからかな? 最近あちこちで噂を聞いてたし、カオリの死の気配も一段と濃くなってたから」
「私のこと? 死の気配? どゆこと?」
曖昧な自身への評判に首をかしげつつ、心底理解出来ないと、カオリは表情も露わにリジェネレータに視線を向ける。
「うん、たぶんカオリは、『人間を殺し過ぎた』んだと思って、普通の女の子はこれだけ短い期間で、カオリほど人間を殺さないよ? そういう生まれでもない限り」
「……」
これにカオリは絶句してしまう。
よもや殺しを生業とする人間から、人を殺し過ぎたと指摘されるなどと誰が思うだろうか。
だがだからこそ、カオリが人の道を踏み外しつつあることを、外道に生きるリジェネレータは鋭敏に感じ取ったのだろうと、カオリは遅ればせながら理解する。
「……なんにせよ、この屋敷の情報はご覧の通りであり、我々としてはこれ以上の情報交換は不要だろう、カオリ君、彼女を宿まで送ってあげなさい、一応監視もかねてね」
「あ、はい」
そこへ困惑するカオリに代わって、解散を告げたササキに、カオリは素直に従い、リジェネレータに退出を促す。
冬の冷たい風に煽られつつ、夕刻の街を並んで歩く二人は、しばし無言のまま歩を進める。
互いに剣の届く距離で、殺気こそないものの、だからといって戦闘の意思がまったくないわけではないことは、二人共に十分理解している。
リジェネレータにとって殺しは日常であり、殺意を抱く必要もないものだ。
一方のカオリも、心と身体を切り離し、無心で剣を抜くのは造作もないため、そもそも二人にとって殺意は、ただ剣を抜くための口実に過ぎない。
思考を置き去りにして、一振りの剣であること、その一点に関して見れば、これほど共通する人間は他にはないといえるほどに、カオリもリジェネレータも、互いにある種の信頼を抱いてすらいたのだ。
「あ、あれ、いい匂い!」
「うん? どれ?」
リジェネレータの指差す方向に視線を向ければ、いつかにロゼッタと買い食いした串焼きの露店が目に入った。
「ねえカオリ、私お金もってないの、昨日からなにも食べてなくて、買ってほしいの」
「ええ? よくそれで王都なんかに来たね」
密偵といえば市中に紛れて活動する必要上、多少の金銭は持ち歩くものだが、どうやら無一文でこの大都会に紛れ込んだ様子に、カオリは呆れてしまう。
「組織を乗っ取ったから、これまでみたいな仕事の伝手がなくなっちゃったから、お金に困ってるんだもん」
「だから知らない依頼人の仕事を、ほいほい受けちゃったの? しょうがないな~」
あまりにも正直過ぎるリジェネレータの言い分に呆れつつも、面と向かって空腹だと訴えられて無下にも出来ず。カオリは仕方なく串を二人分購入する。
ついでに自身の水筒から水も分け与え、街の広場でしばし軽食のために腰を下ろす。
「そういえば、さっきの話、どういうこと?」
「ん? 死の気配のこと?」
「そうそう、それ」
調味料の効いた串肉へ大胆にかじりつき、口の端を汚しながら咀嚼するリジェネレータに、カオリは視線だけを向ける。
果たして不死の肉体で食事が必要なのかと、無関係なことを考えながら、彼女が嚥下するのを待つ。
「人を殺し過ぎた人が、たまに今のカオリみたいな気配をさせるよ? 不用意に近づけば切れちゃいそうな、今にも零れそうな杯一杯の水みたいな、そんな感じ」
「……そっか、なんでなんだろう、最近殺したのはゴブリンとかの魔物なんだけどなぁ」
リジェネレータの説明にカオリは疑問を口にするものの、しかし根本原因に心当たりがないわけではないため、自然と受け入れることが出来た。
「魔物って言ってもゴブリンでしょ? 厳密には亜人で、人間みたいに繁殖もするし、食事も睡眠も排泄だってする。れっきとした人類種、それに――」
「――斬れば同じ血の詰まった肉」
カオリはリジェネレータの言葉に自身の答えを先取りして発する。
そのカオリの返答を、リジェネレータは満面の笑みで迎えるのを、カオリはなんとも言えない苦笑いで返した。
カオリが殺した。殺して来たものは、いつでもカオリとカオリを取り巻くかけがえのないものにとっての、敵だった。
敵は斬らねばならないものであり、斬らねば自分はおろか、かけがえのないものの幸福を損ない、時にはその命すらも危ぶまれるものであったがために、容赦をすることなど出来なかった。
だが同時に、仮にカオリに戦う力がなく、ただ傍観することしか出来ない身であったならば、恐らくそんな風に考えることすらしなかった可能性もあったはずだ。
言うなれば戦う力があるがゆえに、戦う理由を後付けしたとも言うことが出来る。
つまり、斬るしかなかったと言い訳を用意しても、その本質では、斬るために敵を創り出したとも言えてしまうのだ。
「ゴブリンに孕まされて、ゴブリンの子どもを産んだ女の人達がね。処分されて死体になった子どもを見つめながら泣いてたんだ。……殺した私に恨み言一つも言わずにね」
しかし、今回の騒動でカオリが手にかけた命は、カオリにとって、『敵の子ども』だった。
本来であればなんの罪も害もないはずの、無垢な命でしかなかったはずなのだ。
殺したのは四体のゴブリンの子どもだ。先に数百体もの成体を斬殺して、ゴブリンなどもはや飽きるほどに斬り殺し、なにも感情の揺れる余地もなくなっていたはずだった。
「そっか~、子ども達と一緒に、自分自身も殺しちゃったのか~」
「ぷ、なにそれ? 上手いこと言うね」
だが、最後に斬った子ども達の命が、カオリの胸に塞ぎ難い虚無を残した。
それは日に日に暗さを増し、重みすらも感じるほどに存在感を増大させ、カオリの心に軋みを生じさせる。
今こうして、リジェネレータと無邪気に笑い合いながらも、心の奥底では聞こえないはずの悲痛な泣き声が聞こえて来るかのような幻聴に、カオリは明確な焦燥感を覚える。
「斬ってから悩むなんて、カオリらしいね」
「私らしいの? それってヤバくない?」
苦悩する様子が悟られないようにと、日頃は態度に気を配り、ササキやロゼッタに不安を与えないように振舞ってはいたが、どうやら目の前の少女には、まるで筒抜けだったのだろうと、カオリは嘆息する。
よもや身近な仲間達ではなく、敵として戦ったことしかないリジェネレータに、こうも容易く見破られるとは、流石のカオリも予想出来なかった。
「私は不死だから、殺した数も多いけど、殺されたことも沢山あるんだ。そして私を殺した人達は、ほとんどが、怒ってたり、憎んでたり、笑ってたりするんだ」
最後の串肉を頬張り、木杯の水とともに飲み下したリジェネレータは、残った串を懐に放り込んでカオリに向き直る。
「でも、カオリみたいに、斬るために殺しに来た人はいなかった。ましてや斬ってから悩むなんて、一人もいないよ? きっとカオリはとっても残酷で、でも誰よりも優しいんだよ、それにすごく真面目で、責任感も強い子」
「……」
不意に向けられた思わぬ評価に、カオリはなんと返事をすればよいかわからなくなる。
またリジェネレータの浮かべた表情が、あまりに無邪気だったため、カオリはつい見入ってしまった。
「……リジェネは、どうして人を殺すの?」
それは純粋な疑問だった。
殺し屋か殺人鬼か、いずれにしろ殺しを生業とし、平然と人を殺すような人物に向ける質問としては、あまりに陳腐で無意味な問いではあったが、それでも今のカオリはそう口にせずにはいられなかったのだ。
それに対し、だがリジェネレータからは意外な答えが返される。
「それはね。『終わらせるためだよ』」
これにカオリはやや目を見開く。
「それは、リジェネ自身のこと?」
「それもあるけど、もっと広くて、暗くて、悲しいことが、この世界には沢山溢れているの、不死の私なんて、そんな全部から見れば、とっても小さい砂の一粒でしかないよ」
かねてからカオリに、自分を殺して欲しいと懇願してみせるリジェネレータならば、まず願うのが不死の自身を殺す術ではないかとカオリは予想したが、彼女はそれを即座に否定する。
「この世界にはね。『終われない』人達がいるの、始めた物語にいつまでも終止符を打てない、可哀そうな人達が、私はね。そんな人達の物語を終わらせてあげたいんだ」
まるで禅問答のような説明に、カオリは眉間に皺がよるのを自覚しながら首をかしげた。
だが明確な言葉を発さぬまま、リジェネレータは立ち上がり、カオリに礼をして歩き始めるのに、カオリは腑に落ちない表情で後を追った。
「ここが、今の私の仕事場」
市場から歩くことしばし、到着したのはどこかの商館の裏手であった。
そこへ不意にシンからの遠話が届く。
『ここ、屋敷を監視してた商業組合の組合員が出入りしてる商館、最近は監視もなくて放置してた』
「へ~、つまり手駒が簡単に見破られたから、なんとか裏社会のリジェネのところまで、話がいった感じかぁ、ずいぶん必死なんだね」
一体カオリ達のなにを知りたいのか判然としないが、少なくとも直接的な害はないと、注意だけは向けていた組織の一つである。
だがどうやら、王家の暗殺まで狙うような、本物の裏組織たるリジェネレータを雇うほどに、本気でカオリ達を探る理由があるのだとカオリは理解した。
であれば依頼内容によっては、今日再会したリジェネレータは、ただの調査員ではなく、カオリ達を狙った暗殺者になっていた可能性もあったのだと、カオリは表情を険しくする。
「この人達も、終わらせる対象の一つかな?」
「そうなの? それなのにリジェネは手を下さないどころか、手を貸しちゃったの?」
先の話と矛盾するような彼女の言動に、カオリはいよいよ意味が分からないと眉根を寄せるのに、リジェネレータは小さく首を振る。
「違うよ、殺せばたしかに、無理矢理終わらせることは出来るけど、本当の意味で終わらせるためには、それだけじゃダメなの」
どうやら彼女なりに踏むべき手順があるようだと理解したカオリは、それをどう表現すべきものであるかを考える。
「物語を終わらせる……。途中で途切れちゃったものは、また誰かが続きを書いちゃう的な感じ?」
「そうそう、さすがカオリ、わかってる~」
カオリなりの所見に、リジェネレータは破顔して肯定を示す。
「目的とか野望とか夢とか、それを忘れられなくて、いつまでも引き延ばしちゃう物語は、いつか誰かが終わらせてあげなくちゃならないの、でも自分達だけの力じゃあ、どうやっても最後まで辿りつけない……、ほら、可哀そうでしょ?」
「あぁ~、な~るほど……」
リジェネレータの言わんとする概念を、おおよそ理解したカオリは、深く納得して腕を組んだ。
「最初は面白かったけど、だらだら続けてるうちに、止め時を見失って、次第にみんなから飽きられちゃうし、だからまたおんなじことを繰り返しちゃうのか、昔の思い出を、忘れられないから……」
「うん、うん」
カオリの想像に浮かぶのは、なにも字面どおりのものだけではない。
この世界に降り立って今日までに知りえた。様々な知識や歴史から、あらゆる可能性が容易に想像出来てしまったからだ。
「人はね。生き方を変えることなんて出来ないんだよ、他のなにかに替えるだけ、その中には、どうしても犠牲を出しちゃう迷惑なのもある。でもそうしないと生きられないし、死ぬことも出来ない」
暗に自分自身にも向けたようなリジェネレータの言葉に、カオリは複雑な心持を抱く。
「それってつまり、最後には叶えてあげたりしないと駄目なの? 犠牲が出ることを知ってて?」
それではなんの解決にも救いにもならないのではないかと、カオリはやや憤る。
過ちが成就してしまえば、後に続く新たな危険思想が生まれるのを許してしまう、それでは歴史はいつまでも、悲劇は何度でも繰り返されてしまうのではないかと、カオリの良識が口を吐いて出るのに、リジェネレータは今度は大きく首を振る。
「やり切らないと諦めきれないのが人で、燃え尽きないと消えないのが夢で、生ききらないと死にきれないのが人生、――全力でぶつかって、それで初めて、終わることが出来るのが、物語なんだって思う」
「……そっか、そう言われれば、なんとなくわかる気はする」
過ちは、それが顕在化して初めて過ちであると知ることが出来るものだ。
過ちを正しく裁くにも、犠牲の大きさに伴った公正な裁量というものがある。
であれば、誤った思想や行動がいきつく先を見届ける判断もまた。時として重要ではないかとも言えなくはない。
今その時を生きるものにとって、目の前で起こる悲劇や犠牲を見過ごすことは難しいだろう、しかし歴史的観点で見れば、誤った思想によってどれほどの悲劇と犠牲が引き起こされたのかを正確に記録し、それらが後世に決して繰り返されないよう継承されなければならいと、リジェネレータはカオリに伝えたかったようだ。
なるほど不死のリジェネレータらしい視点であると、彼女の身上を踏まえたうえでカオリは理解を示す。
彼女が不死の身となって、幾日幾百年、いったいどれほどの月日を生きて来たのか、その途方もない人生で、どれほどの悲劇を目撃し、また関与して来たのか、カオリは想像することしか出来なかった。
「結局、自分が正しいと信じたものを、全力で貫き通すしか、人は生き方を知らないって感じかなぁ」
「本人達にとっては、今の自分が絶対に正しいって、思うものだよ、絶対悪なんてそうそういない」
お互いに刃の届く距離、並んだまま視線を同じくした二人は、しばし、夕暮れの裏路地で静かに佇んだ。
結局のところ、カオリとリジェネレータの後を追って、一応監視を続けていたシンによって、リジェネレータの雇い主、またその裏で暗躍する勢力が明らかになる。
屋敷の使用人を除く全員が顔を揃える晩餐の席で、カオリは一応と全員に情報共有を図る。
「どうやら薬師組合を通じて、私達の情報を探っているのは、東の伯爵様だそうです」
「……いつだったかに、カオリを屋敷に招待しようと使者を送って来た領主貴族ね。家名はたしか、カスール伯爵だったかしら? 開戦論派の筆頭としても有名で、あの時にカオリに手酷く振られたから、恨まれている可能性が高いわ」
いつだったかに、魔物討伐を称賛し、個人的に褒賞をと使者を寄越した貴族家であることを、カオリも思い出す。
「それがどうしてわざわざ薬師組合を通じて、私達の情報を調査しようなんて思うのかな?」
カオリの当然の疑問に対して、まずはロゼッタが返答をする。
「ここ最近の政策によって、開戦論派も大多数が内政に注視するようになったそうだけど、中には断固開戦論を主張する家はあるわ、中でも適齢期の子息令嬢のいない家ほど、他家との繋がりが薄く、従来の考えを捨てるのが難しいのが実情だと思うわ」
「その一つが東の伯爵様だと?」
ロゼッタの推測にカオリは理解を示す。
「かの伯爵は王国領最東端で常に対帝国の最前線で長く力を発揮して来た家だ。周辺領主にも強い影響力をもち、辺境伯相当の戦力も保有していた生粋の武家、帝国王国間戦争の事実上停戦の影響を、もっとも受けた家ともいえるだろう、現在の窮状は想像に難くない」
次いでササキからの補足を受け、カオリは噂の伯爵家が、今の王国の風潮やカオリ達をどう考えているのかを想像し、眉根を寄せた。
「しかし同情出来る部分もある。最東端ということはそれだけ戦時は略奪の危険に晒される土地であること、ゆえに領地の開拓をおいそれと推進出来なかっただろうという点だ。当人からしてみれば、領地開拓を推奨する政策は、なにをいまさらだと不満に思っても不思議ではない、ましてや軍縮によって支度金を停止され、肥大した軍事力を維持するのが困難になったとなれば、武家としては屈辱的に受け取るのも当然だろう」
そんなササキの言にも一理あるとカオリは理解出来るものの、だからといって自分達が件の伯爵に敵視される謂れはないと、眉間の皺を深くする。
「最初は私達を開戦の口実にするためにとり込もうとして、それが無理だったから次はなんとか邪魔してやろうと情報収集ですか? 一体なんのつもりなんでしょうね~」
ここまで来ればもはや来る事態は容易に想像が出来る。
東の伯爵の最終目的は帝国王国間戦争の再開および、従来の資金ならびに発言力の回復であろう。
そのためならばどんな後ろ暗い手段をも講じる陰惨さをカオリは感じ取った。
「すでにシンによって私達に干渉した事実は判明しておりますので、ここから内情の全て、企みの全てを暴き、こちらから先手を打つことは不可能ではないはずです。ササキ様はどのようにお考えなのでしょうか?」
先の決闘騒動により、ササキが真実自分達を大切に思っていると知った今、ロゼッタとしてはカオリがどう動くにせよ、ササキの思惑には配慮して然るべきと意見を仰ぐ。
事態が国や貴族家との衝突となれば、後見人たるササキを巻き込まないわけにはいかないのは事実だ。であれば最初からササキの行動を確認するのは当然の配慮である。
「それなのだが、正直に言って、君達の調査能力や対応能力は、現状、過剰戦力といっても過言ではない、それはつまり、この国においては無視出来ない脅威ととらえられる可能性が高いということだ」
「え、どういうことですか?」
しかし思わぬ反論に、カオリはもちろんロゼッタも目を丸くする。
「先の決闘騒動も森林騒動も、言ってしまえばただの対抗措置を講じただけと片付けられてしまう程度の瑣末事だっただろう、少なくともおおやけでは、武力をもつ貴族家にとっては理解と同情を集めやすかった事象ではあった。……しかし今回の件に関しては、これまでとはいささか事情を異とする」
そんなササキの言葉に、以外にも同意を示すのはビアンカであった。
「ササキ様のおっしゃる通りです。私もシン様や【泥鼠】の皆様と直接接触していなければ、到底信じられませんでしたでしょう、貴族ではなく、しかもただの異邦の冒険者の少女のはずのカオリ様方が、これほど貴族や裏社会の情報を素早くかつ正確に収集され、ましてや真っ向から対処してしまえるなどと、誰が信じられるでしょうか、よしんば武力という観点であれば、冒険者ならばと理解を示される貴族家は、伯爵位以上の家ならばおられましょうが、情報分野でまでとなれば、客観的には脅威に感じるのも自然な感情かと」
真剣な表情で語るビアンカに、カオリもロゼッタも神妙な顔つきとなる。とくにロゼッタはなまじ貴族の常識を持ち合わせていたために、自らが如何にカオリに染められていたかを指摘されたような心持を抱く。
「え~とつまり、世間的には私達は知り過ぎているって思われちゃうってことですか? それでわざと知らないふりをして、火の粉が降りかかるまで傍観しなきゃならないってことですか?」
カオリは端的に二人の言葉を要約し、憮然とした表情を浮かべる。
「落ち着きなさいカオリ君、なにも私とて君達の誰かが傷つけられるまで、なにも手を講じないわけではない、ただ君達が率先して事態の収拾に直接手を下すのは、早計であると言いたかっただけだ。少なくともまずは正規の手段から揺さぶりをかける程度の配慮は、必要かもしれんと助言したに過ぎん」
「はあぁ」
だがカオリはそんなササキの助言を受けても、依然として表情を改める気にはなれなかった。
たしかにこれまでもササキには最終的には大いに助けられて来たのは間違いない、しかし被害そのものを事前に防げたわけでもなかったのも事実である。
ササキを疑うわけではないと、カオリもあからさまにササキを非難するような態度は避けるものの、やや意固地になるのも無理からぬだろう。
「言い訳をさせてもらうならばだが、……君達は私の予想を遥かに超えて優秀過ぎたのだ。王家の権威の回復、騎士団や貴族間の軋轢の解消、国家憂慮の排除など、この短い留学期間で、君達はあまりにその有用性を証明してしまった。良きにせよ悪しきにせよ君達に注目が集まるのも当然の結果といえる。その自覚があるかね?」
「あ~、あ? う~ん……」
つまるところササキは、カオリ達自身が示した実力と実績が、はからずも騒動を引き寄せているのではないかと指摘したかったのだ。
それこそカオリ達が本当になんの力ももたない少女達だったならば、それこそただ学園に通い勉学に励むだけの、ただ大人に守られるだけの少女でいられただろう。
だがカオリ達は周囲が目を見張る武力を有するだけに留まらず。ササキをも後手に回らざるをえないほどに、ミカルド王国の国益に沿った能力と成果を発揮してしまったのだ。
いまさら普通の少女になど、なれるわけがない。
そこへ不意にロゼッタが言葉を発する。
「ササキ様の仰る通りです。もしかしたら王国貴族令嬢たる矜持を捨て切れない私への配慮が、カオリを王国の国益に与する行動を助長していたのかもしれません、……カオリと共にあれば、自分でも国を変えられると、驕っていたのやもしれません」
「いやいや、それは言い過ぎだって……」
ロゼッタの告白にカオリは即座に否定をしてみたものの、だが全てが的外れではないのは真実である。
愛国心を絶やさぬロゼッタの言動は、常に貴族の矜持や民への慈しみに溢れたまっこと善良な真心からの発露である。
そんなロゼッタの心根をカオリが好ましく思い、知らず知らずの内に国益に沿った手段を講じていたのも自然なことであったはずだ。
「……誰かのために、やったわけじゃないですから」
カオリの呟きを、周囲は無言で見つめた。
他がためでは決してない、カオリは心中でそう反芻する。
誰かのために行動することと、結果誰かのためになった行動との間には、決して超えられない壁があることをカオリは理解している。
自身の行動はいつだって自身のためであり、行動原理には常に自身の感情と理論を元にする独善的なものに過ぎない。
ゆえに行動と結果に伴った責任は、いつだって自らが負うべきものであり、それはすなわち選択の自由を他者に依存しないという、カオリ独自の理論に基づいた。いわば信念とも表現出来る確固たる意志の表れだった。
カオリの胸に去来するのは、灰へと変じる遺骸に向けて、あるものはただくずおれ顔を覆うもの、あるものは憎悪から歯を食い縛り虚空を見つめるもの達、そんな彼女達の涙であった。
守るために戦った。救うために殺した。だがそれはあくまで自身の大切なものを傷つけられまいと、怒り、憎み、剣を振り上げた結果である。
(誰かのために、やったわけじゃない……)
無意識に柄を掴んだ指先が、血の気を失って白くなっているのを、カオリは無感動に視界に映す。