( 客観視点 )
被害者女性達への献身的な介護は、騒動が公的に収束してからなおも継続していた。
また同様にゴブリン達の群れの被害に遭ったコボルト達の集落の復興も、同時に進行している。
そちらは寝床の修繕やゴブリン達に食い荒らされた冬の備蓄の補填が主であるため、カオリの私財から相当数の食料を提供することで対応している。
もっとも村の備蓄も元を正せば全てがカオリの私財から購入したものなので、あくまでも記録上の違いでしかない、だがだからこそ村の備蓄とカオリ個人の蓄財とを明確に分けることが、正常な村の運営には必要な措置であると考えている。
ただし被害者女性達への物的人的支援に関しては、村全体の問題と認識し、現在は関係者一丸となって対応していた。
日ごとに交換する衣服はもちろん、食料の確保や調理と給仕に至る日常生活から始まり、朝夕とおこなわれる診察と治療もアンリとアキが中心となって実施し、手の空いた女衆が話し相手の他、歩行や軽い手慰みなどの介護も率先して担当してくれている。
その甲斐あってか、カオリが王都で事後処理に追われていた間で、彼女達の様態もずいぶんと改善されていると、アキはカオリへの報告書に記述した。
そこへアイリーンが顔を出し、アキに追加の報告を届ける。
「おうさねアキ、ようやく女達の出自を聞き出せたさね」
「非常に助かります。であれば今日中にカオリ様へ有用な報告書として提出出来ます」
まだ精神的に不安定であることを考慮し、出自はもちろん攫われた経緯の聞き取り調査も控えていたために、未だ彼女達が正しく、王国民であるかどうかの確認もとれていない状況であった。
しかし少なくとも出身地と名前さえわかれば、あとは容姿の特徴も踏まえて記録し、後に王国へ人物照会を依頼、そして間違いなく王国民であることが証明出来て初めて、彼女達の処遇を王国と協議が可能なのだ。
とくに実際に被害に遭った領主貴族にとっては、それを証明する重要な証言者ということもあり、損害賠償を請求する確実な根拠となりえる存在だ。
しかし救助しまた治療や介護を一手に引き受けたのがカオリ達であったことから、今はカオリ達の庇護下にあることで、安心感を抱けるだろうと、被害者女性達の心情を慮り即時の引き渡し要求は控えた。
というのは建前である。
実際は魔物に性的暴行を受けたという極めて繊細な問題に、自分達が直接対応することを厭うたからに過ぎない。
事実、被害者女性達へ適切な治療を施せたのも、全てはアキの破格な鑑定魔法と、聖属性治療魔法ならびにロゼッタの火属性回復魔法があってのことであり。
後の継続的な治療も、アンリの薬学的知見によるポーションの処方が的確であったからに他ならず。
さらには村人達の理解と献身があったればこそである。
それら全てをカオリは詳細に報告書に記載し、自分達がどれほど心砕き、被害者女性達に寄り添い、かつ適切な環境下で保護しているかを主張したのだった。
当然今回の騒動の関係者一同にも、この報告書は一部公開され、被害が如何に深刻であったかの理解を深めると同時に、通常の領地では、ここまで手厚い保護を実施することは難しかったであろうことが周知された。
そもそもとして、よほど自領の民を慈しむ精神をもった貴族でもない限り、魔物の被害に遭った領民に対し、手厚い保護体制を手ずから実施する領主貴族は極まれである。
通常は保護こそすれど、治療や介護も含め、家族や教会に即座に返還あるいは引き渡し、心ばかりの金銭を渡して収めるのが普遍的な対応だ。
カオリ達がここまで手厚く彼女達を保護したのも、真心からの善意もさることながら、王国の貴族達への当てこすりの気持ちがあったのは否定出来ない。
また余談ではあるが、医療の充実は軍事的にも非常に重要な要素である。
実戦闘による負傷者の治療はもちろんのこと、疫病の蔓延や精神疾患による戦力の低下を狙った破壊工作に対抗する手段としても、医療の充実は極めて効果的な対抗手段なのだから。
これによってカオリ達の村が、ただの開拓村ではなく、立派な組織体制を敷く一勢力とみなされることとなる。
立地的重要性だけでは、略取すれば目的が叶うと安易に考えられてしまう可能性があったところへ、人的財産においても、非常に有用かつ善良であることが周知されれば、それだけ武力による強引な侵略が極めて悪手であると印象付けられるのだから、カオリもこの件に関しては情報を秘匿せず。堂々と詳細な情報開示に努めた次第である。
それら報告書を受け取り、その効果を目の当たりにしたアンドレアス国王は、例にもれず本日何度目かになる感嘆の溜息をこぼす。
「ミヤモト嬢はいったいどれほど、政治というものを理解しておるのか……」
対面に座るササキに向けて投げかけられた言葉は、問いというよりももはや愚痴に近いものである。
「それほどにカオリ君の怒りが、殊更に大きかったということでしょう、私も流石に今回は反省をしておりますので、心情的には陛下に同道する所存です」
今回の騒動も元を正せば、北の山脈に出現した自らの治める【北の塔の国】の影響であること、また自分を追って合流した元魔物専門部隊の一部暴走を、己が止められなかったことを知るササキとしても、こればかりは言い訳のしようもなかった。
カオリは冷静に状況を理解し、王家はもちろんササキにも責はないと明言をしてくれたものの、責任ある立場の大人としては、どうにも反省すべき点が大きく感じられ、ともにやや背を丸くしてしまった。
「魔物専門部隊は事実上解体のうえ、再度名称を変え再編成し、再訓練を実施する運びとなった。これには軍務卿が率先して指揮をとり、予算も以前の倍ほどをもぎ取ったと聞く」
「ほう、公爵閣下も、どうやら思うところがございましたか、財務卿を納得させるのに、どのような根拠を提示されたのやら」
アンドレアスの言葉に、こともなげに反応するササキへ、アンドレアスはやや恨めし気な視線を送る。
当然、軍務卿カルロストル公爵が、部隊の解体を受け入れつつ、しかしたんに失くすのではなくさらなる強化を主張したのには、個人的な理由以上の観点からだ。
とくに今回争点となったのは、今後同様の騒動が起こったさいに、自国内で求められる医療体制の拡充による。莫大な資金の出費を、如何にして抑えるかであった。
もはやカオリ達が実施した保護体制は、広く貴族達に周知され、それが如何に善良かつ有用であるかが知れ渡ってしまった。
もちろん被害者女性達が無事に社会復帰出来て初めて、その効果のほどを立証出来るのであって、現時点ではあくまでも経過観察の段階であることは当然ではあるものの。
しかし一開拓村でしかないカオリ達の村でも実施可能な体制を、王国ほどの大国が実現出来ないなどと口が裂けても言えず。ではするのかしないのか、その是非を問う必要に駆られた。
となればまずは被害そのものを抑える力が必要であろうと問われれば、どれほど頑冥な財務担当者でも否とは言えなかったのだ。
こんなところでもカオリの報告書が効果を発揮したことを、当然ササキも把握しているにも関わらず。あくまでもしらを切るササキへ、アンドレアスが非難する気持ちを抱くのは無理からぬことだ。
自身の王としての下知よりも、一介の女冒険者の報告書一枚の方が、自国の臣下達の心を動かしたとあれば、王としては一抹の羨慕を抱く。
「再編される部隊名は【魔物討伐部隊】とし、部隊長には元ヴァンガード男爵が就くことになる」
「元となりますと、すでに昇爵が内定しておるということですかな?」
ササキの問いにアンドレスは首肯する。
「ふむ、かの男は暴走する元部隊長に厳しく反発し、黒金級冒険者に協力を仰ぎ率先して森林の外縁を奔走、事態の収拾に貢献した実績を示したのだ。であればその献身を評価し、再編される部隊長就任に伴って、一代限りの名誉男爵から、せめて子爵位くらいには上げてやらんとな、幸い将来有望な嫡男も同部隊に継続して所属する予定なのだ。もっとも適任であろう」
ヴァンガード名誉男爵といえば、その娘がカオリ達と親しくしているのもあり、ササキも名前だけは知っている男だ。
どうやらここにもカルロストルの息がかかった人選がなされたのだろうと、ササキはあの頑固な公爵の顔を思い浮かべる。
「また以前と違う点として、【魔物討伐部隊】には東方武家の次男以下の子息達も編入されることが決定した。現段階ではやはり東方武家同士での監視体制がなければ、皆不安が残るという意見が無視出来なかったのだ」
「それは仕方がありますまい、事実当部隊で魔物への知識を深めれば、部隊を辞めた後に自領で冒険者を指揮し、領内の開拓を安全に進めるさいに重宝されましょう、多少の横槍や縁故採用はどこかで歯止めが必要でしょうが、それは軍本体とて同じこと、今後も継続的に順次改善するしかない点では、これまでとなんら変わりありません」
せっかく宮廷貴族家で固め、王家に従属的な部隊の新設へと漕ぎつけたにも関わらず。当該部隊自体が問題を起こし、思惑が外れたアンドレアスとしては、やや飲み込みづらい状況である。
しかしながら問題の本質は、ササキが言ったように軍全体の根本的問題点として、かねてから是正の手を打って来た問題である。
むしろこれで再び弊害が出るのであれば、再び問題提起をし、追及を強める口実に利用すべきだと、ササキは口外に語ってみせるのに、アンドレスも仕方なく同意を示す。
かくしてもろもろの決定がくだされ、王宮が慌ただしくしていたころ、カオリも時を同じく王宮に登り、王子達を相手に様々な協議を重ねていた。
「こちらが王都ならびに王領内での通行および通商許可証だよ、ついでに君達が使役する【シキオオカミ】だっけ? あれの利用許可もあるから、どうぞ受け取って」
「ありがとうございます。これで冬の間も気兼ねなく活動が出来ます」
コルレオーネ第二王子から受け取った数枚の証書をロゼッタに手渡し、カオリは満面の笑みを浮かべて頭を下げた。
「後君達が利用することになる商会支部の建物だけど、あれの改修も冬中に終える予定だよ、そうなれば従業員候補達の引き渡しも同時にしたいから、追って時期を知らせるよ」
「重ね重ねありがとうございます。なにしろ王都の職人さん達に伝手がなかったので、大変助かります」
これにカオリは再度頭を下げて謝意を示す。
もろもろの手配がすめば、後は春を待つばかりとし、カオリはほっと胸を撫で下ろした。
そこへわざとらしいアルフレッド第一王子の咳払いが鳴り、カオリ達は彼に視線を移す。
「そういえば、ベアトリス伝手でルーフレイン侯爵からの感謝状を受け取っている。なんでも侯爵領でも魔物の被害に遭った民がいるらしく、もし生存者をカオリ嬢が保護している場合は、そのまま予後を任せ、かかる費用は他領の民も含め、全て侯爵家が支払うとのことだ。また別途金銭あるいは別の形でも謝礼は惜しまないそうだ。すまないが我からも頼みたい」
頭こそ下げはしないものの、表情により謝意を雄弁に示すアルフレッドに、カオリは柔和な笑みを向ける。
「乗りかかった舟ですので、こちらは一向にかまいません、ですが謝礼に関しては、被害者女性達の処遇が決定してから決めたいので、後ほどお伝えしたく思います」
「うむ、わかった」
続けて渡された感謝状も、そのままロゼッタに手渡し、カオリはそろそろ腰に来るかと懸念しながら再び頭を下げる。
そうしてようやくといった風情で、コルレオーネは盛大に溜息を吐き、ややだらしなく姿勢を崩す。
「はいはい終わり終わり、堅苦しいのはここまでにして、そろそろお茶にしようよみんな、久々に仕事をいっぱいして、目も肩も疲れちゃったよ」
「ふん、監視されるのが嫌などと、側近をつけない皺寄せが来ただけで情けない、お前も俺のようにさっさと右腕をつければよいものを」
まるで王族らしくないコルレオーネの姿に言及しないものの、アルフレッドは面倒な執務に忙殺された弟を自業自得と揶揄する。
「仕方ないじゃないか、僕は自由恋愛派だからね。傍に仕える子は慎重に選びたいだろう?」
「誰が子女から選べと言った。開明論派には小賢しい文官候補が山といるではないか」
「口煩い男に、四六時中付き纏われるなんてごめんだね。同じ口煩いにしても、どうせなら可愛い女の子に嫌みを言われたいじゃないか、そんなことを言いながら、兄上だって姉上の縁故を頼って優秀な側近を選んだんだから、婚約者も決まっていない僕は、どのみち側近選びに時間がかかる予定なの」
話にならんと表情に浮かべ、アルフレッドもやや椅子に背を深く預ける。
「失礼します。遅くなってしまい、申し訳ありません」
そこへステルヴィオ第三王子までもが合流し、文部棟の応接室も今や高貴な身分が揃い踏みとなる。
「本当に仲がよろしいんですね~、いつも思うんですけど、次代を担う王子殿下方が、一同に会するのって、ちょっと危なくないですか?」
カオリがかねてから疑問に感じていたことを問えば、三人の王子達はそろって不思議そうな表情を浮かべる。
「ササキ卿からなにも聞かされていないのか?」
アルフレッドに質問を質問で返され、カオリは戸惑うが、すぐにコルレオーネから要約を説明される。
「ああ、それはだね。父上とササキ卿との取り決めで、各大臣達に向けて通達しているんだよ、ササキ卿ならびにササキ卿の手勢が近くにある場なら、護衛の近侍なくとも、王族は私的な歓談の場をもってもよい、てね」
「……それはつまり、ササキ様およびカオリを、臨時の護衛として期待しているということでしょうか?」
コルレオーネの説明に、ロゼッタが人数分の紅茶を淹れながら聞けば、王子達はそろって頷いた。
「まあたしかに、この場で殿下達を襲うような人が来たら、一応容赦はしませんが」
「そうだね~、出来れば捕まえて、背後関係を吐かせてから、斬ってくれたら助かるけどね~」
やや困った表情で要望を伝えるコルレオーネに、だがカオリは曖昧な笑みで無言の肯定を示す。
「そもそもが、ササキ卿が王国に滞在するうえで、父上と結んだ契約が所以だ。各国を旅し、その独自の情報網から確度の高い情報をもたらし、かつその類稀な戦闘能力を、現王家は喉から手が出るほどに必要としている。なので冒険者組合を通じて、無制限での仮の護衛依頼を、月極更新という形で結んでいる。つまりカオリ嬢達は現在、ササキ卿の代理で、我々王族の護衛に従事している。というのが公的な扱いだ」
「ほえ~、そうだったんですか」
初めて聞かされる事実に、カオリはなんだか引っかけられたような気分になるものの、カオリとて自分の都合で様々な活動を、ササキに事後報告することが多いため、これに関してはお互い様だと納得する。
これまでの私的な招待も、公的には冒険者としての依頼で訪れたのだということになっているのだ。だからこそ、本来登城資格を有さない平民に過ぎないカオリが、堂々と城に正面から訪問出来たのだと理解する。
「では殿下方、どうぞ毒見の心配のない、安全の保障されている紅茶を、ご賞味くださいませ」
すまし顔でわざとらしく、それぞれの席にロゼッタが茶を運べば、王子達はそろって笑みを浮かべ、迷わず口元へ運んだ。
そういえば、よく同様の歓談の席では、ロゼッタが手ずから茶を給していたのだったなと思い返す。
仮にそうでなくとも、カオリの鑑定魔法により、毒の有無は常に厳しく調べているので、少なくとも王子達はこの瞬間だけは、まったく警戒をせずに気兼ねなく過ごすことが出来ている。
それらはなにも、カオリが特別王子達を気にかける必要もなく、ただカオリがカオリらしく振舞った結果であるので、百歩譲れば事後承諾でもとくに問題はなかっただろう。
「まあそれはおいておいて、僕達の仲についてだったね? たしか以前にもカオリ嬢は僕達の派閥を超えた付き合いについて言っていたね。それなら答えは簡単だよ、なにせ僕達は幼いころから、そうやって育てられてきたからさ、歴代の王族達全員がね」
紅茶で滑らかにした口で、コルレオーネはこともなげに告げた言葉へ、次いでステルヴィオが補足を加える。
「ミカルド王家はかつてのミッドガルド朝の流れを汲む生粋の王族ですから、再び王朝を興すにさいして、誰が王位に就くかで、建国時はずいぶんと不穏だったそうです。しかし無用な争いで、民を疲弊させれば、それこそ周辺国家につけ入る隙を与えかねないと、当時から血統親族は一致団結した記録が残っています。その教えが、今も我々の礎として継承されて来た結果だと僕は考えています」
そこへアルフレッドは鼻を鳴らして発言する。
「ふん、身内同士で玉座を争うなどくだらん、どのみち国政を一人で担うなど不可能なのだ。それぞれが得意な分野に従事し、協同で国を豊かに導けば楽ではないか、俺は一軍の将として、戦の栄誉にさえ預かれればそれでよい、弟の内どちらかが王位を継げば、俺もさっさと臣籍降下して、存分に私兵団の設立に集中出来ようぞ」
歴史的観点からの風習を語るステルヴィオに対し、アルフレッドは極めて現実的観点からその有用性を主張するのに、カオリは心底感心する。
言い方や着眼点はそれぞれでも、行きつく結論は同じなところに、なるほど紛れもなく兄弟なのだと感じ入ったからだ。
「まあそんなこんなで、昔から派閥が力をつけることはあっても、それが決定的な争乱とか王族同士の殺し合いにまで発展しなかった理由かな? ようは結局のところ、王族の仲がよければ、そもそも争いにならないよねってこと」
これがいつかにアイリーンが指摘した。ロランド人の習性かと、カオリはその真面目で直向きな人種性に納得の表情を浮かべる。
「素敵な教えですね~、全ての国がそうあれたら、内乱なんて起きないのに、どこもままならないもんですね」
そんなカオリも、今は王族の安らかなる一時に貢献している自覚もないまま、しかし腰に佩いた刀の柄を、指先で静かに撫でた。
ところ変わって、村では現在、通常の開拓業の他、ゴブリン達の被害に遭った女性達を巡る。さまざまな試行錯誤がなおも協議されていた。
その主導を担うのは、アキとアンリの二人である。
アキは物資の確保や補充、または担当人員に関する金銭的な手配が主であり、アンリは薬学的知見からの治療に専念している。
しかしながら単純な製薬はもちろん、外傷以外を癒すポーション類の製作は、まだまだ発展途上ということもあり、大前提に有用な効能を保有する薬草の選別も、遅々として進んでいない状況である。
「アキお姉ちゃん、やっぱりこれまでの薬草だけじゃあ、もうこれ以上のお薬はつくれないかも……」
「さようですか……、であればより広範囲に探索の手を広げ、より多様な薬草の採取を進める他ありませんね。私の治療魔法だけでは、毒症状の除去は出来ても、毒性物質の根治はもちろん、病原体等の排除も難しいので、是が非でも抗病原薬の作成にこぎつけねばなりません、申し訳ありませんが、アンリ様にはそれまでに、被害者の状態に関わらず。研究を進める準備だけでもお願い申し上げます」
敬愛するアンリの困った表情に、心からの無念を表して深々と頭を下げるアキに、周囲は同情の念を送る。
これはカオリのあずかり知らぬことではあるが、今回の騒動における。カオリの静かな怒りの念を、鋭敏に感じ取ったアキは、心中で戦慄するとともに、少しでもカオリの心を慰めようと、確実に被害者女性達の社会復帰に全力を捧げる所存であった。
カオリの怒りの真意こそ知らぬものの、少なくとも、今回被害にあったのが自分達と同じ年若い女性であったこと、力ない弱き民であったこと、そしてそれが己達村の関係者にとっても無関係ではなかったことは、人間の感情の機微に疎いアキであっても、容易に想像が出来たのだ。
であれば被害そのものを防ぐ備えはもちろんだが、それ以上に被害者を適切にかつ確実に治療、および社会復帰に向けた現実的な取り組みの確立が、カオリの怒りや不安を和らげる助けになるだろうと考えたのだ。
しかしアキはその破格の鑑定魔法【―神前への選定―】によって、通常の低位の鑑定魔法では看破出来ない隠された状態も、余すことなく調べることが可能ではあるものの、それを全て魔法によって治療出来るとは限らなかった。
とくに病原体(この場では主にウイルス等を指す)の除去に関しては、そもそもが生命体であるがために、下手に治療魔法を行使した場合、宿主と共に病原体も同様に治療または活性化させてしまう恐れがあった。
宿主に十分な抗体があれば、その手法でも多少は時間を要するものの、根治は可能ではあるが、宿主の体力が著しく損なわれている状態では、瞬く間に病を促進してしまう危険がある。
よって今回のような被害者女性達には、安易に治療魔法を行使出来なかったのだ。
そこで期待されたのがアンリ謹製のポーションを利用することであった。
薬ないしポーションであれば、アキの不在時や、アキの魔力保有量を上回る感染者数が発生した場合でも、即座に誰でも治療出来る体制が実現出来、現状に限らず将来的にも非常に有益な体制の確立が望める。
ゆえに今回、被害者女性達を保護してすぐに、カオリはアンリに製薬研究をお願いしたのだ。
「幸い被害者達の血液検査により、とくに問題のある病原体の特定は出来ております」
「うん、だから抗病原薬は少し時間がかかるけど、きっと作れると思う、でもいろんな毒をまずは完全に身体から追い出して、みんなに体力をつけてあげないと駄目だから、そのための薬草がどうしてもほしいな」
ならば解毒だけでもアキの解毒魔法で除去してしまえばと考えてしまうが、しかしそれにも問題が懸念された。
病原体とはつまり、宿主の細胞を喰らい繁殖する寄生生物ともいえる存在であり、その繁殖には健康かつ正常な細胞が必要とされる。
であれば毒に侵された身体であればこそ、現在被害者女性達は爆発的な病原体の繁殖が抑えられている状態なのだ。
また毒を除去する場合でも、毒物の除去には体外と体内とで行う場合では、その処方には大きな隔たりがある。
試験管の上でどれほど無毒化が立証されたところで、実際に人体に混入した毒物を、同じ手法で除去を試みた場合、深刻な副作用を引き起こす可能性があるどころか、無毒化出来る成分そのものが、人体に極めて有毒な可能性すらあるのだ。
結論、今現在毒と病に苦しむ被害者女性達を、ただただ善意だけで早計に治療してしまうことを、アキは無情にも心を鬼にして、実験台にせざるをえない状況だったのだ。
さりとて悠長に構えているわけでは当然なく、あくまでも全力を傾けて完全なる治療体制の確立に奔走している次第であった。
そんな悩める二人の下へ、珍しくカムが接触する。
「カム様、いかがなさいましたか?」
「……」
相変わらず無言で佇むカムではあるが、今は【遠話の首飾り】により、意思の疎通に問題はないはずだと、アキは首元に下げる首飾りを捧げ持ち、カムへ念話を勧める。
『小鬼の肚を調べた。奴らの食べ物、排泄物に、病の元がある』
「たしかに、であればそれら摂取物をしらみつぶしに集めれば、中に病や毒の元となった植物ないし食べ物の特定も容易ですね。また小鬼共がどうやってそれらを無毒化し、あるいはどのような抗体を獲得したかも、つまびらかに出来るはず。早速調査をし、可能であればカム様と共に、森への採取に同行していただきたく思います」
「……」
カムのもたらした情報の重要性を理解し、アキは光明をえたりと前のめりになるのに、カムは無言で首肯する。
「アキお姉ちゃんが、ついにカムさんと話せるようになったっ!」
【遠話の首飾り】の利用を知らされていなかったアンリは、ついにアキがカオリと同じ領域に足を踏み入れたと驚嘆するのを、周囲の人間とともに戦慄し見つめる。
翌日のころ、カオリが経過視察のために村へ再び帰還したのを受け、ロゼッタは本日一人で学園に向かい、今や恒例となった女子会に興じていた。
この場に出席するのは、表向き主催の立場をもつ、次期第一王子妃となるベアトリス・ルーフレイン侯爵令嬢であり、招待客はロゼッタを含めた。アンジェリーナ公爵令嬢のような高位貴族令嬢の他、クリス次期子爵令嬢といった親しいものだけに限らず。幾家かの先進的な思考に共感した令嬢達である。
「この度ロゼッタ様は、本当にお疲れ様でございました。聞くところによると、カオリ様やお仲間のたった数名で、ゴブリン達を群れごと討伐されただけでなく、攫われた女性達も保護し、その治療まで進められていらっしゃるとお聞きしました。よもや我が領地の問題が波及して、そのような騒動に発展したなどと予想出来ず。なんと申し上げればよいか……」
優雅な所作で紅茶に口につけつつ、わかりやすい切り口で話題を提供する素振りであはるが、ベアトリスが内心ではカオリ達を巻き込んでしまったことに、心底罪悪感を抱いていることをロゼッタは感じ取り、首を振って彼女の心情に配慮する。
「いえ、問題を起こしたのはまるで魔物への知識をもたず、功名心に逸るままに行動した愚かものが原因です。しっかりと指導にあたる冒険者様の忠告を受け入れていれば、起こりえなかった問題ですので、ルーフレイン家が気に病む必要は一切ございませんわ」
その言葉に一転してやや表情を曇らせたのはアンジェリーナである。
彼女にとってみれば、自派閥の末端に属する元部隊長も、本来は擁護の必要がある人物であったはずだが、騒動が表沙汰になり、家としても厳しく対処せざるをえなかった男である。
愚かものと評したロゼッタの言に、少々厳しい批判と感じつつも、彼女にしても今回の騒動は誰が見ても愚かな暴走の結果であるということがわかるだけに、反論をする気にもならなかった。
「……お父様も、此度の騒動には厳しく対応なさったそうで、件の元部隊長も、もう出世の道はないだろうとのお話です。遅ればせながら、私からも自派閥のものがご迷惑をおかけしたこと、反省しております」
あくまでもインフィールド公爵家としては、派閥の長としての責務は果たしたと主張しつつ、それでも体裁としての謝罪を口にするアンジェリーナに、ロゼッタは再度首を振る。
「なにをおっしゃいますかアンジェ様、我々は公爵家がどれほど東方の安寧に心尽くされているのかを、重々承知しております。公爵閣下におかれましては、大変な心労を背負われたと、心より同情しております。これはカオリも同様の心持であると、私は聞いておりますので、どうか心煩いのなきよう、お伝えください」
未だ表情の硬いアンジェリーナに、ロゼッタは柔和な笑みを向けて、その心労を慰める様子に、一同はカオリ達の大器を感じ取り、安堵の気持ちを抱く。
「それよりも、公爵閣下は真に慧眼の持ち主であらせられます。同部隊内においても、真に国を思う忠臣が誰であるかを見極め、その忠義が発揮されるように人選を成されたのに、我々一同は心から歓迎しております。つきましてはクリス様のご実家が、子爵位の内定を賜ったこと、まことにお祝い申し上げまるとともに、かの騒動におけるお父君の勇気と行動へ、ササキ様も称賛をお送りすると聞かされております」
話題を少しでも明るくしようと、次に矛先を向けるのは、当然同騒動におけるもう一つの功労者たる。クリスの父親であるヴァンガード元名誉男爵の活躍だ。
「い、いえっ、我が父が、まさか再編される新部隊の隊長に任ぜられたのは、本当に公爵閣下様のご采配によるもので、とても恐縮ですっ」
聞けばクリスの父は、新設された元魔物専門部隊において、その将来性にはかなりの入れ込みようであったという。
当然自身の部下として入隊した息子に、少しでも栄達の道をと考えていたのはもちろんではあるが、しかし魔物の被害に率先してあたる部隊という栄誉ある仕事に、真剣に挑むべく事前に冒険者の心得を学んでいたからこそ、元部隊長の暴走にいち早く反発し、最善の手を打てたのだ。
騒動における国内の被害が最小限に収まったのは、ひとえにヴァンガード元名誉男爵の勇気ある行動が所以であると、多方面から称賛されていた。
ただし一代限りの貴族の子女として育ち、ほぼ平民と変わらぬ暮らしをして来たクリスにとって、ある日突然に、自家が子爵という世襲貴族位を賜るなど夢にも思わず。
当然自身が立派な貴族令嬢に分類されるなど未だ実感の湧かぬままに、こうして押しも押されもせぬ高位貴族令嬢達と卓を囲み、優雅な茶会に興じるなどまるで分不相応と恐縮するばかりであった。
「なにも緊張することなどありません、クリス様はその勤勉さがあったればこそ、当部隊が滞りなく認可され、その忠節から当然の差配が下ったまでのこと、今後は堂々とお家の栄誉を背負い、これまで通りの忠道に励まれればよろしいのです。さすれば自然と周囲も相応の評価をするようになりますわ」
そしてこれまでは、開戦論派の箸にも棒にかからない末端貴族としか言いようのなかったヴァンガード家も、今や立派な開戦論派筆頭貴族家に成りあがり、おおやけにはクリスもアンジェリーナの取り巻きの一人と数えられている。
こうなればアンジェリーナも機運を読み、クリスに目をかけて重宝する姿勢が求められるだけに、今後は彼女の淑女教育にも、しっかりと目をかける必要を感じる。
少なくともこうして高位貴族家令嬢の中に混じっても、侮られない程度には、クリスには堂々とした態度を身につけてもらわねばと、やや視線を厳しくする。
「しかし今回の痛ましい騒動と同様のことが、各地で頻発していたなどと、私はまるで実感がございませんでした。……想像するだけで夜も眠れませんわ」
貴族令嬢の話題としてはいささか凄惨な話題ではあるものの、この場に居るのは現役の冒険者であり当事者でもあるロゼッタは当然とし、アンジェリーナもクリスも立派な武家の令嬢である。
同世代の女性達が魔物に弄りものにされるという内容でも、少なくともあからさまな拒絶反応は示さず。真実懸念であると問題提起に姿勢を正す。
「わ、私も父からカオリ様の報告書の写しを拝見させていただきました。その、本当におぞましい事件です……。今回のことで、魔物がより恐ろしい存在だと思いました」
当事者の一人であるクリスの父は、どうやら娘も無関係ではないと考えたのか、カオリ達の取り組んでいる医療体制や、実際の被害者女性達の様態についての記録を見る機会を与えた。
元より魔物を恐れ、父や兄が魔物と戦うことを誰よりも心配していただけに、実際の被害状況の記録は、よほどの衝撃だったのだろうとロゼッタはクリスに同情する。
「私も父から、領地を広く開拓する上で、このような問題はつきものであると忠告を受けました。少なくとも開拓を推進するということは、これら魔物の被害に対し、真剣に対策を練る覚悟をしなければならないと、厳しく言い含められております」
同時にインフィールド家においても、寄子貴族達から領地の警備に関して、すでに多くの嘆願が届いていることが知らされ、これまで自家の運営に一切関与していなかったアンジェリーナ自身も、事態を重く受け止めざるをえない状況だと告白する。
これは此度の森林騒動以前から、すでに噴出していた問題であったのはいうまでもないことだ。
帝国王国間戦争の事実上停戦にさいし、各国の義援金が停止した時点で、東方武家は自家で抱えていた多くの兵や従士を解雇せざるをえなくなり、当然のこととして、自領の治安維持に頭を悩ませる事態となったのだからさもありなん。
そこへ今回のような魔物の被害が報告されれば、どの家も不安を感じて当然であろう。
「であればこそ、迅速な新部隊の編制が求められましょう、当然冒険者組合にも、安定して冒険者の供出を求める必要もありますでしょうが、やはり恒久的な武力の確保は必須、これこそ税の正しい使い道ですわ」
かの騒動で被害に遭った女性達の惨状に、誰よりも心を痛めたロゼッタのこと、事態を未然に防ぐための取り組みには、一冒険者としても、王国貴族令嬢としても、是が非でも実現してほしいと切に願っている。
そんな彼女の強い眼差しを受け、同席する一同は元より、周囲の貴族令嬢達も、同意と尊敬の念を深くする。
余談ではあるが、これまでロゼッタ・アルトバイエという令嬢は、社交界で一風変わった令嬢であるというのが共通認識であった。
なにせ幼少より蝶よ花よと育てられながらも、どこか普通の令嬢と違い、外の世界に目を向けている言動が目立っていたからだ。
それが顕著になったのが、三年前のササキの台頭であることは以前にも語ったことだが、それ以前から同様の態度が見受けられていたのを、親しいもの達は知っていた。
貴族令嬢たるもの、やはり一般的には将来他家に嫁ぎ、夫に代わり社交をこなす他、嫁ぎ先の家を盛り立て、次代を生み育てることが期待されるものであり、当然そのための教育を幼少より施されるものである。
しかしロゼッタは、それら多くの貴族女性達が身につける教養に加え、より広く深い知識の探求に余念がなく、また剣術や魔導の実践にまで腕を伸ばしていた。
その行動が、彼女が冒険者への憧れ以前から、すでに社交界で有名になっていたのを、ベアトリスもアンジェリーナも知っていた。
つまり共に高位貴族令嬢であり、三王子の有力な婚約者候補として競うはずだったロゼッタに対し、ベアトリスもアンジェリーナも、周囲から常にロゼッタと比べられて育った経緯があったのだ。
しかしながら、ロゼッタが半ば家出に近い状況で出奔したのち、たったの一年にも満たない期間で、カオリ達と共に冒険者としての名声を手にし、堂々と王都に帰還したことに、彼女達は驚嘆を抱いたのだった。
また冒険者活動に従事したことにより、(実際はカオリの実力を目の当たりにしたため)心身共に鍛えられ、かねてより見受けられた気位の高さの代わりに、凛とした気高さを纏った姿をえたことで、彼女達の驚きは瞬く間に尊敬の念へと変化した。
(このお方こそが、次代の国母となるべき人物ではないのかしら)
内心でそう言葉にしたベアトリスは、視線をアンジェリーナに向ければ、彼女も同様の想いを抱いていることが察せられ、ベアトリスは小さく嘆息した。
言葉にしてみれば実に単純な話である。
礼儀作法は王家を相手にしても問題なく、教養は学者と対等に議論が出来、剣術や魔導も実戦を経たたしかな経験も身につけているうえ、政治や経済にも造詣が深く、極めつけにはカオリ達の村の開拓を通じて、実務や知恵も豊富である。
そしてこれまでの騒動に関連して、貴族令嬢へ間接的に働きかけ、世論を動かす指導力もその才能の片鱗を見せつつある。
事実これまでの実績を知り、ロゼッタを影で慕う令嬢が多くいることを、ベアトリスもアンジェリーナも認識している。
自分達がそのおこぼれに預かり、利益をえていることも自覚している身としては、社交界の主導権をめぐった水面下での競い合いにおいて、仮にロゼッタが本格的に王国での立場を目指した場合、己達ではまったく歯が立たないことは必至である。
ここまで来ればもはや対抗心を抱くのも馬鹿らしく、大人しくロゼッタと懇意になるのがもっとも賢い選択であると、流石の彼女達も痛感していた。
しかしながら当のロゼッタは、自身の実績の全てを、ササキやカオリの力に依るものと認識し、まるで自身の実力だと思いもせず、ただただ真摯に国と民の安寧に心を砕いている風体である。
それが却って彼女の評価を高めている事実など知る由もなく、ロゼッタは今も優雅に茶を嗜みつつ、頭では今後の活動に関して想いを巡らせているのが察せられ、ベアトリスはただただ羨望の眼差しを送る。
実のところ、アルトバイエ家では現在、多くの見合いの打診があることを、高位貴族の令嬢達は秘密裏に掴んでいた。
なにしろかねてから目をつけていた将来有望な子息達との縁談が、やや消極的になっているのだから嫌でも気付くというものだ。
カオリのような異邦人の平民冒険者ではなく、ロゼッタはれっきとした王国貴族令嬢なのだから当然であろう。
今は国外辺境の村の開拓に従事してはいても、将来的には王国に根を下ろす可能性は十分にあり、自家の嫁にとロゼッタを望む声が高まるのも当然の結果といえた。
しかしそれら縁談も、侯爵家で事前に断りがされ、あまつさえササキが秘密裏に処理してしまうのだから、知らぬは当人ばかりの状況なのだ。
ベアトリス自身はすでに第一王子妃が内定しており、学園を卒園後は正式に婚姻を結ぶ手筈であるため、この期に及んで競争意識を抱く意味などないものの、そうではない令嬢達にとっては、ロゼッタの存在は脅威でしかないはずだ。
だがロゼッタ当人に結婚願望がまったく見られず。親しい男性の噂も王子達を除いて皆無の状況であるため、家としても一人の女性としても、ロゼッタの社交界での立ち位置がわからないのが実情である。
であれば、ベアトリスとしてはロゼッタのことを、王国貴族の常識の範囲外、つまり例外として扱う他なく、少なくとも身近な家々にはカオリはもちろん、ロゼッタと敵対するような行動は慎むようにと厳命している。
そしてどうやら近頃では、アンジェリーナも自身の取り巻き達に対して、ベアトリスと同様の働きかけを行っているらしく、過激な言動がカオリやロゼッタの周囲ではまったく聞こえなくなっている。
そう、今や社交界では、カオリ達と敵対することが、どれほど危険かつ愚かであるのか、ついに理解され始めたのだった。
それを成したのが、冒険者でしかないカオリと、まことに勤勉な令嬢のロゼッタである事実に、ベアトリスは心からの畏敬を滲ませる。
それから数日後、村は重苦しい空気に沈んでいた。
理由は、被害者女性達が身籠った魔物の子が、ついに生まれ、その処遇が検討されていたからだ。
常識的に考えれば、無理矢理に孕まされた魔物の子など、生まれた瞬間に殺処分が当然ではあったが、カオリとしては一応母体となった女性達本人の意思を尊重するとし、また魔物の生態などを深く理解するための研究対象にもなる存在であるため、即殺害と踏み切ることが憚られたためだ。
とくに母体の安全を第一に考え、アキを筆頭とした治療員は、全員が被害者女性達に付きっきりとなり、魔物の子の処遇はひとまず保留にする他なかったのも理由である。
しかしながら女性達の病症の根本原因である子が分娩されたことで、ようやく完全な治療を施す判断が出来るとあって、アキとアンリの二人は即座に治療に集中した。
一方取り上げられたゴブリンの幼体は、仮に母体となった女性が、その存命を願った場合も考慮して、粗雑に扱うことも出来ず。仕方なくなるべく丁寧に扱わざるをえなかった。
そうなるとたとえ幼体とはいえそれは【ゴブリン】という魔物である。厳密には魔物ではなく亜人の一種ではあるものの、ほとんどの村の関係者としては警戒対象でしかない存在であるのは事実だ。
であればその面倒を誰が担当するのかという問題に直面し、それに名乗りを上げたのは他でもなく、カオリだった。
「……」
そんなカオリは、ただただ無表情で、ゴブリンの幼体達を見詰め、無言で佇んでいた。
頭では、生まれたばかりの子ども達に、たとえそれが憎きゴブリンの子であっても、罪のない無垢な生命であるとは理解しているものの、それが望まれた命でないことは明白であるのもまた事実である。
このまま母体となった女性達が、幼体の死を望めば、目の前で安らかに眠る子ども達を処分するのは、自身の役目であると、カオリは極めて冷静に受け止めていた。
同じ女性の身で、生まれた子供に手をかける行為が、どれほど辛い役目であるかなど、容易に想像出来るはずだ。
当然カオリの名乗りに対して、即座に周囲からは反論はもちろん、役目を代わる幾人もの声が上がったものの、カオリはそれらを頑として受けつけなかった。
(この子達の親を殺したのは私だし、母親を助けたのも私だし、なにより、斬るのはいつだって私の役目だし……)
そうやってカオリは、もう何度目になるかもわからない呟きを反芻した。
そこへアイリーンがおもむろに近付き、カオリの隣で視線を同じくしつつ、控えめな声をかける。
「女どもは、こいつらの存在を望まないってさ、……どいつも泣いてたよ、涙の意味まではわからなかったけどね」
「そうですか」
アイリーンが被害者女性達から聞き出した。彼女達の意思を伝えれば、カオリは静かに深呼吸を繰り返した。
「カオリ、なんなら代わってやろうかい? なんでもかんでもカオリが背負えばいいってもんじゃないだろ? ここなら誰がやったかなんてわからないしさ」
これに対して、カオリは即座に首を振って否定を示す。
アイリーンもその返答を予想していたので、これ以上食い下がるのは、カオリの覚悟を汚すと理解し、無言で視線を上に上げる。
現在カオリ達がいるのは、村の祠であるギルドホームの中央広場だ。
たとえ魔物の子であっても、憎き存在の子であっても、命の生殺を伴う以上は、ある種の神聖で真摯な覚悟が必要であると感じたがゆえである。
日本にも水子供養など、生まれて間もない生命の死に伴って、その魂の供養を執り行う儀式の風習があることを知るカオリにとって、この行為が決して、粗野に扱うべきものではないという認識である。
この世界での水子の扱いがどういったものであるかを知らないカオリとしては、可能であれば事前に入念な準備と、この世界の宗教的文化に則った作法を学びたかったところではあるものの、今日まで方々に忙しく、それどころではなかったこともさることながら。
現在村には教会施設自体がないのだから、そもそも手段が限られていたのは事実である。
であればカオリの認識の範囲内で、奪うことになる命に対して、可能な限り真摯でありたいと、この祠を処分場として選んだ次第である。
「殺処分後は、アキにお願いしてこの子達の魂の安寧を、皆で祈る儀式をしたいと思います。遺体はアキとロゼの複合魔法による。聖なる炎で焼いて、灰と骨は、森の黒獅子さんのところへ埋葬してください」
「えらくしっかりとやるんだね。普通は冒険者組合にもっていって、金に替えちまうもんだが……、そうだね。その方が女達も少しは気持ちの整理がつきやすいさね」
カオリの指示に、アイリーンは感心からなんどもうなずく、宗教的知見どころか冒険者的常識の観点から見ても、カオリの対応が随分と手の込んだ方法であると感じはするものの、被害者の感情に寄り添った妙手だと納得する。
そして音もなく抜刀したカオリの背中を、アイリーンは最後まで、黙って見届けた。
翌日、アキとロゼッタの祈りと共に、蒼い炎に静かに焼かれ、細く煙がたなびく光景を、村の関係者達は静かに見上げた。
簡易的に組まれた火櫓を囲むのは、聖炎の複合魔法を行使するロゼッタとアキの他に、カオリとアイリーン、そして被害者女性達とその介護要員達である。
男衆はすでに銘々で開拓業に出払い、この場には女性達のみである。
最初に今回の儀式の概要を聞かされた関係者達は、一様に困惑と驚きを露わにしたものの、その目的が誰あろう被害者女性達の心情に寄り添ったものであることを理解し、深く理解を示した。
とくに表情になんの感情も浮かべず。だが止めどなく涙を流す被害者女性達の姿を見て、これが彼女達が少しでも前を向くために必要な措置であったのだと、村の関係者一同はその意味を重く受け止めた。
今後は同様の被害の他、村で流産や未熟児などで子を早くに失くした場合も、同じ儀式が執り行われるのだろうと、一同は漠然とした関心を寄せる。
「これで、皆様にかかる穢れは祓われました。邪悪な魂は浄化され、神の御許で安らかなる導きをえるでしょう、よって罪はなく、また皆様の行末には神々の祝福が齎されることを、我ら一同心よりお祈り申し上げます」
「うくっ、ううぅっ!」
カオリの祈願によって締め括れば、被害者女性達から啜り泣きや、歯を食い縛る音が聞える。
自らの不幸をただ嘆くもの、怒りと憎しみに耐えるもの、見捨てた命を儚むもの、そのどれであっても、カオリには心底理解出来るものはなかった。
しかし彼女達が抱える。抱えざるをえない感情に対して、カオリは最良の方法など無かった中で、少しはマシな方を選べただろうと、自分を納得させる。
なにより直接命をその手にかけたカオリ自身も、胸に空いた虚空を、どう埋めるべきかを持て余しているのだから、余人に同情する余裕もないのが本音である。
魔物も人も、斬れば同じ血の詰まった肉の塊であると公言するカオリである。
奪ったものが紛れもない命であると十分に理解している。
そしてそれがなんの罪もない無垢なものであったこともだ。
いつかは覚悟していた事態ではあるものの、しかし実際に事態に直面してようやく、カオリは心底から、闘争の本質を理解したような気がした。
得たものなどなく、失ったものない、ただ胸に、埋めることの出来ない、伽藍だけが残された。