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( 和解交渉 )

 その場に跪いたカオリは、眼前で空虚な瞳で蹲る女性を、優しく、しかし力強く抱き締めた。

 思いつく限りの言葉も、今はなに一つ紡がれることはなく、胸中の想いはただただカオリへ行動を促す。


 いつだったかに軽口のように考察した。【ゴブリン】の習性において、他種族の雌を孕ませて繁殖も可能であることは知っていたし、あくまでも知識として被害に遭った人間の女性達が存在することも重々理解していたはずだった。

 しかし人から聞かされる知識と、実際に目にする凄惨さとでは、その印象は雲泥の差があると、カオリは冷静な頭で理解する。

 虎の子の【オーガ】と群長を失い、完全に戦意と統制を失ったゴブリン達も、ほどなくしてアイリーン達や勇敢なコボルト達に殲滅されるであろうことを、カオリは無言で見守った。


「アキ、急いで他の寝床も調べて、被害者が他にもいるかもしれない、すぐに保護して一ヶ所に集めて、診察と治療を始めて」

「かしこまりましたっ」


 カオリの指示に即座に応じたアキが、戦闘の手を止めて、目につく寝床を片っ端から家探しを始めた間、カオリは簡易の天幕の設営作業を進める。

 ほどなくしてゴブリンの殲滅を見届けたアイリーンも手伝い、そこへ被害者女性達を運び入れる。

 保護された女性は計五人、皆一様に若い女性達であるが、今は憔悴しきっており、見るからにやつれた様子である。

 ロゼッタはそんな彼女達を前にして言葉を失い、怒りとも悲しみともとれない涙を流しながら、無言で湯と清潔な布の準備を始める。


「極度の疲労と栄養失調、脱水症状も見られます。またいくつかの感染症も見受けられますので、まずは解毒と治療をおこない、水分補給と栄養補給をおこないます。ロゼッタ様はとにかく大量の湯と布の準備をお願いします」

「承知したわ」


 鑑定魔法で女性達の正確な状態を調べ、今出来る最善策を説明しつつ、ロゼッタに指示を出すアキにカオリも黙って従う。


「あたしはカムの旦那と、周囲の警戒やちびどもの指示に回るさね。力仕事が必要ならすぐに呼んどくれよ」

「お願いします。とにかく今はこの場所を掌握して、安全を確立することが先決ですので、その辺りはアイリーンさんに一任します」


 こちらは冒険者として、必要な措置を彼女に任せ、カオリ達は被害者女性達への対応に集中した。

 沸いた湯に浸した清潔な布で、カオリとロゼッタは二人で女性達を丁寧に清め、アキは先ほどの治療を順次おこなっていく。

 簡易の天幕は全面を覆い、外から様子がうかがえないように配慮してはいるが、そもそもこの場にはカム以外に人間の男の目はないのだから、あくまでも被害者女性への心情的配慮に過ぎない。

 それでもカオリがその点を重視したのは、とにかく彼女達への心理状態への善処がゆえである。


「……こ、しっ」

「喋らないでください、今は治療が最優先です。貴女方は今治療しなければ、とても危険な状況なのです。とにかく安心してください、もう貴女方を苦しめる要因は残らず排除しましたから」


 脱水症状のせいだろう、上手く声を出せない様子ではあるが、カオリの優れた聴覚はその懇願を正確に理解する。


 ――殺してほしい。


不明瞭な言葉に込められた被害者女性の瞳に浮かぶ絶望、その内に唯一残された最後の願い。


(そうだよね。死にたくなるほど辛いよね。でもそれだけは聞けないよ、これはもうただの魔物の被害ってわけにはいかないもん)


 カオリはそんな彼女の懇願を理解しつつも、しかしその願いを叶えるわけにはいかない事情も、同時に推察する。

 今回の魔物の群れが北から流れて来たことから推測するに、この女性達の出身地は、王国東部の領地であることが予想される。

 であれば魔物専門部隊初の任務において、当該部隊はいたずらに森の生態を荒らしただけに留まらず。それによって溢れ出た魔物の被害を誘発してしまったことになる。

 当初は森の深くから迷い来たただの群れだと認識していたカオリであったが、こうして人間の被害者を目の当たりにしたことで、事態は予想よりも深刻な状況なのだと理解したからだ。

 つまり彼女達は、軍の暴走の被害者であり、カオリ達はその目撃者となってしまったのだ。


仮にここで生きることを諦めた彼女に手を貸せば、カオリ達は王国の民を手にかけた不道徳者とみなされる可能性がある。

 これが王国の民として、良心の呵責から、涙ながらに手をかけたのであれば、同情の声もあがるだろうが、カオリ達はあくまで異邦人の立場であり、また今回の騒動を正式に抗議する義務も付随している。

 彼女達の被害状況は全て詳細に証言を残し、書面にして王国に提出する必要があるので、ここで彼女達に死なれては後々に困るのはカオリ達なのだ。

 少なくとも彼女達の身柄を王国に引き渡す瞬間までは、彼女達には無事に生きていてもらわなければならない。


「治療が終わったらひとまず休ませたいんだけど、睡眠魔法みたいなのって使える?」

「……まじない程度の軽いものなら、一応使えるわ、昔怖い夢で眠れなくなった時に、よくお母様にかけてもらっていたから……」


 カオリの問いにロゼッタが答えれば、カオリは治療の終わった女性から、順次寝具へ運んだ。

 この世界の成人女性にしては、あまりに軽過ぎるその身体を、カオリはそっと横たえ、優しく毛布をかける。

 全員の治療が終われば、カオリはロゼッタを残し、アキと二人で天幕の外へ移動し、天幕から十分な距離をとったところで、アイリーンを呼んだ。


「女達の状態はどうだい? 全員無事かい? ここで死なれちゃあ寝覚めが悪いさね」


 粗野な彼女とて一応は女性の身である。醜悪な魔物に弄ばれた己が身を嘆き、最悪の選択を望む気持ちには同情的な思いを抱くものの、自分達の立場を鑑みて、その願いを聞き入れる選択の難しさも、同様に理解していた。


「……すでに全員が魔物を生んだ形跡が確認出来ます。また三名が今も子を宿しているのも確認いたしました。今は手の施しようもありませんが、放っておけば後数日もせぬまま生まれてしまうでしょう、生まれた魔物の子はその場で処分するとして、問題はそこから彼女達が正気でいられるかでございましょう、魔物の子の成長は早いため、中絶には大変な危険が伴います。もはや生まない選択は難しいと思われます」

「……」


 感情を感じさせない、アキのあんまりな告白に、カオリもさしものアイリーンも言葉を失う。


「また死なせないようにでしょうが、小鬼どもの食生は極めて悪食です。胃に毒性のある植物も確認しました。毒症状は魔法で解毒いたしましたが、胃の内容物の毒性を完全に除去出来たわけではございません、少なくとも体外へ排出されるまでの間は、繰り返す毒症状に随時治療を施さねばなりません、果たして出産時に体力がもつかどうかは五分五分と予想されます」


 そこへさらに追い打ちをかけるような診断を下すアキも、感情を押し殺しているのが、握り締めた拳から二人にも伝わる。


「くそったれがっ!」


 怒りを噴出させたアイリーンが、すぐそばの木の幹を力任せに殴りつけ、その表面を豪快に削り飛ばす。

 その怒声と音になにごとかと驚いたコボルト達へ、しかしカオリ達は弁明をする気にもなれず。無視する形で無言になる。


「……とにかくあの人達を死なせるわけにはいかないから、全力で治療を続けて、ここの処理はカムさんにお願いして、私達は最速で村に帰還しよう、移動にはササキさんの転移魔法に頼るしかないけど、こればっかりは仕方がないし、ササキさんも協力を惜しまないと思う」


 そう言ってすぐにササキと連絡をつけ、カオリ達は昼を待たずして、村への帰還を果たした。




 その日の夜、静寂に包まれた村の集合住宅で、カオリとロゼッタは、ササキとオンドールと元村長と五人で卓を囲んでいた。


「とてもではないが、魔物の群れを討伐した偉業を称え祝う気分ではなかろう、私とて長く冒険者をしている身だ。今回のような事例は幾度となく遭遇して来た。先にも言ったが、あまり気を詰め過ぎないようにしてほしい」


 オンドールからの労いの言葉に、カオリは背筋を伸ばし、しかし憂い顔を改める気にもなれず。無言のまま目を伏せた。

 村に無事帰還した時点では、騒動の解決とカオリ達の偉業に沸いた村だったが、カオリ達が人間の被害者女性達を保護した様子を見て、関係者一同は事情をすぐに理解し、カオリの心情に同情を示した。


「……あんまりだわ、まさかあそこまでひどいだなんて、死にたくなって当然です。ひど過ぎるっ……」


 後になってアキからより正確な診断結果を聞かされたロゼッタは、まるで堪えきれずに感情も露わに涙を流した。

 劣悪な環境による疾病や毒症状もさることながら、目に見える外傷も尋常ではない、なにしろ抵抗する異種族の女を、無理に弄ったのだから、暴行による打ち身や捻挫に留まらず。秘所の裂傷やあまつ肛門の断裂など目を覆いたくなる惨状であった。

 もしアキの治療魔法とロゼッタの回復魔法による速やかな処置がなければ、日常生活はもちろん、生涯子を産めない身体になっていたのは確実であったはずだ。

 女性の尊厳と生命を根こそぎ奪い尽くす悪魔の所業でしかない、ゴブリン達のおこないは、王国の貴族に生まれ愛情豊かに育てられたロゼッタに、深い心の傷跡を残した。

 もし被害に遭ったのが自身であったならば、彼女なら迷うことなく自害を選んだであろうと、ロゼッタはただただ涙を流す。


「……あの時、カオリ様がおられませなんだら、我らとて同じ目に遭っておりました。わしら男共は殺され、子供達は喰われ、女達も……、この村に彼女達を白い目で見るような恥知らずはおりませぬ、皆明日は我が身と理解しているものだけです。この村での滞在が少しでも彼女達の傷を癒せればと、村人全員で寄り添いたいと皆で話し合うております」

「ご理解とご協力に、心より感謝します」


 元村長の被害者女性達への同情と協力に、カオリは素直な感謝を告げる。


「今回ばかりは私も心から謝罪する。カオリ君、すまなかった。私が魔物専門部隊の動向をよく監視することもなく、早々に現場を後にしたことで、今回の騒動を引き起こさせてしまった。その尻拭いを君達に負わせてしまったのは、後見人失格と謗られても反論出来ん失態だ」


 椅子に座してなお巨躯な身体を深々と折り曲げ、真摯に謝罪をするササキへ、カオリは首を振って否定の言葉をかける。


「ササキさんがいなければ、王国領ではさらにひどい被害があったことでしょうし、ササキさんが急いで戻ってくださったのも、元はといえば王都での決闘騒動の決着のためです。いくら転移魔法が使えるといっても、さまざまな問題に全て対処されるのは無理なはなしですし、全てに先手を打つことも不可能です」


 もちろんクロノス大森林の生態の変化や、ササキがその対応に追われるのも、全ては【北の塔の国】の出現に伴った情勢の変化が根本原因であり、文字通り身から出た錆びだということを、カオリも理解している。

 さりとてササキが真実、世界の秩序に最大限配慮し、己が身で問題の対応に日々奮闘していることを知るものとして、これ以上ササキを責め立てるなど、極めて不毛であるとカオリは考えている。

 力ある存在として、他者と関りをもち、かけがえのない大切な存在と今日を生きる選択をした瞬間から、幸福も不幸も飲み込み、自分に出来る努力を積み重ねる以外に、人に出来る手段はないのだ。

 幸い今回の騒動で被害に遭ったのは、言ってしまえば誰とも知らない赤の他人に過ぎない、これが村の誰か、仲間の誰か、家族の誰かであったならば、今頃カオリは悪鬼羅刹と成り果てていたことだろう。

 被害者女性達へ心底同情はしても、義憤と復讐に心を燃やすほどではなかったと、冷静な頭で腰の刀の柄を指で叩く。


「ただやっぱり魔物に犯され、あまつさえその子を孕まされた女性が、その後どのように生きなければならないのか、そのあたりは知っておきたいと思います。これは辺境に生きる私達にとって、他人事ではありませんから」


 村の開拓責任者であり盟主の立場から、いつかは遭遇するかもしれない事態を想定し、具体的な対応策を確立すべく、カオリはこの場に知識人を集った本来の目的を示す。


「……人伝にしか知らないけれど、毎年若い女性の冒険者の中には、捕まって被害に遭われる方が一定数はいるそうよ、ただ無事に保護された場合でも、そのほとんどは冒険者を引退して、教会に身を寄せるとも聞くわ、やっぱり魔物と交わった事実は、例え故郷であっても受け入れ難いのが現実なのだと思う」


 これはロゼッタが冒険者に憧れを抱いていることを知り、なんとか思い止まらせようと、誰かが口にした脅しであることは容易に想像がつく。

たしかに一般的な女性であれば、自ら進んでそんな悲惨な未来を示唆されれば、危険な夢に飛び込むことを躊躇うだろうと、カオリも今にして思えば納得の常套句である。


「なにしろ若い冒険者は知識も経験も乏しく、ろくな装備も買えぬものばかりだ。当然被害に遭い、無事に生還出来たとしても、迅速に適切な治療が施せるような伝手も貯えもない、結果的にほとんどの女性は病で命を落とし、運よく命を繋いだとて、後の生活は貧困と差別に苦しむことになる。私はそんな事態を少しでも減らそうと、後年を新人の育成に執心して来た。……それでも全てを救うことは叶わなったがね」


 オンドールの自嘲を滲ませた言葉に、カオリは慰めにもならない否定の気持ち浮かべ、緩やかに首を振る。

 そして元村長からも情報が開示される。


「私の親の代ではありますが、数名が被害に遭ったと聞いております。ただしかねてからこの村は他に頼るべき伝手もない閉鎖された村でしたので、なるべく余生を穏やかに過ごせるようにと、代々人心に寄り添ってまいりました。それ以前にこの村は元々、国や故郷を捨てたもの達が寄り集まって作った村でしたので、そもそも心身に傷を負うものが当たり前だったのだとか……」

「それは……、はじめて知りました。詳しくお伺いしてもいいですか?」


 そういえばついぞ村の詳細な歴史を知る機会がなかったかと、カオリは元村長の語った村の歴史の一端を、興味深く掘り下げる。


「そうですのぉ……、わしも父親から聞かされた話ではありますが、そもそもの村の発足がいつなのか、誰も知らないのですが、ただ祖父の代ではすでに、今の形になっていたと聞かされております。また村人の人種系統を見るに、帝国や王国の両方の民の血が流れておりますので、いずれにせよ、難民かあるいは脱走兵か、もしくは冒険者が祖であると我々は認識しております」


 当然初めからいたものだけでなく、近代に居付いた村人も含まれると考えられることから、先の説明が間違いではないことが伺える。


「それが事実であれば、この村はその成り立ちからすでに、戦争や魔物の脅威に晒され、逃げ出したもの達の故郷だったのだと思えますな……、とくに今では一度は滅び、しかし勇気ある志で復興を果たした希望の地でもありましょう、もし故郷を追われ、帰る場所のないものがいるならば、この村はそんな流浪の民の故郷足りえるのやも……、いやこれはあくまで私の理想だ。カオリ君に無条件での移民の受け入れを強要するつもりはない」


 オンドールの補足と弁明に、カオリは同意と私見を返す。


「いえ私も同様に感じましたし、いまさら移民の選り好みなんてきりがないことを、深く考えるのも馬鹿らしいですよ、私的にはみなさんが受け入れられるならば、どんな人でも何人でも、基本的には歓迎ですので」


 であれば今回の騒動における被害者女性達も、場合によっては受け入れ対象であると、口外に認識を共有し、ただし本来は王国の民であろう彼女達の扱いは、王国と協議する必要があるだろうと結論づけた。

 翌日には緊急事態宣言を解除し、騒動が解決したことを改めて告げると共に、カオリは事態の完全なる収束に向けて、王国へ帰還した。

 まず初めに着手するのは、冒険者組合へ魔物の群れの討伐を報告し、それが事実であることを裏付ける証明書の発行を組合に求めること。

 次いでビアンカを通じて王家に騒動の詳細な報告書と先の証明書も含めた証拠の提出である。

 またそれら事実の共有を図ったうえで、カオリは王国に対して、正式に抗議するものとして書類の作成を進めた。


 ただし当然のことながら、国外のしかも小さな村規模でしかないカオリ達の立場では、抗議といってもなんら賠償などを要求出来る執行力はなく、あくまで事実を明示する程度の効力しかない机上のものだ。

 それでも誰がなにを仕出かし、誰が被害を被ったのかは明らかにしなければならないと、カオリも真剣に取り組んだ。

 かくして翌々日の朝に、王家が再び私的な茶会と称してカオリを招待したのを受け、今回は珍しくもササキ同伴で登城を果たした。

 以前と同様に王族が揃い踏みの円卓にて、ササキとカオリは悠然と勧められるままに着座し、国王の言葉を待つ。


「この場は私的な場である。双方とも楽にするように」


 第一声の宣言にようやっと肩の力を抜いたのは、むしろ王族の方であったと、カオリは内心で苦笑する。


「まず初めに、一王国人として、ミヤモト嬢には謝罪をさせてほしい、我が国の軍の独断が、よもやミヤモト嬢の村にまで被害を波及させるなど考えもせず。多大な迷惑をかけてしまった。どうか許してほしい」

「我からも謝罪を、我が派閥のものが、またもやカオリ嬢に迷惑をかけたこと、もはや言い訳のしようもない」


 アンドレアス国王に続きアルフレッド第一王子からも謝罪を受ける。

 王族を相手にするならば、この謝罪の言葉を素直に受け入れ、また一切の是非を問わないという選択肢以外にないと、カオリもことを荒立てる気はないために、深々と頭を下げて返礼する。


「此度の騒動で、我々は王家に一切の非がないことを重々承知しております。如何に私的な場とはいえ、王族からの謝罪を受ける立場にはございません、どうか過度な阿りのなきよう、ただしそれでも良心が咎めるとお思いであるならば、我々は全てを許します」


 謝罪をし、それを許す。ここまでが対外的な既定路線であるとし、カオリも王族も息を吐く。


「……其方からの報告書ならびに冒険者組合の証明書を読ませてもらった。またその内容が事実であることも当方で確証ずみとする。よって先ほど受け取った抗議文に関しても、我が王家は正当性のあるものとして重く受け止めておる。……ただし抗議文とは名ばかりのただの事実確認しか記されておらん、ミヤモト嬢の真意を聞かせてはくれんか?」


 先の書類全てに目を通し、それを正式に認めたアンドレスではあったが、しかしカオリからの抗議文が、まるで意味がないことを訝しみ、直球でカオリに伺い立てる。


「いえ、そのままの意味にとっていただいて結構です。今回の騒動がなんら違法性はなく、また当方になんら被害のなかったことは事実ですので、あくまで事態の共有認識を促す意図しかございません」

「ふむぅ……、そうはいってものぉ」


 釈然としないアンドレスの様子に、カオリは思わず苦笑してしまう、不敬であるかもしれないが、今の国王は孫に贈り物を拒まれた祖父のようにしか見えなかったからだ。


「ただ一冒険者として、王国の魔物への対応と軍の横暴は、目に余るといわざるをえません、もし真に認識を共有いただけるのであれば、事態の再発防止と組織の抜本的改善を一考くださることを、伏してお願い申し上げます」


 それこそが、カオリの切なる願いであると、カオリはようやく真剣な表情で頭を下げた。

 思えば王都に拠点を移してからはや半年、カオリのしたことといえば、結果的に王国組織、あるいは王権の改善に終始していたといっても過言ではないだろう、今回の騒動はその是非が顕著に示された事態である。

 なにしろ、武家は戦狂いでカオリを開戦の口実にと利用することを画策し、またある時は派閥の強化に利用しようと掌を返す始末だ。

 てんでばらばらな組織的横槍にはほとほと嫌気がさすばかりで、なんらカオリに益をもたらさなかった。


 教会など以ての外である。武器をもたねば攻撃されはせぬとばかりに、根拠ない自信から悪知恵を働かせて、極めてお粗末な武力衝突を引き起こしたのだから呆れて言葉もない。

 しかしカオリはそれら諸問題に対し、厳然と報復をするだけでなく、騒動の根本的な問題の解決に向けた。さまざまな改善策を用意し、逆に王家の地盤を盤石にする手助けまでしてみせた。

 今や軍部は資金繰りに頭を悩ませる前に、頭を使って領地を富ます方法を学び始め、教会は権威を振るう実行力を失い、王家に頭を下げるしか術を残されていない。

 騎士団はすでに派閥の壁を越えて、真に王国の守護者たる自覚をもち、日々真面目に能力の向上を目指している。

 もういい加減にしてほしい、それが偽らざるカオリの本音である。

 その真摯な願いを受け、王族の面々は極めてばつの悪い表情で、互いに視線を交わした。


「しかしながら陛下、今回の騒動では王国の民が被害に遭っております。少なくとも魔物専門部隊の責任者へは、実際に被害に遭った領主貴族への賠償も含め、人事を改める必要がありましょう、でなければ派閥を二分する事態へ発展しかねません、だがむしろこうして騒動が起こったことで、王家が介入する口実が出来たともとれます。我々にとってはまことに遺憾ではありましたが、これが最後であるのならば、ある程度は留飲を下げましょう、でなければ私とて娘に会わせる顔を失ってしまいます」


 その娘であるカオリを前にして、堂々と言い募るササキに、アンドレアスも何度も首を縦に振る。


「あいわかった。我が方で今一度調査をおこない、誰が暴走を引き起こしたのか、また被害がどれほど深刻で、どのような保障が必要かつまびらかにし、最善策を講じると約束しよう、……もしその過程で、当事者になにか一言でもとミヤモト嬢が望むなら、前もって連絡をよこすゆえ、どうかしばしの時間をくれんか?」

「ありがとうございます。どうぞよろしくお願い申し上げます」


 その日はそれでお開きとなった。


 それから数日後、カオリは王城の略式の謁見の間の、もっとも下座、ともすれば警備の騎士の隣に、傍聴人の立場で招かれる。

 ここは数ある謁見の間の中でも、内向きの褒章や沙汰を下す数段格式の低い間である。

 事前に聞かされた内容によると、自領に被害が発覚した領主が、連名で軍に抗議した訴えを、王が仲裁する形で是非を問い、騒動を主導した責任者へ直接沙汰を下すとのことだった。

 注目すべきは派閥としてもっとも力をもつ開戦論派の軍に対し、王家が直接介入し人事を改めると共に、賠償を含めた裁定を下すという極めて調整の難しい対応を試みるという点である。

 この場合重要なのは、騒動を引き起こしたのが開戦論派の軍人であり、直接被害に遭ったのもまた開戦論派の武家であること、つまりただの内輪揉めに過ぎないということであり、以前であれば軍の上層部で人知れず処理されても不思議ではない些細な問題だと誰もが考えていた点である。

 しかし今回の騒動を収めたのが誰あろうカオリ達部外者であったことで、仮にこれが他国の領土で起こっていた場合、間違いなく国際問題へと発展していたであろうと危惧されたことが、王家の介入を正当化させる要因となった。

 しかも当騒動の切っ掛けが、冒険者ササキに手柄を独占されることに焦った。軍の暴走だというのだから、ササキを重宝する王家としても顔に泥を塗られて黙っていられないと、いっそ怒りを表明しても不思議ではない問題と取り沙汰されている。


 カオリはそんなことを考えながら、先ほどから顔を蒼褪めさせて跪き、震える軍人を静かに見つめていた。

 そこへ王の入室が告げられ、ようやっと最終通告が始まる。

 読み上げられた罪状は主に三つ。


 国の安寧を守るべく忠誠を誓う軍にあって、その力を私的に利用し、あまつ民へ犠牲者を出したこと。


 加えて一時的とはいえ軍に請われて指導にあたる上官たる冒険者の指示を無視するのは、立派な軍規違反であること、また魔物から人類を守護するべく厳しく規律を定めた冒険者組合の意向をも蔑ろにした。愚かなおこないであったこと。


 最後に、例え対象が国家規模ではなくとも、国外領域へ魔物を溢れさせるおこないは、他国に悪意ある示威行為または破壊工作とみなされる恐れがあり、最悪の場合戦争の引き金にもなりえた極めて危険な行為であったことが強調された。


 以上の理由から罪状は国家反逆罪にも相当する極めて悪質なものであったと述べつつ、ただし全ては無知と愚かな功名心が招いた幼稚な判断であり、また事実として被害は小さく、情状酌量の余地も残されていると言い添えた。

 結論として、当該部隊長には降格の上左遷、および私財の一部没収にて被害領地へ賠償する裁定が下され、この騒動を経て、魔物専門部隊は部隊長ならびに部隊名の変更を理由に、所属や命令系統の再編をおこなうと締めくくられた。


 全てが読み上げられる間、カオリは直利不動のまま、今ではすっかり萎れた元部隊長を見つめ、こんな一人の人間の邪な思い一つで、あれほど迷惑を被ったのかと、ほとほと呆れ果てた。

 ササキは謝罪をしてくれたが、どう考えても彼に非がないことは明らかだ。

 冒険者をしていれば、後先を考えずに山狩りなどおこなえば、森の生態系を狂わせ、無用な混乱を生むことくらいは常識である。

 もちろんササキもそのことは重々承知ではあったが、ササキはあくまで単独で【北の脅威】にて波及した諸問題の解決に、自ら出向いただけであり、勝手について来た軍の面倒を見る立場にはなかった。

 ともすれば下手に忠告などしようものなら、軍に雇われ指導に就く黒金級冒険者と冒険者組合の顔に泥を塗り、さらには内政干渉の疑いすらかけられかねない立場である。


 あの場でササキに一つとして責任がないことも、責任を感じる謂れもないことも明白だった。

 幸い現王国は一定の自浄能力を取り戻し、明らかな問題と罪に関しては、正当な対応を見せているので、再び同問題が引き起こされる心配は限りなく低いはずだ。

 またこの裁定により、軍、または開戦論派の貴族の中にも、一定数は常識を弁える人物がいることがわかり、カオリも多少は安堵を覚える。

 もしそうでなければ、今回の騒動が表沙汰になる前に、カオリ達へなにかしらの横槍が入っていても不思議ではなかったので、その点では比較的滞りなく事態は収束を迎えた。


 そんなカオリの下へ、一人の騎士が歩み寄り、小声で部屋へ移動の要望が届けられる。

 この期に及んでいったい誰がなんの用でと訝しむものの、カオリはとくに警戒する必要もないと、堂々と案内を受ける。

 通されたのは謁見の間の続きの小部屋で、内密な用向きなのだろうと思いつつ、しかし扉がわずかに開けられ、小部屋の外と内にも騎士が警備していたので、ずいぶんと物々しい対応だと感じた。

 しばらく待つ間、気を利かせてか温かい紅茶が給仕され、カオリは一応と毒性の鑑定をしつつ、問題がないことを認めて口をつけた。

 そこへ一人の壮年の男性貴族が入室する。

 カオリは立ち上がり、騎士の礼でもって出迎えるのを、壮年の男性貴族は疲れた表情で鷹揚に着席を促す。


「楽にしなさい」


 明らかな高位貴族の風格を漂わせながら、しかし上位者ではなく、私的な用件であると口外に告げ、男は自ら名乗る。


「私はインフィールド公爵家当主にして、軍務卿の役を仰せつかっておる。其方には数々の諸問題に加え、娘も世話になっていると聞かされておる。かねてから其方には感謝を告げたいと考えておったゆえ、本日は陛下とササキ卿より、直接顔を合わせる許可をとり、こうして時間を設けてもらった。改めて礼を言いたい、感謝する」


(ほえ~、大臣様で閣下様か、すごい人と会ったな~)


 内心で驚きつつ、カオリは遅れて自身も名乗る。


「冒険者ササキの後見を受ける。冒険者ミヤモト・カオリです。ミヤモトが氏ですのでどうぞお好きにお呼びください」


 すでに着席させられているので、仕方なく言葉だけは礼を尽くして名乗り、やや間をおいてゆっくりと顔を上げる。


「しかしながら、いったいなにをもって感謝をと申されるのでしょうか? 私はこれまで、如何なる貴族家へも、意識して協力をした自覚がございません」


 だがカオリは意図的に曖昧な態度で相手の出方を伺った。

 インフィールド公爵家といえば、アンジェリーナ公爵令嬢の生家であり、東方武家の取り纏めの立場の人物である。

 また軍務卿といえば、兵站の手配や武器兵器の開発、それらに付随した予算編成を取り決める軍の実権を握る役職でもある。

 別段そんな人物からの感謝など求めていない、そして謝罪すらもどうでもいいカオリとしては、やや真意が読めない人物であると感じた。


「案ずるでない、よもや平民の、しかも冒険者の少女を捕まえて、腹の探り合いなど大人気ないことをするつもりなどない、ただ事実として、自身の仕事を助け、愛娘にも手を貸してくれた少女に、素直に感謝を伝えたかっただけだ。どうか言葉通りに受け取りたまえ」

「はあ……」


 もちろん、魑魅魍魎の跋扈する宮廷を生き抜いた歴戦の大貴族を相手に、カオリが対等に戦えるなどと自惚れるつもりはなかった。

 ただ例えるならば、仲良くなった友人の父親が、たまたま自身の父親の競合他社の社長だったくらいの驚きがあった程度である。

 別段仲良くする必要もないし、敵視する必要もない相手であれば、無難に距離をおいた付き合いが出来れば理想なのだから、ある日突然二人きりで会うなど、気まずい以外の何物でもない。


(まあここには、社長さんの部下さんもたくさんいるけど)


 なんとはなしに周囲に視線を巡らせて、見える範囲で控える騎士達を確認した。


「ああ、私を警戒しての騎士さんなんですね」


 カオリがそう言った瞬間、わずかに緊張した騎士達の様子を鋭敏に確認し、カオリは仮定を確信に変える。


「嫌ですよ~、まさかインフィールド公爵閣下に、私がいきなり斬りかかるだなんて、そんなことありませんよ~」


 そんなまさかの事態を警戒して、ここまで大袈裟な警備体制を敷いたのかと、カオリは屈託ない笑顔で笑い飛ばす。


「まことに残念ながら、今の王国騎士団内で、其方に抗しうる手練れは一人もおらん、我が娘と一つしか変わらない歳で、これほどの剣の業を極めた剣士を、未だかつて見たこともない、武家の当主として惜しみない賛辞を贈ろう」


 そんな誉め言葉を発する口で、公爵は笑っていない目でカオリを見つめ、言葉を続ける。


「であればいい加減胸襟を開かせてもらうが、もう許してはもらえんか? というのが今日呼び出した理由だ」


 カオリに言葉が浸透するのを待つ様子で、公爵は自身に給された紅茶に口をつける。


「許すもなにも、恨んですらいませんが?」


 首をかしげてこともなげに告げたカオリに対し、公爵は慌てるなと手をかざして窘める。


「では言い方を変えよう、今後は私を信じてほしい、といえば理解出来るだろうか?」

「ほお、それは興味深いですね」


 たしかに大国の大貴族、とくに国の重責を担う役職を務める人物から、そう言われれば、一考の余地があるとカオリも感心した。

 貴族というものは権力を持つほどに、重い責任を負う。

例え私的な口約束であっても、それは確実に履行されなければならず。仮に反故にした場合は、多くの民の生活や私財、時には生命すらも危険に晒す可能性があるものだ。

そんな人物が信じてほしい、などと言質を口にした以上、それは行動を伴って確実に実行されなければならない。

胸襟を開くと言った直後に、明言を避けてカオリが再度問うまで、あからさまに一拍おいたのはやや腑に落ちないが、結果的に望外の言葉を引き出せたのでよしとカオリは考える。


「娘が最近よく口にするのだ。『もはや剣を振り回すばかりの時代は終わった』そして続けて『これからは子女も経営を学び、家族や夫を支えるべき』だとな。つい最近まで色恋と着飾ることにしか興味のなかった娘がだ」


 以前までのアンジェリーナ公爵令嬢の様子を見るに、家では大層甘やかされて育ったのだろうと考えていただけに、公爵の娘への評価が自分の考えていたものとは少し違うようだとカオリは受け止めた。


「随分と冷静に、ご息女を評価なさっていらっしゃったのですね。そう思うのであれば、もっと早くから閣下自ら、我が子の意識改革に着手なさればよろしかったのでは?」


 やや無遠慮な詮索とは思いつつも、国を左右するほどの権力者が、どのように子育てに挑んでいるのかが気になり、純粋な好奇心のままに質問する。

 だが公爵も、流石に馬鹿正直に家庭問題を話す気にはならない様子で苦笑する。


「その必要がなかったのは其方も知っておろう? いうなれば此度の風潮も、人が意図して流布させた流行りものに過ぎん、そんな移ろいゆくものに貴族が左右されては、まことに国を導くことなど出来はせん」


 主語を省いた論調には、口外にカオリのこれまでの王国での活動を、真っ向から否定する意味合いが強調されていた。


(流行ってるのは認めるんだ)


 しかしながらその流行により、人心が左右される状況そのものを否定はしないのだと、カオリは公爵の姿勢をそう解釈する。

 現時点での公爵への評価は、カオリにとって十分に評価出来る人物だと感じる。


「そうですね。国の統治は揺るぎない信念なくしては不可能だと私も思います。ようは国としての一貫性を遵守しつつも、いくつもの妥協と研鑽を積み重ねて、ゆくゆくに改善出来れば理想なんだと、私は考えています」


 武家の意識改善も教会の権威の失墜も含め、カオリは様々な分野で己の利になるよう干渉しては来たものの、それらは真実将来への布石となるかを保証するものではなく、あくまでも対処療法に過ぎないことも自覚するカオリにとって、こうして国政を担う高位者からの厳しい対応は、あって然るべきだと漠然と理解している。

 そもそもとして、カオリが国の最高権力者たる王家と縁を結べたのも全てはササキの功績があったればこそであり、また根本的に王国での立場をえた理由も、全てはササキからの依頼が発端なのだから、ミカルド王国とカオリ達の村が国交を結ぶことの是非も、いわばついでのようなものでしかない。

 つまりカオリが王国の国政に干渉することと、王国貴族がカオリをどう評価するかは、極論として別の話であると言い切ることも可能である。

 よってカオリは、公爵からカオリへの評価を聞かされたところで、特別になにかを思うことすらなかったのだ。

 そんなカオリのとぼけた姿勢が伝わったのか、公爵は一瞬だけ眉を上げ、ついで小さく息を吐いた。


「……だが其方のもたらした風潮により、領主貴族達の意識改善が進んでおることで、我が公爵家の差配が、いくぶんやりやすくなったのは事実である。その点に関して、私は国を担う貴族として、感謝をせねば示しがつかぬ」


 まるで口にするのも業腹であるとばかりに、わざとらしく尊大に振舞う公爵の姿に、カオリは苦笑を浮かべて姿勢を正す。


(面倒くさい立場だな~)


 どうやら明らかな貢献に対して、なにかしらの謝礼を提示するつもりなのだろうとカオリは理解した。


「其方には私から、個人的にこれを授けよう」


 そう言って公爵は、一枚の書状と硬貨を取り出した。

 首をかしげるカオリに、公爵は説明する。


「書状と硬貨はともに、我が領地への出入りを認めるものである」

「つまり冒険者ではなく、一異邦人としても、公爵領を自由に出入りしてよいということでしょうか?」


 言葉少なな説明に対し、カオリは仕方なくわかりやすい補足を加えて確認したのに対し、公爵はおもむろに頷いて肯定する。


(冒険者として都市間の自由な出入りが保証されている私に、なんでわざわざこんな許可をするのかな? いや、ちょっとまてよ~……)


 まるで無意味に見える謝礼のようでいて、しかしこの明らかに頑固そうな壮年貴族が、なにも意味のない行動はしないだろうと、カオリは常になく頭を捻る。


(つまり公爵家が、個人的に私達を客人として認めること、それを内外にわかりやすく示すことに意味があるんだよね? でも王家が村の存在を認めた時点で、国内外への明示は問題ないはず。つまり公爵家由縁の立場に対して、一番効力をもつ対象への牽制が目的ってことかな? てことは……)


 公爵位の人物からの謝礼を前に、返礼の一つもせずに黙考することは、本来であれば無礼にもあたるはずだが、公爵本人はもちろん、控える騎士達からも、カオリを咎める態度は見受けられなかった。

 その状況そのものが答えであるかの如く感じ、カオリは静かに目線を公爵に定める。


「つまり、これ以上開戦論派の貴族に対し、私が直接報復するのは控えろということでしょうか? たとえ、戦いを仕掛けられても、そして未だに泳がされている断固開戦論の貴族や、私達を狙った黒幕の始末も、公爵閣下が内々で処理をしてくださるってことでしょうか?」


 カオリの発言に、後方で控えていた騎士が、動揺から身動ぎしたのを気配で察しつつ、カオリはただ真っすぐに公爵を見つめた。


「……そう、とってもらっても構わん」


 公爵の肯定に、カオリは全ての事情を理解した。

 つまり公爵は知っているのだ。件の元男爵へ、カオリの暗殺を命じた貴族が誰であるかを、そしてそれを許したのが誰であるかを。

 本日のこの私的な会談が、開戦論派の旗印たるアルフレッド第一王子からではなく、実質的に派閥をまとめる公爵その人である必要も、カオリは全て理解した。

 であればカオリの答えは決まっている。


「あ、はい、お断りします」




 今回の騒動の後始末に関する様々な書類に判を押しながら、難しい表情で幾度目かの溜息を吐くインフィールド公爵に、青年騎士は堪らずに声をかけた。


「閣下、その、大丈夫ですか?」


 なにが言いたいのかは理解出来るものの、公爵はやや胡乱気な視線をよこしただけで、すぐに書類に視線を戻す。


「儂の心配などせず。お前は自分の任務に集中せよ」


 純粋に公爵を案じる騎士を相手に、極めて突き放した物言いに、騎士もたじろいでしまうものの、常の余裕のない公爵の様子が見過ごせないと、今日は少し勇気を出して食い下がる。


「しかし一介の冒険者に過ぎない平民の少女が、よもや閣下からの謝礼を断るなど、あまりにも不遜と言わざるをえないかと、折角の好意を無下にするあの言動、仮に王国貴族の身分のものでも、いささか非常識です。閣下が憂いになられるのも無理もございません」


 慇懃に同意を示す態度こそあたかも常識人を標榜するていではあるものの、カオリの真意を知った公爵には、あからさまなおためごかしに映ってしまう。


「そういえばお主、来年には騎士団を辞め、領地を継ぐ手筈になっているのだったな」

「はっ、此度は閣下のご采配により、我が領も大々的に開拓を進めることに相成りました。つきましては領内の様々な手配に、どうしても人手が必要とのことで」


 唐突に問われた騎士は、姿勢を正して答えるのにも理由がある。

 カオリ達がアンジェリーナ公爵令嬢を通じて、学園子息令嬢に対し、開拓業の知識と重要性を説いて回る活動をするのと同様に、現在インフィールド公爵家でも、かねてから進めていた東方の領地の開拓にまつわる、さまざまな試みを大々的に公布していた。

 その一環として、公爵家ととくに近しい寄子の貴族家へ、資金や人手の援助をおこなう方針である。

 この青年騎士の実家も、そんな貴族家の一つであるため、少しでも公爵の記憶に残り、後に便宜を図ってもらいたいと考えているのは明白であった。

 あの私的な会談の場で、カオリの異質な気配にたじろぎ、身を震わせていた情けない姿から一転して、下手な啖呵とゴマすりに終始する青年貴族に、公爵は内心で溜息を吐く。

 帝国王国間戦争を生き抜いた歴戦の武家貴族の中には、明らかに頭の足りていない自惚れ屋が多いのが悩みどころではあったが、戦争を知らない若い世代には、頭も度胸も足りないものがいるのかと、次代の育成に今から憂いてしまう。

 だがそこへ、扉打ちが鳴り響く。


「陛下がおいでになりました」


 なんの報せもなく、唐突にアンドレアスが現れたことで、軍務棟執務室は騒然となる。


「陛下、御用があるならばこちらから参りましたが?」

「よい」


 紛れもない王者の風格で周囲を制し、アンドレアスと公爵は応接室へと移動する。

 軍務棟とはいえども、なにも全てが質実剛健な装いというわけではなく、とくに公爵家当主が執務にあたる部署にもなれば、それなりに調度品も飾られたなかなかに華美な設えである。

 執務室の続きに整えられた応接間も、軍需関連の商取引や商談、軍や騎士団の上位者が顔を突き合わせて寛ぐ場所でもあるため、ここに国の君主が姿を現しても、それほど違和感はなかった。

 しかし戦時でもない状況で、わざわざ王が自らの足で訪れる場所としては、いささかそぐわない場所と状況ということもあり、突然の王の訪問に浮足立つ軍官達も、扉の向こう側で聞き耳を立てているのは明白だろう。

 しかし密談も考慮して防音には細心の注意を払って設えられた応接間の声を、外から聞き取ることは通常の手段では不可能である。

 よって公爵も上位者の仮面をやや和らげ、上座に腰かけたアンドレスの前で、ようやっと盛大な溜息を吐いて見せた。


「ずいぶんと悩める様子だのう、カルロよ」

「やはり陛下はご承知でありましたか」


 腕を組んで苦笑するアンドレアスに、愛称のカルロと呼ばれ、カルロストル・キドミアム・インフィールド公爵はやや恨めし気な視線を遠慮せずに投げかけた。


「お主が悩んでおったのは知っておるし、お主の立場ではあれが最善の手段だったのも知っておる。ついでにミヤモト嬢の気質もな、余はただの推測したに過ぎん」

「であればなおさら恐ろしいですな、あの娘の選択は、ともすれば国難を招き寄せる危険なもの、軍務を預かるものとしては、どうにも無視出来ぬ代物でございましょう」


 開戦論を声高に主張する一派にとって、カオリとカオリが代表する村の存在は、停滞した帝国との関係に一石を投じる絶好の機会に映る。

 仮になんらかの手段によって、現在では防衛も整いつつある村を奪取することが出来れば、そこを大規模な防衛拠点兼中継地として機能させ、帝国の領土へもっと積極的な軍事的干渉が可能である。

 また王国の軍が間近まで迫るともなれば、帝国側も十分な迎撃態勢をとらざるをえなくなり、遠からず大規模な軍事衝突が引き起こされることは必至であろう。

 そうなれば太陽協定の名の下に、再び西大陸諸王国から義援金を募り、さまざまな武家がその恩恵に預かることが出来るのだ。


 生粋の武人であれば、潤沢な資金から兵や物資だけでなく、家の財産と名誉を高めるまたとない機運なのだと、公爵も理屈の上では十分に理解している。

 そのため、自身の派閥の貴族達が、下手ながらにもカオリへなにかと干渉しようと、またはいっそ排除しようと画策するのを、これまではとくに褒めも咎めもしてこなかった。

 もちろん無策のままに軍事行動に移れば、帝国を相手取って決して楽観視出来ない戦いに身を投じることになるため、その先の未来には子や孫の代にまで渡る覚悟が必要であることも十分に理解していた。

 しかし今日カオリと対峙して、それら干渉が極めて悪手であることを、嫌というほど痛感したのだった。


「私とて武家の端くれ、強者の類には見分けがつきます。……しかし、あの娘は私の目から見ても、極めて異常です」


 その結果、カルロストルはカオリへの最善の相互関係を、不干渉であると結論付けた。

 理想を追い求めて活動を続ける思想家に対して、全ての人間が好意的な協力をするとは限らないのが世の常である。

 とくにカオリ達は他者の力を頼らず。可能な限り独力での立場を目指すと公言して憚らないのだから、本来であれば大多数の人間にとっては、どうぞご勝手にと、突き放して傍観するのが普通であろう。


「あの年頃の娘で、あれほどの強さと、なによりも尋常ならざる殺気を放つなど、無礼を通り越して脅威以外のなにものでもありませぬ。陛下ともあろうお方が、どうしてあの娘達を気にかけるのか、まるで見当もつきませんな」


 長安楽椅子に背を預け、嫌みともとれる言葉を向けるカルロストルに対し、しかしアンドレアスは再度苦笑する。


「どれほど文明が進み、どれほど法が力をもったとて、最後にものをいうのはいつだって力よ、ササキはもちろんのこと、ミヤモト嬢も遠からず大陸にその名を轟かせる強者となろう、であれば火の粉を被らぬ適切な距離を測るにも、まずは火をこの目で見定めねばなるまい?」

「それにしては少々、火遊びが過ぎましょうぞ、【ゴブリン】の群れをたったの数人で、しかもほぼ無傷で討伐せしめるなど、冗談ではありません、ましてやそれを成したのが己の娘と同世代の少女なぞ、まるで笑えませんな」


 皮肉気に王家の立ち位置を明示して見せたアンドレアスに、だがカルロストルはなおも否定を言い募る。


「だからこそ、此度の謝礼として、せめて自派閥の貴族が下手に干渉せぬようにと、わかりやすい形で便宜を図ったのだろう? お主とてそれなりに干渉をしようとした口で、どうして王家を仲間外れにするなどと言えよう」

「その手には乗りませぬぞ、私はあくまでも軍務卿として、娘の父親として、己の自由に出来る権限の中から、もっとも受け入れやすい形で謝意を提示したまででございます。けっして他意などございません」

「頑固者め」


 アンドレアスの端的な言い草に、さしものカルロストルもこめかみに青筋が立つのを自覚する。

 二人は年も近く、かつては王立魔法学園で共に勉学に励んだ仲でもある。

 またそれぞれが今の立場を継承した後は、暴走する開戦論派を御し、他派閥の横槍も如才なく牽制し、アンドレアスの治世を影日向に支えて来たのも、このカルロストルなのだ。

 そんな二人が意見を違える唯一の存在が、冒険者ササキとその後見を受けるカオリであることが、二人のやりとりから察せられる。

 カルロストルとしては、個の武力に依存した君主の有様には断固反対の姿勢であるのは明確であった。

 王とは国の権威の象徴であり、その言動はすべからく国家の枠組みの中で厳格に定められるべきものであるというのが、カルロストルの抱く理想像であり、現実的に国の安寧を保証する唯一無二の手段なのだ。

 そしてササキはいわずもがな、カオリと相対したことで、より一層その思いを強くしたことを、カルロストルは言葉にせずにはいられなかった。


「あの娘の、あの目が恐ろしいのです……。まるで視線だけで人を斬り殺せるが如き、空虚であり、また灼熱にも映る。あの黒い瞳が」


 謁見の間の応接室で机越しに対峙した瞬間から、カルロストルはカオリの放つ言い知れない気配を、どうしても忘れることが出来なかった。

 大国の一大派閥をまとめる大貴族家に生まれ、魑魅魍魎の蔓延る宮廷の闇を生き抜き、武家として心身共に磨きぬいた己の矜持をもってしても、カオリの放つ一刀が全てを容赦なく両断する光景を、幻視せざるにはいられなかったのだ。

 国として恐れたのではない、死ぬことが怖いなどと弱気を許すつもりもない、しかし個の人間として本能に刻まれた原初の恐怖を、カルロストルはカオリの瞳を通じて己に見出した。

 カオリの放つ一刀は、人一人を無残に殺すだけの暴力には留まらないと、カルロストルは確信していた。

 あの場でカルロストルからの遠回しな和解案を拒否したカオリは、はっきりと明言してみせたのだ。


『私達に手を出して来た敵は、私自身の手で斬ります。どれだけ時間がかかっても、どれほど手の届かないところにいても、誰にも譲るつもりはありません、私が、この手で、絶対に、斬ります』


 その底すら感じさせない深い闇の底から漏れ出したかのような殺意の奔流に、真正面から晒されたカルロストルの心情が如何ばかりかわかるというものだ。

 血気に逸る若者の戯言と一蹴することも出来るはずのそんな啖呵に、しかしカルロストルはどうにも一笑に伏すことが出来なかった。

 それほどまでにカオリの本気の怒りが、敵を見定めた執念が、ただの腕のいい冒険者の域を超えた。なにか恐ろしいものであると、直感的に理解したのだ。


「あれは国家の枠組みすらも瓦解させうる。『時代の剣』に思えてなりませぬ。陛下も努々心して接しますこと、ご忠告申し上げます」


 振り絞るように、ともすれば懇願にも受け取れるカルロストルの様子に、アンドレアスも面食らって口を引き結ぶ。


「……ふむ、忠言大儀である」


 そんなカルロストルの言葉を、アンドレアスはどうにも歯痒くも、王として受け止めた。


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